第7話

また、夜は更ける。


「それで、脳みそ腐って惰弱に奇妙奇天烈で愚劣な振る舞いをした挙句、反省もせずにへらへらと私の前にその薄汚い顔面を晒しているわけかこの野郎」


蓮の首を絞め酷いくらいに口汚く罵る大蛇の姿がそこにはあった。


トキの説得にあっさり引き下がってしまった蓮はその後、夢現のまま、高良と再び合流して村人への挨拶回りを再開することになったのだった。おかげさまで村人全員との顔合わせは完了したが、一番の目的であるヨルガオの連行の大チャンスは大きく棒に振っていた。


そして、このスパルタ大蛇はまだ駆け出しの後輩が宿に帰るや否やあからさまに苛々をぶつけるのであった。


「す、すみま、せん……。許してく、だ、さい……」


息が苦しく鱗の感覚が気持ち悪い。これが本当のコブラツイスト。

暴言と暴力のオンパレードに心身ともに疲弊し、死に瀕したことで逆に意識が戻ってきた。


力尽くで引き剥がすと大蛇はまた大人の女性の姿に変化した。


「時間が掛かりすぎだ。いちいち他人の言動に翻弄されやがって、お前の本来の目的は一体何なんだ。言っとくが全員にいい顔なんて絶対にできないからな。お前が顔色を伺うのは天帝のみ。明日中になんとかできなければ私が強引にでも動くぞ」


「わかってます。明日にはヨルガオを連れて帰りますから。シオンさんは東の山で待っていてください。無理そうなら自分から言います」


仕事は仕事。シオンと話すことで蓮は自分のやるべきことを再認識することができた。ぶっきらぼうではあるがスパルタにやるべきことを明確に提示してくれる。方向音痴の蓮にとっての道標だ。


「シオンさん。でもやっぱりこの村なにかおかしいですよ」


「余計なことは考えるなと言っただろ。目的に集中しろ」


「僕が思うに村人は山神によって感情が押さえつけられている」


「話聞けよ」


呆れて蓮の布団にどさりと座るシオン。


「城上村には相当な過去がありました。本当は村人は簡単には昇華できない恨みを持っているはずなんですよ」


「何が言いたい」


「山神はどんな病気も治す代わりに村人から三丘の人間を守っているんです。そこまでして守る理由って何なんでしょうか」


村人の三丘家に対する不満は山神の治癒術によって抑制されていると言える。高良は責任といっていたがどう考えても得をしているのは三丘家だ。


「知るか」


「神様は弱い者を助ける存在なんですかね」


「少なくともそんなヒーローみたいな概念ではないだろうな。むしろ、常に平等性を重んじなければいけない。個人を特別扱いしていたら神など務まらんだろうよ」


始めから神など務まっていないがな、とシオンは言う。

務まっていれば蓮たちがここにくることもなかったのかもしれない。形のある神になってしまったことで天帝の目に留まったはずだ。


「ですよね」


「均衡が崩れるのは容易だろうな」


山神が三丘家に肩入れしているのは明白。源一郎や加奈子も口には出さなかったが、高良に対して扱いがどうも上辺くさかった。


「人間誰しもが人生の主役だなんて言いますけど、それと同時に何十億人もの脇役でもあるんですよね」


「そりゃそうだ。主役だけ演じていられる人間などいないだろう。誰かが脇役になってくれてるのだから自分もその人の脇役にならないといけない。恩返しの基本だな」


「そして、それは自分勝手の抑制でもある。同時進行の何重もの役を負っているのだから、なりふり構わず主役を演じることはできない。誰もが主人公を主張し始めたらあらゆる場面でぶつかり合うことになるでしょう。ともなれば、その時々でどちらかが悪役になることは避けられない」


高良と源一郎。牽制しあう二人をとってみても主張したいことはあるだろうに、言葉を溜め込んでいる。それは、自分の主役を守るためなのだ。


「してほしくないから自分もしない。これもある意味恩返しだな。いや、仕返しか? ──だが、時にカキツバタ。悪役でも主役にはなれるだろう。主役が善である必要はない」


「確かに……。視点が変われば状況は変わりますもんね。悪がいき過ぎれば淘汰されるでしょうし、どれだけ効率的に我を通せるかという話になりそうです」


「ようは心の持ち様だろうよ。人生に順位をつけるつもりはないが、楽しんだもん勝ちというのは実に真理を捉えている。例えば、人殺しが趣味な奴がいて、そいつが何百人もの人間を殺したとする。そして……そうだな、二十歳で死刑になるとしよう。でも、そいつは死ぬのは怖くない。大好物である人殺しが何百回も行えて幸せだった。──私は平均寿命を生き延びて平均的な山あり谷ありな人生よりはこちらの方が崇高だと思えるよ」


「極論ですね。そんな人間は稀有ですよ」


まさに怖いものなしだ。怖いものなしが一番怖い。馬鹿と天才は紙一重ではなく、馬鹿の方が何枚も上にいるようだ。失うものがなくなった人間も然り。護ることに大義を持つ騎士にも背水の陣で襲いかかる市民は勝つ。つまり、今保たれている均衡から抑制が取り除かれたとき、彼らは何をしてしまうのかわからない。


「どんな形であれ、後悔しない人間が強いってことだ。終わりの見えない私たちと違って人生は必ず終わりがある。幸福度が最大で終われるのならそれに越したことはない」


死んだらそれまで。過去を振り返ることもないし、己のいない未来を見届けることもない。天国も地獄もないのなら、楽しんだもん勝ちはまったくその通りで、落ち込んだり不安になった時間は無駄でしかない。

誰もが脇役なのだから自分勝手には動けないと言ったが、自分勝手な人間は一定数存在して、その人たちは自分勝手な脇役として物語に存在しているのだろう。後悔しないために我儘になる。それは蓮にも言えることだった。


「後悔か……。シオンさん、少し力を貸してもらってもいいですか」

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