第16話
気づけば太陽は天高くへ位置をとり、何の真新しさを見せることなくいつも通り地上を照らしていた。自分の中にどんなに劇的な変化があろうとも世界には何の影響も与えていないのだろう。己のちっぽけさ自嘲気味に嘆くと肩の荷が降りた気がした。
蓮は結局、山を越える約束も果たせずに黒狐の姿で全焼した山城神社の木炭の隙間で息を潜めていた。灰の布団でも存外、眠れるもので満身創痍の身体も幾分か回復していた。周囲の状況把握のため敏感に耳をそばたてる。
こちらに向かってくる軽い足音がひとつ。
「ご無事で何よりです」
山を走り回っていたはずなのに相変わらず艶のある白色の猫。およそ半日ぶりなはずなのにこの姿を見るのは久しぶりな気がした。
「これが無事に見えますか」
回復したといっても身体は傷だらけだ。黒でも汚れは目立ち、腹も減ってげっそりしている。そういえば昨日から何も口にしていない。
「私からすれば生きていればすべて無事です。死んでいても無事ですが」
「金言ですね」
次元が違う。この境地には一生辿り着けないだろう。
イロドリは蓮の目の前に立つと深く頭を下げた。
「蓮、ありがとう。あなたには本当に助けられました」
「礼はいりませんよ。もう僕たちは等しく罪人です。あの天を敵に回したんです、我儘で得た自由にはとても大きな代償を払うことになるかもしれない」
「いいじゃないですか。我儘の利かない一生なんて楽しくないですよ。どんなに辛いことが待っていようと、今のあなたのすっきりとした表情が見れただけで間違いではなかったんだと思います」
「僕のしたことは果たして正しかったのでしょうか。あなたを守れたこと、自分が生きられたこと、それはもちろん嬉しい。でも、それ以上に多くのものを裏切ってしまった気がするんです。一度目の失敗を活かしたことで一度目の失敗の後悔が大きくなってしまった」
蓮はイロドリからの否定の言葉が欲しかった。これは決まりきっていた結末だと、あわよくば私がホオズキだと言ってくれたら簡単に切り替えてしまえた。しかし、彼女は要求通りの言の葉をくれはしない。
「蓮の選択が運命によるものだなんてスピリチュアルな言葉で片付ける気はありません。私はあなたが想っていたホオズキという女性でもなければその生まれ変わりでもない。似たような状況に直面してしまったのも偶然の低確率を引いてしまっただけのこと。でも、それでいいじゃないですか。過去を忘れろとまでは言いませんがしがらみに捕らわれ明日を棒に振ってしまうことだって私も彼女も望んではいません」
誰かが誰かの代わりになることはできない。だけど、誰かが誰かの役割を担うことはできる。代役は立てられる。
ホオズキを助けられなかったのも現実なら、イロドリを助けられたのも現実なのだ。すべてを受け止めて昇華していかなければならない。
「あなたを突き動かしたのは愛の力です。愛の力が私たちを救ったんです!」
「そんな小っ恥ずかしいことよく堂々と言えますね。僕にも何がなんだかわからないんですよ。見覚えのない欲があって、身体が勝手に動いて、でもそれでなってしている自分がいる」
気づけばイロドリの視線は蓮から離れていた。視線の方向を辿り、その理由を知る。
焼け焦げた社の残骸を集める兄妹の姿がそこにはあった。別々の場所を黙々と、ひたすらに墨を掴んでは参道の端へと寄せている。
風が吹けばまた参道を汚すことになるにもかかわらず二人は今この境内を掃除する。何を考えているのかなんて本人にしか知りようのないことだが、彼らの真剣な眼差しは決して後ろ向きなものではない。現状維持を求めた兄に現状打破を願った妹。どちらの意志も的確に再現できたとは言い難い現実へとなってしまったかもしれない。
しかし、互いを想う気持ちがあればそんなものは関係ないのだろう。生き甲斐がどんな苦境にも適応させてくれる。
「一人で前を向いて歩くことは本当はとても怖いことなのかもしれませんね。手を取り隣にいてくれる人がいてくれるだけで正しい道を歩けている気になる。私が今胸を張っていられるのもきっとあなたが手を握っていてくれるからなんです。蓮の抱える葛藤や不安は時間が解決してくれる、いや、時間でしか解決できないことなんだと思います。だから、あなたには明日が必要なのです」
「……不思議と僕も恐れはありません。今日があること、明日があることにこんなにもわくわくしてしまっている」
「引き続き一蓮托生ですね。よろしくお願いします」
飽くなき探究心
今は名の無い種かも知れないがこれから花を咲かせていく。
神芝居 はたねこ @hataneko
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