31.魔界の犬

アスタロトは、扉の前に立つと軽く手をかざした。ガシャン、と物理的に内側から開錠される音がする。


「……」

「マモン、今の開け方は君には無理だよ。人間社会で言う指紋認証みたいなものだから」

「魔力認証か~ でも物理施錠もあるから、閣下が開けるときだけ楽、みたいな感じだな」

「そんなところばかり勘がよくなって困るね。マモン、好きに見ていいけど……」

「はい! 失礼しまーす!!」


マモンがはちきれんばかりの笑顔で足を踏み入れる。アスタロトの言葉はまだ途中のようだったが、足取り軽く青を基調とした巨大な空間に入っていったその姿を無言で見送っている。


ので、他のメンバーもみんな無言でそこで止まっている。


「……?」


マモンの足がふいに中央通路、入って割とすぐの場所で止まった。

そこに黒い影が落ちていたからだ。入り口付近を覆う影。それは大きく、だがゆるやかに動いている。


「……」


なんとなく見上げられないマモン。影は天井付近から落ちているという感じなので、いったい何だろうと、忍は扉から上を覗こうとするが、アスタロトに止められた。


「ボクより先に入っちゃダメだよ。ちゃんと番犬もいるから」


番犬。さっきは猫だったから、今度は犬かと喜びたいところだが……本体が見えないくらいの影を落とす番犬と言ったら……


「ぎゃあああ!! 出たー!!!」


ドゴォ!と音がして、番犬らしき「それ」の強靭な前足がマモンがいた場所をものすごい勢いで踏みつけた。


「……さすが魔界のお城というべきか、床に傷一つついてない」

「感心するとこ!? なんかでかい脚が……!」


続いて、床ごとえぐる勢いで巨大な顎がマモンを入り口から奥の方に追いかけて捕らえようとする。宝物庫もいい加減広かったが、その広い空間で少し離れると肢体が明らかになった。それは三つ首の巨大な犬だった。


「ケルベロス」

「番犬に」

「……ケルベロスってギリシャ神話じゃなかったか?」


忍のつぶやきに短く答えているアスタロト。

前を向いたままの二人の背中で司が疑問符。ケルベロスは三つ首の地獄の番犬。昔から世界的な文芸作品でも出てきたりするので、元々こちら方面にそれほど詳しくない司でも知っているくらい、知名度は結構高い。


「厳密には地獄の番犬じゃなくて、ふつうの番犬だしそれっぽいのをそれっぽく呼んでいるのはよくあることなんだ」


意外と魔界もアバウトですね。


「番犬にしては、大きい」

「番犬だからあれくらいの攻撃力がないと番にならないだろう?」


いろいろと日本基準から行くと規格外だが、ここは外国どころか異界であることを思い出し。というかむしろ思い知った感じで秋葉は色々諦めたようだ。大きなため息が聞こえる。


「意外と落ち着いてるね、秋葉」

「だって番犬なんだろ? ここから入らなくちゃ大丈夫そうだし、アスタロトさんの言うことは聞きそうだし」

「閣下、見学するっていうからには、なんとかできるんだよね?」


アスモデウス、気になっていたがアスタロトにずっとため口ーー……


「できるけど。マモンがもう少し反省するまで見てようか」

「ケルベロスより弱い大罪かぁ……」

「いや、あれ無理だよ。ぼくらから見ても化け物クラスじゃない」


ひと噛みされたら腕どころか胴がちぎれそうな大きさだから、そうだとは思う。

しかし考えてみれば魔界の公爵、それも相当有力者の番犬なら、あれくらいでないと全く用を足さないのも確かだろう。


「でかいよな。エサってどうしてるんだ?」

「散歩の時間に適当に食べて来るっぽいよ」


ぽいよ、て放任主義すごいです。散歩も勝手に出てるらしき事実が垣間見える。

しかし、逆に考えると、きちんとどこぞで腹を満たしたら帰ってくるということはしつけは万全にされているということではあり。


「あとでもふれますか」

「忍! お前食われるつもりなの!? もふるどころか鼻先撫でたら終了の大きさだよ!」

「そうか……大きすぎて毛足が長すぎるか」

「そういうことでなく」


司はどうしたものかと眺めている。忍は動物好き……犬なら大きい方が好き。延長で、魔獣であっても関係ないのは目に見えている。護衛としてはその無警戒さが一番困る。大体、大丈夫なのだろうがそれでもいざを考えると辟易としてしまう。


「あ、そうだ。司くん、デバイス。あれをムービーで撮るんだ!」

「貸すから勝手に撮ってくれるか」

「マモンの面白ネタをひとつ手に入れた」

「なにそれ、面白そう!」


動画モードで追いかけまわされているマモンとケルベロスの雄姿を収める。見ようによってはケルベロスの楽しい追いかけっこにも見える。


「閣下! 助けて!! ぶはっ!」


バシン! こちらに逃走経路を取って戻ってきたマモンが何かに弾かれて後ろにぶっ倒れた。


「……賊が入ったら出られないようにしてあったんだった」

「結構ピンチですよ? そろそろいいのでは」

「一通り動画に収めて気が済んだだけだろ。本当に心配してあげてる?」


といいながら、誰も心配している空気がない。でももうみんな飽きてきたのでアスタロトは自らそこに踏み入った。念のため、その場で待機する全員。


「ぎゃああああ!!!」

「ケルベロス」


まさに床に腰を落としたマモンが取って食われる瞬間。


「おすわり」


まさかの命令がアスタロトから下された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る