第87話 敗北

 番犬たちが全てをかけて放ったニャン吉の魔死蔵まっしぐらが不発に終わった。霧隠れという自分そっくりの幻を霧で作るモモの技に惑わされたからだ。


 捨て身の一撃すらも巧みにかわすモモ。番犬たちは傷だらけである。

「俺は甘くないぜ」

 尖塔の天辺から大量の霧を空に噴出する。霧は、みるみる空を覆い、分厚い雲になる。やがて、雲は龍に変化した。霧の龍は牙を剥き出し、髭をなびかせ、番犬たちを見下ろしている。

 番犬たちは龍に見下され戦慄する。

霧龍きりゅうだ。やれ!」

 空で円を描いて飛んでいた霧龍きりゅうは、リングへ飛び込んだ。恐怖は空から落ちてきた。


 番犬たちへ荒ぶる霧龍きりゅうが降り注ぐ。速きこと風の如く。番犬たちは避ける間もなく霧龍きりゅうの激突をくらった。


 霧はリングの屋根にはぶつからず霧散した。番犬たちは血を吐いて横たわり、番犬化が解けていた。致命傷は負っていない。


 リングの中央にピョンと降り立つと、モモは勝利の洗顔をした。

「これで終わり……いや、とどめをさすべきか」

 奇妙なことにモモはニャン吉たちへとどめを刺すことを躊躇ってしまう。本人は無自覚だが、武蔵を殺した時のニャン吉の姿がニャンマットの爺さんを助け起こそうとしていた自分の姿と重なって見えたからだ。

「何を甘いことを……さっさと始末しねえと」

 ここで脱法犬の鬼怒川にゃんごろうの『早くしろ』との忠告を思い出し、忠告を理由に自ら正当化する。それは、『番犬どもはできるだけ生かすこと』である。いつか、魔族と戦う時にある程度の戦力を温存しておけと言ったのだ。


「そうだった、俺にはやることがある。じゃあな、バリウム。後、ヘラつく駄犬と、情けねえペンギンと、気味悪い亀と、むさ苦しいクソフクロウ」

 堕天使の森のある方へ歩き出すと、モモは屋根から飛び降りた。確かにこの時、脱法犬はモモたちの力に失望し魔界を去ろうとしていた。急がねばならないという判断は正しかった。


 燃える洋館から飛び番犬化を解いた。そして、空中から夜空を見上げた。地平線の果てが薄明るくなってきた。

「暁か……」

 短い夜も終わり、肌を突き刺すような寒風が心にまで沁みる。これからは雌伏の時となるだろうなどと、虚しい戦いの終わりを告げる夜明け前の空を見て目を閉じるモモ。


 再び目を開けた時モモは、ちょうど洋館の柵の隙間に体が引っかかってしまった。胴体が柵のコの字の所へ器用にかかり、間抜けな姿を晒す。

「ふざけんな! これじゃあまるで……猫じゃねえか!」

 抜け出そうと焦って暴れると腹に柵が食い込んでしまい、「にゃ」と高い声を出してしまう。目を閉じたのが悪かった。


 モモと番犬たちの戦いも最終局面を迎えた頃、鬼反と天馬の死闘にも決着が着きそうであった。


 洋館の会議室は全てが炎に包まれて、焼けていないものはない。炎の中、僅かに血を流す鬼反と、全身朱に染まり膝をつく天馬の姿があった。どっちが優勢かは言うまでもなく鬼反であった。


「もうあきらめろ、天馬」

「これほどとは……」

 地獄で最強の肉体を持つフィジカルエリートの大地地獄の鬼。その鬼が天才と称された魔族の魔法を持つのだ。怪物のような強さを持っていて当然である。

 対する天馬は無理が祟って限界近かった。一万年の長きに渡り絶対零度の牢獄に閉じ込められていたのだ。長きに渡り氷漬けにされた体は弱り、戦いのブランクも凄まじく、普通に戦っていることが奇跡なほどであった。


