第14話
気づいたときにはもう遅いとは多分にしてよくある話だが、今まさに蓮はそれを痛感していた。
「化け猫にほだされたか、カキツバタ」
いつも以上にキツい眼差しで蓮を睨みつける淑女。 無数の蛇を従え、万に一つの抜け道も見つけ出せないように行く手を塞いでいる。
この期に及んで説明の必要性は皆無。蓮の腕に抱えられる白猫の姿を見れば、誰がどっちの味方で何のためにここにいるのかが容易にわかってしまう。
「あれ、おかしいな……。僕は東の山で待っていて欲しいと伝えたはずですけど」
こっちは西、真逆である。
「お前の行動なんて手に取るようにわかる。本当に意思の弱い奴だ」
イロドリを助けることを決めたのはついさっきのことであり、それまで裏切る素振りなど微塵も見せなかったが、何故だかシオンには看破されていた。最初からこうなることを見透かされていたのかもしれない。
「信用されてないんだなー」
「どの口が言ってんだ」
「本当にシオンさんには悪いと思ってますよ。だけど、僕は自分の感情に従いたい」
「理の前では感情なんて関係ない。お前ら役者が舞台上で演技する裏には無駄のないシナリオを描くフィクサーがいるんだ。いい加減、従うものを間違えるな」
「そもそも従うこと自体が間違っていますわ。私たちは私たちのしたいことをすればいい。理に反してしまったのなら制裁は自ずと訪れるでしょう。使いとは名ばかりの一介の妖に裁かれる筋合いはありません」
イロドリは腕の中で毅然とした態度だ。シオンと真っ向から対立する覚悟を決めている。
「言うじゃないか化け猫。私も理の一部と考えれば通る道理じゃないか。理性の狡智をご存知かな」
使いは天帝のために働く。天帝の思惑を実現させるための手段だ。
「それは私たちが好きなように動いて構わないと言うように聞こえますが」
「違うな。どの道、お前たちに制裁が加わることは避けられないということだ。このタイミングで追い詰めることになったのもカキツバタという罪人を葬るための筋書きに過ぎない」
すべては予定調和。ここにシオンがいることが現実だ。
「困りますね。こうなるのがわかっていたのならあなたはもっと早く僕を止められたはずですよ。怠慢を正当化しているようにしか思えない」
強がっては見せるものの冷や汗が止まらない。逃げて万事解決とならないことはわかっていたがこんなにも早く首根を掴まれるとは思わなかった。
「私がここにいるのが答えだよ。お前はこれが初めてじゃない、前科があるんだからな」
「やはり、知っているんですね」
あの時のアイツの姿。両腕に蛇を宿した黒髪の女。
「お前は前にも同じようにして妖を庇った。私の目の前で無意味にな」
「あなたがホオズキを殺した。今まで僕を騙してたんだ!」
気持ちが呼び起こされる。これは怒りなのか。しかし、記憶がすべてあるわけではない。断片的なものを感情の理由付けにしてしまうことに蓮は躊躇ってしまう。
「蓮。考えてはいけません。彼女はあなたの動揺を誘っている。今と向き合ってください」
「見苦しいぞ化け猫。過去を知らずして今を語ることはできないさ。いつまでも同じ過ちを繰り返すことが許されるわけがない。──カキツバタ。馬鹿じゃないならわかるはずだ。お前は一度失敗したんだ。この後、どうなるかはわかるだろう」
天には逆らえない。傍らには守りたい少女、相手には天の使い。同じ状況ならきっと同じ結末を迎える。
だが、それでも悔いを残したくない。失敗を活かさないんじゃない。一度目の失敗のためにも同じ行動を繰り返したいんだ。
「……わかります。今の僕が過去の僕と同じ行動を取ったということは過去の僕に思い残すことがあったということでしょう。これは過ちでただの我がままで天の摂理に逆らっているのかもしれない。だけど、記憶を消されたにも関わらず、同じことをした自分を信じたい」
論理的には説明できない。したいからする。蓮にしては珍しい理路整然を破綻させた考え方だ。
