第90話 苦悩渦巻く世界に開いた蓮華

 ニャン吉とモモの戦いに決着が着いた。そこへ、モモと苦楽をともにしたニャンマット爺さんが現れた。


 地平線の彼方が朝焼けで真っ赤になっていた。血の通わない冷血な世界に、太陽が希望の熱血を空から冷たい大地に注ぐ。苦悩に沈み、暗闇に閉ざされた心に暁鐘を鳴らせ。例え永遠に夜が明けなくとも、戦い続ける者の心には太陽が内から輝く。


 人魂となったモモであるが、強力な力を持っていたせいか今だ生前の姿を残している。透けてはいるが。そのモモの前に、ニャンマットの爺さんが佇み微笑みかける。

「話は聞いたぞモモ」

「……爺さん」

「魔族の妨害の中、よく戦ったな」

「爺さん……」


 ニャンマット爺さんはモモの頭を撫でてやる。モモは一瞬、いつもの癖でその手を引っかきそうになった。

「最後の約束を覚えているか?」

「爺さんとの……なんだったか」

「一万年経ってお前が忘れても、私は忘れていない」

 ニャンマットは背負っているリュックサックから何やらよい香りのする花を取り出した。八葉の葉が放射状に開いた赤みの指した花。

「蓮華だよ。ここへ来る前に仏陀にいただいたのだ」

「あ……ああ……」

 モモの魂は目から大粒の涙がこぼれ落ちた。一万年前、果たせなかった約束が今、苦悩渦巻く泥水の世界に、紅くパッと咲いた。仏陀からいただいた蓮華の花からは、不可思議な慈悲の暖かさが漂ってくる。


「お前が泣くなんてな」

「泣いてねえよ爺さん。俺は嬉しいんだよ……あんたこそなんで泣いてんだ」

「いいか、モモ。お前の無知を1つ無くしてやろう。涙は悲しいときや苦しい時だけ出るものではないのだ。嬉しい時にもでるもんだよ」

「ああ、道理で」


 ニャンマットはニャン吉の方へ向いた。

「獅子王ですな、噂は聞いておりますよ。仏陀も預言者の方々も大層褒めておいでです」


 鼻高々のニャン吉へ今度は苦情の言葉が続く。

「それから、仏陀からの苦情です。『仏壇にションベンをかけたり、仏像で爪を研いだりとやりたい放題のニャン吉。もうしてはなりませんよ』と」

「もうしません」


「それから、厳島神社から国宝を持ち去ったことも」

「もうしません」


「阿弥陀如来の仏像を見るとすぐに爪を研ぐ癖を直してほしい。阿弥陀如来が『あの野郎またやりやがった!』とあんなに激情した姿はかつて見たことがない」

「……申し訳ない」


 何から何まで見透かされ、ニャン吉の頭は一言説教される度に少し下がる。


「それから」

「まだあるんか!」

「預言者の方々からも。『新築の教会に御安置してある十字架を噛むのはやめていただきたかった』と」

「噛みごたえがよかったんじゃ」

「それと、『モスクで爪を研ぐのは――』」

「全部反省します」


 どこまでも罰当たりなニャン吉。思わずニャンマットは「獅子王は何教でも罰が当たりそうですな」とからかった。


 遠くで青白い閃光が発光した。光は瞬く間に大きくなり、ニャン吉たちの前で止まった。青い光はバチバチと電気を放電する鬼市であった。

「ニャンマットさん、そろそろ帰りましょうか」


 鬼市の力に驚くニャン吉とモモを他所にニャンマットは柔和な笑みを浮かべ頷いた。何を思ったか、ニャンマットは人差し指と中指を鬼市の鼻の穴めがけて突き出した。だが、鬼市は残像を残してきれいに回避。

