第4話



八雲家は至って普通の家だった。特別広いわけでもなく、その辺の民家と比べても大差ない。


仕方ないと言えば仕方ないわけだが、もう少し店っぽさはあるものだと思っていたので蓮はすかされた気分になった。


「お店という割にはお客さんはいないんですね」


家からはなんの声もしないし、なんの匂いもしない。

おまけに戸も閉まってしまっているため、営業中なのか休業中なのかもわからない。看板くらいは出して欲しいものだ。

蓮が軽く戸に手を掛けると鍵が掛かっているのがわかった。


「いないようですね」


すると加奈子が強めに戸を叩く。


「おーい、源さーん! 出掛けてるー?」


出掛けていたら返事はないだろう。結構荒い人だ。


「あっれー、おばあちゃんもいないのかな?」


「いると思うぜ。最近元気なくて寝込んでたらしいから。源一郎も看病するためにすぐ戻ってくるだろ」


「えぇ⁉︎ おばあちゃん大丈夫なの⁉︎ ちょっとおばあちゃーん、生きてるー?」


さっきよりも強く加奈子が戸を叩いた。


「あの、病人にあまり大きな声で刺激を与えない方が……」


落ち着くように蓮が促す。


「でも、何かあったら大変じゃない?」


焦る加奈子に誘発されたのか高良も不安を口にする。


「確かに。苦しんでたら大変だよな。最悪、石で窓割って鍵開けるか」


「それしかないわね。背に腹は変えられない」


何故そうなる。荒いにも程があるだろう。これでは体のいい空き巣だ。


「……もうちょっと待ちましょうよ。勝手に家に侵入したらまずいでしょう」


「あのね蓮くん。城上村の村人はみんな家族のようなものなの。勝手に家に入られても気にする人間はいないわ」


やれやれと呆れたように加奈子が言う。


じゃあ何故、戸に鍵がかかっているのでしょうか。百歩譲って勝手に家に上がられることを良しとしても窓が割られることは良しとするはずがない。


「それにここは店だぜ。営業時間に店に上がられて都合が悪くなることなんてないだろ」


だから都合が悪いから鍵が掛かっているんだよ。営業時間もどこにも記載されていないし。


蓮は不満を持ちつつも二人の勢いに圧倒され言葉を飲み込んだ。

高良と加奈子が石を片手に振りかぶる。

状況は違えどさっきの子供達とやっていることは大差ない。


「──おい、何やってるんだお前たち」


もう少しで器物破損が起ころうというところで背後から声を掛けられた。

振り向くと大きな身体の男が不審そうにこちらを見ている。

高良と加奈子が同時に石を落とした。


「そんなもん持ってうちに何するつもりだったんだよ……。飲食店だからって石じゃ料理できねえぞ」


「お、おはよう源さん」


「よぉ」


どうやらこの家の住人、源一郎で間違いないようだ。事が起こる前で本当によかった。

源一郎は高良と加奈子を確認した後で蓮の存在に気づく。


「物騒なことはやめてくれよな本当に……。お、君は昨日の旅人だろ? 村のみんなから聞いたよ」


源一郎は興奮気味にすごい勢いで蓮に距離を詰めてきた。読み通り、一日で噂は広まったらしい。


「初めまして。蓮と申します。いろいろ事情がありまして、今は三丘家の方にお世話になって神職のお手伝いをしています。何卒よろし──」


「君、火を操れるんだろ? ちょっと見せてくれよ!」


食い気味に興味を示してきた。

返答に困る。目力から逃げられそうにない。


「そんなことはあとでいいだろ源一郎。俺ら飯食いに来たんだけど」


横から高良の文句が飛んでくる。そして、蓮にほらなという目を向けてきた。

高良なりに気を使ってくれたのか。さっきまで窓を破ろうとしていたのに切り替えが早いものだ。


それを見て加奈子は訂正する。


「違うでしょ! 源さん、おばあちゃん大丈夫なの? 寝込んでるって聞いたよ」


「ああ、大丈夫だろ。熱もないし、ちょっと調子が悪いからって休んでるだけだ。これ以上酷くなるようなら山神様のとこ連れてくよ。飯食いに来たんだろ。今、戸を開けるから上がってくれ」


