最終章 7.僕は最後に言えずで、決死の覚悟。

「おい、はやく脱げ!」


 彼女に最後言えなかった。


 ――僕が『腐女子のJK』だと言う事を。



「……こいつ、他にレコーダーは持ってないみたいだな。どうする? こいつ」

「また外に流しちゃう? 男なら臓器とか売れるっしょ」

「そうだな」


 今、映画とかでよく聞くような言葉が僕の耳に届いたのは気のせいだろうか。

 僕は今、歌舞伎町繁華街のほぼ闇色に近い空の下で、どこかも分からない薄暗いビルとビルに挟まれた狭い場所で今、赤のボクサーパンツ1枚にさせられている。


「臓器……?」

「本望だろ? 愛するアイドルまこちゃんを守れて死ねるんなら。……いや、逆にさっき守られてたわ!」


 ぎゃははと僕を見下すようにして下品に皆で笑い合っている。そんな変態男田中のジャケットのポケットには僕のスマホがチラチラと見え隠れしている。


 ――今だ。


 僕はその笑っている変態男の隙を付き、咄嗟とっさの判断で奴のジャケットのポケットにすかさず手を入れ自身のスマホを取り返した。


 そして今ある体力を全部振り絞って、恐怖で震えながらも全速力で走り出した。


 ――赤パン1丁で。


 これが今の僕に出来ることなんだ……!!


「おい、こんにゃろ、待て!」

「オッケーーグールルーーーー!!」

「くそっ、あいつ音声でスマホ起動させやがった! また録音する気か!」


 男4人が殺気立つ形相で必死に追いかけてくる中、音声入力でどうにかアプリを起動させる事が出来た。僕はそのまま必死にこれまで出したことのない驚異のスピードで逃げまくった。あのソース顔のイケメン俳優がもしここにいたら『地球に生まれて良かったーー!』と言うはずだ。だけど、ついにその見せ場も尽きる場所へたどり着いてしまった。


「……行き止まり!?」


 数分走っただろうか。息はかなりキレキレだし、目の前には古びたコンクリート作りの壁が立ちはだかっている。上空からは青いどこかの看板なのか光が漏れ出ていて、その目の前まで来てしまった僕は、肩で息をしながらふらふらと立ち止まり、今にも襲ってきそうな恐ろしい顔をした4人と向きあった。奴らもかなり息が上がっているみたいだ。だがその表情はもう逃げ場がない僕をたしなむかのようにほくそ笑んでいた。


 僕にじりじりと歩み寄る4人。すると変態男田中が息を切らしながら、ポケットから光るものをゆっくりと取り出した。


 ――ナイフだ。


「はぁはぁ……おめぇ、いいかげんにしろよな……。その真っ白な貧弱体をちょっとは赤くしたら少しは大人しくしてくれるわけ~?」

「ひっ……、お、お前達の悪事は僕が暴くんだ……」


 僕は腰が引き気味になりながらも、スマホをガタガタ震える両手で真っすぐに男達の前に突き付けた。


「録音したって無駄だ。どうせお前も他の奴らと同じように海外に売買して、そのスマホは破壊しちまって終わりだ。証拠はなんも残んねぇ。お前をさっき助けに来た『最上まこ』も終わりだ。俺がはめたっていう証拠は何もないんだからな……俺の枕営業もまた精が出るってもんだ、へへっ」


 銀色に輝き、小さいながらも冷酷さをかもし出すナイフを僕に散らつかせながら、じりじりと僕に近付いてくる。小さくてもあれに刺されればかなりの致命傷になるだろう。もし刺し所が悪ければ……。

