第8話:アーリービーチ

11月6日 晴 0km

アーリービーチ

 この町には観光地お決まりのビーチはあるが、それがとりわけどうだというわけでもない。でも人はこの町を目指す。なぜ、アーリービーチなのか。それが今日よくわかった。ゴールドコーストではそのビーチ自体に人を魅了して止まないが、ここアーリービーチはその地名にも付くビーチではなく、海そのものの美しさで人を引きつける。

 この近海には世界有数のダイビングスポット「グレートバリアリーフ」があり、その活動拠点となっている。それこそ、沖に出て見ないとアーリビーチたるアーリービーチの所以なんて分かる由もない。世界一のダイビングスポットを満喫するには、ここから出航するウィットサンデー諸島でのクルージングに参加するしかない。これと言って何も予定などない俺は、同じように暇を持て遊ぶ宿の主に勧められるまま「グレートバリアリーフ」行きのツアに参加してみた。今思えば、その価値を知らないでの参加なんて、ある意味すごい贅沢極まりない、その分感動ヒトシオだった。

 朝、眠気眼にアーリービーチ近くのハーバーから大型カタマラン(高速双銅船)に乗り込み、ウィットサンデー諸島の幾つかの島を経由しながら、グレートバリアリーフのアウターリーフ(サンゴと熱帯魚のメッカ)を目指す。港から沖合いに向け約2時間ほど行くと、深蒼の海原が急に浅瀬と変わり、まるで色とりどりの原色を散りばめた海の絨毯が出現する。俺の常識にある海のイメージでは、到底ありえない色彩だった。海は青いモノ、それは間違いです。

 船はギラつく太陽の下、このリーフ(サンゴ礁群)に数時間停泊する。ゆったりくつろぐ船上ランチ(俺には似合わない)を取り、ゴーグルとフィンを着けてシュノーケリング(素潜り)を楽しんだ。水面下はまさにサンゴと魚の楽園であり、その種の多さに圧巻され、陸上とは全く別の生命世界が存在することを実感した。よくテレビで目にする海中の画像がいかに臨場感がなく無機質なものであるかがわかる。最近画像の優れたハイビジョンTVについて耳にするが、所詮偽モノまがい物にすぎない。

 なぜ、スキューバダイビングでなく、シュノーケリングなの?。その日ダイビングを楽しむつもりだったし、もちろんライセンスは持っている。でも、持ってくるのを忘れました、ハイ。気付いたのが乗船後ではどうしようもなく、まさに後の祭りのいい例題だ。「アフターフェスティバル」、意味のない英語が口の中で消化不良を起こす。素晴らしいリーフを眺める瞳孔の開いた眼をした姿は、きっとよそ目には、すごく俺が感動しているように映っただろう。で、泣く泣くシュノーケリングで我慢する羽目になってしまった。初めてのバリアリーフではそれでも十分満喫できる(負け惜しみ)が、やはり素潜りでは潜れて5メーターぐらい。嗚呼、これより下にはどうなっているんだろう。眼下でスキューバを楽しむ者を見ていると、ますます自分も深瀬を見たくなってくるが人情ってものだろう。こうなったら、少しでも多く素潜りをしてやろう。

 何かにとりつかれたかのように、やっきにシュノーケルのみで潜り続けていると、その様子を眺めていた船長が、俺の気を察したのか、サプライズな極上の喜びを俺に与えてやろうと、船上で皆が食べ残したランチの残飯を僕の泳ぐ周りに放り込んだ。何すんだ、この人は?!。すると海が魔法でもかけられたかように、今までサンゴに身を隠すように泳いでいた熱帯特有のカラフルな魚たちがエサにありつこうと、僕の周りに群れを成して集まってきた。ゴーグル越しに目の前を行き交う無数の熱帯の姿を見ていると、まるで海の中で俺の方が鑑賞されている錯覚に陥る。『竜宮城』は、おとぎの国しか存在しないのは、すれた大人の錯覚か。しばらくすると、魚たちは俺を観賞するのだけでなく、俺を食べようと襲いだした。聞いてないよお、こんな結末。先日からテント生活で毎晩のように蚊にかまれた跡を体中に残っていた。魚たちはそれをエサと勘違いして、突っつきだしのだ。予期せぬ体験に少なからずビックリして溺れかけたりもしたが、思うほど痛くもなくチクチクするその感覚は、くすぐったいぐらいでカユミには反って快感さえ覚えた。しかしそれもつかの間、つぎの瞬間、激痛が右の乳首に走った。脇の下から体長1メートルを越すナポレオンフイッシュが俺の乳首をエサと間違えて、噛み付いたのだ。今まで小魚しかいないと思っていたものだから、突然の衝撃と激痛に冗談でなく溺れそうになり、息絶え絶えに船に這いあがる。船長はそんな事態も知らず、俺のはしゃぎぶりに満足な顔を浮かべていた。でもこっちはそれどころでなく、すぐに大事な『マイ乳房』が噛みちぎられず無事であったことを確認して、ホッと肩を撫で下ろした。その後数日間、乳首の脇に、ミシン目模様の血痕となったナポレオンフィッシュの歯型が、紋章となって残っていた。

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