第6話
一日目にして早くも山神と相対することになった。
神社の本殿の中は外見ほどの派手さはなく漆で塗られた木の床に素朴な和風家具が置かれた部屋があるだけだった。祭壇には灯籠が揺らめいている。
いきなり本殿に入れてもらえるとは。神職として認められたと言うことだろうか。それともただ、他に適した場所がなかっただけか。まあ、確実に後者だろう。
神の御前を正面にして両脇には沙希とトキが泰然と構える。厳粛な空気感が漂っていた。
そして、その中央には待ち侘びた存在。山神、もといヨルガオの姿があった。
華奢な身体に艶のある白髪が肩に触れるか触れないかの長さに揺れ、あどけない丸い瞳が蓮の形を隅なく捉えている。
驚いたのはその見た目だった。
ほぼ沙希と大差ない。
身長、体格、髪型、年齢。まるで模倣したかのように一致している。
ただ、顔の造形までは同じではないので、そこから漂う雰囲気がどちらが格上であるかを醸し出していた。山神は沙希に比べて顔立ちがはっきりしている。
「蓮様。この度は挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。この村の神、山神で御座います」
山神は深々と頭を下げた。第一声は透き通るような声だった。
「滅相もございません。早々に面会の機会を与えて頂き感謝しています」
蓮も深く頭を下げる。まだ、沙希とトキが部屋にいる以上、本題には入れない。不意打ちの攻撃を警戒しつつ悟られないように落ち着きを保つ。
「蓮様にはこの村はどのように映りましたか?」
「……どうとは?」
ひどくざっくりした質問が来たものだ。蓮は深く考えることもなく咄嗟に聞き返してしまった。
「素直に思ったことをお聞かせ下さいな」
言葉の丁寧さの端々に威圧感がある。これは神様の地位から来る神々しさというものなのだろうか。
「そうですね。とても自然豊かで心地のいい村だと思います。採れたての野菜を使ったお鍋も美味しくいただきましたし、永住しても構わないくらい気に入りました」
言葉を選びながら山神の顔色を窺う。どこがで仕掛けてくる可能性は常に頭に入れておく。
「それは良かったですっ!」
手を合わせ無邪気に微笑む山神は至って普通の女の子なのだが、この近寄り難さは何なのだろうか。
手を合わせた拍子に鳴ったパチンという音に過敏に反応した蓮は自分を恥じた。
「村の者たちとは仲良くなれましたか?」
「まだ数人としかお会いしていませんが、とても良くしていただきました。こんな得体も知れないよそ者、本来なら関わりたくもないはず。とても二年前に危機に瀕した村とは思えませんね」
挨拶代わりの軽いジャブ。例の件をちらつかせてみる。
「あらあら、既に過去のことを聞いていたのですね。人の懐に入り込むのがお得意でしたか」
「いえいえ。生憎と人付き合いの経験は浅いもので、ただ出会った村人の器が大きかっただけです」
「またまた謙虚なー」
動揺するどころか急に軽快な熟女みたいな口調になった。親近感を湧かせようとしに来ているのか所々軽い。
調子が狂うな……。
「私にもその調子で接して欲しいものですね。神だからと臆することなかれ。是非是非、お友達になりましょう」
「本気でお思いですか? 正直、僕とあなたの間に情が生まれるとは考えにくいです」
「私、かわいくありませんか?」
「え、いや、関係あります……?」
「あなたほどのお歳にもなれば女性に対する美的感覚も鋭くなっているでしょう。心を通わせる第一印象としてはボーダーを超えていると思うのですが」
確かに顔の造形は整っているように思うが実際どうでもいい。言わば彼女は敵対する存在なのだから。
「外見など僕の価値基準には一切の影響も与えません。重要視しなければいけないのはその人の立場と本質。相手の心理を掌握し、裏を見極めなければならない」
常に穿った見方をする蓮にとっては第一印象なんてあってないようなものだ。相手が処理命令の降っている妖ならば余計に警戒する。
「裏ですか……。一体、どちらが表でどちらが裏なのですかね。表裏一体の言葉の通りに、裏の裏は裏だったりするのですよ。あなたが見た面を表と捉えてしまえば、それは他の誰かから見たら裏なのかもしれない」
「人間性を確かめる上では簡単ですよ。常に見えている面が表だ」
隠したいことは裏側に隠す。たとえ、見える世界が十人十色だろうと流れている時間は一通りだ。
