12 桃源郷崩壊

 鮫の中で最も強い感情は恐怖心であった。


 孤独への恐怖心はいついかなる時も鮫を襲った。


 一人であるということはこいつにとって根源的恐怖で、どんな手を使ってでも避けるべきものだった。


 だから人を殺すことにためらいはなかった。


 そもそもこいつは、宇宙から飛来してきた独り者だ。


 自分だけがすべて。


 その自分を守る為なら何事も正当化された。


 人間を利用することに一ミリの罪悪感も感じたことはない。過去も、今も、そして未来も。


 家族と言えど、味方を消費することにもためらいはなかった。


 そして今、鮫の目の前に『死』という永遠の孤独が迫っていた。


 落ちていく少女は、未だ自分へ殺意を向けているはずだ。


 鮫は思う。


 死ぬわけにはいかない。


 ずっと変わらない事。


 どんな手を使ってでも生き延びる。


 鮫の中で次の行動は決まっていた。


 ぐるぐると力を振り絞り回る。


 風が生まれる。


 だんだん強くなっていくそれを、鮫は天井に向け思いっ切りぶつけた! 


 壁の一部が砕ける。


 ぱらぱらと降り注ぐ破片の中、鮫の瞳は月光を捉える。暗い夜に差し込む月の光は、鮫にとって生き延びるという未来への一筋の希望の光。導き。


 鮫はそちらに狙いを定めて、ぐん、と飛んだ。


 フレデリカはどうにか地面に着地し、すぐに見上げて鮫を追う。


 鮫から離れたせいか、フェロモンの効果は薄れ、刃は力を取り戻している。


 だが、距離が遠すぎる。


 相手は空を飛んでいるのだ。


 人間は生身で空を飛べやしない。


 距離にして五メートル。


 その距離は絶望的なことに、まだ伸び続ける。


 人間如きの跳躍では、あまりにも遠すぎた。


 少女はそこで思う。


 本当にそうか? 


 本当に自分は飛べないか?


 自分には力があるはずだ。


 彼女はぱん、と足を叩いた。


 耐えれるはずだ、自分になら……。


 そう言い聞かせ、思いっ切り力を込めた。


 重要なのは気持ち、成功を想像すること。


 血管の間を裂く感覚。


 血が踵に向け噴射していく感覚。


 少女の踵から鮫が顔を出し、その反動で少女は飛んだ! 


 血が噴き出しながら、それをもジェット噴射みたいに利用して飛ぶ。


 特殊な電波を持つ鮫の寄生虫を植え付けられた少女なら、彼女の生み出す鮫が特殊な電波をまとっていたとして何の不思議があるだろうか? 


 その特殊な電波の力により彼女は鮫を追い、加えて血飛沫の勢いさえ活用し空へ飛んだのだ!


 鮫は慄く。


 執念というやつは、こうも見苦しく恐ろしいものかと。


 だが、しょせんは人間だ。自分に近付けばまたフェロモンによりその力は弱まるものだ。それでも来るというのなら、完膚なきまでに潰してやる。


 そう鮫は歯をむき出しにして、そのすべてをフレデリカに向けた。迎え撃ってやるぞという意思で。


 それが間違いだった。


 だからこそ鮫は、横から迫りくるものに気がつかなかったのだ。


 それは戦艦≪ヒュペル≫の砲から放たれた徹甲榴弾!


 砲弾は鮫に刺さり、爆発する。その衝撃は相当なもの。この鮫でもその衝撃に体が二つに弾けた。


 だが鮫はまだ意識を持ち、どうにか下半分を修復しようと足掻く。鮫の回復力であれば時間をかけさえすれば完全修復も可能。


 しかし、それを邪魔するように思考してしまう。


 何故、自分は撃たれたのか。


 艦長達とて自分の力を利用した電磁障壁がなくなってしまうことは避けたいはずだ。


 ならば普通は撃つはずがない。


 お偉い人間は皆それを了承していたはず……。


 鮫の思考が泥沼にはまっていく……。



「艦長代理。標的はあれでよろしかったのでしょうか」


「うん、寸分狂いなく。みんな、ありがとう。ただまだ奴は生きている。照準を合わせるように油断はしないでほしい」


 艦橋にて満足そうに副艦長は言う。成し遂げたという気持ちで彼はほっと息を吐く。


 ただ、気を抜くことは許されない。それは彼の周囲に立つ十数人の船員も同じだった。


「これが終わったら僕も無事じゃないだろうね。何せ艦長達を無理矢理ひっこめさせたんだからさ」


 周囲の人間を見回して副艦長は呟く。


 皆、副艦長の『これ以上生贄という犠牲を出したくない』という気持ちに同意してくれた船員だ。彼らは同じように緊張の解けたように胸をなでおろしていた。


「ヴォルグ、君に言ったからには僕にも覚悟はあるよ。さぁお嬢ちゃん……舞台は整った。やってくれ」


 祈るように、副艦長は外を見た。



 フレデリカは飛ぶ。


 鮫との距離は近付いていく。


 鮫の意識はフレデリカだけでなく、砲弾の意図、傷の回復など様々なものに分散していた。


 それにより、フェロモンはほとんど感じられない。


 少女の腕の刃は、大きく天に掲げられる。


 鮫の瞳が少女の蒼い瞳とぴたり、と合う。


 それは一瞬。


 永遠のように長い一瞬。


 鮫の思考を一気に孤独の恐怖が飲み込んだ。


 すべてが吹き飛び、視界も聴覚もすべてが曖昧になる。走馬灯も何もない。ただ、すべてが白に近付いていく。孤独の扉が迫ってくる。


 ならばせめて道連れに!


 鮫は急激に体内の血液を沸騰させる。


 そしてそれを目からビームのように射出させようと集中し始めた。


 距離は近い。


 それ即ち避けることも叶わないということ。


 死が私とお前を結び付けるのだ!


 鮫は嗤った。


 嗤ったが、視界を掠める何かがあった。


 それは幻だったのかもしれない。


 だが、鮫の目には本物にしか見えなかった。


 霞のように空に浮かぶバルムとジャンゴの亡霊を鮫は見た。


 ……マザー。寂しくはない。死んだって俺様たちが待っている。だから彼女を道連れにする必要などないのだ……


 霞のバルムが言う。


 煩い、と鮫は思う。


 ……これ以上、人を傷つける必要はないのだ……


 再び霞のバルムが訴える。


 黙れ、と鮫は思う。


 自分の苦しみがわからない人間風情が何も語るな。自分はフレデリカと死を持ってして真の家族となるのだ。そうして孤独という存在から永遠に決別した桃源郷にたどり着くのだ。


 ……マザー。それは、ひとりよがりだ……


 鮫の血液レーザーは、すさまじい勢いで目から発射された。


 網膜を突き破り射出されたそれは、少女の体を掠めて、外れた。まるでバルムたちの意志が軌道をずらしたかのように。


 ……マザー。鮫は鮫狩りに固執しすぎたのだ。周りに目を向ければ、もっと早く気が付けたというのに……


 邪魔をしたな、と鮫の怒りは膨れ上がっていた。その怒りさえも、せまる孤独の前に消え去っていく。


 迫る少女の刃。


 それは自分が植え付けたものだ。


 だからなんだ。


 だからなんなのだ。


 さみしいのはいやだ。


 なにがなんでもさみしいのは。



 空中、血が舞い散る。



 月の光に照らされ、それは残酷だが、美しくも感じられた。

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