「もう1度提案しよう。俺たちと来い、天馬」

「断わる」


「少しばかり関係のない連中を殺したことが気に入らないのか?」

「少しばかり……だと!」


 燃えるような目で怒る天馬。ため息を吐いた鬼反。


「天馬、お前は手段を選んでいるから捕まったんだ」

「鬼反、お前は手段を選ばないから家族と仲間を失ったんだ! だろう!」


「ならば、ここで死ね」

「俺は……負けるわけにはいかない!」

 最後の力を振り絞り立ち上がる天馬。彼は燃え尽きる前のロウソクのように、紅く、力強く、燃え上がる。


 天馬がその命をかけて猛攻を仕掛ける。捨て身の攻撃に鬼反も傷が増えていく。しかし、天馬が負けるのは時間の問題だった……。


 魔界で壮絶な死闘が繰り広げられている中、遙か遠くの天国でも動きがあった。それは、骨しゃぶへの面会から始まる。


 天国のビーチでは、地獄の乱に騒然とする元番犬たち。サングラスを着けて、格好をつけ歩いてくるのは、ケルベロス五世。元の名を、早乙女骨しゃぶ。砂浜をザクザクいわせて、耳で風を切り歩いてくる。


 少し前、天国行きの魂を用意するように頼まれていた骨しゃぶは、その魂を公園に待たせて面会所へ行った。面会所は狭く、白い壁に白い天井、ガラスの壁越しに話すという囚人の面会施設みたいな部屋であった。


 鋼のテーブルがあり、中央に強化ガラスを埋め込んで仕切りを作っていた。ガラスを隔てて面会人と対面する骨しゃぶ。周囲を威圧するために決して解かなかった番犬化を解いた。小さくなると、回転する丸椅子の上にちょこんと座る。

「久しぶりだな。まさかお前の方から俺に会いに来るとはな」

「骨しゃぶ……いや、ケルベロス五世。お前に頼んでいたことは?」

 タキシードを着込んだ金髪の面会人。彼が頼んでいた人物は外にいると骨しゃぶは顎で扉を指した。


「今から会うか?」

「ああ」

 外へ出るために骨しゃぶは立ち上がると、丸椅子の上で滑って転び、テーブルで顎を思い切り打った。彼は「キャイイイイン!」と情けない声で鳴いた。


 鼻で笑う面会人へ「違う! 今のは発声練習だ!」と言い訳をするが、面会人はただ鼻で笑うのみ。


 骨しゃぶも面会人も同時に外へ出ると、待ち人の待つ天国の公園へ共に歩いていく。外へ出るのも自由で、共にどこかへ行くのも自由なら、一体何故、囚人の面会施設みたいなものを作ったのかと誰もが疑問に持つことである。


 公園の道は、左右に色とりどりの花が植えられた花壇がある。骨しゃぶは花粉症らしく、くしゃみを連発する。


「骨しゃぶ……ケルベロス五世。お前は今の地獄をどう思う?」

「動乱の前か? それとも今か? 今なら生きるか死ぬかのスリルがたまらねえなあ」

「ももも、モモがもももも」

「……、動乱の直前までは悪くないと思った。対して一万年前は、全てがおかしかった。俺が番犬になってしばらくは、いつ大戦が勃発するか恐怖に満ちていた」

「だろうな……」


 骨しゃぶは急に立ち止まり、面会人の方を振り返ってきつく忠告する。

「天国の魂を地獄に連れて行くのは本来、御法度だ! 今回は特別に俺が保証人になる。そのことを忘れるなよ」

「分かってるさ、ビビるなって」

「俺はビビってなどいない!」

「さあ、会いに行こうか」


 骨しゃぶは最後にもう1度念を押した。

「いいか、もう俺には動乱を止める力はない。魂が鬼反に捕らえられても責任は取れん。いいな! 魔界鬼市」

 鬼市は深緑の眼で骨しゃぶを見ると、少し嘲笑うように笑って答えた。

「鬼反は俺が倒す。絶対にだ!」


 ――番犬たちの敗北。天馬の捨て身。番犬軍がこのままでは総崩れになるというタイミングで魔界鬼市が天国へ。


『次回11月3日(金)午後6時頃「雷鳴」更新』

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