「お前は真性の馬鹿だったか。がっかりだよ」
「僕はシオンさんにも感情を理解して欲しい。無意味とせず、一匹の妖として人と関われば使いの馬鹿馬鹿しさがわかるはずだ」
「黙れ。それ以上、天への冒涜は許さない。お前は不要な存在と変わったんだ。ここで消えるしか道はない」
「これでわかりやすくなりましたね。私たちがあなたから無事逃げることができれば理とは無関係、逆にそれを阻止することができれば理と認め我々の過ちを認めましょう」
話し合いで収まる問題ではないからかイロドリは好戦的だ。
「どうせ消されるお前らに降参されても私に得はないが、役割として受けて出よう。ぶっ殺してやる」
シオンの鋭い牙が蓮とイロドリを映した。もう逃げる事は許されない。
腕の中のイロドリにも熱が籠もっていた。
「よかったですね蓮。では、やっちゃってください!」
「……え、ちょっと待ってください。人任せですか?」
「私に戦闘力があるとお思いですか? 能力は分かっているでしょうし、体術も沙希と大差ありませんから」
うわあ。すごいお荷物だ。
一気に勝ち目が薄くなった。
「よく他力本願で大見栄切れましたね……」
「言ったでしょう、私はできないことは言わないって」
裏付けのない自信を鵜呑みにすることは到底できない。しかし、できないことに諦めを求めてきたホオズキよりはマシか。要望があるだけで動く理由にはなる。
「太鼓判を捺されるのはありがたいですけど……」
イロドリを庇ったままシオンを振り切るのは不可能。蘇生術を当てにすることもできないため、尚のこと残しておくべきではない。蓮がイロドリを庇って殺され、イロドリが蓮を蘇生している間に殺されるというビジョンが容易に想像できる。
「では、僕がシオンさんを抑えるのでイロドリは逃げてください。後ろから回り込めば東の山を越えることができます。麓に小さい社があるのでそこで落ち合いましょう」
「わかりました。蓮は大丈夫ですか?」
「大丈夫です。あなたをサポートするくらいには余裕ありますよ。猫の姿のまま背後に走り出してください」
「死なないでくださいね」
白猫は蓮の腕からするりと落ちるとシオンには目もくれずに走り出した。
「悪手だな。この山には八千もの私の僕が潜んでいるんだ。一万六千の目を掻い潜り逃げ切ることはできない」
「どうでしょうね。蛇に僕の幻術が見破れるでしょうか」
ここで五匹のイロドリを生み出す。猫の姿のまま逃げさせたのも幻覚が作りやすいからだ。幻術は想像したものを創造させる。
生み出された五匹の架空のイロドリは一斉に散る。これで六分の一だ。時間稼ぎにはなるはずだ。
「なるほど。爬虫類には難しいだろうな。ならば私がいち早くお前を打ちのめすとしようか」
「まさかシオンさんとやり合うことになるなんて夢にも思いませんでしたよ。まさにドリームマッチですね」
「こんなつい最近『使い』になった雑魚に私が劣るわけがない。人間にも負けるような雑魚だぞ」
「ははっ。あれが僕の実力だと? 勘違いしないでください。あの時、僕は本来の十分の一の力も──あぶねっ!」
息つく暇もなく、木が丸々一本飛んできた。あの至って平均的な女体のどこにこんな力が備わっているんだか。
「あれの百倍でも話にならないよ。妖において経験の差っていうのは簡単に埋められるものじゃない。あまり調子に乗るなよ」
「そう言われましてもね。虚勢を張ってでもいないと身体がついてこないんですよ。冷静になったら余計なことを考えてしまいそうだ」
分の悪い賭けだとは思っている。負けていいわけではないけれど負けて言い訳はできない。
「その程度の覚悟なら捨てておけ」
無数の蛇が地を這い蓮に襲いかかる。
一撃ならぬ一噛みも受けるわけにはいかない。
妖火が蓮の周りを囲む。半径三十センチに入ってくる蛇を焼き尽くし、肌に触れる前に炭にする。
「気を付けろよ。一歩間違えれば山火事だ」
