第15話


運否天賦、墜茵落溷。時には天命に身を委ねることで成功を収めることもあるが、蓮にはそれに縋ることさえ許されなかった。天の思惑を肯定せずに我が道を選ぶ。運などない。運命などない。己の力で最良の結果を手繰り寄せるとは言っても、窮地に追い込まれた今、自分で勝手に作り上げた筋書きにかけることしかできそうにない。


まず、自分に都合のいい解釈その一として山火事を嫌っていたシオンの言葉を蓮はそのまま鵜呑みにした。もちろん蓮にも不都合はある。だが、それは村人が山まで追って来てしまう危機感であって、それまでにケリをつけてしまえば問題ない。


まずは妨害をなくす。幾ら下僕の蛇でもこの火の海に飛び込んでくる蛇は少ない。本能には逆らえないのだ。


「精一杯の引き分け狙いか。みっともないな」


嘲笑いながら近づいてくるシオン。


「なんとでも言ってください。死が近づくと恥も外聞も失くなるみたいです。自分でもこんなに生きたいと思っていたことにびっくりですよ。僕も僕が勝つことで幸せになる人の一人なのかもしれない」


ここで諦めてしまえば全てが泡沫に帰す。妥協してでも未来が欲しい。


「お前が功利主義だったとは思わなんだ」


「徳倫理ですよ。僕はイロドリの成し遂げたことを尊重している。彼女が無慈悲に消えてしまうのはおかしい」


「善と悪の二分論でしか物事を捉えられないお前らは浅はかだ。……くだらないよ。くだらな過ぎて管を巻く気にもならない、蛇だけにな」


蛇だけに? だとすれば巻くのは蜷局だろう。

なんて、どうでもいい反論を準備しているといきなり右蛇が襲いかかって来た。


「うぉ!」


蓮は燃え滾る木々を駆使して逃げ回る。脇腹の痛みでうまく走れないが立体で複雑に動くことでなんとかカバーできる。


しかしやはり、左蛇を使ってこないところを見るとさっきの妖火でお腹いっぱいになってしまったようだ。自分に都合のいい解釈その二は現実となった。


となれば、そのままの勢いでシオン本体へと襲いに掛かる。崖のすれすれを迂回して残りの妖力を振り絞るそして…………転倒した。地面に腹打ちとなり崖の寸前で身動きを止めた。


「ふぅ。やっと毒が回ったか」


「毒……?」


シオンが余裕だった理由。それはこの時を狙っていたからだ。最初の一撃で腹部に牙を立て毒を仕込む。あとはそれを待つだけだ。


「生憎、お前を殺すわけにはいかないんだ。そういう摂理だからな」


殺していい妖しか殺せない。天の使いとして予定にないことはできない。蓮を消すと言ったのも単なる脅しで誘導したに過ぎない。


うつ伏せに倒れる蓮にゆっくり近づくシオン。夢で見たあの景色とまったく同じだ。


木々に燃え移った妖火が行き先を失い徐々に消えていく。眩いほどに上空を照らしていたものがなくなったことで一気に暗闇が包み込んだ。


──その時、シオンは脚首に強烈な痛みを感じた。


「っ……⁉︎」


瞬時に足下を見る。自身に起きた異変を確認するシオン。


脚首には食らいついて離さないトラバサミが固定されていた。


これが都合の良い解釈のその三。最後の希望だった。シオンが蓮を生きたまま捕らえると仮定して、逆算してこれまでの行動を解釈する。前世の記憶から考察するにシオンは最初からカキツバタを狙わなかった。ホオズキを庇ったことからやむを得ず対処することとなったがそれでも身体の拘束のみにとどまり命までは奪わなかったように思う。その証拠が今の蓮だ。記憶だけがかき消されて身体は残されている。そして、蛇といえば毒だ。八雲カヨに仕掛けた神経毒が目に新しい。今回もシオンが同じような方法をとっているのではないかと踏んでわざと毒にかかったふりをした。


その隙、油断をあてにしたおかげで妖火と夜の急な明暗反転による眼球の順応時間が生まれ視界を制限、トラバサミがうまく活きた形だ。


そして何より、蓮に毒が効かなかった理由。これは単なる推測だが、ホオズキによるものではないかと思う。ホオズキは毒の効かない身体だった。夢の中でも傷を負っていたにも関わらず、特別な症状は訴えていなかった。夢の最後にカキツバタの体内に血液が入り込んでいた。そのおかげで、毒耐性体質の一部が蓮にも取り込まれたと考えるのが普通だ。何より、ホオズキは未来予知の力がある。この未来を見越してあんな不自然で意味不明な行動をとっていたとしても不思議はない。


こうなる未来を見据えていたとしても納得してしまう。ここにきてまた助けられた。


蓮は立ち上がると隙のできたシオンを自分の身ごと放り投げた。崖からの高さは数十メートル。無傷では済まない。


「こんなシナリオもありでしょう」


「カキツバタァ!」


決して綺麗に締めではない。しかし、これが諦めなかった結果だ。


シオンは下の岩場へと頭を打ちつけ、蓮はそれをクッションとして一命を取り留めた。


食らいついていたトラバサミが落ちた衝撃で壊れている。


「僕を捕らえるための罠に助けられるなんて……なんたる皮肉」


同じ高さから落下したのは蓮も同じ。打ち所がよかっただけで身体には大きなダメージを負っていた。助かったとは言え、山を越える体力は残されていない。


膝に手をつく蓮をシオンの下僕である蛇が岩の影から狙っている。


「僕よりも自分たちの主人の心配をした方がいいですよ。彼女のために身を捧げる覚悟があるのなら今は側で寄り添うべきです」


言葉を理解したのか蛇たちは襲うことなく散り散りに消えていった。

これでいいんだよなホオズキ。お前のためにも、俺は生きる道を選んだ。




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