第13話
「お待ちしていましたわ、蓮様」
本殿内。何個もの重りを乗せて固めた戸を軽々と開け入って来た黒い狐をヨルガオは好意的に迎えた。
「蓮とお呼びください、山神様」
狐の姿から人に変わる。黒狐は蓮、即ちカキツバタの妖の姿。正真正銘の妖狐だ。
「でしたら私も、イロドリとお呼びくださいな、蓮」
やっぱり。
一方、山神の正体は三丘家のペットであるところの白猫だった。
あの時。源一郎の家で初めて見た時から既にこちらを疑っていたわけだ。
「どこでお気づきになられましたか?」
「何も言ってません」
「でも、わかっていらしたでしょ?」
「確証はありませんでした。ただ何となくそんな気がしただけです」
「嘘つき……。今どき、推理小説でもそんな台詞で誤魔化しませんよ。早ければ昨日の時点で知っていたはずです。私の心情を察したから協力してくれる気になったのでしょう」
三丘家に肩入れする理由を詮索すれば当然候補には入ってくる。主人がペットを家族だと思っているようにペットも主人を家族だと思っていただけの話だ。
「僕はあなたに憐憫の情などありませんよ。三丘家のために動いたのもあなたの未練を取り除く作業に過ぎません。連れ去る道中で抵抗をされても困りますからね。僕はあなたがイロドリだろうがやることに変更はなかった」
「そうやって何かと理由をつけて自分を正当化しているのでしょう。感情を知らない、感情を信用しないことが正しいとは言えませんよ。どれだけ私を蔑み見下したところであなたの立場は変わらないのです」
「立場など気にしたこともありません。天帝に仕える者として授かった命を全うするのみ。そこに感情は必要ありません」
「あなたは本当に天帝を信じていらっしゃるのですか?」
「無論です」
蓮は即答する。隙は一切見せない……つもりだった。
「ではご自分のことは信じていないのですか?」
「天帝様を信じる自分を信じているんです」
「それは違いますね。あなたの本心は別にある。そして、それは天帝の命令とは相容れない」
本心を見透かしたように言うイロドリ。
「私は高良や沙希が生まれる前にこの地に天から生み落とされました。猫の身体とヨルガオと言う名前だけを持ったまま、自分に与えられた命など知りもしません。途方もなく山を彷徨い続けるのみです。酸いも甘いも経験してきた私から言わせていただくと孤独とは何にも勝る辛さですよ。そんな中、三丘家の……今は亡き高良と沙希の両親に拾われそれはもう、余りある寵愛を受けました」
「その身の上話に何の意図が?」
「蓮も知りたいでしょう。何故、私が山神になったのか」
「大体想像できます」
蓮は拒む。彼女ペースに捕まりたくはない。
そんな蓮の姿勢は他所にイロドリは話し始める。
「ですよね。でも、聞いてください。
それから高良と沙希が生まれて私の愛する者が増えていきました。偏りはあったものの人間として成長していく彼らを私の目は絢爛に映していたことでしょう。自分が妖であることも忘れて一匹の猫として、三丘家のペットとして生きる道を決めました。あなたは怠慢と言うでしょうか。しかし、一家団欒とは素晴らしいものですよ。今思い出してもあの時と同じ気持ちが胸の中を渦巻きます。三丘家の祖母は優しかった、三丘家の夫婦が誇らしかった、三丘家の子供たちが愛らしかった。この気持ちを味わえるなら私は何度でも間違いを犯しても構わないと。ただやはり、人生とは均等に波があるようで幸運の後には不幸がありました。そうです、あの事件です。蓮はいろんな人からいろんな考察を聞いたと思いますが、真実を話します。私は最初、誰一人として助ける気がありませんでした。結果として後に気が変わったと言うわけです。あなたも不思議に思ったのではないですか? 私がイロドリなのだとしたら、何故、犠牲者が出ているのか、と。生きとし生ける者にとって死は避けられないものだと私は考えていました。だから、この病も仕方なく、運命には逆らってはいけないと自分に言い聞かせました。しかし、いざ私の大事な主人が苦しみ悶えて生き絶えていく姿を見ると傍観を決める自分が情けなくなった映ったのです。妖として救える力を持っておきながら、この場で使わず、いつ使うのか。そこから私は心変わりしました。それ以前に死んでしまった人たちには本当に申し訳なく思っています。
後はあなたの推察の通り。沙希を模倣して人の姿となり山から来たフリをして村を救った。そして、信仰を受けて神となり、差別を受ける愛する者たちを囲い護ることになったのです」
