4 死の手

 重い扉が閉められる。


 部屋の外には警備が一人つけられて自身を見張っていることがオーエンにはわかった。


 手首は縄でくくられ体も同じく。


 身動きを自由にとれはしないまま、寝台にころりと転がっていた。


 部屋の照明は人工的な明るさでオーエンを照らし、ここが窮屈な箱の中であることをいやでも認識させる。


 オーエンは体中に走る衝動に歯を食いしばる。


 ずっと感情が暴走しそうな状態が続いていた。


 彼女は、ひたすらに自分にそれは錯覚に過ぎないと言い聞かせる。


 理性を乗っ取られちゃ駄目だ、と呟き続ける。


 昔からのことだ。


 もう慣れたものだとは思っていたが、やはり苦しいものだった。


 ここにいては何も変わらないのだ。


 こんな部屋の中に閉じ込められては……。


 たまらない寂しさが胸にある。


 一人でいるのはさみしかった。


 ずっとひとりだった。


 それが当たり前だと自分に言い聞かせてずっと平気なふりをしていた。


 でも、ヴォルグに抱きしめられてその嘘に自分自身気付いてしまった。


 誰かがそばにいるということを思い出してしまった。


「ぜんぶ、おじさまのせいです」


 そんなこと思ってもいないのに呟いた。


 ヴォルグが自分に人の温かみを思い出させたことに本当は感謝しているというのに。


彼のおかげで、ぎりぎり一歩手前で自分はまだ人間でいられたというのに。



「拘束……」


 わかってはいたことだが改めて言われると思考がかたまってしまう。ヴォルグは副艦長に言われた言葉をつぶやく。


「ああ。あの身元不明の死体が出た以上、警備隊の連中や艦の人間に不安を与えないように形だけでも拘束はしなければいけないんだ」


 そう呟くけれど、瞳の向けられた書類は船医からのオーエンの健康状態の報告書だった。


 その項目一つ一つに目を通す。


「何か、気になることでもあるのか」


「無論それはある。まずあの異常ともいえる麻痺薬については君もあの場にいたから聞いているだろう。問題はそのあとなんだが、彼女の肌には注射痕一つ残っていなかったんだよ。血液検査も何の異常もない。おまけに先程改めて検査をしたんだが、異様な速度で傷口が治癒しようとしていた。自然治癒というにはあまりに早すぎる。君の証言に出た手の平の鮫弾にしても本当だとすればもう六割は修復している」


 副艦長はため息をつき机の上に置かれたコップを掴み、水を喉に流し込む。


「あの少女は一体何者なんだろうね」


 戸惑いを飲み干すかのように水を流し込む副艦長。冷汗をかきつつ、入り口に控えた青年に船医を呼ぶように呼び掛ける。


 ヴォルグにとってオーエンが何者であろうと関係ない。


 不思議な技を扱うだけの少女に過ぎない。


 だが、そこではない。


 別の場所に、変な不安を覚えていた。


「……副艦長。あの死体は……」


死体置場モルグ行だよ。一旦ね」


 何でもないように副艦長は言う。


 それがヴォルグにとってはたまらなく恐ろしかった。


 死体置場モルグの死体は何時までもその場所に留めておくわけではない。付近に死体焼却施設や墓地を有した砂上都市があればそこに任せる。


 もし付近にそのような施設がなければ砂の海の中に放りこむのである。それまで死体を置く場所こそがその名の通り死体置場モルグなのである。


 無論そんな場所なのだから進んで近づこうとする人物は殆どいない。死の冷たさを自ら浴びに行く変わり者などいない。


 ヴォルグは死体置場モルグに通ずる道を早足で進んでいた。


 それはあの呆気なさすぎる死が、ずっと引っかかっているからだ。


 悪あがき一つしないあの死に様が果たしてバルムという男の死に様として正しいのだろうか。


 疑念をはらすべく死体置場モルグ扉前、胸騒ぎを気のせいだと断言するためにヴォルグは把手ノブを捻る。


 中は暗く、決して居心地はよくない。


 どこまでも追ってくるような死の妄想が頭にこびりついて離れない。


 闇の中に死が待っているようにも感じられた。


 彼は照明を点ける。


 薄白い光は部屋の中を十分に照らし出した。


 明かりは死体を照らす。


 妊婦の死体が数体ならぶ中、ヴォルグの求めていたバルムの死体も同じように冷たく照らされていた。


 死体がある事にヴォルグは胸をなでおろす。


 それならいい。 


 それなら何も言うことはない。


 本当に……?