「シオンさんを足止めできるのならやぶさかではないですよ。でも、村の人々の目がこちらに向くのは困る。神様を置いた意味がなくなりますから」
山神に歯向かう者に制裁が下されると意識付けするために無駄な火事は避けたい。沙希に迷惑が掛かる。
とは言っても木々に燃え移らないように妖火を扱うのは厳しい。いつも以上に繊細に、大胆な使用はできない。
なんとか攻撃に移りたいがこの蛇の数に対処するのが精一杯だ。
「あの生娘にこんな大役、務まると思ってるのか?」
「さあ、どうでしょう。チャンスを生かすも殺すも彼女次第です。その先の話に興味はありません」
それどころじゃない。このままでは防戦一方を辿り蓮の体力だけが消耗していく。
打つ手が無くなる前に一つ動いておこうか。
眼前の的は蛇。蓮は幻術をかける。
その場に蓮自身のまやかしを生み出す。まやかしは蛇の気を引き、蓮自身が直接シオンに攻撃を加える算段だ。
シオンに見破られていても構わない。一瞬の隙でタイマンに待ち込めればいい。
手筈は完璧だった。まず、蓮は自身の分身を囮にするためにシオンの右方向へ移動させた。まやかしは期待通り蛇の視線を集め蓮を視界から外させる。そして、立ちはだかる蛇の壁が怯んだ隙にシオンへ直接、ゼロ距離で妖火を叩き込む。
しかし、そう簡単には攻略できる相手ではない。シオンが飼っている蛇は下僕の蛇だけではないのだ。内に棲む大蛇が体の一部を飲み込む形で顔を出した。
蓮は狐、イロドリは猫のようにシオンは蛇。
変化があったのは左右の腕。両脇から大蛇が行手を塞ぐ。
左の大蛇が妖火を飲み込み犠牲になると、右の大蛇が蓮の脇腹を抉るように噛みつき大木へと叩きつけた。
「私の毒牙にかかるがいいさ」
シオンには余裕がある。焼け焦げた左腕、もとい左蛇の痛みにも平静を保ち続ける。
肉を切らせて骨を断つなんて殊勝な考えは意識下にはない。絶対君主の命令が最優先であり器でしかない身体などどうなってもいいのだ。
巻き上がる木屑と砂埃。
仲間の蛇を巻き込む勢いで薙ぎ倒した大木を確認する。
そして、驚かない。確実に打ちのめしたはずの蓮の姿がないことになんの不安も感じない。
何故なら確実に打ちのめしたからだ。
確かな手応えと倒れた大木に着いた血痕が何よりの証拠。死までのカウントダウンはもう始まっている。
蓮の小技程度の幻術でも一瞬の隙で逃げる事はできる。骨は折れてもは心は折れなかったわけだ。
満身創痍で隠れても無駄とも知らずに。
蓮にとってはこれしかなかった。強く舞い上がった木屑を壁に走り出し、木陰に隠れることでしか逃げ切ることはできなかったのだ。
「危なかった……」
肩で息をしながら脇腹から漏れ出る血液を手で塞き止める。
奇しくもあの時のホオズキと同じだ……。
傷口は思っていたよりも浅い。とは言っても満足に動けない程にはやられてしまっているのだけれど。感覚と予想に対しては浅かったという話だ。
何故だろう。
自分でも致命傷を負っていてもおかしくはないやられ方の認識だった。脇腹に牙を差し込むことが出来たのならそのまま喰いちぎることだって難しいことではない。
シオンの気まぐれか?
性格上、裏切り者は苦痛を与えてじわじわ嬲り殺したい願望があってもおかしくはない。
いつでも殺れるがあえて泳がせているのなら今は相手の余裕に助けられているに過ぎない。
こういう時、最悪なパターンを避けるために慎重に動く性格なのだが、今回のケースではどう転んでもほぼ詰み、動きようがなく考える程憂鬱になってくる。なのでもう背水の陣として自分に都合のいいように解釈していこうか。
見たところこの辺りは崖になっていて足場も悪い。おかげで下僕の蛇もこの辺りにはいない。決着をつけるのならここしかないだろう。
それに……、たまたま足下に落ちていたコレを使えばどうには一縷の望みに厚さがでそうだ。
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