53.暴食のアイデンティティ(2)

「アスタロトさん……いつから聞いてました?」

「忍が少食だというあたり」


 最初だよ。ほとんど最初だよ。

 誰も気づかなかった。しかし、気配のなさっぷりはいつものことなのでみんな驚いた割に、平常運行に戻るのが早い。


「閣下……暴食というのはコントロールできるのですか」

「そうだね、そこは全員共通の課題かとは思っていたんだけど」


 やはり課題なのか。確かに二つ名に振り回されているのでは、悪魔としていかがなものかとは思う。


「できるんでしょうか」

「君の場合は座学も技術も礼節的にも問題ない。とりあえず、ここから出て一番恥ずかしい思いをするのは、忍の言った通り空腹時の自然現象だから、それをなんとかするのが優先かな」


 空腹時の自然現象。


 グゴゴゴゴゴゴゴ


 重低音が振動とともに響く。これのことか。


「自然現象をどうにかするって……」

「常に魔法で消音しておくんだね」

「! そんな方法が……」


 めちゃくちゃシンプルな解決方法だった。


「そっかー常に、っていうのが難易度高そうだけどそれなら逆に気にしなくていいもんな」

「でもそんな魔法、私は使ったことがない」

「一か月猶予をあげるよ。身に着ける手段は自分で探すことだ」


 こうしてベルゼブブに個人的な課題が与えられた。


「消音くらいなら普通に考えて難しくなさそうですけど、それ、今までやらなかった理由って何かあるんですか?」

「基礎教育の範囲じゃないからだろうね。ここまで任せておいた臣下たちはそこまでカバーするのは権限ではないと考える。でもボクははっきりいってその状態でベルゼビュートに引き渡すのは、ベルゼのためにもボクのためにもならないと考える」


 そうだろう。礼儀正しく挨拶してる最中に工事レベルでお腹が鳴ったら台無しだ。


「こういう問題があるから、ボクが仕上がりを見にこっちへ戻ったんだ」

「大変ですね。上司と部下の気遣い差」


 この場合は上司がしっかりしているので、問題はない。

 人間界では逆があるあるなので、この城の臣下たちは恵まれていると忍は思う。


「でもそれじゃあ……その二つ名のコントロールっていうのは?」

「それは各々行った先で、というところなんだけど……ここで行うのはあくまで基礎教育。つまり魔界の社会的な仕組みだったり、学問であれば魔界史、基本的な礼節……人間界の義務教育ないし、進学校レベルまでと思ったらいい」


 例えが身近過ぎて逆に分からなくなりそうな瞬間だが、アスタロトにとってはその程度の表現で済む話なのだろう。

 つまり、七人は社会に出る前の学生で、高校からむこう。進学先で各々の専門を学ぶ。そこまで思い描けると、非常にわかりやすくなる。


「そうか、あいつら高校生なのか……どうりで騒がしいはずだよ!」

「秋葉、凄く納得してるね」

「忍、俺もものすごく納得した」


 全員の見解が一致したところでベルゼの悩みはとりあえず、課題をクリアすれば解消される。はずに思えたが。


「でも消音しただけだと結局、ひたすら食べ続けたりすることになるから、ボクとしては最低限全員に自制は出来るようになってほしい」

「……」


 キューグルルルル


 魔獣の唸りではない。返答するように沈黙するベルゼのお腹が鳴っている。全員に沈黙が落ちる。


「うん、これここだから許されるっぽいことだよな」

「ベルゼ、頑張れ」

「わかった。消音はすぐにでも取り掛かる」

「君は真面目なところも高評価なんだけどついてきた名前が厄介だったね」


 本人の全く意図しないところで、暴食具合が社会的なマナーの障害になってしまっている。若干、距離の離れたところから眺めるような口調でアスタロトは言う。

 しかし本人がいいヒトなので、全員応援ムードだ。


「私、ここにきてちょっと調べたんだけど、元々七つの大罪って日本人が勝手に言ってるだけで正しくは『七つの罪源』。それ自体が罪じゃなくて、罪を誘発するものなんだって」


 忍が不意に言った。七つの大罪、そう言われるとそれ自体が罪に聞こえるが実は違う。本来は人間を罪に導く可能性があるとみなされてきた欲望や感情のことを指す。

それを知ったのは忍もここへきて、自分で調べてからだ。


「暴食は罪じゃない?」

「暴食はぱっと思い浮かばないけど、嫉妬なんか分かりやすくない?」

「確かに嫉妬……妬みから誰かを傷つけたり、相手の足を引っ張る行為は良く行われるな」

「あー色欲とかもあれか。汝、姦淫するなかれ、とかそういうのと真逆の」


 秋葉にしては博学(?)なことを言っている。でもけっこうそこは有名な聖書の一説だった気がするので、ネタとしては散逸して見えるものでもある。


「欲自体は罪でもなんでもない。人間が本来持っているものだからね」


 さらりと流すアスタロト。全然悪魔っぽくない真実であり正論である。


「確かに欲をコントロールするのが人間の人生の課題というか……!」

「生きる欲がないと死んだ魚みたいな目になりそうだし、意欲的なんて言葉はよく考えたらポジティブにしか聞こえない」

「欲は罪ではない……」


 いや、待ってベルゼブブさん。何か神父に諭されて新しい道を切り開こうと懺悔しに来た人みたいな発言おかしい。ここ魔界。


 全員が、そう思った。


 少なくとも悔い改めてどうのという場所ではない。


「欲はつまり、あって当然だし人間ですらコントロールできる。だからベルゼだけでなく、最終試験までに全員の課題として出すつもりではいたんだ」

「最終試験!?」

「そんなのあるんですか」

「ボクが合格させないまま期限切れで、卒業させると思ってる?」


 思わない。

 いつもの笑顔で聞き返されると全員が、速攻そんな答えを出した。


「何をするんですか?」

「まだ考えてないけど。時間はあるからゆっくりみつけることにするよ」


 考える、ではなくみつける、という辺り……難易度が高低では計れない予感。


「でもサタンと……最近はルシファーもうまく自制してる感じはするよな」

「例の一件で色々学んだのでは」


 例の一件=アスタロトに反逆しようとして痛い目にあったつい最近の破壊行為付き事件。


「ルシファーは反抗期過ぎたからね。でもサタンは……」

「アスタロト様、そろそろお客様がいらっしゃる時間です」

「あぁ、今行くよ」


 言いかけて相変わらずの涼しい笑顔を残してアスタロトはソファを立ち上がり踵を返す。こんな一言もついでに残して。


「食事のコツは忍にでも聞くんだね。ベルゼにとっていい点はついてると思う」

「最初の発言に有効なことが何かあった!?」

「シノブ、もう一回教えてくれ!」


 問題。原点回帰。

 それでも一周したからわかったことがあると願いたい。

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