妖をやめ、猫をやめ、人間をやめて神となった。こんなにも目紛しく変わっているのに動機としては真っ当で目的に一直線だ。だが、それは変幻自在に姿を変えただけで、千変万化に対応できなかったとも言えるだろう。
「あなたは妖が何かを履き違えている。妖は自らの損得で動いていいものじゃない。人知れず、人の循環を円滑にするために動くのです。治癒の力があったのなら、あなたが妖としてすべきだったことは神になることではない。高良の父親の病状をいち早く察し誰にも知られぬ場所で始末することだった」
「蓮は何か盛大に勘違いなさっているようですね。──私に治癒の力などありませんわ」
「は?」
耳を疑った。
「私にあるのは治癒術ではなく蘇生術。死んだ者を黄泉から生き返らせる力です。病状の把握はおろか病気の知識も持ち合わせてはおりません。大国主神とは比較対象にもなりはしない出来損ないの神です」
「な、なんで、おかしいじゃないですか! 山神は治癒の神だと村人は認識している。実際に村人の病気も治していた。その嘘になんの意味があるんですか」
「蓮の言う、妖の本分を全うしただけのことですわ。死んだ人間が生き返ることはあり得ない。しかし、瀕死な人間が復調するのはあり得る話でしょう。少しやり過ぎている感はありますが、自然の摂理からは外れていません」
不可能を可能にできるのが妖。ということは……、イロドリの本当の力は治癒ではなく蘇生だ。
「神になってしまっている時点であなたの目論見は失敗しているではないですか」
「そうですね。ですからこれは私の過ちであり報いです。偽りの力で神になり虚像に信仰を集めてしまった」
蓮の及ばなかった範囲の真実。誤解と気づけば見えてくるものも当然ある。
「ちょっと、待ってください。ということは今まであなたが治癒してきた人々は──」
「私が殺してきた人々です。自らの手で殺し自らの手で生き返らせた。病に伏す人間は感覚が曖昧になっていますから私が一度息の根を止めたことも気付いていないでしょう。蘇生の仕組みは簡単です。私が息の根を止めて魂を黄泉へと送る。そして、死んだ人体の複製を作り元の体は処理します。あとは、新しい身体に黄泉から魂を呼び戻すだけです。簡単でしょう。人体錬成と黄泉送り、黄泉返りの掛け合わせです」
確かに言っていることの辻褄は合う。料理感覚のようにはいかないはずだが彼女の慈悲ならあの人数を蘇生していてもおかしくないと思ってしまう。
「では、八雲カヨを助けなかったのは?」
「彼女の寿命を考えてのことです。彼女は目の負傷であって精神は安定していました。一度とはいえ死はとてつもない苦しみを味わうのですよ。無事に蘇生が成功したところで残りの寿命に対して割に合わないほどの精神的な苦痛だと私は判断したのです」
他にも蓮が目を光らせていたことも少なからず頭にあっただろう。
あえて言わないのは自分に不利に働く理由だからだろうか。
「治癒ではなく蘇生ならそこまで軽い考えはできません。失明ごときで生死が関わるのはよろしくないでしょう」
倫理的に、と蓮は補足し納得した。
蘇生術に確実性があっても黄泉を往来するのは心が引ける。死に関してはもしもの不安はぐんと跳ね上がるものだ。
「ついさっき勢いで病人は全員殺して蘇生してきたと言いましたが、勿論、軽度の者には手を出してはいません。治療をしたふりをして健康になるまで寝かせました」
無駄な蘇生はしていないらしい。
確かに盛大な誤解をしていたと蓮は自分を恥じた。だが、いかんせんヒントが少ない。これを見破るなど至難の業だ。
「それで蓮。私はどうしたらいいのでしょうか?」
それでも結果は変わらない。イロドリが神として君臨した事実は変わらない。
イロドリも観念して蓮の用件を受け入れる姿勢を見せた。
「知らなかったですか。僕はてっきりすべてを網羅しているとばかり思っていました」
「流石にすべてを理解するのは困難です。わかっているのは蓮が天帝の命令でここに来たことくらいでしょうか」
嗜虐的に笑うイロドリ。
嘘では無いと思うがこの人なら何でもわかっている気がしてしまう。
「正直に言いますと、あなたを神の座から降ろし妖に戻した上で殺します。神様を騙った罰として」
「なるほど。それを天帝は望んでいるのですか。覚悟はしていましたがあまり気持ちのいい話ではありませんね」
