第10話


三丘家に辿り着くとすぐに高良、沙希、トキの姿を確認できた。と言うのも彼らは庭にいたのだ。玄関先で来客と見れる三人の男と談合ができあがっている。

更に近づくとその来客の一人が誰であるか鮮明になった。昨日会ったばかりの人。


短髪に屈強な体躯。源一郎だ。


声ははっきりと届かないが身振り手振りと必死な形相から只事ではないことが伝わってくる。


源一郎の背後に迫っていると三丘家の三人が蓮に気づいた。

トキが沙希に目配せする。


詳しいことは沙希に聞けと言うことか。


沙希は談合からひっそりと抜け出ると小走りで近づいてくる。


「す、すいません。ちょっと今手が離せなくて。終わったら呼びに行くので宿屋で休んでいてください」


「何があったの? 手伝えることがあれば手伝うよ。神職の見習いとして」


安心して話せと沙希に促す。

あちらに戻っても沙希は居心地が悪い。だったらまだ、空気も読まずのこのこ出向いたこの無知蒙昧にあれこれ説明している方が気が楽なはずだ。


「実は、源一郎さんのお母様が……」


沙希は口元を隠し小声で話し始めた。

大方の予想通り。ヨルガオが頑なにはぐらかしたのも納得がいく。


「なるほど、失明したんだね。それで山神様が治療してくれなかったことに不信感を抱いた。今までどんな病も治してくれた山神様が唯一拒否をしたと」


「えぇ⁉︎ 何も言ってないんですけど、何故そこまで。誰かから聞きましたか?」


目を丸くして沙希が驚く。


「んぁ〜んーんー」


本人からとは口が裂けても言えない。蓮は奇妙な唸りで誤魔化した。話を早く進めたくて口走ったようだ。


「もしかして、山神様から⁉︎」


沙希の驚きの声が大きかったのか、山神という単語に反応した源一郎が血相を変えてこちらに振り向いた。


「お前、何か知っているのか?」


「いえ、何も……」


「本当だろうな。山神がお前に理由を話していてもおかしくないよな」


村人にとっては蓮も山神と同じく異質な部類での認識らしい。

勢い余ったのか源一郎は蓮の至近距離まで詰め寄り胸ぐらを掴んだ。


「やめてください。本当に何も知りません」


昨日からの豹変ぶりに困惑したものの蓮は取り乱さなかった。ある程度、予想していたこと。上辺を掬ったことで底の浅さがわかる。人間なんてこんなものだ。


蓮の目を見て冷静になったのか腕の力が抜けた。


しかし、何故こんなにも激昂しているのだろう。たかが失明だろう。命に別状がないのだから後悔する必要もない。普通の医者は失明など治せないし、世の中には目の見えないまま生活している人間もいる。この村が異常なだけだ。


これが山神がもたらしてきた癒しの反動か。


「お母様とは話し合われたのですか?」


「だから、話し合える状況じゃないからこうしてお前らのところまできたんだろ! 何か知っていることがあれば話せ!」


再び熱が高まった。勢いに気圧される。

だが、話し合える状況じゃないとはどういうことだ? 昨日の時点では会話はできていた。体調が悪化する兆しも感じ取れなかった。


脳を回転させているとトキが捕捉を始めた。


「カヨさんの容態が悪化しているんだよ。目が見えないどころか今も苦しみ悶えている。家じゃ狭いからって加奈子が宿屋で面倒を見てくれているが、生死を彷徨っていると言っていいだろう」


「え?」


何故そうなった。宿屋? 今朝から? 夢に翻弄されて確認を怠ったのかもしれない。それともすれ違いになったか? 普段なら気づけていたことも気づけなくなっている。


蓮は昨日の老婆の様子を思い返す。


どこかで体調の悪化に起因する出来事があったと見るべきだが、それはきっと源一郎の家を出た後のことだ。


対面では死に直結する病には罹ってはいなかった。これは確実だ。あの鍋に何か危険な物質が入っていたと言うのも考えにくい。同じ鍋を高良も加奈子も口にしていたのだから。


「お前らが山神になんか言ったんだろ! 今すぐ説得に行けよ!」


源一郎がトキを恫喝する。周りの動じなさを見ると苛烈な一面は表面なのかもしれない。昨日のが裏面か。


「私たちは何も関わっていないよ。山神様が私たちの意見を聞いたことは一度もない」


「ふざけんなババア。山神がお前らを庇ってることなんか明らかなんだよ」


気づいていたか。一見、山神が現れたことで村人が平等に得をしたようだが、その裏で代役としての責任を有耶無耶にできたのは三丘家。突き詰めれば辿り着く答えだ。


ともあれば蓮は三丘家の弁護をするために動く。


「山神様に直説聞かないんですか?」


無垢なふりをして尋ねる。

歯車は狂った。もうどこにも気を使う必要はない。


「……あ?」


「怖いですか?」


「なんだと?」


「神様ですからね。無礼な行いをすれば祟りがあると考えるのは普通です。実体があるなら、より復讐が怖くなる」


ヨルガオの見た目がどんなにまろやかな少女だろうが、前例のない、異能な力には当然怯える。生かすことができればその逆の死なすことも同様かそれ以上に簡単にできてしまうと考えるのも無理もない。ヨルガオには近づけない。それなら、


