第7話 十日の禍


 レヴィは奈良で祖父を発見したかげの立役者だ。


 祖父に影から声をかけた話とシルラの影から抜け出た事はともに〝影〟と関係している。


 察するにレヴィも祖父の件で紫府へ来ていたのだろう。


 だとすれば、先のは予言ではなくただ今後の予定を告げられただけだ。


「つい癖で影の中を移動してしまう。迷惑をかけるからやめようやめようと毎度思うが気づいたらもうやっておる。なぜじゃろうな?歳のせいかのう」


 レヴィは桃源語で運に応じ、右手の人差し指を曲げて頬を掻いた。レヴィの爪は濃い紫色で、まるでつけ爪でもしているかのようだった。爪は第一関節と同じくらいの長さがあった。


「なんでもかんでも歳のせいにすんな。俺かてお前とそう変わらんほど歳取っとんねん。そんなことより……」


 運は僕の座る場所の五段上で立ち止まった。


「お前の弟子またややこしい事してるんとちゃうやろなぁ?焔にまでちょっかい出しよったら神仙なりたいなんて二度と思えんくしたるからな」


 運はわざわざ桃源語から聖語に切り替えて発音した。妙にドスのきいた声だった。


 シルラにもわかるように気を遣ったのかもしれないが、シルラのことは見ずにレヴィの方を見ていた。


「なあなあ、ほむら。運様さだめさまとどーゆー関係?俺も仲良くなりたいんだけど!はやく紹介してよ」


 運が怒ってそうなことはまるで伝わらなかったとでもいうように、シルラは口元を緩めて僕を見た。


「なんでやねん。どう聞いても初対面ちゃうやん。あと運はただのご近所さんやから、僕になんも期待せんとって」


 運を紹介しろと誰かに言われるのは珍しいことではないが、仮に僕が良いと思った相手であっても運が良いと思うとは限らないから、これまでも知らぬ存ぜぬを貫いてきた。


「なんだほむらもただの知り合いだったのかー。せっかくお近付きになるチャンスだと思ったのに、残念。なんか運様ほんとガード固すぎてなかなか近寄れないんだよな〜」


 シルラは口を尖らせた。


「ガード固いどころかあれに殴られたらたぶん痛いで。気ぃ立ってるしあんまかもたりな」


 僕は東大寺の南大門に聳え立つ金剛力士像の如き運の腕を見た。


 それから、今の状況を悪化させないうちにシルラを旅に同行させる件についてレヴィに説明してもらおうと考え、シルラの傍に立つ一反木綿のようなレヴィに目配せした。


 レヴィは翡翠色の瞳に僕をしばらく映していたが、思い当たったのか、シルラの背を杖の石突きで三度突いた。


「これ。これからしばらく世話になるのじゃ。運にちゃんと挨拶せんか」


 レヴィは聖語でシルラに指示した。


「それほんと痛いからやめろよ、わかったからぁ……。えっと。てなわけでこれからしばらくお世話になります、運様。神羅将司です。俺のことはシルラって呼んでください」


 僕は説明不足だと思ったが、シルラは満面の笑みだった。


「ほんま冗談きついわレヴィ。なにうてんのかわけわからんし、せめて順序立てて喋ってや」


 運はやはりシルラには目もくれず、レヴィの方を見たまま石階段に座った。間違いなく怒っている。


 敷物が無いと興福寺の五十二段にすら座らなかった運が、誰かが歩いたであろう場所に直接座るのだから。


「わしは〝十日じゅうじつ〟の片付けがまだ残っておってのう。弟子の相手をしておるといつまで経っても終わらん。おそらくそう長くはかからんし、それまでどうか弟子を預かって欲しいのじゃ」


 レヴィの口調は友人に話しかけるようだった。


 運に対して低姿勢になることもなく、まるでこの頼み事が断られないとわかっているように見えた。


「そうか。そーゆーことならかまへん。ただ、お前の弟子が俺のうこと聞かんと勝手な事しよったら、すぐ宇宙世界げんせに帰らすからな」


「うむ。それで良い。それで良い」


 レヴィは満足したようにふぇふぇふぇと笑うと、運に会釈して再びシルラの影の中へと消えてしまった。ビニール袋を掃除機で吸った時の様子と似ていた。


「あのさ……僕が聞いて良いんかわからんねんけど、十日の禍って何なん?」


 僕は階上の運を見た。


 レヴィの頼みを簡単に承諾した理由が十日の禍にありそうだった。


 シルラは知っている事なら何でも教えてくれるかもしれないが、その情報を僕が知っても良いかどうかということについてはおそらく考えない。運ならその辺りの取捨選択はしてくれる。


「もしかしてほむらってさっきここに帰って来たばっかり?街とか歩かなかったの?てか、そりゃそうだよな。歩けばすぐ変なのわかるだろうし。だいたい十日の禍も知らねーなんて、桃源郷の誰とも最近連絡取ってなかったってのかよ」


 シルラは僕の隣で大きなため息を吐いた。


「こいつ帰らせるか?」


 運は腕組みして眉間に皺を寄せた。


「早い早い。まだ許したってや。僕なんもわかってへんし」


 僕は口角を上げて二度頷いた。


「まぁ、十日の禍については説明するつもりやったしべつにかまへんねんけどなぁ」


 運は僕を見てから、初めてシルラの方を見た。


「焔は桃源郷ここには単に旅行で来とるだけやねん。その意味、お前にもわかるやろ。せやから、俺の許可も得ずに余計なこと吹き込むな。ええな?」


 運の声は威圧感を纏っていた。


「なるほど。わかりました!そーゆー事なら任せてください」


 それでもシルラは先ほどと変わらない笑顔で頷いた。


 運はそんなシルラを視界の端に僕の方を見た。


「十日の禍ってゆうんは、宇宙暦6030年1月20日に桃源郷で起こった未曾有の神災じんさいのことやねん。今日は宇宙暦6030年3月13日やから、だいたい二月前の事件やな」


