第5話


源一郎に別れを告げ外に出ると冷たい風が肌に触れた。思いのほか、風が強い。

埃が目に入ったのか、段差に躓きよろけた沙希を咄嗟に支える。


「あ、ありがとうございます」

「いえいえ」 


警戒心は思ったより薄い。村人である源一郎よりも気を許しているのもどうかと思うが、おそらくこれは高良に比べて沙希は村人とは親密な付き合いをしないことを決めているからだといえる。これが何を示すのか。


来た道を引き返すだけなので蓮は沙希と横になって歩く。

同じ道を通っているはずなのに景色は違って見えた。それは遠くにあるあの朱色が目に入ってくるからだ。目的地であるあの鳥居が碧の中で激しく主張している。


もう少しこの村を見て回りたかったがそれはこの後でも可能だろう。


「山神様って普段何をしているんですか?」


隣に素朴な質問を投げかける。


「えーと、基本は寝てますね。それ以外だと私とお喋りしたりとか」


急に話しかけたせいか一瞬戸惑った沙希だったがしっかり答えてくれる。


「どんな話を?」


「他愛もない話ですよ。ご飯の話とか村で起こったこととか。山神様は常に社にいるので退屈なんです」


至って普通に過ごしているようだ。神格化はせず友達のような関係性を築いていると沙希は言う。


事前準備として根掘り葉掘り聞いて行こうと思ったが、すぐ傍まで高良と加奈子が近づいているのが見えてやめた。


田んぼを挟んで反対側。罠が雑多に積まれた荷車を二人で引いている。

一体、どれだけ狐を捕まえたいんだか。


「おーい。蓮くーん! 沙希ちゃーん!」


こちらが気づいているにも関わらず加奈子が大きく手を振ってアピールしてきた。

反対側なので迎えに行く必要も無いが無視するのも違う気がする。


一応は挨拶をしておこうと蓮は手を挙げて答えた。


「凄い量ですね」


こちらに言っているのか沙希が呟くような声量で言った。


「狐を捕まえるようです。あの量だと別の動物も捕まりそうですが」


「発展途上の村ですから、生きるためには自分たちの手で生物の命を奪う必要があります。ただ、実際に罠を目にしてしまうと罪悪感というか可哀想に思ってしまいますね」


荷車に積まれた罠の鋭い刃が光を反射していた。


「ああいうのってトラバサミって言うんでしたっけ。動物の脚を挟んで骨折させることで動きを制限する。夜に仕掛けられていたら人間でも気づけないかもしれません」


木で作られた堅い板にVの字に開くように刃が付けられている。板を踏むことでつっかえを外し脚を挟むと言う仕様だ。


「トラバサミ?」


「虎のような大物を挟むための罠、から来ている……のかもしれません」


「確証は無いんですね」


「語源までは調べていませんでした。しかし、それくらいしか由来は思いつきませんね」


あとは虎の牙のように挟んで捕らえるからとか? どちらにせよ危険なイメージだ。


「田舎の村とは言え、流石に虎はいないでしょう。いても猫です。猫が罠に掛かるのは……想像したくもありません」


「そう言えば飼い猫がいるんでしたね。見ましたよ白い猫」


「あぁ! イロドリですか? 最近帰りが遅くて心配していたんです」


初めて沙希のテンションが上がった。前のめりに話題に興味を示している。これが共通の話題というやつか。


「イロドリという名前なのですか。お昼はよく源一郎さんのところにいるようですよ。飼い主がいない時間に自由を楽しんでいるみたいです」


「室内飼いに不自由を感じていたとしたら不服ですよ。私たち家族がどれだけ愛情を注いできたか」


「注がれる器を猫が有していますかね? あなた方からイロドリにしてあげられることはあってもイロドリからあなた方にしてあげられることって皆無だと思うんですよ」


単純な疑問。愛の等価交換とは一体何なのか。源一郎との会話でも考えたことだ。


「急に酷なこと言いますね。私は彼女が元気にいてくれているだけで満足です」


彼女……メスだったのか。


「需要と供給が一致しているなら僕がどうこう言う筋合いはありません。蜜月関係になるには互いの意思が必要ですが慈愛ならどちらか一方の思いだけで成り立ちますから」


「蓮さんはペット反対派なのですか?」


言い方的にそう捉えられてしまってもおかしくはない。でも、とりあえず否定はしておく


「いえいえ、一方的な主従関係でなければむしろ賛成です。愛す側も愛される側もどちらも幸せそうじゃないですか。高良や沙希を見ていてそう思いました」


高良はおそらく沙希を守るためにヘイトを自分一人に集めていた。嫌々ではなく、自ら進んで。沙希が村の人に対して耐性がないのも今まで深い関わりをさせられてこなかったからだ。加奈子や源一郎とは親密そうに見えたがその二人ともあえて距離を取らされている。