身内はそこまで大ごととは捉えていないようだ。知らない外野が騒いでしまっただけらしい。

お言葉に甘えて家に上がる。

中も特に宿屋と変わるところはない。飲食店として一日に捌ける人数も少なそうだ。


玄関を通されると居間に置かれた囲炉裏を囲むような形で座敷に座った。


「源一郎、こんな昼間にどこ行ってたんだよ」


「聞きたいか?」


源一郎が勿体ぶるように高良の興味を誘い出す。


「面白いことなのか? 聞かせてくれよ」


「実はこの間、そこの山で狐を見つけたんだよ。すげえだろ?」


「でたでた、絶対見間違いだわ。この間も狼と野良犬勘違いしてたじゃん」


「馬鹿、今度は間違いねえよ。はっきりと見えたからな」


「どうせハクビシンだろー」


高良はないないと首を横に振る。


「狐ってここでは珍しいのですか?」


盛り上がる二人の会話を聞いていた蓮が加奈子に訊ねた。


「いなくはないと思うけど狐は臆病だからね。人前に現れることは滅多にないのよ。あの大きな耳で気配を感じ取って山奥に逃げ込むんだって」


「へぇー」


臆病か…。


「いると思うならそこまで否定することないじゃねぇかよなあ?」


源一郎は蓮に肩を組んできた。太くて重い腕がのしかかる。


すると加奈子が源一郎の肩を突いた。


「そのことなんだけど、源さんに頼まれてた罠できたよ。それを報告するためにここに来たんだから」


「うわ、何考えてんだよ。そこまでする必要ねえだろ。無駄遣い、無駄遣い」


高良が呆れる。


「お前も気になるくせに。疑う奴は捕まえても食べさせてやらないぞ」


食べるのか。

意外な発言に蓮は背筋が凍りついた。料理人なら当然の発想なのだろうか。


「源さん、私たちお腹減ったよ。なんか出してよ」


「おっとそうだった!」


急いで準備に取り掛かる。材料はすでに準備されていて手際良く調理が行われるのが居間から覗くことができた。

程なくして鍋を掴んだ源一郎が現れた。


「なあ、蓮くん。火つけてくれよ」


「覚えてたんですね……」


有耶無耶になって忘れられた思っていたのに。

仕方なく右手を囲炉裏にかざし火を灯す。


「おお! すごい! どうやったの?」


一番興奮していたのは加奈子だった。興味津々に手を凝視してくる。


「すげえだろ! 山神様から授かった能力なんだぜ」


何故か自分のことのように源一郎が自慢していた。それを見て高良は不満げだ。


「まだそうと決まったわけじゃねえよ。山神様はなにも言ってない。お前も迂闊に火事とか起こしたりするなよな」


「一応、制御はできるので大丈夫だと思います」


感情に付随しているとかなら暴走することもあるのだろうが生憎そういったものではない。場所さえ弁えておけば無害だ。


「ねえねえ、それってどんな感覚なの? 山で宿ったって言うけどさ、制御できるなら普通、力が宿ったってことに気づかなくない?」


加奈子が鋭く柔い部分を突いてきた。

言いたいことはわからなくもない。一般論として日常的に火を扱いたいと思うことなんてないだろう。


自分の意思で空気を燃やせるこの力にどのようにして気づくことができたのか、それを知りたがっている。


「感覚を説明するのは難しいですね。何分、僕も初めての味わったものですから。強いて言えば自分の意思の中にできることがいつの間にか増えていたってところですかね」


曖昧にして誤魔化すことしかできない。


先天性の力に対して説明するのは難しい。妖からしたら人が当たり前に手や足を動かすことと変わらないのだから。人間だってどうやって手や足を動かしていますか、と聞かれたら返答に困るだろう。


