第3話 葛城竜


 僕の言葉を聞いた運は青い瞳を瞬いた。


「なんや、やっぱせやってんなぁ。どおりで俺の話すんなり受け入れとったわけや。不思議な体験しとるやつほど怪異に触れても冷静やからなぁ」


「ほな運が探しとった神って、やっぱおじいちゃんの事なん?吉野でおばあちゃんと出会うより前の事はたしかに自分の名前すら覚えてへんけど……」


 僕は祖母の家の床間に飾ってある太刀を思い浮かべた。正倉院の宝物の如く立派な造りなのに、真新しいせいで模造品のような刀だった。


「なんかそれ、さらっと聞いたら完全に痴呆症やで。だいたいおじいちゃんってなぁ……葛城竜殿下かつらぎりゅうでんかそんな年いってへんやろ。前にうた時は大学生くらいの見た目やったで?」


「せやかて僕が物心ついた頃からずっとおばあちゃんに住んでるし、かつらぎりゅうでんか?は僕にとって完全におじいちゃんやねん」


左様さよか。まぁ葛城竜殿下がそれでええうてはるなら俺はええけど」


 運は肩を竦めた。


「なー、ありえんとは思うねんけど、運っておじいちゃんの部下かなんかなん?」


 ようやく口にした味噌汁はぬるくなっていた。


「ちゃうちゃう。葛城竜殿下はただの仕事仲間や。てか、なんで先にありえんと思ってんねん」


「いやぁ、たぶん運を知ってるみんながそう思うで。運が誰かの下についとるんなんか想像できんって」


「はぁ。俺かて誰かの言う事聞く時くらいあんで?たいていの諌言は聞き入れる温厚な性格やし、言いづらい事うてくれる奴は貴重な人材やと思てるからな」


 運は口をへの字に曲げた。


「なんかもう既に皇帝として出来上がってる感あるで。でも、おじいちゃんとは仲良ぉできそうやわ」


「そうか?そんな喋ったこと無かってんけど、今度会うた時はもっと話してみるわ」


 運は意外そうだった。


「へぇ。ほななんでわざわざ地球いせかい来てまで探してたん?」


「そりゃ前にうた時、気になること言い逃げされたからや。しょーもない話やし、単に俺が勝手に引っかかってもぉたってだけなんやと思うねんけどな」


「いやいや。運が人の言う事気にするんなんかほんま珍しいねんし、それはちゃんとわかるまで追求した方がええわ」


「そうか…?まぁ焔がそー言うんならそうなんやろ」


 運は腕組みして頷いた。


「なんやそれ。ただ、大丈夫なん?もし中臣さんのこと洗脳とかしてんやったら、いつか急に解けて『お前誰や?』みたいな事にならん?その可能性がちょっとでもあるんやったら、僕ん無駄に広いし住んでもええんやで」


「ははは!ほんま、焔は菩薩様やなぁ。おおきに。でも、大丈夫やで。中臣は前から地球に住んどる配下やねん」


 運は白い歯を見せて笑った。


「ほな良かったわ。なら金剛運こんごうさだめって名前も本物やったりするん?」


「せやで?父親はセント・オズバルドってう地球とは別の世界に住んどるんやけどな」


「そうなんや。まぁ六千歳の息子の事べつに心配したりせんねやろ?」


「まぁな。たぶん俺が預けてきた子どもの世話で手一杯やと思うわ」


「子ども……?ってことは運さ、今まで告白されるたんびに『正室はもうおるから、この国じゃ結ばれへん』って断ってたんあれ、ほんまやってんなぁ」


「黙ってなあかん事に真実織り交ぜたら、何が嘘かわからんくなるやろ?」


「それはせやけど……あれはあれでなんか少女漫画みたいなん夢見る子ぉ量産しとったで」


「なんや、そら悪い事したなぁ」


 運はガラスの器から丁寧に取り出した苺——古都華ことか——を口に入れ、その味の事しかまるで気にしていない様子だった。


「そんな美味しい?」


 僕も古都華を口にした。美味しいのは間違いないが、僕は味以上に名前が気に入っていた。


「美味しいわ。ここおったら老けて爺さんなるって止められたかて食べ続けたい味やわ」


「なんかわかるようなわからんような喩えやな」


「めっちゃ評価してるってことやで。みんな見た目年齢は若い方がええと思ってるやろ?知らんけど」


「まぁ、そりゃそうやろなぁ。せやかて、運は神様なんやったらべつに老けたりせんのとちゃうん?」


「あー。あんなぁ、神も遺伝とか体質の問題とかあるから、見た目年齢が何歳で止まるかなんか最後までわからんねんで。それに地球なんかおったら魂の状態にでもならん限りどんどん老けてまうわ」


