第89話 安芸国を背負って

 鬼市が雷の魔法で鬼反を討伐した。魔法を取り戻した鬼市の強さは圧倒的であった。


 大広間で鬼反が炭になって散ったことを確認すると、鬼市は窓枠に手をかけ屋根の方を見上げる。

「そろそろ崩れる……」

 足を窓枠にかけて身を乗り出すと、屋根の上へ向かって飛び上がった。


 屋根の上のリングに横たわる番犬たち。番犬化は解けて気を失っている。鬼市は番犬たちを予め用意していた袋へ無造作に詰め込み、サンタクロースがプレゼントを担ぐように肩へかけた。

「お前たち、まずは苦歩歩の研究所へ戻るぞ」

 ブルージェットという雷魔法で超スピードを出すと、魔界にある苦歩歩の研究所へ移動した。


 その頃ニャン吉は、モモの後ろ姿を捉えていた。僅か後方に迫ってきたニャン吉に気付いたモモは、急に立ち止まり振り返った。

 ニャン吉も立ち止まり、黒い大地の上で2人は対峙する。

「まさか……まだ動けたとは」

「モモ、ここで終わらせようや」

 番犬化をすでにしている2人は直感していた。ここで勝敗が着くと……。2人の間を冷たい風が吹き抜ける。風が吹き抜けた後から大量の鈴虫が大音量で鳴きながら2人の間を通り過ぎて行く。ニャン吉もモモも騒音鈴虫など眼中にないが、うるさすぎるので耳だけはペタッと折りたたんで塞いだ。


 鈴虫が通り過ぎると、互いにジリジリと間合いを詰める。互いに後一歩という距離まで近付く。一か八か、ニャン吉は爪を出してモモを引き裂こうとする。だが、モモにはスウェーで避けられ、さらにカウンターのアッパーをもらってしまう。


 顎のあたりを殴られたニャン吉が仰け反り、そのままブリッジを決めた。さすがにモモもブリッジをする猫は見たこともなく、驚き動きが止まる。

「お前……猫背を克服したのか!」

「もともと俺は猫背じゃないわ!」

 ブリッジの状態で大地についている手に力を込めて、前転をするように手でジャンプをした。反動で勢いよく戻ってくるニャン吉の頭を、そのままモモの後頭部へ打ち付ける。ゴンと鈍い音が響いてモモが後ろへふらつく。


「石頭め」

「もう1発じゃ」

 間合いを詰めて再びニャン吉が頭突きをくらわせようとする。だが、モモの方から接近し、反対に頭突きを入れる。互いに後ろへ仰け反る。


魔死蔵まっしぐら

霧我無きりがない

 再びニャン吉が魔死蔵まっしぐらの準備を始めた。モモも、口に、霧をためて待ち受ける。


 大地を蹴り、砂埃を上げながら魔死蔵まっしぐらを放つニャン吉。口から霧を噴出するモモ。だが、2人とも先ほどのような威力がない。


 懸命に前進するニャン吉。

 消化器のように霧を噴出するモモ。


 今の霧の勢いでは周囲を霧で包むことは不可能と見て取ったニャン吉は、好機到来と勢い付く。反対にモモは、思った以上の消耗度合いで顔に疲労が見えた。それだけではない。影響は微々たるものであるが、鬼反が死んだことでモモの肉体を形作る魔法・紋所もんどころから魔力を引き出せなくなったのだ。


 後一歩の所までニャン吉は迫ると、魔死蔵まっしぐらを放った。白いエネルギーが体を纏い、霧を吹き飛ばしていった。

「クソ……」

「終わりじゃ!」

 魔死蔵まっしぐらで開放した生命力を纏い、白き大砲の弾丸と化したニャン吉。相撲のぶちかまし同様、モモへと突撃をした。

 後数センチまでぶちかましが迫る中、極限状態のモモは何を思ったか霧を前方のニャン吉から反らした。自分から見て右側へ爆発的に霧を吐いて、その推進力で左側へ吹き飛んだ。

