6 母胎邂逅奇談

 オーエンの体に巻かれていた縄をすべて取り、ヴォルグはふぅっと息を吐いた。額に浮かんだ汗をぬぐう。


「怪我ねぇか」


「ありませんから、大丈夫……です」


 目線をあわようとせずオーエンは呟く。


 小さく、時々ヴォルグの方を振り向こうとしつつも、そのそぶりだけ。その様子にヴォルグはちょっとため息をつく。


「なぁ、一旦おちついてくれよ……」


「お、落ち着けると思いますかっ? と、と、と、殿方からの告白をうけてしまったんですよ私っ! こういう経験初めてなのに!」


 食い気味に訴えるオーエンに、すまねぇすまねぇとそう思っていないような笑いを浮かべる。


 ヴォルグはすくりと立ち上がって、腰を伸ばす。


「さ、準備して早く出るぜオーエン」


「どこへっ」


「決まってるだろう。甲板に、だ。そもそもあんな部外者が艇の中に忍び込んでるんだ。どこかに奴の利用した移動手段があるはずだ」


 ヴォルグは入り口から顔を出し、人の有無を確認する。そして「よし」と小さくつぶやいて。


「ほら。こんな髭男で悪いがエスコートさしてもらうぜ」


 手を差し出す。


 目線を外し気味だったオーエンは、素直に手を伸ばして顔を赤らめながらヴォルグの目を見た。蒼い瞳は少し潤んでる。


「よろしく……おねがいします……」


 消え入りそうな声でそう言った。



 甲板に続く廊下を歩みながらも二人の間にしばらく会話はなかった。おたがい黙り切ったままであったが、不思議と二人の間に寂しさみたいなものはなかった。


 奇妙な充実感があった。


「……おじさま」


 少女はゆっくりと口を開いた。


「私の体のこと、ごぞんじでしょうか?」


「んにゃ。なんだか自然治癒がものすごいって事しか知らねぇ。そのことか?」


「ある意味、そうですね」


「ある意味……?」


 ヴォルグは繰り返し呟く。


 少女は重く頷いた。はっきりとしない答え方であることが、彼になおさら疑問を抱かせる。


 それを察したように少女はヴォルグに近付き、腕にその身を寄せた。


「私、鮫が嫌いなんです。私の母を殺したのも鮫だったから……」


 ヴォルグには腕に伝わるその感触から彼女が震えていることが分かった。


 未だ彼女の中に宿っている恐れの感情が。


 それでも彼女は語る事を止めようとはしなかった。


 むしろ、このことをヴォルグに伝えたいという意思に満ちているようだった。


「私、小さい頃は陸地に住んでいたんです。ここじゃめったに見ませんけど、私の実家の周りは草木で満ちていた。恵まれてました。毎日が楽しくて、輝いていて……。母とは二人暮らしでした。父は私が幼い頃に亡くなって……母は私を女手一つで育て上げてくれました。だけど……。あの日からすべてが狂っていきました。母のお腹が大きくなりだした……あの日から」


 オーエンの唇が小刻みに震えだしていた。


「私は、弟か妹ができると聞いて……嫉妬したかもしれません。でも、嬉しかったとも思います。子供心には理解しきれない複雑な感情を抱いていたのは間違いありません。それを察したのか、母は当時何も言いませんでした。いえ、自分も怖かったのかもしれません。自分が妊娠してしまったことが」


「妊娠してしまったことが、こわい?」


「……。時間が経つにつれて、母のお腹は大きくなっていきました。私は弟かな、妹かなと無邪気に尋ねました。でも、母は何も言わなかった」


 きゅっ、と手を握りしめている。震えを抑えるのに必死に。


「ただ、どっちがいいかな、と曖昧に言ってくれましたが、何も言いたくなさそうでした。日が経つにつれて、母の様子は変わっていきました。だんだんと平静でいる時間が少なくなって、怒る時間が増えました」


