第8話 昏睡

 毒地獄で悪事を働く鬼たちはニャン吉の策に敗れた。


 本来ならば、鬼たちはケルベロスに首を噛みちぎられるはずであった。今は、ニャン吉が番犬の試練中だったのでこの程度で助かった。


 その日のできごとは、その夜にはすでに町中で有名になっていた。ニャン吉が驚いたのは、町中の人が喜んで協力してくれたことであった。


 番犬不在の町は無法地帯となっていた。そこで、ニャン吉が鬼を抑える力を見せたことで、まず力があることを示せた。


 毒地獄に犯罪が横行したのは、やはり番犬・ケルベロス五世が取り締まれなかったことにあった。いつもならよく顔を見せていた番犬ケルベロス五世である。それがここ最近毒地獄に来てなかったのである噂が立った。ケルベロス五世が老衰で今際の際にあるという噂だ。


 ケルベロス五世の噂を聞いて、金座の悪党外道は諸手を挙げて喜び、反対に善良な住人は不安で夜も眠れなかった。


 悪党外道は悪事をしてもケルベロス五世が取り締まりに来ないので、いよいよケルベロス五世の死を確信した。すると悪党は増長し歯止めが効かなくなっていく。


 それは集太郎の撮ってきた写真の通りである。やがて、番犬の恐ろしさも忘れていった。


 奢れる者久しからずただ春の夜の夢の如し。盛者必衰、三途の川の桜と共に散っていった。


 ニャン吉が歓迎された理由もまさにそこにあった。毒地獄の住民はニャン吉の頼もしさに心の底から安堵した。子供がさらわれる不安からも、家族や友人が麻薬に手を染める心配からも開放されたのだから。


 地獄でこのような言葉を使うのも妙であるが、善の武力で見事に毒地獄の平穏を守ったのだ。まず、番犬に必要なもの。それはである。力なき者には何も守れない。


 ニャン吉の作戦で、悪事を働く者や場所は特定されて潰された。さらわれていた子供たちも帰ってきた。獅子身中の虫となっていた拷問所役員の鬼も、鬼のおまわりも警察に捕まった。


 ニャン吉は鬼たちの圧倒的な支持を得て、鬼の首を取った。番犬としての任務まで果たして……。


 ニャン吉は鬼たちに感謝され、新時代番犬祭までおこなわれたのである。


 さらわれていた子供たちが「ニャン吉がんばって」と感謝の言葉を言ってきた時は集太郎とペラアホが号泣した。


 祭りの途中で鬼市は「今から閻魔に報告書を提出しないといけないから夜まで別行動だ」と言ってニャン吉にホテルの鍵を渡した。

「クソ猫、野宿とどっちが良い?」と鬼市が言い終わる前にニャン吉は鍵を持って去って行った。


 その夜、口にソースをつけたニャン吉は番犬祭が終わるとホテルへ向かった。ホテル朝寝坊の100階は最上階でとても豪華な部屋だった。中は階段で上下階に分かれ、白い壁と天井が部屋に清潔感をもたらしてくれる。町に面した側は巨大な窓ガラスで、外の光が部屋一面に入って来る。

 下階は5人は悠に座れるソファーが3つはあり、灰色の絨毯がフカフカで気持ちいい。

 上階はダブルのベッドが3つもあり、落ち着いた雰囲気のタコ型シャンデリアが優しい光を部屋に落としていた。

「これはしゅごい。フワフワのベッドじゃ」

「集太郎、それは花だーよ」

 虫たちは嬉しそうに部屋中を飛んだ。


 そんな中、ニャン吉は部屋に入ると歩き方が覚束なくなってきた。

「大丈夫か? ニャ吉」

「大丈夫だにゃん、すごく元気だに……」


 それまでも焦点の合わない目をしていたニャン吉は、ここへきて目を回して床に倒れた。

「ペラアホ! 医者じゃ」

「今フロントに電話をすーるよー」


 ペラアホがホテルのフロントに医者を呼ぶように頼むと、すぐに医者が来た。赤い白衣を着た目の下にクマのある怪しい男であった。


「んふふふ」と1人笑いながらニャン吉の診察をする。ニャン吉の前足を触り脈を測る。すると、突然医者は立ち上がった。医者は壁際に後ずさると一言発した。

「猫ですね」


「違う、泥棒猫じゃ」

「ネコババでもあーるよ」

 虫たちは何か言いたいのだ。


 結局医者によると、ニャン吉は過労と毒のダメージが原因で倒れたらしい。医者はニャン吉に点滴をうつことにした。


 負ければ拷問される。その現実を前に、『毒』と『自分より強い鬼』の2つに勝たなければいけない。その心労もあった。ニャン吉の苦悩は深かった……。いかに気丈に明るく振舞っても、そのことが頭から離れない。しかし、泣いても絶望しても現実は変わらない、逃げることはできない。


 因果とは厳しいものだ……。ニャン吉は泣きたい、逃げたい気持ちを堪え、地獄にいても心は涅槃ねはん(安楽)となるように努力した。環境に負けない心、それこそ涅槃、つまりニルヴァーニャである。真の地獄は環境にあらず、心の中にあり。


 ――その夜、ニャン吉は悪夢を見た。御主人様が自分のエサとエサ箱をゴミ箱に捨て、自分も生ゴミで捨てるのである。ゴミ袋を縛る紐で尻尾に蝶々結びを作って……。


 悪夢から目を覚ますとニャン吉はベッドの上だった。朝まで寝ていたのである。

「ククク、目が覚めたようだねえニャン吉君」

 怪しい医者がニャン吉に声をかける。

「あんた、誰だにゃ?」

「私は医者だよ。昨夜ホテルから君が倒れたと連絡があったので駆けつけたんですよおぉぉ」


 医者が言うのには、今日明日は安静にするようにとのことであった。

「ありがとにゃん。名前はにゃんていうんだにゃ?」

「薮医者ですよ」


「にゃ? 名前は?」

「ククク、なんでもいいじゃありませんか」

 薮医者はニャン吉の点滴を外すと帰っていった。


「大丈夫か? ニャ吉」

「かなーりびっくーりしたよ、ニャッキー」

「すごく気分が良いにゃん」


「それは良かったなクソ猫」

 コーヒーを飲みながら鬼市がニャン吉に話しかける。

「クソ猫、お前は毒地獄に馴染むために毒の七草を食べたし、毒の空気も吸っているだろ。ダメージがあって当然さ」

 鬼市はの写真を何枚か用意して落書きを始めた。


「この毒地獄は地方から都会へ出て来た奴をカモにするような所でね。ここに長くいると気付かないうちに負けるのさ」

 鬼市はの写真を首の所で切った。


「相手に汚い罠を仕掛けられる前にこちらが仕掛けることが大事だったんだ」

 鬼市はの猫の写真を写真立てに入れて飾った。


「その覚悟を決めさせるためにも番犬候補は拷問所を見学するんだ。見学をした奴は覚悟を決めて毒地獄を突破できる奴もいる。しかし、見学しないと大抵どこかで負ける」

 鬼市はの写真を丸めて捨てた。


「つまり、『覚悟を決める』ことと『短期決戦』が鍵だったにゃんね」

「そういうことさ」


 ニャン吉はベッドから飛び起きると、机に置かれていた猫用のご飯を貪り食う。それが、猫って生き物だ。


 ――ニャン吉は毒地獄の皆に協力してもらった。だが、緊張の糸が切れると試練の疲労が一気に襲いかかってきた。


『次回「さらば大都会の闇よ」』

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