「となると、来たばかりのあなたに私やこの村を判断することは不可能だということですね。単なる憶測で知った気になっても現実との乖離が起こるだけ。蓮様、悪意を持つ面が裏だと勝手に決め付けていませんか? 見えない部分を隠していると勘違いして探りたくなるのも仕方のないことです。しかし、残念ながら世の中はそんなに甘くはありません。……そして、裏に本心があるとも限らない」
「あなたを勘違いしていると?」
「どうでしょう。もしかしたら自分自身をかもしれません」
にこりと笑う山神。
話していて感じる。この人は別に悪い人じゃない。こちらの敵意などまるで意に介さず、軽くいなしてくる。近寄り難さとは勝手にこちらが思い込んでいただけであって、ヨルガオは神様と崇められるほどではない。もっと憎める形で来て欲しかったものだ。
この思い通りにいかず、されど言葉が行って返ってくる感じ、妙な懐かしさを感じた。
「私も少し知ったようなことを言いすぎましたか。恥ずかしながら人付き合いの経験が多くなくて……。お友達になろうと勇みだって距離感を間違えちゃいましたかね?」
「いいえ、僕もあなたを誤解していたのかもしれません。言葉を疑い、願望にも近い想定で敵対する格好をとってしまった。距離感を間違えていたのは僕の方です」
彼女には交戦の意思はない。よくよく思い返せば村人との会話でも山神へ畏怖の念は感じられなかった。蓮が妖だとわかっていても対応は変わらない。だから、敵対の意思を持っていた蓮には拍子抜けだったのだ。面倒向かって嫌悪を顕にしたことで掌握されてしまった気さえしている。
「それでは本題に入りましょうか。過去を知っているのならもう私の力の説明もいらないでしょう」
「はい。どんな病も治癒できるとは常軌を逸した力です。僕が村人でも一生縋り付きたくなるでしょう」
「そう。私が神たる由縁です。現人神とでも言うのでしょうか。不可能を可能にした人間の末路です。身に余るとはこのこと。私だってこうであることが正しいだなんて思っていませんよ。ただ……、まあ、いいでしょう。あなたの白頭山で力を授かったという力。私に見せていただけませんか?」
ヨルガオが何かを言いかけてやめた。言い訳のようにも捉えられたことから蓮の意図にも感づいている。
「無論です」
右手を差し出す。上がった周囲の気温が炎となり右手の面を覆った。
一度見たはずのトキや沙希も思わず感嘆の息を漏らす。
そんな中、ヨルガオは驚くことなくただ右手一点を見つめていた。
「熱くないのですか?」
「不思議と熱さには耐性があるようです。皮膚が火傷するようなこともありません」
手のひらを三人に向けて、無傷をアピールする。
ヨルガオは顎に手を当て一拍溜めると、
「ふむ、なるほど……わかりました」
すぐに答えを出した。
当然だ。この演技自体が無駄でしかない。
「山神様はこの力の認識がありませんでしたか」
「残念ながら私に加護を授ける力はありません。呪いも然り。私自身、しがない神なのです。他人に力を与えてこの村を危険に曝した場合にはとんでもない間抜けじゃないですか。あなたがそれでも加護と言うのなら従うのは私ではなく別の者なのかもしれません」
「山神様の無意識という可能性は?」
「その可能性に賭けるより別の可能性を模索する方がよいでしょう。何をするにも蓮様の意思次第なので強制することはできませんが、私の仕業という部分だけは否定させてもらいます」
上辺だけのやり取り。トキと沙希に向けての辻褄合わせ。お互いがお互いの正体を知っているにも関わらず、別の存在を気取り、それぞれの思惑を錯綜させる。
蓮は遠回しにヨルガオへの要求があることを匂わせた。天帝の命にしたがって。
妖が真正面から現れれば自身への用だと気づかせることができる。
それに対して、ヨルガオは牽制する素振りを見せた。蓮との関係の有無を無と断定することで事の重要度を測る。あわよくば諦めて帰ってくれという暗示だ。
ここで蓮は引くわけにはいかない。ヨルガオも話し合いには積極的なのでなるべく穏便に済ませることができるうえ、多少ごねても力は先ほど示した。折衷案はなくこちらの意見を一方的に呑ませる。
「そうですか。では、今後に関して二人きりでお話をさせてもらえませんか? プライベートなこと故、神職であれど一般人である二人には聞かれたくありません。一対一で神様から直々にアドバイスをいただきたいです」