「不機嫌になることくらい……その、多少はあるんじゃねぇか……?」


「様子が、違うんです。おかしくて……。お腹の子のことを私が尋ねても不機嫌そうに私を睨みつけるようになって、母が私のために料理を作ってくれることも少なくなりました。私はだんだんと自分で料理をするようになりました。下手で、あんまり……おいしくありませんでしたけど」


 ふふっと力なく笑うオーエン。


 最初は余裕のあったその表情にだんだんと翳りが見えてくる。


 恐怖が彼女を支配しようとしているみたいだった。


「あの日……私は母のために料理をつくって持っていきました。母はお腹が大きくなって、あまり動かなくなりました。ベッドの上にいることが多くなったんです。私が料理を持っていくと、何も言わず受け取って黙々と食べ始めます」


 語る彼女の恐れに飲み込まれるように、ヴォルグも口をつぐんでいた。


 目の前の彼女から瞳を離せない。


 話すことなんてできるはずがない。


 視線を落とす彼女からは、一瞬も。


「不思議なほどに静かでした。私はそんな母をじっと見つめて……。それでも母の顔を見ることは大好きでしたから。母は笑わなくなったけど、やはり私は母の顔を見るだけで安心したんです」


 ふっ、と和らぐこわばった顔。けれど、すぐにそこに色が戻る。どこまでも青く、白い、戸惑いが。


「料理をもうすぐ食べ終わりそうな頃……母は突然苦しみだしたんです。私は、料理が何かおかしかったのかと不安になって近づこうとしました。そして次の瞬間、母は突然のけぞって、大きく丸いお腹は真ん中からトマトみたいに簡単に避けて、血が弧を描いて飛び散って……中から鮫が飛び出してきたんです」


 血の気が引いていた。


 オーエンはそう言ったっきりヴォルグにきゅっと抱き着いた。


 ヴォルグは思う。そんな恐ろしい思いをして、彼女は今この場に立っているのだ。


 無理をしてきたのだろう。小さな体の中にあまりにも多すぎるものを背負ってきたのだ。


 ヴォルグは拒まなかった。


 ただなされるがままにしていた。


 しばらくすると、震えも少し収まりオーエンは再びゆっくりと話し始めた。


「額に、星のマークのある鮫でした……。鮫は……そのまま宙に浮いて私の方を向きました。そのまま、口から鋭い針みたいなものを吐き出します。そしてそれは私の胸に深く突き刺さって、煙みたいに消えたんです」


 胸に手を当て、顔を歪ませた。記憶に感情をぶつけるように。


「鮫は私の方を向いたまま言いました。『お前の母親は死んだ』と。途端に、私の心に憎しみの炎が燃え上がりました。抑えようのない、がむしゃらな炎が。鮫は私に。『自分が憎いか』と問いました。『憎い』と答えると鮫は高笑いをして、『良い子だ良い子だ』と私の憎しむ様子をさぞ楽しそうに見ていました。そしてそのまま云うのです。『お前は良い鮫を生んでくれるだろう』と。そのまま鮫は窓を破り、外へ飛んでいきました。以来、長らくその鮫の行方はつかめませんでした」


 悔しそうに言う。


 そこには恐れよりも憎しみが濃く見えた。


 不思議なことに、ヴォルグにはその憎しみが彼女自身から出たものには思えなかった。


 まるで取りつかれているかのような……。


「その鮫っていうのは一体何なんだ。人間の腹から生まれるなんて……」


「バルムの肉体に埋まっていた寄生虫のことを覚えていますよね」


「ああ……あのにくたらしい」


「いわば、あれです。鮫……。あれは、宇宙鮫といいます。あの鮫は最初は小さな寄生虫ですが、宿主の感情を食べて大きくなります。時には感情を暴走させることもあり、感情を操作し、自分の食べる感情を増やす。そしてそのまま成長していく恐ろしい生命体なのです」


