9 殺意の黄金瞳
剣を構えるヴォルグだが、こんな暗い場所では影が多すぎて斬ることすらできやしない。ふぅっと息を吐く。
「フリッカ、敵は何処か分かるか!」
「あそこに! 黄金の眼光が!」
ぎらり、と。
闇の中浮かんでいた。
「お姉様と野蛮な猿……。ふふっ、今日は良い日なのデス」
嗤った。この女は嗤ったのだ。
「お姉様。こちらに来てくださいデス。今ならあの方もお許しになって、お姉様に寄生(つか)虫(い)をやさしく植え付けてくれるデスよ」
「おまえ、妹がいたのか」
「いません! 一人っ子です私っ」
黄金の目は揺らぐことなくフレデリカを射抜いていた。瞬き一つせず、いつまでも。
フレデリカは腕に鮫の背びれを浮かべさせる。
麻痺薬を打つ暇もないため鋭い痛みが腕に走る。
叫び声をあげてしまいそうなそれに身をねじりながらも、耐えきる。
「お断りですッ」
黄金の瞳に向かい、彼女は駆けだした。
突如、黄金の瞳がふっと闇の中に消える。
目を閉じた。
だとして暗闇である事は、互いに変わらず視覚を失った相手も身動きが取れようはずがない。
フレデリカは一気に距離を詰める。
賭けではあった。相手の攻撃手段が読めない以上、そこに危険は付きまとう。だが、注意さえすれば受け身もとれる。
そう思考していた彼女に思わぬ衝撃が走る。
風が、フレデリカの体を側面から叩いたのだ。
予想だにしない強力な攻撃に体は飛び、地面に打ち付けられる。どうにか受け身を取り、負傷は最低限。
ヴォルグはそれを音で聞いていた。何が起こったのか理解できないままに電灯で少女を照らす。
少女はそこに目を閉じたまま立っていた。
城にふさわしいフリルのドレスに血糊をたっぷりとつけ、小さな体のその背中には、あまりにも大きい翼が生えていた。
「猿が、私の姿を見たデスか」
途端、風はヴォルグをも襲った。
多大な力は、目の前の少女が持つにはあまりに大きすぎるようにも思えた。
怒りに任せたその強風は、強大ではあったが幼くもあった。
ヴォルグの手元から、握っていた催眠針が落ちる。
しまったと思ってももう遅い。
怒りの風の第二陣が彼を襲った。
耐えきれない、飛ぶ。
壁のガラス管に派手にぶつかり、大きな音を立てて割れる。ガラスの破片が背中に突き刺さりながらも歯をくいしばる。
臓器の雨をその体に受けつつ、どうにか目を開くと目の前には黄金の目の少女が立っていた。
見下していた。
「けがらわしい」
がっ、と少女の踵が、ヴォルグの腹を思いきりねじった。
痛みに呻くヴォルグを、少女は楽しそうに見下して近くに落ちた電灯を拾い、その光をヴォルグにあてた。
「お姉様、見てるデスか! わたし強いデスよ!」
喜びに満ち溢れた
フレデリカは鮫の背びれを構えてまた近づこうとする。再び強風がフレデリカを煽る。それは少女の翼から放たれるものであった。
彼女は翼を利用し風を操作するのだ!
