第8話
後悔先に立たず。しかし、時間を遡ったところで結局同じ道を辿っていたようにも思う。
腹部から出血しているホオズキを庇って俺は庭の茂みに隠れた。
「傷口は?」
「……見ての通り、問題ないよ。少し不覚をとっただけさ」
「これが大丈夫なわけないだろ!」
傷口に手拭いを押し当てる。血はすぐに滲みまた生温かい感触が手に伝わった。この出血量では無理に動かすことはできない。この場で息を潜めるのが得策だった。
「わかってるなら聞かないでほしい。状況が状況だけに虚勢のひとつも張りたくなるさ」
冗談や軽口を叩いてはいるがいつもの無邪気さは欠片もない。表情は強張り、意識も虚虚になりつつある。
「やっぱりアイツは俺を狙っては来ない。お前だけにご執心なようだ」
俺らの暮らしていた屋敷はアイツによって半壊してしまっている。黒い仮面で顔を隠したアイツ。年齢も性別もわからない。だが、その狂気じみたほどの強力さは妖であることを示していた。
「だから人間と関わるなと言ったんだ」
「え?」
「あの後、ずっと考えてたんだ、こうなってしまった理由。避けられない悲劇っていうのは正当性を持ってやってくる。いわゆるこれは罰でお前が妖としていきすぎたことが原因だと言える。ホオズキ。最近、街に出て力をひけらかしていただろ」
確証はなかった。だが、何故だか自信はあった。ホオズキは優しい少女だ。困っている人間がいれば助力を惜しまない。
「最近でもないさ。ずっと私は人間に未来を教えていた、無償でね」
罰が悪そうに打ち明けるわけでもなく、ホオズキはあっさりと認めた。
「なら注目を浴び始めたのが最近なんだろう。何故だ? お前は俺に予知など何の役にも立たないと言っていたじゃないか」
責め立てても仕方がない。だから、冷静にその意味を問いたい。
「言ったね。でも、同時に本当に役に立たない力なんて無いと思ったんだ。街に出て色んな人と出会うたびに様々な問題を抱えていることがわかって、少しでも力になれたらってね。いい未来だったら安心させることができて、悪い未来だったら微々たるものだけど覚悟させることができる。占い程度に聞いてもらっていた。言えなかったのは……ほら、カキツバタは人間が嫌いだろ? 心配かけたくなくってさ。でも、こうなってしまったら元も子もないね。本当にすまないと思っているよ」
ホオズキは頭を下げた。もちろん、そんなことをして欲しかったわけではない。
「いや、俺も気づいていたにも関わらず止めなかった。同罪だ」
「ありがとう。なんとも形容し難い感情だ」
感謝される権利は俺にはない。今まで何のために一緒にいたのか。役目を果たせていなかったのは俺の方だ。
「これからどうすればいい? 逃げるにも今のお前を抱えてどこまで行けるか」
「あはは……。君だけでもって言っても聞いてくれそうにないね。いやはや、まったく嬉しいよ。ここまで私を想ってくれる人がいるなんてね」
「な、何言ってんだよ」
「カキツバタ、目を瞑って……」
「マジか⁉︎」
まるで生存を諦めてしまった死亡フラグに俺は怒りが湧くことはなかった。もしかしたらこの時点ですでに変えられない未来だということを認めてしまっていたのかもしれない。だったらとホオズキの言うことを聞いてひとつでも悔いを失くそうした。
黙って目を瞑る。すると徐々に気配が近づいてくるのがわかった。やがて、自分の息が跳ね返ってくるほどに接近して唇に触れる。熱を持ったそれはそのまま口内に侵入してきた。
うーん、しょっぱい。鉄の味がする……ん?
俺は目を開いて驚愕した。眼前にあったのはホオズキの顔ではなく右手だったのだ。俺の口に突っ込んだ二本指を凝視して度々指を動かしている。
「なにひてんの?」
「うん、一度やってみたかったんだ」
何故か頬を赤らめたホオズキ。
想定外の行動に混乱したものの、余りある不自然さが頭を支配したので黙って指を引っこ抜いた。
「気持ち悪いことすんじゃねえよ。しかもなんで右手、血塗れじゃねぇか。おえっ」
「逆に何を期待してた? 私はただプレゼントしたかったんだよ」
「どんな趣味だよ。こんなプレゼントいらないから」
虚をつかれた反面、心のどこかではほっとしていた。想定を裏切り、理解の追いつかない行動をする。それが、あまりにいつも通りだったので気を張っていたことに苦笑した。俺はこのミステリアスに釘付けにされていたんだ。ホオズキもあえてそれを狙ってくれたのかもしれないと今になって思う。
最後まで不思議を全うした少女。俺がここまで惹かれた理由がわかって軽いため息がでた。
「カキツバタ、ありがとう。そして、よろしく頼むよ」
そこからアイツに見つかるまでに時間は掛からなかった。抗おうと奮闘したが結果は振るわず、アイツは俺とホオズキを串刺しにして地面へと叩きつけた。彼女の最後に残した感謝の言葉が胸の奥底を突き刺している。鉛色の天から降り注いだ雨は何よりも冷たかった。
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