ようやくはじまる日常生活

28.魔界の猫

忍がアスタロトの部屋に行くと。

猫がいた。


「わー猫だ!」

「猫?」


一緒に来ていた秋葉と司が後ろからそれを見る。

黒猫。それがソファでくつろぐアスタロトの片膝の上に乗っていた。


「きれいな子~」

「忍、顔が緩んでる」

「その笑顔の半分くらい人間にもふり分けて」


いつもフラットな忍の表情は、動物を前にすると変わる。特に猫が顕著だ。知っていたが、秋葉と司はテンション急上昇中の忍に声をそれぞれかけている。


「というか、それ、ふつうの猫ですか?」

「どういう意味かな」

「いや、ここ魔界だしなんかこっちの生き物なのかなって」


途中で会ったネビロスが書類を抱えていたので、忙しそうだったし代わりに届けた。人間界からの派遣交流と言ってもふつうに暮らしているだけだから時間はある。

魔界滞在も数日が経過し、三人にも余裕が出てきていた。


とりあえず、働かざるもの食うべからずということで、雑事を手伝うことにした次第。


「この子は人間界で拾った普通の猫だよ」


なついているらしく頭を撫でられるとそれにすり寄ってゴロゴロと喉を鳴らしだす。つややかな黒猫はいかにも魔界に合うしなやかさも持ち合わせている。


「うん、黒で良かった。なんとなくこの空間に三毛とかキジトラとかいたら落ち着かない」

「確かにな」


想像してみる。……白猫でも落ち着かないかもしれない。黒が一番、高貴かつ違和感ない雰囲気にマッチングしてはいる。


「アメショとかどうだろう。白と灰色の」

「嫌いじゃないけど、そもそも捨て猫にそういうのがいるかな」


もっともだ。

アスタロトがひじ掛けについていた腕をはずして体を起こすと猫はとん、と身軽な動きでソファから降りて大きく伸びをする。その場で前足をなめて毛づくろいを始めた。


「名前は?」

「つけてないなぁ」

「つけていいですか」

「積極的だね」


急な提案は嫌な予感しかしないのか、司の表情が少し複雑になっている。それは当たった。


「じゃあ森ちゃんとか」

「待て。なんでそうなるんだ」


森(しん)は司の双子の妹だ。なぜか忍はもりちゃんと呼んでいるが、ともかく猫につける名前ではない。第一、紛らわしいではないか。


「魔界に一人で来て司くんが寂しくないように」

「猫で寂しさを紛らわすとかそんなに寂しい人間にしないでくれ。明らかに本気じゃないだろうが」

「森さんかー、まだ滞在始まったばっかだけど一緒に来たらやっぱり喜んだだろうな」

「それなんだけど」


森は忍の友人でもある。そもそもそちらが出会いの先発であり、いろいろと価値観が合う……まぁ類友なので一緒に来られたら、魔界生活も実りあるものとなったろう。

期間も期間だから来られなかったわけだけれど、アスタロトが口を開いた。


「実はサプライズで招待をしようと思ってたんだ。ダンタリオンが昨日、連れてきたんだけどね」

「え!? 今来てるんですか!?」

「魔界酔いが酷くて、残念ながら自主的に帰っていった」


魔界酔い? 魔界酔いって何。

全員からそんな疑問の声が心の中で同時に上げられるのを、忍はひしひしと感じている。


「森ちゃんが自主的に帰るとか……どれだけ酷いんですか」

「いや、そこなの?」

「魔界酔いってなんですか? 俺たちはなんともないですけど」


とこれは司。以前、魔界風邪などという耳慣れない言葉と、ダンタリオンによる嘘情報が独り歩きしたせいでふざけた言葉に聞こえてしまう。


「ふつうは起きないよ。昨日ボクらの中で発生した言葉なわけだけど、たぶんスサノオが入ってるから、空気との相性が凄く悪かったんじゃないかなというのが仮の結論」

「あー、森さんじゃなくてカミサマか。合わなかったのか」

「じゃあ森ちゃんずっと魔界に来られないの? ……そんなのある?」

「ふつう、一生魔界には来ないものなんだ」


森はスサノオという日本の神様が宿った剣を持っている。持たされている、が正しくて剣がトリガーになって人格を乗っ取られたりしたことがあった。

天使が襲ってきた時には、戦力としては期待されたりしたのだけれど、危ないので剣は司が管理している。


「しかし、あのスサノオが酔っているということかな」

「なんかよくわからんけど、それすごく想像できるな。荒神だから?」


スサノオは破壊神なせいか気が荒い。文句を言いながら気持ち悪がっている姿が目に浮かんだ。森の姿であるが。


「本当に泣きながら帰っていったから、ちょっとかわいそうだったよ」

「そんなに苦しんでたんですか!?」

「司くん、珍しく今すぐにでも帰って様子を見たいという勢いだけど、泣いてたのそういう理由じゃないんじゃないかな」


わかっている。気持ち悪いというより、せっかく魔界滞在のサプライズゲストなのに、滞在すらできなかったという無念な方だ。

下手な海外旅行より、きっとテンションは上がっていただろうに。


「あとでSNSでもしてあげようよ」


当然に。魔界にはそんなものはないが、司のところだけ人間界に何かあった時用に特別連絡手段が用意されている。個人的に、森を一人にしてくるのも何なので、忍がよく写真を撮って森に送る。


人間界は平和そうなので、もっぱらそんな使われ方だ。


「そうだ、猫。アスタロトさん、一緒に映していいですか」

「いいよ」


魔界の公爵と黒猫。from魔界。

これはこれで、レアなメッセージになりそうだった。

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