蓮の意図を汲んでくれたのかトキと沙希は席を立とうとしてくれた。
よかった。これならヨルガオも断れまい──
「嫌ですわ」
断られた。ぴしゃりと一蹴するように。
「トキさん、沙希、席を外されては困ります」
「え?」
困惑する二人。ヨルガオは悪びれることもなくにっこりと蓮を見ている。
「蓮様。先ほども言ったように決めるのは蓮様自身ですわ。どんな決定をくだそうと誰もあなたを責めないし、どの道も正解であると思います。ですから私がどうこう言えることではないのです。むしろ、神が無意味に人間の道を誘導してしまうのは禁忌に近いのではないでしょうか」
「いや、最もらしいですがそうじゃなくて。話がしたいんです。……どうしてもと言うのならアドバイスはいりませんから僕の決定を一方的に聞いてください。それならいいでしょう?」
「なりませんわ。私に聞き手など務まりませんし」
何を言っているのだろうかこの人は。勿論、逃げることは許されない。それに、こちらには最終手段で力尽くがある。今ここで命を奪ってしまっても任務は達成できることがわからないのだろうか。
「僕たちは友人になれるのではないのですか?」
「もう友達ですよ! 紛れもなく! ほら、見てください、にこにこー。こんな爽やかな笑顔、友達以外に見せると思いますか?」
子供騙しな振る舞いに蓮は少し苛立った。しかし、ここで感情に身を任せてはいけない。冷静さを失ったら負けだ。
「笑顔は素敵ですけども……」
「私の笑顔は村人の心を包み込むのです。微笑みの国です」
「国だったの?」
適当にはぐらかしてくる。このまま自分のペースに巻き込んで逃げるつもりか。
「でも、今日はここまでにしましょう。お話ならまた今度聞いてあげます」
「……そう言って逃げる気でしょう! わかっているはずだ。このまま先延ばしにしても結果は変わらない」
気が付けば蓮は物理的にもヨルガオに詰め寄っていた。顔が至近距離にある。
はっと我に帰る蓮。対して、ヨルガオはにやりと不敵な笑みを浮かべると蓮の鼻を軽く摘んだ。
「私、花は蕾が好きです」
「な、なんですか、急に」
唐突にも程がある。鼻と花でかけたのか? 意味不明すぎる。
「花は咲いているのが美しいなんて当たり前じゃないですか。期待を一身に背負った蕾には何にでもなれる可能性を秘めているのですよ」
「現実はつまらないということですか? 想像に胸を膨らませている時が一番楽しいと」
だから何だというのか。そんな年の功めいた挑発をされてもなんとも思わない。こちらの決定は変わらない。
蓮は苛々を抑えて一歩引いた。
「意味のなさそうなことに意味を見出したくなる性分なんですよ。結果がどうだろうと過程は別に評価されるべきでしょう? 綺麗な花が咲かなかろうが花そのものの歩んできた道のりを否定するのはお門違いということです」
ヨルガオの真っ直ぐな眼力が鋭く刺す。
「あなたに愛はありますか? 見てきたものを慈しみ哀れむことが少しでもできるのなら私のことを見てくれませんか?」
その時、蓮の中でヨルガオに重なる影があった。
ニュアンスは違うが似たような目線を持っていた。夢の中のホオズキという少女。記憶が混迷する。
健気で不憫であったが芯の強さに惹かれていたように思う。誰よりも平和を望んでいて、人間に対しても希望を抱いていた。カキツバタも不満を感じてはいたが近くで見て多くのものを学んでいた。あの雨の中、何をすべきだったのか。何を望んで何に期待したのだろうか。
身に覚えのない感情が体を支配していく。近くまで答えが来ているはずなのに手を伸ばそうとすると消えていく。
気がつけば蓮は上の空になっていた。
「蓮様。どうかしましたか?」
「い、いや……」
あれ、何を言おうとしたんだろう。言葉が出ない。意識は飛んでいない。記憶もある。しかし、うまく頭の整理がつかない。
混乱する蓮を見てトキが間に割って入った。
「蓮様、山神様落ち着いてください。おふたりの言い分を理解した上で……、蓮様、今日はひとますお引きになっていただけないでしょうか。蓮様はまだこの村に来たばかりですし、しばらく神職としてゆっくり過ごしたら良いと思います。どうでしょうか」
「はぁ……」
蓮は頭がぼーとしたまま、気づけば言われるがまま社から出ていた。
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