蓮が沙希の目をまじまじと見ると何故か頬を赤らめた。


「僕はどちらの立場も経験がありませんから」


そして、これからもない。知識に基づいての感情であって共感性は皆無なのだ。


「あの、蓮さん。私なんかにそんなに畏まらなくてもいいですよ? 歳も下ですし、私なんかに嫌われたからといって何か起こる訳でもありませんから」


私は嫌いにならないと言うのかと思ったら、嫌われても無害だと宣言した。卑屈さを感じる。


「それがお好みとあらば対応を変えますけど」


「好みかと言われるとなんだか私がマゾ性を曝け出しているようで恐縮なのですが、全くそんなことはありません。ただ強いて言うなら下から来られるのが苦手なんです。高圧的に要求されて回答だけに徹したい」


「同じことでは?」


受け身であることが心地良いのだろう。

心地が良いのか都合が良いのか。虫が良いのが客観的な意見だ。


「私、昔からこうなんです。生まれつき身体が弱くて、両親からは過保護に育てられて来てしまって……。両親が亡くなってからも祖母と兄に現在進行形で守られている始末です。両親のこと兄から聞きましたか?」


「うんまあ、ほとんど聞いたかな」


話し方を変えてみたが違和感がすごい。

自分も普段から下手にでて体裁を保っているのかもしれないと蓮は思った。


「私もイロドリと同じなのかもしれませんね。室内に囲われて言われた通りに佇んでいるだけ。ただ一つ違うところは私がそこに満足しているところでしょうか。外の景色には微塵も興味なく、変化してしまうことを恐れている」


沙希の神職の仕事は山神様のお世話の反面、村人とは関わらせないという保護の意図がある。捉え方を変えればそこまでしなければいけないほどの危険性を村人は隠し持っているということだろうか。


「賢明な判断だと思うよ。挑戦と言えば聞こえはいいけど変化が必ずしもいい方向に転ぶとは限らない。君が動くことで今より悲惨にしまうこともあるだろう」


物事はそう単純じゃない。仮に今、沙希が高良のために矢面に立ったとしても高良がそれを容認するとは思えない。沙希が村人と密に接することで裏側に傷つき、高良はそれを見て今以上に傷つく。沙希の源一郎との距離感を見ていても賢明な判断だと思った。個人的な意思なのか身内の助言なのか抜きにしても。

誰かの代わりになることはできないのだ。役は元より決まっている。


蓮は沙希を肯定した。それでも彼女の表情は浮かない。


「それでも私は、もう家族の陰に隠れているわけにもいかないと思っているんです。どうせ何も思いつかなくて、何もできないかもしれないけど考えることはできるから」


守られる立場にも葛藤はある。進行形で高良やトキが傷ついているところを見てきたとしてもそれに慣れることは一切ないのだ。他人より逃避が得意なだけであって常に心を痛めてはいる。


「蓮さん、変わるって一体どう言うことなのでしょうか……」


「変わる、か……。うーん、過去に戻った時に違う選択肢を選べる自信があればそれはもう変わったってことなんじゃないかな? あの時こうしとけばよかったみたいな後悔は誰しもが持っているはずだけど、いざ同じ状況に陥ったら行動に起こすことは難しい、みたいなことあるみたいな?」


なんかいいことを言おうとし過ぎて語尾が変になった。偉ぶってご高説を垂れるには場数が足りてない。

しかし、沙希は健気に考えてくれている。


「私は、今のままだと同じ選択肢を選び続ける自信があります。駄目ですね……」


明らかに悩みがあると言わんばかりの肩の落とし方。流石にこの場で問題解決とはいかないので蓮は深く詮索しない。そこまで面倒を見てしまうことは予定にない。シオンに殺される。


「すみません。何の話か、訳わかんないですよね。気にしないでください」


「大丈夫。誰にも言わないよ」


沙希は蓮がこの村の秘密を探っていることを知ってか知らずか、具体性を避けた形で打ち明けた。


「なんだか蓮さんなら別にいいかなって思っちゃったんですよね。あ、無害だからとかそう言うことじゃありませんから」


勘なのかもしれないが沙希には人を見極める目がある。察しがよく危機管理能力が高い。蓮が自分に不幸をもたらす者でないと分別できている。


「いいよ。その通りだし。それに僕も沙希と同じ囲われている側の人間だから。イロドリにも近似していて、思うところはあるよ」


「あまり猫って感じの人には見えませんけどね」


沙希の慧眼には蓮が自由奔放のようには見えていない。


「じゃあ、何に似ているかな?」


熟考した後、沙希は答えを出した。


「うーん、狐かな」


臆病ってことかな。

察しがいい。

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