「ふーん。なんか難しいこと聞いちゃったね」


加奈子も理解することを諦めたのかすんなりと引き下がってくれた。そこまで知りたいことでもなかったようだ。


お椀に鍋が注がれる。


「さあ、たくさん食べてくれ。具材はどれもこの村で採れたものだからね」


豚肉といろんな種類の野菜がごろごろと入った健康的な鍋だ。これが全てここで育ったものとは率直に凄いと思う。

湯気のたった大根を掴み、たっぷり息を吹きかけて食べた。こう見えても猫舌だ。


「……おいしい」


心から出た言葉だった。

具材を噛み締める度に味わいが身体全体に染み渡っていく。

料理とはこういうものなのか。人が夢中になって食材を加工する意味が理解できた。


「うん、うまいうまい。腹減ってたから二倍でうまいな」


隣の高良は雑破に具材を口に放り込む。


「そうかそうか、よかった。加奈子、ちょっとお袋に食べさすの手伝ってもらっていいか?」


「うん、いいよ」


居間に隣接する部屋の襖が開けられる。

そこには布団で横になる老婆の姿があった。


「おばあちゃん、お邪魔してるね。体の調子はどう?」


加奈子に支えられながら老婆はゆっくりと体を起こした。


「……大丈夫だよ。ちょっと疲れが溜まって寝ていただけさ。歳を取ると疲れが取れなくてねぇ。あら、賑やかなお客さんだね」


蓮は老婆と目があった。


「こんにちは、ばあちゃん。見回りのついでに来たぜ」


「……お邪魔しています」


高良に続いて挨拶する。


老婆の目は蓮を捉えてはいるが定まってはおらず様々に部位を凝視していた。

武器を所持していると疑われている? 気まずい。

それに気づいたのか加奈子が代わりに説明した。


「この子は今、村に泊まってる旅人の蓮くんだよ。これから村に住むかもしれないんだってさ」


複雑な事情は避けて説明してくれた。今後のことを鑑みてもそれでいいと思う。


「……はじめまして。私、八雲カヨと言います」


「初めまして、蓮です」


スローペースで時が進む。蓮もつられてゆっくりと頭を下げた。


「おばあちゃん、お昼食べてないでしょ。一緒に食べよう」


「ほらよ、お袋」


源一郎がお椀とお箸を持って来た。


「ああ、すまないねえ」


老婆が手を伸ばして受け取ろうというところ。

距離感が掴めなかったのか箸のない空に手を伸ばしてしまいぶつかるようにして箸を落とした。


「おいおい、なにやってんだよ」


「おばあちゃん、まだ本調子じゃないんじゃない?」


いや、今のは調子と言うよりも……。


「加奈子ちゃん。悪いんだけど食べさせてもらえないかい?」


「うん、いいよ」


明らかに、様子がおかしい。不調は不調でその考えはおそらくは正しいのだろうが、起こった現象から原因に言及することができる。

ここにいる全員が老婆の身体を労る素振りを見せるのは寿命を気にしているからだ。


漠然と不調は寿命を終える予兆だと感じ取っている。

だけど、そうじゃない。今はそうじゃない。


箸を落とした理由は目に見えて──否、目に見えてはいない。

そう。老婆の目は見えていない。


蓮を前にして忙しなく眼球が動いていたのも箸との距離感覚が掴めずに落としてしまったのもただの老いとは違っていた。


その証拠に今、加奈子に支えられながら鍋を食べる老婆の顔色は決して悪いとは言えない。むしろ、鍋を食べるだけの元気はあるのだ。


きっと声と微かなシルエットだけを頼りにしていたのだろう。老婆の目は盛んに何かを掴むために動き回り、落ち着く間も無く正確さを求めていた。

今、老婆の眼球は実像と虚像の区別ができず暗くシャットアウトしそうな景色の中、光を求めて彷徨っている。


哀れなものだ。自分の不調は自分が一番気づいているはずなのに誰にも、息子にも打ち明けられない。

心配かけまいとするその痛々しい姿がより心配をかけてしまうことに気付いていないのだろう。


加奈子はそんなことには気づかず、口元に具材を運ぶ。

基本的に加奈子は面倒見のいいお姉さんだ。老婆が頼りにしたくなるのも頷ける。



鍋を食べ終えると源一郎は狐を捕まえる罠を持ってくるように加奈子と高良に命令を出した。二人もご飯をご馳走になったことから快く受け入れて外に出たのだが、呑気にまだ鍋に手を伸ばしていた蓮はそれに乗り遅れてしまっていた。


「僕も一緒に行けばよかったですかね」


「いいよ、ゆっくり食べていてくれ。俺は裏で洗い物してくるから」


源一郎は二人が食べ終えたお椀を持って厨房へと下がった。


高良の近くにいた方が良いのだけれど、お鍋が美味しくて、この時間を長く続けたいと思ってしまった。流石、三代欲求の一つ、食欲だ。侮れない。

鍋の残りをつまみながら襖の隙間から老婆が覗けた。食べ終えたようだが身体はまだ起こしている。


「きっと源一郎さん心配していますよ。源一郎さんだけじゃない、加奈子さんも高良も」


一人で呟くように蓮は言った。距離的にはしっかり届いたはずだ。


「大丈夫。なんてことないよ」


襖から声が帰って来た。


「いずれはバレるでしょう。ここで片意地張っても良い方向には転ばないと思います。それとも、山神様がいるから問題ないのでしょうか」


「何だ、わかっていたのかい。うまく騙せているつもりだったが優れた観察眼を持っているようだね」


「大したことはありません。それよりもこれ以上悪くなる前に医者に診てもらうべきですよ」


「残念ながらこの村には医者はいないんだよ。病気自体が存在しない。体調が悪くなれば山神様が治してくれるのだから」


そこまで担ってしまっているのか。神としては行き過ぎだ。


「なるほど。この村は神様にも平気で負担をかけるのですね。山神様だって永遠ではありませんよ」


現にあと数日で山神はいなくなる。山神に肩を貸してもらっている重荷の分だけその反動も大きいことだろう。関係ないとは言えど忠告くらいしておいてもいい。


「仕方ないのさ。医者より何倍も安心できる人が身近にいて彼女も頼られることを良しとしている。文字通り、命が掛かっていることだからね。甘えるなと言う方が酷なものさ」


誰だって自分がかわいい。起こす行動の全てに自分のためという理由付けが為される。その最たるものが死であり、大抵の人間の恐怖だ。


村人は無償で提供される完全な治癒術の裏事情を知ることで絶対的なものじゃなくなるのが怖いのだろう。だから、誰も山神への心配から目を背ける。神様だからという曖昧な理由を押し通して本質を見極めようとしない。