 そう言って、オーエンは自分の胸に目線を向ける。


「私の心臓に突き刺さったあの針も、寄生虫でした」


 ヴォルグはその言葉に言葉を失う。そしてどういうことかと訊くより早く、オーエンは呟き出した。


「私は運が良かったんです。大きくなりかかる自分の中の鮫を、血管を突き破らせ外に出すことが出来たのですから。痛みは尋常じゃありませんが、死なないだけマシです。鮫が外に出れば、生むことはないので、体に害もありません。成長しきる前だから、他の人に寄生虫をうえつけることもない。鮫の弾丸として利用できます。寄生虫を植え付けられたせいか、自然治癒の能力が発達していました。ですから、弾丸を飛ばしても問題はありません」


「それで、あの鮫を追ってるのか」


 ヴォルグは納得し頷いた。復讐のためというのも理解できる。だが、彼女のことがどうあっても心配だった。


「それで、オーエンは大丈夫なのか? 体も、心もぼろぼろじゃねぇのか」


 少女は否定しなかった。


「それでも私の中の寄生虫が復讐の感情を刺激しているんです。殺せ! 殺せ! と唸るんです。そして私自身それに同意しています」


 オーエンの瞳に復讐の炎が宿っている。これはいくら言おうと曲がる事のないまっすぐなものだった。


 少女はその瞳でヴォルグを捉える。


「噂を集めて、あの鮫がこの海域にいることはわかっているんです! あの鮫を倒しさえすれば、この感情の暴走も治ると思います。だから……教えてほしいんです。あの鮫がこの海域で何をやっているのか」


 ヴォルグはこの質問に、一瞬答えるべきか迷った。


 その答えはあまりにも残酷で、あまりにも愚かだったからだ。


 甲板に近付く足が一瞬止まる。


 ヴォルグの異変にオーエンは不安を抱く。


 心がざわつきだす。


「お前の仇であるその鮫は」


 ヴォルグは呟きながら甲板に出た。


「この艇の護衛をしてるんだよ……」


 見渡せば、戦艦≪ヒュペル≫の周囲に鉄塔みたいな建造物が囲んで六体浮かんでいる。来た時と変わらない光景だが、そこに何か底知れない不安を感じた。


「一体……」


「艇の周囲に上げておく電磁障壁バリアーだ。砂の海の魔物からこの艇を守るために取り付けられるものだ。他の艇にもなかなかつけられてない代物だろう」


「ええ……効果は確かですが、あまりにも大きく、相当な量の燃料を使うから実用には不向きだと……」


「ああ、使う。その燃料って言うのが、砂の海の魔物が本来まとっている微弱な電波なんだ。砂の海を泳ぐためにはその特殊な電波がなければ、体が砂の海に沈みこんでしまう。その微弱な電波を大量に……」


「待って……まさか」


「お前の仇の鮫は宙に浮くと言っただろう。それは本来砂の海の魔物が、微量にまとう特殊電波を大量に帯びているからなんだ。普通は砂の海に沈みこまない程度の力の浮力を発生させているそれを、大量に持っているがゆえに宙に浮かぶ」


 何も、言葉にできない。彼女はそこに立っていることで精一杯だった。


「わかっただろう……オーエン。この電磁障壁バリアーは、その鮫の放つ大量の特殊電波が燃料になっちまってるんだよ」


 ヴォルグはそう言い捨てて、「くそったれが」と地面を蹴った。


 今まで守り神程度に認識していた存在の、その邪悪さに彼は苛立つくらいしかできなかった。


「で、、では、その鮫はどこに……」


 少女のささやきに男の指先が動いた。


 それは戦艦後方。


 少女は見た。

 

 そこに浮かぶ、二平方キロメートル程ある場違いな赤い城を。それはいびつに、禍々まがまがしく、そこに在った。


「あれが守り神様の城だって? 笑わせるなァ……オーエン。まさしくあれは悪魔城だよ」

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