「それって、身体が老けるんは地球のせいってこと?」


「せやねん。人間はどこ行ったかて老けるけど、俺らみたいな神類じんるいまで必要以上に老けるんは、たぶん地球ここの創造主のガイア卿のせいやな。なんか老化させる能力でも持ってはったんとちゃう?しばらく住んどる中臣なんかえらい何度も若返りの仙術使ったとか言うてたし」


「えっと……若返りの仙術?それって神仙の仙術やんな?なんか気になる要素しかないんやけど」


 僕は前のめりになって南国の海のような運の瞳を見つめた。


「せやけど。なんでここで急に食いつくんや」


「いやぁ、中国の話は気になるからに決まってるやろ」


「焔好きやもんなぁ、あの神仙の国」


「運かて好きやろ。せやなかったらあんな中国語喋れるん意味わからんわ。オルレアンもな」


「ははは!それ言い出すと話長なるわ」


「ええから喋り。ちょっとお茶淹れてくるわ。頭の中整理しといて」


「わかったわかった」


 ◆◇◆



 鉄瓶でお湯を沸かしている間に、机の上の使い終わった食器を台所に下げた。


 油のついた皿以外は洗い桶に水を溜めて沈めておくと、後片付けが楽になる。食洗機で洗おうとは思えないような陶器や漆塗りの器には直接水を張って、他の物と当たらないように流し台の上に置く。


 そんなことをしているとお湯が沸くから、沸かしたお湯を急須に注ぎ、湯呑と共にお盆の上に乗せてリビングへ向かった。


 運は側の硝子戸から庭の松の木を眺めていた。紺の浴衣が金髪を際立たせる。浴衣を着て日本庭園を背にしている運は外国人観光客さながらの出で立ちだった。


「ご馳走さん。相変わらずめっちゃ美味しかったわ」


 運はまるで祈りでも捧げるかのように手を合わせた。


「いやいや。そうゆうてもらえたら何よりやわ」


 僕は机の上に湯呑を二つ並べてお茶を注ぎ、片方を運の前に置いた。溜池の水面よりは薄い色のそれを運はまるで食い入るように見つめた。運はしばしばこうやってお茶を観察する。たとえ猿沢池さるさわいけの如く五重塔が見えなくても、張られた水の繊細な動きを目にするだけで落ち着くらしい。


「せや、さっきの話やねんけどな……宇宙ができる前はみんな中有ちゅううって言うだだっ広くて薄暗いとこに住んでてん。そこで喋っとった言葉が桃源語とうげんごとかエルフ語とか呼ばれる言語なんやけど、それが現代中国語とほぼ一緒やねん」


 運は暖を取るように湯呑みを両掌で包み込んだ。


「へぇ。おもろい話もあるもんやなぁ。ほな運もオルレアンも中有に住んでたせいでたまたま中国語喋れる感じやねんな」


「まぁそーゆー事やな」


「じゃあなんでそもそも桃源語とかエルフ語って呼ばれてるんやろ?統一せんかったらややこしない? 」


「まぁなぁ。でもそんなんよぉあることやろ?ざっくり一から説明すると……この世に一番いっちゃん最初に生まれた天帝ってゆうのがおんねんけど、その天帝が桃源郷とうげんきょうを中有に造ってん。天帝ってのは万物を創造した神として知られとるめっちゃ偉いやつな。ちなみに、その頃喋られとった言葉を桃源語って呼ぶようになったんは宇宙できてからやで」


「それって言葉の種類増えたからちゃう?みんな同じ種類の言語使ってるんやったら、いちいち名前付けて呼ぶ必要無いしなぁ」


「そーゆーこと!さすが焔、理解早くて助かるわ。そもそも……阿羅漢あらかんって言う俺のひいおじいちゃんが宇宙創って、中有に住んでた奴等に『みんなさっさと移動してや〜!』って学級委員長みたいに声掛けまくって大勢で宇宙に引越してん」


