32.しつけ
「………………………………」
何事もなかったかのように、大人しく正面に「おすわり」をする三つ首の巨犬。
「よく慣れてるー!」
「それはアスタロトさんだけだ! 忍! 喜び勇んで行こうとするな!!」
司に後ろから本気で止められた。
どれだけ勢いつけて駆けつけようとしたのか、がっちりホールドを食らっている。
「……司さん、こいつ、ステイ!とかなんとか教えた方がいいですよ」
「忍は猫タイプだからいうことを聞かない」
「失礼な。猫は自分で考えて動くぞ。危機回避だってする」
正に目の前で危機に向かっていきそうだから、止めたわけだが駆け込みはやめそうなので離してやる司。
落ち着いた足取りで、アスモデウスと一緒に先に入り、秋葉と司も続いた。
「飼い主が大丈夫だって言ったら大丈夫なんだよ」
「それでもふつうは怖いの!」
「大丈夫だって言われない限りはみだりに近づかない。安全マイルールはきちんと守っている」
「お前のマイルールが俺たちにはわからないんだ。指示があるまで動くな」
どれだけ危険な状況なのか。確かに悪魔でさえ逃げ回らざるを得ないくらいだから、相当な脅威なのだろうが。確かに天井つきそうな巨大な犬だから危なく見えるんだろうが。
「司くんは逃げないタイプだから、たぶん襲われても大丈夫」
「この場所を荒らさなければ襲われることすらないんだからな……?」
そして荒そうとした本人は、腰を落としたままガクブルしている。
「マモーン? 大丈夫?」
「大丈夫じゃねーよ! 番犬までいるとか聞いてねー!」
「他の宝物庫にもレベルに応じて番竜とか配置してあるから、絶対行っちゃだめだよ。ボクは警告したし、責任持たないからね」
「……はい」
マモンが顔色を引かせながら、いうことを聞いている。番竜の存在がむしろ気になる。
大人しくなったケルベロスを見上げる。ここへ来た目的は宝物庫内の見学のはずだが、日本ではお目にかかれない魔獣を前に、目的がすり替わりそうだ。
「おすわりって……お手とかおかわりもできるんですか」
「俺にはなぜ日本語で命令をしているのかが謎なんだが」
「シュールだろう? 意味なんてどこの言語を使っても同じなんだから気にしないことだよ」
さすが異界である。よりにもよって地獄の番犬に日本語でしつけをしているあたり、本当にシュールすぎて茶目っ気しか感じない。
「ちなみにお手とおかわりもする。ケルベロス、お手」
ズドン。
まだ立ち上がってもいないマモンの眼前に、ケルベロスの巨大な右脚が垂直に落ちてきた。
「これ初めに見たやつでは」
「確かにお手の意味は定義されてないから、手で攻撃という意味では間違っていない」
手の上に手を乗せるのが「お手」という意味であることの意味がむしろわからなくなる瞬間だ。
「本人は攻撃のつもりはないから、これ、ただの『お手』なんだけど」
「じゃあおかわりは……」
言わずもがなだ。秋葉がつぶやいたところでアスタロト。
「おかわり」
ズドン。
左脚が同じように降ってきた。
「……もう一回、という意味では合っている」
「うん、まぁ……忍が動じないことの方がおかしいよな?」
「これを仕込む意味が分かんねーよ! 閣下! 威嚇!? 威嚇ですか!!?」
純然たる感想を述べる忍の横で秋葉。
マモンがどっちから手が横に飛んできそうかわからないので、そのまま動けずに声を張り上げている。
「威嚇というか……しつけにも使えるかな」
「誰の?」
「賊」
マモンですね、わかります。
そうでなくともふつうの賊なら「二度とここへ来てはいけない」みたいな意味でしつけにはなるだろう。番犬以外の些事にも教育は重要だ。
マモンがそろそろと四つん這いになったまま戻ってきた。
「怖えー……番犬でこれだと番竜ってどんな感じなんだ?」
「ケルベロスは犬だから芸を仕込んでみたけど、ドラゴンの方はふつうに番竜だから侵入者を排除して終わりだよ」