 それを想像するだけで全身が益々ますます震え、足もガクガク言っている。立っていることさえも奇跡に近い無様な有り様だ。だけど、だけど、……僕は決めたんだ。



 ――もう二度と後悔はしないって。



「僕は、僕はっ……、嘘をついていた! 秘密に秘密を重ねて……。僕に勇気がなかったから……! 弱虫だったから……!! あの時も何も出来なくて……、僕はどうしようもないヤツだって……! でもっ、もう二度と、あんな過ちは繰り返さないって決めたんだ……! だからっ、最後に君に伝える! ぼく、僕っ『JK』は……!! どんな最上まこさんでも大好きだっていうこと!!」


「なーに、こいつ急に意味分かんねぇ愛の告白みたいなこと言ってんだ? ばっかじゃねぇの?」


 僕が男達の前に掲げたスマホは変態男田中に軽くひょいっと取り上げられ、後ろに勢いよく投げ捨てられた。宙を舞ったスマホは無惨にも地面に強く叩き付けられると、画面が木っ端微塵に割れ、真っ暗になった。


 そして僕の頭上には、おぞましい顔をした男が持つ銀色のナイフが勢いよく掲げられた。


 目をぎゅっと閉じた。


 もう悔いはない。

 

 最期に僕はあの時の証拠、そして、この秘密を伝えられたんだ。


 

 ――『クリンク』ので。



「立石っ!!」

 

 なぜか声が聞こえた。もう二度と聞けないと思っていたあの声が。


 目をゆっくりと開けた時、あの銀色のナイフは空中に飛び、代わりに長い足が目の前にあった。


「はい、人身売買罪容疑と、銃刀法違反、殺人未遂罪、強制性交等罪で現行犯逮捕ね~」


 そこには、グレーの細身のスーツを着たすらっとした長身の顔の甘い30歳ぐらいの男性が、その長い足で鮮やかな蹴りを田中の手に決めていた。飛んでいくナイフと同時にすかさず田中の体を抑え込み、慣れた手付きで手錠をかける。他の3人の男達も次々にスーツを着た男性に抑え込まれ手錠を掛けられていた。そして遠くからは数台のパトカーのサイレンが響き渡り、真っ暗だった闇を明るい赤色に染め始めた。


「警察かよっ……!? なんで……」

「なんでかって~? そりゃ~君たちを張ってたからだよ、ずーっとね。それに、そこの君、立石君だよね? 大丈夫? 君のライブ配信のおかげだよ。まさか君が『腐女子のJK』だったなんてね~。素敵な絵描いてるよね~」

「え……?」

「僕、君のファンだからさ」


 なぜかイケメン刑事にウインクをされる。


「……どうなって」

「お兄ちゃん!」

「立石……」


 駆け寄ってきた妹の由衣、そして『最上さいじょうまこ』。

 彼女の驚きと困惑が入り交じる顔を見た時、僕の顔は急に熱を持ち始めた。


「由衣、ま、まこさん……」

「立石……、お前っ……の体ってほんとにひょろいんだな」


 彼女は僕の体をまじまじと見ている。

 ……少し顔が赤いのは、僕がパンツ一丁だからだろうか。


「いやっ、あのっ……」

「持ってきました」


 僕が裸でしどろもどろしていると、彼女の背後からぬっとあらわれたマネージャーの水戸さんが律儀に綺麗に畳まれた僕の制服を持って来てくれた。


「あ、ありがとうございま……」

「立石様にはヒヤヒヤさせられました、本当に」

「え……?」


 僕が一生懸命思考回路を巡らせていると、先程の人懐っこそうなイケメン刑事が会話に入ってきた。


「立石君、ごめんね~。僕ら警察ずっとこの子達張っててね~。まこちゃんがそれらしい奴に日暮里で会うって言ってたから銀に協力お願いしてさ。まさかドンピシャだったとはね。でもなかなか証拠抑えられなくってね。さっき君が連れて行かれていなくなった時はさすがにやばいって思っちゃったよ。助けにも間に合わなくて……。でもさっきの君のライブ配信で場所が掴めてね、『クリンク』で君をフォローしてて良かったよ」


