第9話


──明朝。蓮は昨日と同じ時刻に目が覚めた。高地という土地柄からか鼓膜に痛みがあり、それが頭痛にも起因したのだろう。ただ、理由はそれだけではなくて、きっと昨夜に見た夢の続きが心に重りをつけたと言える。


蓮の中で明らかに心境の変化があった。帳尻を合わせるように都合よく処理されたあの少女を不憫に思わずにはいられなくなっていた。彼女に抱いた特別な感情、そして後悔が今になって共感し始めたのだ。これまで感じていたもやもやが晴れていく。


だからといって、早急にどうするということもなく、胸の内に抱え込むだけなのだが、今までわからなかったことがわかりつつあって視界がクリアになった気がした。



例に倣って昨日と同じように城上神社の参道に赴いた。眠け眼で霞がかった境内を見渡す。そして、誰も見当たらない。


早く来過ぎたのだろうか。いやしかし、昨日と同じ時間、高良はともかくとして、沙希とトキはもうとっくにいるはず。

何かあったと見るべきか。


そういえば神社に来る途中、村人二人が何やら真剣な表情で話しているのを見た。

今から聞きに戻るか?


いや、その必要はないか。ここには誰もいないと言ったが、厳密には一人いる。

一人で待ち続けるのも手持ち無沙汰、という理由をつけて蓮は城上神社本殿の戸を叩いた。


「すみません。山神様」


……返答がない。

そんなはずはないと続けて戸を叩く。

すると、戸の向こうから小さく声が聞こえてくる。


「ナンデスカァー。山神は留守にしております」


「いるじゃないですか。いないのは三丘家の三人です。どこへ行ったか知りませんか?」


「まだ寝てるんじゃないですかー? まだ朝早いですし、一家で寝坊しているのでしょう」


「よくあるんですか?」


そんなわけないのはわかっている。

怪訝な口調でヨルガオに問う。


「ありません。特に沙希は毎朝、誰よりも早くここに来ますから。今日も一瞬だけいたような気がします」

何時頃ですか」


「グリニッジ標準時間で言うと──」


「日本時間で頼みます」


回りくどい。グローバルな神に憧れでもあるのだろうか。


「三十分程前ですかね」


「……最初からそう言ってください。では、今日に限ったことだとして、心当たりがあるんですね」


「ありませんね」


姿は見えないがおそらく寝転がった状態で答えている。完全になめられている。


「僕もすれ違いになるのは避けたいところなんですよ。大したことでないのならここで待つし、長引くようであれば手助けに向かいたい」


「すっかり城上神社の神職ですね。張り切るのも結構ですがそれでは数日の内に疲弊してしまいますわ。七割方で毎日取り組んで欲しいものです」


「生憎、神職はすぐ辞めるつもりです。残り少ない時間、全精力を注ぎ込ませてください」


「あらら。困りますわ」


気づいているはず。驚いた声が妙に演技臭い。


「正直、僕はあなたが絡んでいるんじゃないかと疑っていますよ」


「十中八九絡んでいるでしょうね」


素っ頓狂な調子で山神はすんなりと蓮の疑いを認めた。


「心当たりはないと言っていたのは何だったんですか。鶏軍の一鶴とあぐらをかくのも結構ですけどね、鳴く雉は一番に撃たれますよ」


「なんか、いろんな鳥が出てきてよくわかんないですね。結局、何の鳥なんですか私? ──私は鶴でも雉でもありません。皆と同様、毎日、せっせと卵を産む鶏です」


「どの口が……」


蓮は苛立ちを抑えきれず隔てる戸に手を掛けた。


この人とは面倒向かって話さないと前に進まない。


「そんなに怒らないでくださいな。心当たりはありませんが見当はついてるんです」


「どっちも同じですよ。知っているなら話してください──開かない!」


戸はがちがちに施錠されていた。がたがたととが揺れるだけで指一本通ることも許してくれない。


「自分の目でお確かめになられた方がいいと思いますよ。真実は自分でしか見つけられませんから。人から聞いた真実など偽りです」


「はあ、じゃあ、そうさせてもらいますよ。三丘家の場所教えてください。今すぐ向かいます」


「この狭い村、探し回ればすぐ見つかりますわ」


「そのくらいしてくださいよ。あなたも自分の立場に気づいているのでしょう。僕だって本来ならここで戸を無理矢理こじ開けて力業で押し通してもいいんですよ。これはあなたのためでもある」


後先気にしなければこの社ごと崩壊させることだって造作もない。


「腕力にモノを言わせるとは物騒ですね。ですが、私がそう簡単に言いなりになるとお思いですか? 覚悟はできています。どうぞ、煮るなり焼くなり好きにしてください、鶏卵を」


「鶏卵かい。卵料理が出来上がりますよ」


鳥の話がまだ続いていた。


「煮卵なら半熟を所望しますわ」


「適当な話に逃げないでください。生卵ぶつけますよ」


「あらら。ごめんなさい。二つの意味で煮えきらなかったですか?」


「やかましい」


それが言いたかっただけか。

この思い通りにいかない感じ、やはり、ヨルガオはホオズキに似ている。


「もう誤魔化しは無意味ですわね。わかりました。私も協力しましょう。その代わり、うまくやってくださいね。何やら嫌な気配がしますから」


「善処します」


閉じた戸の隙間から紙が差し出された。指一本通す隙間はなかったが紙一枚通る隙間はあった。


神からの紙。おもむろに開くとそこには三丘家への地図が丁寧に描かれていた。村の全貌が絵で表されている。とても一瞬で描けるものではない。最初から用意していたか。


「妖と神様、一体どちらが本来あるべき姿なのでしょうか」


妖が人々の信仰を得て神になることが導なのだとしたら神になるために妖が生み出る。見方を変えると、神が妖を生み出す。


卵が先か鳥が先か。

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