 ヴォルグは注意深く死体を見ていた。


 チカチカと点滅する照明の中じっと、何かの違和感を見つけ出すかのように。


 目前にあるはずの違和感を……。


 彼は息を飲んだ。そしてようやく気が付いた。


「……影がない」


 ハッとして振り返る。


「……野郎、オーエンのところに行きやがったな」



 閉まったままの扉をオーエンは黙って見つめていた。


 今にもドアを開けてヴォルグがきてくれやしないか、と顔をしかめながら思っていた。


 部屋の中はあまりにも退屈な上に、彼女の体にはちょっと問題もある。


 オーエンは必死であった。


 今この瞬間もオーエンの体を自分の意志を無視した感情の暴走が襲っていた。


 それでも負けるものか、と。すべてを抑え込もうと彼女は抵抗していた。


 その助けをヴォルグに求めてしまうのも仕方ない。


 その時、冷水のような声が室内に響いた。


「本能に身を任せてしまえば楽だ」


 死人の声をしていた。


「あなたは……!」


 驚愕に少女の体が固まる。


「会いたかったぞ、鮫狩り」


 オーエンの瞳がとらえたのは、何時の間にやら壁に現れた人影。


 まさしくそれは影。


 表情など存在せず、ただ黒いのっぺりとした何かであるだけ。


「お前がジャンゴを殺したことは許せない。今ここでおまえを殺してやりたいのは事実だ」


 バルムは静かな声で言う。


「だが、今の俺様ではお前を殺せはしない。マザーがお前に会いたがっているのも事実だから先にそちらにつれていってやる。お前にやりたいことがあるみたいだからな」


 オーエンはバルムが笑った気がした。


「私を支配コントロールする気ですかっ! 寄生虫をまた埋めこんで」


「嗚呼。丁度お前は身動きが取れない。今がチャンスだということだ。簡単だろう?」


 バルムは壁を離れ、オーエンへと近づく。


 これがバルム本人なのか、未だに彼女にはわからなかった。だが、小さい頃母親に聞かされた童話の中にこんなものがあった気がする。


 影を自由に操ることのできる一族が世界には存在すると。


 彼らは影を切り離し、例え肉体が死んだとしても影として生き続けることが出来ると。


 目の前のバルムはまさしくその通りであった。


「さぁ、マザーのもとについてきてもらおう」


 バルムの黒い手が伸びる。


 そしてその手は、ずいっとオーエンの影の中に突っ込まれた。


 驚きつつもまだ身動きを取れないオーエンになすすべはなかった。


 オーエンの意識が引っ張られる!


 肉体の意識は突然失われ、自分の影へと意識は移動させられた。


 これがバルムの恐るべき能力の神髄!


 影を自由に操る故にできる支配!


 オーエンはバルムに逆らおうにも逆らう気力さえ起きなかった。


 不思議だ。


 だがそれが力。


「影は俺様に従う。さぁずらからせてもらおうか」


 バルムの手は、オーエンを掴んだまま扉に向かう。


 オーエンは抵抗などできなかった。


 意識だけははっきりしている。


 部屋の真ん中に倒れる肉体の自分を影の自分が何もできず見ている。


 こんなのはいやだ。


 これじゃあなにもできない。


 だれか、たすけて。


 オーエンは心の中で叫ぶ。


 だれか、たすけてと。


 扉が開いた。


 バルムが開けたわけではない。

 

「よう。どこに連れてこうとしてんだ、オーエンをよぉ」


片手にバルムの剣を握りしめたヴォルグだった。

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