7 フレデリカ

「あんまり暴れてくれるなよ、ヴォルグ」


 ヴォルグの部屋の前。副艦長は口酸っぱく注意する。


「ああするしかなかったんだ。オーエンを襲いやがったからな」


 口をとがらせ、そう呟く。


 副艦長はほう、と顎に手をやってにやける。


「なるほど惚れたか」


「ああ、惚れた」


「えらく素直だな」


 驚く副艦長にヴォルグは頷く。そのまま副艦長を真剣に見返す。


 今度は緩い雰囲気などない、かたい表情で。


「星のマークの鮫をどうして船の守り神にしてるんだ」


「急な質問だな。どうしてそんなことを」


「答えてくれ」


 有無を言わせぬヴォルグ。副艦長はそれに戸惑いつつも、その気迫に何やら納得する。


「何かわからないが、あの子と関係あるみたいだね。君の性格を知ってるからあんまり言いたくなかったんだけど」


 辺りを軽く見まわして誰もいないことを確認すると彼は言った。


「みんな仕事をしたくないからだよ」


 ヴォルグの表情が固まり、疑問が生まれる。


 その意味の詳細が読めなかった。


「うちの艇の武装は知ってるね? 主砲、副砲、高角砲、魚雷もある。それらを使えば砂の海の魔物退治なんて意外と楽なものなんだよ」


 ため息交じりに副艦長は言う。


 ヴォルグにとってそれは初耳であった。


 てっきり、対応しきれないものだと思っていた。だからあんな鮫に頼るのだと。


「でもそれらの運用のためには人員が働かなくちゃいけない。それに、毎度変わる天候やらを見極めて魔物の出現が少なそうな航路を考えていかなくちゃならない。それらを上の連中が嫌がったんだよ。人間ってのは楽がしたい生き物だからね。そこに、あの鮫が現れた」


 彼は唇をかみしめる。


「僕は実際に現場を見たわけじゃない。あれが現れたのは僕がまだこんな立場になる前だったからね。でも、当時の現場は混乱しつつも、その特殊な生態に随分とご執心だったらしい。それが現場の負担を和らげられる希望に見えただろうからね」


 副艦長は忌々しそうに、今度はヴォルグから視線をそらした。


「人語を介する鮫ってのはなかなかに興味深かったみたいでね。上の連中が相当に気に入ったらしく試運転は早期に始まった。結果は知っての通り、大成功だ。電磁障壁は凄まじいほどに強力で、本格的な運用もすぐに始まった。それからしばらくしてだよ。あの鮫が対価を要求するようになったのは」


「対価だって? 初耳だぞ、おい」


「公にしてはいないからね。できるはずがないさ。あの赤い城に、艇から毎月数人生贄をだしてるなんてさ」


「……まさか」


ヴォルグの脳内を駆け抜けた死体置場の光景。


 あそこには数人の妊婦の死体があった。


 思い出せ、と自分に言い聞かせる。


 あの死体は、妊婦の死体の腹は…………


 