「危害のない側近に苦情を入れるのが最も安全ですから」


「だったらなんだ。こいつらは神職だろ。こんなときのためにいるようなものだろうが」


「態度が違うんじゃないですか? 彼らだって神聖な存在だ。決してぞんざいに扱っていい人たちじゃない」


よく考えればわかるはずだ。この天秤は傾いたらもう元には戻らない。三丘家との関係悪化はすなわち山神との関係悪化を意味する。


「大体、山神が力を使わないなら俺らだってお前らに……」


感情の昂りから源一郎は本心を漏らした。迂闊だったとわかりやすく顔を引きつらせる。


「おい、源一郎。どういう意味だよ……」


高良の声が震えている。

内側の悪意に気づいてはいても直接、口から発せられるのは辛かったか。

もう後戻りはできない。おそらく互いがそう思ってしまった──


「お前らみたいな厄病神、誰も許してねえんだよ!」


源一郎は開き直った。同行していた二人も同調する。



「おい、ババア! いいから山神に説得しにいけ」


同行者の一人が強くトキの首根っこを掴んだ。


「ちょっ──」


蓮も咄嗟に止めに入ったがそれよりも早く高良が動いた。


「おい! やめろ!」


叫びにも近い凄まじい怒声だった。家族の守ることに関しては何倍も責任を持っている。目に映る景色は到底許せるものではない。


掴みにかかる高良に源一郎が立ちはだかった。


「邪魔なんだよ!」


源一郎の巨大な体躯から拳が振り下ろされた。狙いは高良の頭部だ。


大人と子供では力の差は歴然。まともに食らえばただでは済まされないところ──


高良の寸前で拳が止まった。しかし、源一郎の意思で止めたわけではない。蓮の力に押さえつけられたのだ。


「もういいでしょう」


「何なんだよお前……」


体重半分ほどの少年が掌握した力関係に源一郎は唖然とした。

蓮は呆れを含んだ失望の眼差しで捕らえながらも力を弱めるそぶりを見せない。それどころかさらに強く腕を締め上げていった。


「……くっ」 


源一郎は拳はいうことを聞かず下ろすことを余儀なくされる。燃やされるのが怖かったのかすぐさま振り払われる。


これでいい。


しかし、源一郎は一変、笑みを溢した。


「……ははっ。もういいか、もう終わりだな」


「どうしましたか?」 


「お前らもう終わりだ。俺らの敵、この村の罪人。山神がお袋に何をしようが遅かれ早かれだしな。死なば諸共……」


源一郎は壊れたように脱力して見せると蓮に生まれた隙につけ込み、腕を払うと瞬時に高良の後ろに回り込み上腕二頭筋で首を絞めた。


「──高良!」


虚を突かれ一拍の間を置いて動こうとした蓮は源一郎の仲間である二人の屈強な男の壁に阻まれた。厚い壁だ。


迂闊だった。こうなるんだったら素早く源一郎の腕を折っておくべきだったか。

ただの人間に一本取られたことが蓮の妖としてのプライドを傷つけた。


「これだから人間は……。まったく愚かで醜いですね。そりゃあ、それぞれに立場があって言い分があるのは当たり前ですよ。被害者が加害者に向ける敵意も仕方のないこと。でもね、悪を正当化する理由なんてどこにもないんですよ。家族を失ったからといって高良を傷つけていい理由にはならない。あなたの握った拳で掴めるものなどない」


「黙れ。裁く人間がいなければ罪人は蔓延る。したことの報いを受けなければ被害者は納得しないんだよ。お前が歯向かうのならこいつの命はないぞ」


自分がその審判になれると思っているのだろうか。審判は第三者であってこそ成り立つ。これは単なる復讐だ。正義の意図はない。


「……あっ……あっ」


気道を押さえつけられ高良は声が出ない。微かな嗚咽が苦しい。


「高良を殺せば助かるものも助かりませんよ。お母様はおろか、あなた方の命も危うい。山神が三丘の人間を守るために存在していることはわかっているはずです。──結局、今までの恩恵の反動が最後まで尾を引く。神様と崇めるには力不足でしたね」


「うるさい、お袋が死ねばいずれ俺らも死ぬということだ。山神を崇める意味もなくなる」


「それが普通なんですよ。信仰は期待じゃない。特別な環境に慣れておかしくなっちゃいましたか」


厄介だ。この人はおそらく三丘家を殺すことを厭わない。

こめかみに銃は突きつけられ、引き金に指は掛かっている。何かのきっかけでタガが外れれば後には戻れない。


ここでやるべきことはなんだろう。


蓮は考えながらも身体は動いていた。その場から逃げ出すように三丘家から離れ距離を取っていた。


「おまっ──」


源一郎たちの声も届かない程速く走る。

高良を見捨てたことに驚いただろう。しかし、それ以上に焦ったはずだ。母親が危ないと。


だが、これしかなかった。ヨルガオが山神としての役割を棄てたのなら修復は不可能。釣り合いが取れなくなったところで均衡を保っていた関係性が瓦解している。おそらく源一郎のトリガーは母親が死ぬことだ。裏を返せば母親が死ななければ高良も死なない。


気がかりは山神が何をどう考えているかだ。

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