「ひいおじいちゃんが宇宙創った学級委員長って、なんか色々凄いな。運の態度でかいんも納得やわ」


「せやろ。ただ、阿羅漢はだいぶいらんことする奴でなぁ……竜とか乱獲して戦道具作るわ、エルフ属が貴族にこき使われていっぱい死んでも放置するわで、特にエルフ属からは嫌われてん。せやから阿羅漢が『これが宇宙での共通語な。みんな使つこてな〜』うて英語に似とる聖語セントご作っても、エルフ属は見向きもせんかった。ほんで無視して桃源語喋り続けてんねん。今は中有におった〝宇宙前うちゅうぜんの時代〟を知っとる神もだいぶ減ったし、桃源郷を出入りするやつも少ななったから、桃源語はエルフ語って呼ばれるようになったんや」


「なんか既に世紀末っぽいなぁ」


「今年は宇宙暦6030年とかのはずやから世紀末ちゃうけどな」


「宇宙できてからまだそんくらいしか経ってへんのか……。地球の時空が如何に狂ってるかよぉわかるわ」


「せやろ?地球から宇宙の他世界に旅行しようもんなら、帰国したら浦島太郎じゃすまへんかもしれへんなぁ。オルレアンも時間干渉せんかったら二度と焔と会えんわ」


「時間干渉って……地球の時間勝手に巻き戻したりするってこと?」


「せやで?神仙が誰かに会うために地球来る場合はいつもそうしてるはずやから、もう何度巻き戻されてるかわからんわ。どうせほぼ同じ事しか起こらんし大丈夫やろ。管理されてへん世界ならちょっとの力で動くし、誰も訴えへんから好都合やな」


「あのさ、時間干渉してくんのは神仙だけやねんな?」


「時を司る神とかが変な気起こさんかったらそのはずやで」


「あっ……そっか。神仙と神って別もんやったな。そういや、六朝時代の『神仙伝』には神仙以外に神も出てきてたわ…」


「ははは!さすが大学で中国文学勉強しようってだけあるわ」


「いやぁ、まだまだやで。ほなやっぱ神にとっても神仙って特別なん?」


「せやで。中有にある桃源郷に辿り着いて仙籍せんせきに名前入れてもろたやつしかなれんからな。まずは桃源郷に到着せんならんねん」


「なるほどなぁ。それが入試みたいなもんか」


「桃源郷は昔話に登場する伝説上の場所やと思って存在自体を信じてへん奴もおるからちょっとちゃうけどな」


「へぇ。地球と変わらんとこあんねんなぁ。ほな運はけっこうロマンチストやったんや。みんなが伝説やと思ってる中で信じてたから行けてんやろ?あるいは神仙に出会ったとか?」


「いやぁ、俺はただ別の探しもんしとってたまたま着いただけやで。仙骨せんこつ持っとるから辿り着いたんやとか言われるけどな」


「運ほんま探しもん好きやなぁ。そん時はまさかおじいちゃん探してたんとはちゃうんやんな?」


「葛城竜殿下は桃源郷で知りうたしちゃうで」


「そうなんや。ほな運もおじいちゃんも神仙ってことか……」


「もともとは神やったけど神仙になったって感じやな。葛城竜殿下は家督相続した事で神仙になって、俺は流れで神仙になったんや」


「ほな正確にはおじいちゃんも運も宇宙神うちゅうじんとちゃうくて桃源郷神とうげんきょうじんなんちゃう?この事明かしてくれたってことは、僕にも仙骨あったりする?」


「俺がここで『うん』ってうたら、これから焔は神仙とめっちゃ関わり持つことなって、気づいたら大学行かんと神仙なってるかもしれへんで?」


「あー。なるほど。運なりの気遣いやってんな」


 運は澄まし顔で二度頷いた。


「おおきに」


 僕は目を閉じて合掌し、運を拝んだ。


「なんやなんや。別になんもしてへんで?そんなん友達やねんから当たり前やろ」


「いやいや。ほんまいつも傍若無人やのにそーゆーとこ気ぃ遣えるんめっちゃ偉いわ」


「それ褒めてんねんやんな?」


「せやけど。なぁ、明日もし予定空いてるならおばあちゃん行かん?おじいちゃんおるはずやからうたらええやん」


「ほんまにええん?焔がええんなら俺は予定空いてるし、久しぶりに会いたいわ」


「ほな決まりやな」


 僕は温くなったお茶を口にした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る