「これは、友好の挨拶ですよ」

「あんた、あれから1度もその挨拶をしていないじゃないか! インドに生まれた時も――」


 そこへ、黒い乗用車のタクシーが鬼市に遅れてやって来た。運転席の扉が開くと、中からサングラスをかけた毛ガニが現れた。地面に颯爽と飛び降りると、足を滑らせ腹を地面で打つ。

「ふう、可愛げのない母なる大地だ」

 体についた泥をハサミでパッパッと払うと、サングラスを僅かにズラして目を覗かせた。と同時にサングラスは割れた。

「俺は毛ガニタクシー、エキスパートドライバーだ。人は俺を運転の貴公子と呼ぶ。俺のドライブテクにかかれば、ドリフトしながら目的地まで辿り着けるぜ」

 ニャン吉は思わず「そんな危ないことするなや!」とツッコんでしまった。

「さあ、後ろに乗りな! 爺さん。俺が確実に天国まで連れてってやるぜ」

「もうちょっと待ってくれても」とニャン吉が止めるが……。


「俺が動き出したらもう止められない。俺はそんなヤツなんだ。さあ、別れの盃を……俺と一緒に」


 毛ガニタクシーは助手席に置いてある風呂敷からお猪口と酒を取り出した。それを3人分ついでモモとニャンマットに手渡した。

「残りは俺がいただく」

「なんしよんや! 飲酒運転なるじゃろうが」

「ふふふ、白猫。俺は飲酒運転の免許もとっている」

「そんなんあるわけ……ないじゃろ鬼市」

 ニャン吉の尋ねに鬼市は「あってないようなもんさ」とだけ答える。


 モモは透けていて酒を飲めない。

 毛ガニは鬼市にたしなめられて飲めない。

 ニャンマットは、そもそも酒を飲まない。

 結局ニャン吉が酒を処分する羽目になったが、高く売れると聞いて鬼市が酒を取り上げた。


「じゃあな……ニャン吉」

「ああ」

 タクシーの窓越しに別れのあいさつを簡単に済ませたニャン吉とモモ。


 鬼市とニャン吉は、タクシーを見送った。

「鬼市、モモの魂はどうなるんや?」

「ペラメッドに戻される……」

「ほうか」


 遠く山の稜線から太陽が登り始めた。こんなに太陽が明るいなんて、感無量のニャン吉と鬼市。全ては終わったのだ……。


 ニャン吉と鬼市が苦歩歩の研究所へ戻ると、番犬軍が勢揃い。共に戦った戦友の話は尽きず朝まで語り明かした……訳もなく、ジッとしていることが嫌いな番犬軍の面々は、再会して数分で早くも黙りこくって不機嫌になってきた。特にタレが早く朝ごはんをよこせと物を蹴って当たりだすと皆、堰を切ったように好き勝手始めた。


 モモとニャンマットの乗った毛ガニタクシーは、風地獄を越え、水地獄を渡り、大地地獄まで戻って来た。


 乱は平定され火山の噴火も止まっていた。大地地獄は夜明け前で満天の星が3人を出迎えてくれた。黄金の砂漠が冷めた溶岩で真っ黒になっていた。


 彼らはペラメッドの前で別れることになっていた。

「モモ、もう悪いことをしてはだめだよ」

「爺さん、もうできないぜ」


「ちゃんとおやつは持ったか?」

「遠足気分で墓穴に入れってか?」

 モモとニャンマットは互いに笑いあった。だが、その笑い声を掻き消すほど毛ガニタクシーが馬鹿笑いした。


 最後にニャンマットはモモの首に七色のカラフルな首輪を巻いてやった。

「選別だモモ」

「爺さん!」

 モモはニャンマットへ飛びついて泣いた。ニャンマットとモモの最後の時。


 そして……モモはペラメッドの石室へと戻っていった……。


「さて……毛ガニさん、天国へ……、花火……」

「す……すまん。退屈だったんでつい……」

 毛ガニの線香花火が消えると同時に、一万年前の因縁は終わった……。


 ――戦いは終わった。


『次回11月10日(金)午後6時頃「後日談」更新』

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