「……」
聞かなければよかった、みたいな感じになっている。というか芸って言った。言い切った。
「見学、しないのかい?」
「すごいぶっとい脚」
「そっちじゃないだろ」
樹齢400年の杉の木くらいあるんだろうか。とにかく、通りすがりに触ってみる忍。体毛もぶっとくて針のように鋭利なのでもふれない。血の気を引かしたマモンはもう、見学どころではなさそうだ。
「わぁ~これすっごい! デザインがきれい」
「アスモは派手なのが好きだね。美麗とか華麗とか華美とかいう言葉が好きそう」
「忍はシンプルな方が好きだろ。こっちは?」
アスモデウスが見ている方は割と混沌としているラインナップに見える。ゴージャスな装飾品が取り留めなく置いてある感じだ。
司に言われてそちらを見にいく。
「ホントだ。これいいな。細かい装飾とか」
「向こうが華美ならこちらは繊細、そんな感じかな」
「あと、統一感がある感じが」
「これってアスタロトさんの収集品……じゃないですよね」
アスタロト自体は特別、豪華なアクセサリーなどは身に着けていない。普段の服装もどちらかというとシンプルだ。明らかにアスモデウスのいるところとこの辺りが違うのは、秋葉にもわかったようだった。
「献上品の類がほとんどだから統一性がないのは仕方ない。このあたりは割とボク好みのものを集めておいてあるんだ」
向こうはどうでもいいもの、と付け加えたところがさすが貴族だ。お値段的にはあちらの方がゴージャスリッチに見えないこともないにもかかわらず。
「閣下、これ着けてみていーい?」
「……その辺、曰く付きだから自分で処理するなら試着くらいはいいよ」
「さっき呪いものは別って言ってませんでしたか」
「曰くつきなだけで、呪われるほどの力はないから。薬品に例えると第二分類と劇薬くらいの差」
人間社会に例えてくれるのはありがたいが、第二分類と劇薬ってものすごい差ではないだろうか。ちなみに第二分類は一般薬局で市販されているものがほとんどだ。身近だが日常生活に支障が出るほどの副作用の恐れがある医薬品の類である。
……ふつうに触らない方がいいだろう。
「魔界でも原石より研磨された方が価値があるんですね」
「デザインや手間がかかっているからね。忍は原石の方が好きなのかい?」
「クラスターとか好きです」
「実用レベルのものはあるけど、魔界の中には水晶の洞窟もあるから今度連れて行ってあげるよ」
魔界観光だー! 人いなそう。と見た目に反したテンションを内内で上げている忍。顔が綻んでいる。
「人間界にもないことはないけど、なかなか行ける場所じゃないからな」
「ないことはないって、あるんですか? オレ聞いたことないですけど」
「一柱が人間より巨大なクラスターの洞窟の写真を見たことがある。ただし、強烈な磁場が発生しているから長時間滞在はできない危険な場所だと……」
「……見てみたいけど、行きたくない」
秋葉は後ろ向きだ。ムービーで満足してしまいそうだから、ぜひ連れて行こうと忍は思う。
「これなんてかわいい」
「アスモ、ピンク好きなの?」
「加減で紫にも見えるよー? ほら、シノブにも似合いそう」
いえ、全然似合いません。違和感しかないのであてがわれる前に逃げる。
「秋葉にも似合いそう」
「横にスルーパスしてこないでくれる? 回されたこれをオレは誰に回せばいいの?」
「司くんに回してみたら」
「……無茶言うな」
回された場合は、更に回し返す相手がアスタロトしかいなくなることもあって、司。ここにピンクという言葉が似あう人間はいない。悪魔なら一人いる。
一般的に高級でドレッサーな装飾品。数々の目の保養をして、時間は有意義に過ぎていった。
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