「な……避け」

「ハッ!」

 ニャン吉の魔死蔵まっしぐらは紙一重でモモにかわされた。勢い余って大地の上を滑って行く。


 魔死蔵まっしぐらが消えいくのを確認したモモは、後から接近する。

「死ね! バリウム」

「一か八かじゃ!」

 振り向いたニャン吉。白い獅子と黒い獅子が一気に接近し、互いの爪で勝負を決しようとしていた。


 相対する2匹の獅子が右腕で爪を立てようとする。僅かに早かったのはニャン吉であった。モモの横腹に爪を立てる。だが……、少し皮を切ったた程度で、モモの左脇腹に擦り傷ができる。反対に、モモの爪はニャン吉の下腹から胸にかけてをえぐり、きれいに裂いた。

「ぐああ!」と悲痛な叫びを上げてニャン吉は宙を舞う。初めてモモの爪による攻撃を受けた。


「手応えあり!」と確信したモモ。


 鮮血が吹き出し空中に飛び散る。希望の光を紅く遮る血潮。魔族を滅ぼすために魔の執念をみせたモモが、その爪で最後に残った希望の糸を断ち切ったのである。


 薄れゆく意識の中でニャン吉は何かを思い出していた。それは、御主人様との思い出か。または、生きていた時の仲間との思い出か。

(いいや、違う。それじゃあない……じゃあそれはなんや……)

 腹から胸にかけて焼けるような痛みが走った。

(これは、モモ……)

 その痛みが遠い昔の記憶を呼び覚ます。


 大地に後ろ足で着地をしたニャン吉。二足歩行をしうつむく。


「まさか……そうか、万象が」

 ニャン吉がモモの攻撃に耐えたのは、魔死蔵まっしぐらによる強化の影響が完全に消えていなかった。

 それに気付いたモモは、再び走り接近する。そして、今度こそ仕留めるためにその爪で、棒立ちになったニャン吉の喉元を狙った。爪が喉元に迫る中、何もしないニャン吉。顔の横まで剣のような爪が……。

「今度こそとどめだ!」

安芸守拳法あきのかみのけんぽう

 髭にモモの爪が当たると同時に、ニャン吉が突如鋭い爪を出して目にも留まらぬ速さで振るった。恐るべき速度の爪が風を切り、モモの紋所もんどころがある心臓の辺りをきれいに切り開いた。医者が華麗にメスを通して、奥の奥にある臓器まで切り開くように、優雅に、鮮やかに、鋭く斬り上げた。


 モモの爪が届く前に、神速の爪さばきで紋所もんどころを一刀両断した。何も抵抗が無かったみたいに、断面に凹凸が一切なかった。


 体を斬られた反動で仰け反り、モモの爪はニャン吉に届かず、その手前で空を切る。

「何が……起き……た?」

安芸守拳法あきのかみのけんぽう爪痕かぐるじゃ。……お前のおかげで思い出したわ」

 ニャン吉はモモの爪で腹を斬られた時に、どうやって引っ掻くかを体感し思い出したのだ。


 ニャン吉の言葉が耳に入った時、モモは敗北したことを悟った。鬼反が三途拷問に転生して手に入れた蘇りの万象、紋所もんどころが破壊されたことに……。


 青白い火に包まれて、体が崩れていくモモは「俺は……今度こそ死ぬんだな……。俺は別にいい。だが……ああ、爺さん! みんな! 魔王を倒せない不甲斐ない俺を許してくれ!」と歯噛みし長年の苦悩を血を吐くように吐き出した。なんと声をかけるべきか、ニャン吉はその言葉を持たなかった。そんな時であった。


「モモ、お前はよくやったよ」

「誰だ……お……あ……」

 モモの前には、ニャンマットの爺さんが柔和な笑みをたたえ佇んでいた。天国からモモのことを聞きつけてやってきたのである。


 ――モモを討伐したニャン吉。魔王に踏みにじられた者たちの無念を思い、万年という歳月を経てもなお苦悩する。そんな彼の前に現れたニャンマット爺さんであった。


『次回11月8日(水)午後6時頃「苦悩渦巻く世界に開いた蓮華」更新』

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