そうは言うがあまり驚いたようには見えなかった。この理不尽に嫌悪のひとつでも見せて欲しいものだ。落ち着き払っている。
「世の規則は論理では説明できない。というのが僕の先輩の見解です。この世の芽を育むために間引かれる不憫な雑草とでも言いましょうか……」
「雑草ですか。雑草にも花は咲くのですけどね。まあ、蓮には沢山世話をかけましたから無論、言う通りに動きます。でも、その前にこの村のこれからについて聞かせてもらってもいいですか?」
今まで守ってきたものの行く末は何よりも気になる。イロドリが要望を受ける代わりに出した条件だ。納得できるものであって欲しいと心から願っている。
「この村に新たに神様を置きます。あなたが消えれば村人はすぐに気づく。山神の代わりとなる神が必要です」
「……それがあなたですか。でも、それでは同じことの繰り返し……」
「──少し違うよ、イロドリ」
襖が開き人影が差す。あまりに唐突だった。しかし、イロドリを驚かすには十分だった。
立っていたのは沙希だった。
「あなた、イロドリだったのね」
沙希は近づくと自分とそっくりな少女の頭を撫でる。
「沙希……」
──遡ること十時間前。三丘家から駆け出し、宿屋で源一郎の母親の容態を確認したその後。蓮の手を引き、誰もいない倉庫へ誘ったのは沙希であった。
蓮のピンチを悟って救いの手を差し伸べたのだ。
「ごめんなさい。でも、今みんなが追いかけているのって蓮さんですよね」
自分も今、追われている身でありながら沙希は蓮の心配をした。
「僕の専売特許がうまく利用されたみたいだ。源一郎さんの家の火事、君は見たかい?」
村の情報伝達は早く、すぐに包囲網が敷かれていたらしい。
「はい。やはりあれは蓮さんじゃないんですね。では、一体誰が……」
「君たちを嫌っている人間だろうね。僕に偽りの悪事を仕立て上げて君たちを排除するつもりなんだ。だから、君も迂闊にここから出ないほうがいいよ」
「やっぱり、この村は私たちの味方じゃなかった。私、怖くて、自分のことで精一杯になって、兄さんとおばあちゃんを置いて逃げてしまったんです。ごめんなさい。こんな時も自分のことを優先して、蓮さんに頼りに来てしまいました。どうしたらいいんでしょう……」
「落ち着いて、僕も二人を置いて行った当人だ。ただ、逃げ回っているにせよ捕まってしまったにせよ、どちらにしてもポジティブな要素は皆無に思う」
「早く二人を助けないと」
気が動転して扉を開けようとする沙希。蓮は反射的に肩を掴んで制止した。
「駄目だ! 無策に捜索しても君が傷つくだけだ」
「じゃあ、どうすれば……」
「僕の言うことを聞いて欲しい」
沙希にできること、沙希にしかできないこと。うまくいけばこの状況をひっくり返せる。
「……はい」
「僕が今、君たちの味方をしているのは山神様に頼まれたからなんだ。恥ずかしながら僕は特異でね、実は人間じゃないんだ」
「え?」
「なんで言えばいいんだろうな。救世主ってほどじゃないんだけど、僕は便宜上、君たちを守ってこれからも幸せに生きていけるようにナビゲートしなければいけない。そういう約束をついさっき山神様と交わしたんだ」
「えーと、どういうことですか?」
沙希は混乱で思考が停止していたが否定することはしなかった。半信半疑に言葉を受け止め、頭の中で咀嚼したが結局、クエッションマークが浮き上がる。
蓮の言葉にも間違いはない。今朝交わした会話にその意味が含まれていて互いに了承している。これは対価だ。
「簡単に言えば君たちを助けるということだ。そのためには勿論、君の協力が不可欠なわけだけど」
みんなを守りたいのならこの策に乗るしかない。
沙希の理解は追いつかないが味方だと主張する蓮を信じないわけにはいかない。その確認ができればそれ以上はいらない。
「わかりました……いえ、厳密にはわかってないのですが、今は蓮さんを信じます。一刻も早く二人を助けるために協力します」
「いい返事だ。いいかい、僕は今から君を幻術に掛ける。これから十字架を背負っていくにあたっての約束のようなものだ」
沙希は幻術という単語にも過剰に反応せず真剣に蓮の話を聞いていた。
こういう真面目なところは扱いやすい。頭ごなしに否定されて説明しているようでは洗脳はうまくいかない。
「準備はいいかい?」
「……はい」
沙希のおでこにそっと人差し指を立てる。