「上の連中はこれを黙認してるってんだから、救えないよ」


 乾いた笑いを顔に浮かべ、絶望を見せる副艦長はポケットに手を突っ込み、飴を取り出し口に放り込んだ。


「本当は君には聞かせたくなかったんだ。こんなどうしようもない馬鹿な話を、君みたいなまっすぐな人間にはね」


 がりがりと飴を噛みながら副艦長は言う。


 ヴォルグは実際、絶望と怒りの混じったようなどうにもできない感情を胸の内に燃やしていた。


 自分がのんきに甲板で口笛なんか吹いているうちにそんなことが起きていただなんて、想像もしていなかった。


「ヴォルグ。君は、あの子とこの艇から出て行ったっていいんだ」


 ヴォルグがその言葉にはっとしてうつむき気味だった視線を副艦長に向ける。彼は二つ目の飴を放り込んでいた。


「こんなろくでもないところにいるのが嫌なら、出て行ってもいいんだ」


 それは、彼を心配する言葉に違いなかった。


 ヴォルグは首を振る。


「……大丈夫だ」


「なら、いいんだけどね」


 がりがりとかみ砕く音が微かに響く。


 ヴォルグは壁に背を持たれて天井を向いた。


 副艦長は部屋の扉に視線を注ぐ。


「中のお嬢ちゃんは大丈夫かい」


「今は混乱してる。落ち着くまで待つつもりだ」


 髭を撫でながらヴォルグは答える。


 「よし」と副艦長は頷く。


 そしてぽん、と肩を叩いた。


「頼んだぞ」


 申し訳なさそうな顔をしつつ、副艦長は自分の持ち場へと戻っていく。


 その後ろ姿を見送りつつ、ヴォルグは扉を開け部屋の中に入った。



 寝台の上に座るオーエンの目は死んでいた。


 口は閉じ、まるで呼吸をしていないかのように黙り込んでいた。そして寝ころびもせずただぼぅっとどこでもない虚空を見つめているだけだった。


 そんな彼女だが、部屋に入ってくるヴォルグの姿を確認すると少し表情に光が差す。


 蒼い髪を揺らし、ゆっくりと顔を向けるのだ。


 ヴォルグは彼女の隣に座る。それに安心して、彼女は彼の肩に身を預ける。


「おじさま、私今じぶんがとってもこわいです。あいつが、今もこの艇のまわりを守っているだなんて思うと、私の中の殺意が、憎しみが暴走してしまいそうなんです。そうしたら、鮫だとか人間だとか、そんなこと関係なくただただ命を奪うことだけが存在意義みたいになってしまうと思います」


 オーエンは、ヴォルグにうつろな目を向けた。


「オーエン……」


「フレデリカ……フリッカとよんでください。オーエンは、偽名だから」


 オーエンの……フレデリカの体はひどく冷たかった。彼女自身がなにか別物に変わってしまうかのように。


「私、ふと思いました。それだけが存在意義の私は、もう最初から人間じゃなかったのかもしれません。だって私は……もう自分が本心からあの鮫を殺したいのか、寄生虫が暴走させる私の感情があの鮫を殺したがってるかの検討さえ尽かなかったのですから。私はもうとっくに、寄生虫の操り人形に成り下がっていたのかもしれません……」


「……オーエン。いや、フリッカ。お前はお前だ」


「わかりません」


 フレデリカは震えていた。


「もうわかりません! 私本当は今にでもあの鮫を斬り裂いて、ぐちゃぐちゃにしてやりたいんです! それで守られている艇の人間だとか、そういうものもぜんぶぶち壊して、あの鮫を八つ裂きにしてやりたいんです! そんな自分の感情が、今はわからなくって」


 彼女は涙をため、ヴォルグの腕を掴む。震えや恐れを止めるために。


「フリッカ」


「なに……」


 とん、と両肩を叩く。呆気にとられた表情を彼女は見せる。それにヴォルグは微かに笑う。


「おどろいただろ? それは立派なお前の感情だ」


 フレデリカは、すこし俯く。


 俯きつつも、ヴォルグの言葉を受け入れる意思はあった。それでも信じ切れない自分の心がある。


「大体、お前が今操り人形ならこうやって不安になることだってないはずだ」


 ヴォルグの頬に両手を当てる。


「あったけぇだろ」


 こくりと少女は頷く。


「ならフリッカはフリッカだ。俺を信じろ」


 ヴォルグはどこまでもまっすぐな男だった。フレデリカにもそれは十分に伝わる。


 そして気付けば頬が綻んでいた。


 うつろだった瞳に蒼い輝きがもどっていく。


 フレデリカの胸になにか暖かいものが満ちていく気がした。落ち着きを取り戻し言う。


「……ありがとう。少し落ち着きました」


「おう。それでいい」


 ヴォルグは立ち上がる。


「後始末は俺がどうにでもしてやる。お前がやばそうなら止めてやる。だからお前は自分のやりたいことを言ってくれ」


 フレデリカに訊く。


「おまえはどうしたい」


 フレデリカはきっぱり言った。


「あの赤い城に、殴り込みたいです」


「よし、よく言った」


 ヴォルグは腕を鳴らし、首を回す。


「じゃあきまりだ! あのくそったれに痛い目見てもらおうぜ!」

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