 目の前のイケメン刑事はニコニコ顔で話をしているが、色々起こりすぎてあまり内容が頭に入ってこない。


「お兄ちゃんの『クリンク』のアカウント、『銀氏物語』を読ませてもらった時、私もフォローしててね、ライブ配信の通知が来たの。その時みんなに……、言ったの、お兄ちゃんののこと……」


 そう言ってきた由衣は、ぎゅっとスマホを握りしめていた。


「あの青いライト、この辺じゃあのカラオケ屋しかないからね。君が走ってるとこから全部見たよ。あの子達の顔もばっちり映して証拠まで吐き出させちゃってるし。すごいね~君。あ、僕と同じ警察にならない? でももうちょっと筋肉は付けないとね~」

「へ……?」

「僕、銀の恋人で~、まこちゃんとも仲いいんだよ~。加瀬健吾かせけんごって言うの。よろしくね~」


 健吾というニコニコイケメン刑事は、無表情の水戸さんの肩をなぜか抱き寄せている。

 

 ……だめだ、さっきから思考が全く追い付いて来ない。とりあえず、銀っていう人は水戸さんのことでいいんだよな? で、恋人同士? ん? んん?


 ……BLな『氏物語』の謎が今、全て解けた気がする。


「健吾、こんな人身売買の大捜査が行われているとは聞かされておりませんが」

「銀、ごめんね、ずっと黙ってて。それにまこちゃんも。捜査内容をどうしても秘密にしなくちゃいけなくって……。でもまさかこんなスキャンダルにまでなるだなんて……。それにこんなに危ないことまでさせて……。ほんとに申し訳ないことした、すまないと思ってる」


 加瀬健吾と名乗った目の前の茶髪な刑事は、先程のニコニコ顔は消え、僕達に頭を深く下げて謝った。


「健吾っち……。もう過ぎ去ったことは仕方ない。みんな無事だったしな! 日暮里で会った時点ではまだ犯罪者だとは定かでもなかったんだろ? あんなに喜んでいた私を悲しませたくなかったのも分かっている。それにジュースを掛けたのは私の問題だしな。……どのみちずっとは隠せなかったさ、大天使ミカエルな『最上まこ』は……。秘密を重ね過ぎた代償だ……」

「まこちゃん……、大好き……!!」

 

 健吾っちと言われる刑事は彼女をいきなり勢いよくハグした。

 

 まこさんの言う事はいつもふところが大きすぎる。僕が男であるのが恥ずかしいくらいだ。ぎゅーっとイケメン刑事に抱きつかれている彼女をドキドキしつつ眺めながら、そんなところも彼女の良さなんだとまた気が付く。


 ……そして僕はそんな彼女に抱きついている健吾さんがちょっと羨ましい、と思ってしまった。

 しかし、隣にいる水戸さんはいつもより冷酷さを漂わせているのは気のせいだろうか。


「ほら、君たちもハグしなよ! さっき立石君もまこちゃんに大好きって言ってたじゃん!」

「え?」


 ……なんでそうなるの?


「ほら! ドーンと来い!! 全部立石のおかげだ!!」


 明るくとんでもないことを言う彼女の背後でにっこりと微笑む由衣がなぜかガッツポーズをして、口をパクパクさせながら『ガンバレ』と声を出さずに言っている。


 いや、僕パンツ一丁だし!? 

 このままみんなの前でハグするっていうの!?

 それに僕、決死の覚悟でまこさんにさっき告白したんだけど?

 もしかして真意が伝わってない!?


「む、む、むむむっ……り、で……」

 

 恥ずかしすぎて下を向いた瞬間、暖かくって柔らかい何かが僕のすっ裸な体を包んだ。


「……ずっと私を支えてくれてたんだな、『エンジェラー』としても、『腐女子のJK』としても」


 耳元で優しく囁く声が息使いと共に届く。


「なあ、立石。お前ってば最高に、だな」

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