「君には僕の代わりを演じてもらう。秘密裏に、あたかも僕が存在し続けているかのように完璧に芝居をするんだ。何も難しいことはないよ。兄を守るために、祖母を守るために、亡くなった両親を守るために、平和を乱す村人に制裁を下すだけ、神様の芝居をするんだ」
「わ、私にそんな権限は……」
「無いよ。だけど、やらなきゃいけない。今まで君が守られて来たように」
「私が守られて来たように……?」
過保護に育てられた自覚は少なからずある。恩返しではなく罪悪感が突き動かすのだ。
「残念ながら高良の役割とそのまま交換というわけにはいかない。君には君のやり方があるんだ。罪悪感や葛藤はあるだろうけどそれはこれまで高良が感じてきた苦しみだと理解しておけばいい」
「ぐ、具体的に何をすればいいんですか?」
「簡単さ。ただ、三丘家に叛骨する村人の家を片っ端から燃やしていけばいい」
「……っ⁉︎ できない! そんなこと!」
いきなり沙希にそんな覚悟は持てない。放火魔など沙希の性格とは対極。承知の上での要求だ。
覚悟を植え付けるのは蓮の役目。これまでの事実を突きつければいい。
「いつもそうやって逃げてきたんだろう。か弱い少女を演じて人と関わらない道を選んできた。頭の悪い人間は頼られないから。不幸な人間は妬まれないから。弱い人間は守られるから。それが良くないと思ったから立ち上がったんだろう。君は何でもやると言ったよ。その程度の覚悟だったのかい?」
「な、何でそんなこと……‼︎」
「山神はもういなくなるんだ。山神がいなくなれば神職である君たち家族の必要性もなくなる。すると今以上に村人からの差別に拍車が掛かり場合によっては迫害もあり得るだろう。大事な人を奪われた者の怨恨はどうしようもなく根深い。誰かが山神の役目を引き継がなければ残酷な変化が訪れる」
「私が山神様の代わりに……?」
「いや、君には無理だ。神様の代わりは流石に荷が重いだろう。だから、君が演じるのは僕だ。厄災としての僕を村人に植えつけてもらう」
「そのための火事ですか」
「そうだよ」
加奈子の企みを逆手に取る。神の真似事も大概だが、妖の真似事をされたからには放っては置けない。
「誰も信じてくれませんよ」
「いいや、この村には信仰がある。厄災に見舞われれば必然と神を欲するだろう。そうなれば彼らは君たち神職者を侮辱していることにもすぐに気がつく。山神は期せずして再び信仰を取り戻すんだ。今度は救う側ではなく護る側として」
「うまくいくでしょうか?」
「君次第としか言えないね。君がうまくやればうまくいく。彼らが大事な人のために君たちを攻撃するように、君も大事な人のために動かなければならない。誰の言葉も聞かなくていい。自分の守りたいものを守れ」
沙希がどこまで理解できたのかはわからない。でも、家族を守りたいという気持ちがどんな論理的説明よりも彼女を納得させる。
「決意はできたかい?」
蓮の問いかけに沙希はゆっくり頷いた。
「……はい。お願いします」
「じゃあ、いくよ。
──善心を持つ我が僕に命ずる。妖狐の印をその身体に刻み理性の一部を主人の支配下とする。天にその身をに捧げよ」
指先から溢れる妖力が沙希の身体に染み込んでいく。
「これは単なる口封じに過ぎない。君を補助するための幻術でしかないから」
「はい」
「君の意思との契りだ。誰かに他言するようなことがあれば途端に呼吸機能は止まり、四肢は捥げ、五臓六腑は張り裂けることになる。その覚悟が君にはあるかい?」
「……はい」
怯えからなのか沙希は涙を流した。
「いい子だ」
蓮は沙希の頭を優しく撫でる。
「蓮さん。もし、私がやっていることがバレてしまったらどうしよう」
「バレないようにやるしかない。様々な策を練ってより可能性の高い方法を選べばいい」
「もし、途中で雨が降ってきたらどうしよう」
「次の日に実行すればいい。次の日が駄目ならまた次の日に先延ばせばいい」
「風が強くて他の家に火が移ってしまったらどうしよう」
「風のない日を選べばいい。どうしても燃え移ってしまったのなら諦めてしまえばいい。無実な人間を助けたいのなら助ければいい」
「もし──」
「そこまで考えが行き届くのなら心配はいらないよ。君なら最良の選択ができる」
蓮は沙希を一頻り宥めた後、小屋を後にした。
これが投獄までにあった事のすべて。幸運にも逃げ回る前に一番必要なピースを得ることとなった。
「──ごめんね、イロドリ。今まで迷惑かけて」
沙希はイロドリをきつく抱きしめた。三丘の誰よりも守ってくれた存在なのは疑いようない事実だ。
「沙希……」