フレデリカは風に乗る。
そのまま壁を蹴り、跳ね返る。
勢いのまま少女に迫る。
「そんなにこの男のことが気になるデスか! 男なんかが!」
「男なんかじゃありませんっ! 彼だから……っ」
フレデリカの腕の刃が少女の服を掠る。生地の端が宙を舞う。黄金目は憎悪に輝いていた。
「知らないデス! 世の中には
翼がフレデリカに迫る。抱き、骨を折ろうとしているのだと悟った。動けないように。
付近の壁に刃をひっかけて飛び避ける。
だが足が微かに翼に掠り、関節を折られる。
勢いが失速し、床に落ちる。
「逃げようとするから痛くなるデスよ。しょうがありません、お姉様はそこで転がって観てるデスよ」
そうフレデリカに言い捨てると、少女は振り返る。
ヴォルグは腹を抑えつつ立ち上がろうとしていたが、少女の翼がちょっと風を送るだけでふらついてしまう。
彼女は翼で直接ヴォルグを叩いた。倒れ込む。
「私男は嫌いデス。私をいじめたやつらと同じ臭いがするデス。でも私、男の体を玩具にするのは大好きデスよ」
ずいっとヴォルグの顔を持ち上げて、懐中電灯で辺りを照らす。
無数のガラス管が並びその一つ一つに臓器が詰まっている。
ざっと見て数十人もの臓器であろう。
「あれ全部私の玩具デス。お前もあれの一つに加わるデス。今日はお姉様という観客もいるデスから、丁寧に、残虐に、残酷に、恍惚に、遊んであげるデス」
ヴォルグは思う。
彼女も狂気に囚われているのだと。
だが、それよりも彼女をそう追い込んだ憎しみの過去が存在する。
そしてそれは、自分達の艇の中にいたかもしれない。そう考えると彼はたまらなく申し訳なかった。
彼女の心を蝕む何かは、寄生虫だけでなく人間から生み出されたものかもしれない。
鮫を殺すということは彼女からまた一人の存在を奪うということかもしれない。
それでも、このままでは何も変わりはしない。
ヴォルグの体を裂こうと少女が近づく。
「じっくり、裂いてあげるデスよ」
呟いた少女。
対してヴォルグは口をすぼめ、息と共に吹き出した。
射出されるそれは、催眠針!
口の中にくわえこんでいたのである。
その催眠針は鋭く、少女の頬に突き刺さった。
少女が金切り声を上げる。
そのまま頬を抑え、のけぞる。
「なにをするデスかっ!」
「眠ってもらうだけだ」
ゆっくりと立ち上がるヴォルグに、少女は脅えていた。トラウマの感情が増幅され、黄金の目がぐるぐると回りだす。
恐怖に打ち震えながらも少女はびたんと横たえる。
「やめるデス、こんなところで、眠りたくない……っ」
口はそう動いても、意識はうっすらとしていく。
少女の脳内に記憶が走る。
これが走馬灯というやつなのか、と青ざめていく。
男の腕が自分の頬を殴る。
痛みを思い出す。
口内に広がった血の味を思い出す。
嗅いだ、鼻の曲がるようなにおいを思い出す。
男の邪悪な笑みを思い出す。
声を思い出す。
脳みそを蝕み続けるような悪夢のような、男の意志を思い出す。
自分を玩具にした連中のことを思い出す。
自分が鮫に翼をもらって、彼らを蹂躙した時の爽快感、愉悦を思い出す。
――君には翼をあげよう。その翼がどこまでも君をつれていくだろう――
どこか寂しげに。
それは少女へのプレゼントというよりも、自分を慰めるかのように。
男を殺すことに快感を覚えるようになったことも覚えている。
憧れは執着になっていった。
記憶にこびりついた感情が思い出すにつれてはがれていくように感じられる。
植え付けられた寄生虫の感覚が揺らいでいくようにも感じる。
思考がだんだんぼやけていくようにも思える。
視界はまだはっきりとしていた。
電灯を拾うヴォルグに駆け寄るフレデリカの姿がうつる。憎たらしい光景のはずなのに、そういう感情を全く感じない。
ヴォルグの顔に視線が移る。
気が付けば、嫌悪感が全部消えている。
……お姉様が笑顔で……
怪我のない様子を心配しつつ、無事な様子に胸をなでおろし笑うフレデリカ。
今まで想いこがれてきた彼女、鮫の口からしか聞いたことのなかった少女が笑っている。
憎しみだとかそんな感情はすべて消しさったままに。
……なんだか、悪い気はしないデス……
視界もとうとう薄まっていく。
本格的に眠気が強まってきたのだ。
……お姉様の隣にあの男がいるのは気にいらないデスけど……
彼女はそう思いながら、満足そうに目を閉じた。
憑き物が落ちたみたいな、すっきりとした夢の中へ彼女は落ちて行った。
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