「えー。神災じんさいとはちょっと違う気がするんですけど……。だって神災じんさいって言っちゃうとなんか桃源郷が悪かったみたいになりません?あれって完全に后羿こうげいによる無差別殺神むさべつさつじんでしょ。桃源郷に非はないっすよ」


 シルラは全く懲りていないようだった。


 僕はあえて笑顔を作って運を見た。先ほどと同じく、僕にはシルラの言っていることがいまいちわからなかったからだ。


 僕の意図が伝わったのか、運は再びシルラを帰らせようとは言わなかった。


「そら他の神仙がどない思てるかなんか知らんけどな、俺は何千年も前から『桃源郷を訪れる者には仙骨せんこつがある』って考えは危険やってうてんねん。俺自身もせやったけど、ただ桃源郷に辿り着いたってだけで神仙になる資格があると評価されんのは判定ゆるすぎやわ。べつに一見さんお断りにしろとまではうてへんで。せやけどせめて桃源郷の入り口は一か所に絞って、宇宙世界げんせの関所みたいに警備置いて、来訪者がほんまに神仙にしてもええやつかどうかその場で面接してから入れるべきや。仙官せんかんの会議でも何遍この話したかわからへん。前例主義なんはわかっとるけど、そのせいで何の対策もせんかった結果が十日の禍や。せやから、俺は神災じんさいや思てる」


 シルラは運の意見に納得したようで、小さく唸って相槌を打った。


 確かに仙界に関所が存在する印象は無い。とはいえ、この辺りにすら警備の兵士が見られないのは不思議だった。紫府には天帝陛下が居るというのに、門番も見当たらない。


「話を元に戻すと、后羿は宇宙世界うちゅうせかいから来た神で、桃源郷に入るなり大量の矢を放って神仙を大勢殺傷しよってん。なんでそんなことしたんかは今も謎のままや。ただわかっとるんは后羿が射撃に関する能力を持っとって弓使いやったってことと、俺のひいおじいちゃんの阿羅漢あらかんの命令で不老不死の仙薬を求めて長い間たった一柱ひとはしらで仙界探しとったってことだけや。后羿は討ち取られるまでの一時間近く、神力じんりょくのこもった矢で桃源郷を破壊して、天帝陛下の側近の八咫烏やたがらす八柱はちはしら殺して一柱ひとはしらの心臓を射抜きよってん。そのせいで、十柱おった八咫烏で今まともに動けんのは一柱だけになってもぉた。あの日大怪我した神仙は多いけど、死んだんは八咫烏だけやったから十日の禍って呼ばれてんねん」


 八咫烏は太陽の化身としても知られる。画像石でもしばしば太陽の中に三本足の烏が描かれている。


 僕は余計なことを考えているかもしれないと思っても、ある事を考えずにはいられなかった。


〝十日〟と〝后羿〟と〝八咫烏〟という名詞が集合したことで、中国の十日神話を連想したせいだ。


 十日神話にはその名の通り十個の太陽が出てくる。神話によると古代太陽は十あって、一日ごとに交代して勤めており、十日で全員の勤めが終わるようにしていた。今でも上旬・中旬・下旬はそれぞれ十日ずつの区切りだから、感覚としては理解できるだろう。


 そんなある日、十の太陽が全て出て来てしまい地上は旱害に遭う。そこで登場するのが弓の名手、后羿だ。后羿は矢で九つの太陽を射殺し、一つだけにして旱害を終わらせる。こうして太陽は現在のように一つだけになったという。


 古い話だから諸説あるが、だいたいこういった内容だ。


 僕が懸念するのは、仮に誰かが地球で桃源郷の〝十日の禍〟の到来を予言していたなら、それを見聞きした神仙は罪に問われないだろうかということだ。


 例えば、運はどうだろう。十日神話を知っていただろうか、それとも知らなかっただろうか。


 桃源郷に関所を築くように提案していたなら知っていたのかもしれないが、どの道こんな他人の耳のあるところで聞くべき内容ではなかった。


「八咫烏は神仙やったのになんで死んでしもたん?僕の中では神仙って不死のイメージやねんけど」


 神仙も死ぬことはある。とはいえ、一見死んだようでも後に街中で遊ぶ姿を発見され、実は死んでいなかったのだとわかる場合が多い。一般人には死んだように見えていても、神仙はたいてい何らかの方法で死なずに生きているものだ。


「ああ、それはきっと后羿が達神たつじんやったからや。達神は魂砕けるから神仙やろうと殺せんねん。そんな危険な奴やからこそ、止めるんだけでも精一杯で生け捕りにはできんかってんやろ。達神なんてそんなぎょうさんおらんはずやのになぁ。偶然が重なるとこれまで八千年以上も平穏の地やった桃源郷が一瞬で滅茶苦茶や」


 運はサングラスの薄い色のレンズの奥で目を瞑った。


 十日の禍が起こった日、おそらく運は奈良に居たのだろう。話しぶりから当事者だという感じがしない。


 僕はそのことについて言及するのもやめた。紫府の方から一人分の足音が聞こえてきたからだ。


 金属の擦れる音はしないから鎧を着た兵士ではない。かといって女性らしい軽さもなかった。


 見上げていると、石階段の上に現れた人物は僕の知り合いだった。



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