身体の密着では伝えきれないほどの想いを二人は共有する。言葉にせずともわかる。確かな愛がそこにはあった。
しばらく抱擁が交わされると沙希が蓮に目を向けた。
「蓮さん。さっきの話、嘘ですよね」
「え?」
イロドリは目を丸くする。
「蓮さんはイロドリを見捨てたりはしない。私、蓮さんの一部を受け取ってわかっているんです。イロドリを救おうとしている」
幻術をかける上で沙希に与えた蓮の心の欠片はすべてを理解している。
「蓮……あなたは神様ですか!」
状況もろくにわからないままふざけたイロドリ。いきなり緊張感のなくなった神様を蓮は冷たく諭す。
「あんまり神様とか言わないでもらえますか。というか、本当に反省してます? 信仰が原因なんですよ? あと、決めるのはこれからです。イロドリ。あなたは八雲カヨに何をしたんですか?」
ここに辿り着くまで正直、何が正しいのか悩んでいた。しかし、抱擁する二人を見てある程度決心がついた。彼女は失われていい命じゃない。彼女のしてきたことは悪いことでは絶対にない。
「え、ああ、私も気になっていました。昨日の時点では八雲カヨの目以外には異常はありませんでした。私は何もしていません。てっきり蓮の差し金ではないかと思ったんですがその様子だとどうやら違うようで」
「ええ、となると……」
心当たりはある。一日もしないで体内から苦痛を与えることができる人。それは毒を扱う蛇の他にいない。
シオンが仕向けた?
「でも、どうして」
「蓮のお仲間さんが犯人と仮定して考えるに、単に手助けのつもりではないでしょうね。私への間接的な攻撃か、あるいは蓮さんを試したのか」
「僕を試す……?」
──その時、またフラッシュバックが訪れた。蓮を頭痛が襲う。
ホオズキを殺したアイツの姿。かかってた靄が晴れ、黒い影が鮮明になっていく。
「やっぱり、そうですよね……」
点と点が線で繋がる。真実がわかってやっと府に落ちた。
しかし、まだ葛藤がある。ここまで来て何を迷っているのだろうか。
「どうしましたか?」
「もう、何がなんだかわからなくなってきました」
蓮は頭を抱える。
「落ち着いてくださいな。まだあなたの方が優勢です」
「よくわからないけど頑張ってください!」
何も知らないイロドリと沙希からの天然の励まし。
「……自分の立場わかってますか? 今あなたたち敵に塩送るような真似してますよ」
「いえいえ、私は蓮に、よく考えた上で答えを出して欲しいんですよ。幻術を扱う御方に洗脳もするつもりもありません。というかできません」
正直、ここに来るまでイロドリの最後の願いを叶えるために行動してきた。悔いを残さないように、ホオズキのような最後を歩んで欲しくなくて自己満足で行動してきた。追い込まれれば答えが出るとばかり思っていたが。
「それにしても志半ばで夢を削がれると言うのも気持ちの悪いものがありますわね」
イロドリは背伸びをして、わざと蓮に聞こえるように沙希に話しかけた。
情に訴えかける下手な演技。それが本心かどうかは重要ではなく、悩み葛藤する蓮にふざけた態度を取ることで和ませようとしているのだ。
「大丈夫だよ。これからは蓮さんが一緒にいるから」
沙希は沙希で勝手に話を進めている。確かに幻術で心情の一部を共有したのかも知らないが何でもかんでも知ったように言われると蓮も自信がなくなる。思考にも揺らぎが生じる。
「あの、なんなんですか? 今度は僕のこと懐柔しようとしてますか?」
自身のシリアスな内情を壊す二人に注意を促す。しかし、二人はヘラヘラと笑い顔を見合わせる。
「私はできないことは致しません」
どういうことだろうか。否定にも肯定にも取れる。
最後まで掴ませてくれない女だ。
そうか、この感じがとても心地よかったんだ。このやりとりをいつまでもしていたかった。
「あなたはこれからどうしたいのですか?」
イロドリからの真を捉えた問い。これが最終ジャッジ。
心をクリアにして考える。
「これから?」
ホオズキの思い。イロドリの思い。沙希の思い。そのすべてを叶えたい──
そして夜中、山城神社は大炎上した。眩い、しかし不安を煽るようなその橙色は瞬く間に社の全体を覆い、黒一色へと変化させていった。もはや、蓮と沙希、どちらが火をつけたのは言うまでもないだろう。
妖としてではない、本能に従って動いた結果だ。
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