「確かに、自分に何かあった時を考えると他人を牽制することはできませんね。しかし、おばあさんは山神様のもとへはいかないのですか?」


目が見えないのなら行く術がないが、そうなる前の予兆の段階で向かっていそうなものだ。年齢を考えれば余計に。


「行ったよ。だけど、治してはくれなかった」


「何故ですか?」


耳を疑った。人伝に聞く分には選り好みするような神ではない。何か特別な理由を模索してしまう。


「理由は話してくれなかったのだけど、きっとこれは病気ではなく老衰なのだと思ったよ。山神様が病人を拒むなんて話、初めて聞いたからね」


老衰? そんなはずがない。確かに歳老いてはいるが顔色は悪くないし食欲もある。


「目以外に悪いところは?」


「身体は全体的に痛いよ」


うーん。聞き方が悪かったか。曖昧かつ見てわかる答えが返ってきてしまった。


「そうじゃなくて、自分でも老衰していると感じますか?」


なんてことを聞いているんだろう。こうして会話していれば老衰の可能性がないことはわかってしまう。だか、どうしても確実な証拠が欲しかったのだ。


「昔と比べればそりゃあ衰えているとは思うよ。だけど、気力が落ちるとか死期が近づいている感覚は残念ながらないねえ。山神様がなにも仰ってくれないから私も何も言えないんだよ」


「部外者の僕が口を挟むのもおこがましいのですが山神様が力にならないのならちゃんと町に出て医者に診てもらうことをお勧めします。嘘なんてすぐにバレてしまいますから」


「そうかい」


それ以上、老婆は何も言おうとはしなかった。現実を受け止め切れないのか、将又もう諦めてしまっているのか、こちらの知るところではないが簡単に説得には応じないと言うことはわかった。


まあいい。突き通せる嘘でもない。遅くとも明日には源一郎にバレてしまうだろう。


そんなことを考えていると厨房から源一郎が戻ってきた。腕を捲り両手を手拭いで拭きながら蓮の当面に座る。


「食い終えたか?」


「はい。とても美味しかったです。人の料理というものはこんなに美味しいんですね」


「何だそれ。まるで自分は人間じゃないみたいじゃないか」


おっと、危ない危ない。


「いえ、こんなに美味しいものは初めて食べたものですから。山中でも猪の生肉と山菜だけを食べていましたし」


それを聞いて源一郎は目を丸くした。


「生肉? おいおい、大丈夫なのかよ。山の動物なんて何の病気持っているかわかんないからな。幸い、火も出せるんだしちゃんと焼いて加工しないと」


そうか。人は衛生面を気にするのだった。動物を生で貪るなどかなり狂気的に映ってしまったかもしれない。


「……そうですよね。今後は加熱して食べます」


「気をつけてくれよ。うちの村がいくら奇病に怯えてるとはいえこのくらいは常識だからな」


諭されただけで事なきを得た。


奇病か。


高良が開けっぱなしにした玄関から髪を靡かす風が吹く。囲炉裏の灰を飛ばしガタガタと窓を揺らした。


「風が強くなってきたな、ん?」


源一郎が玄関に向かい戸を閉めようとした瞬間、白い影が家の中に飛び込んできた。


「にゃーお」


猫だ。白猫がすたすたと玄関を歩きまわっている。


「おお、よくきたな。腹減ってるか?」


「にゃー」


白猫は源一郎の脚に頬を擦らせる。

かなり人馴れしているようだ。おまけに赤い首輪も確認できる。飼い猫か。


「ペットですか?」


「高良のとこのな。よくこの辺うろうろしてるんだよ」


さっきまで蓮が使っていたお椀に冷めた具材がよそわれて猫に差し出された。警戒することもなくすんなりと食らいつく猫。


「自由なんですね」


「昼間は家族がいないからな。寂しいんだろうよ」

「なるほど」


外に出ている割に毛艶がいい。潤白が光を弾いている。ただ──


「……雑種かな」


「シャー‼︎」


猫が血相を変えて蓮を威嚇してきた。普通に怖い。撫でようと思ったがすぐに手を引っ込めた。


「ははっ、言葉がわかるのかもな。怒ると怖いんだよこいつ。普段は猫被りってな」


源一郎が撫でると一変して、ゴロゴロと喉を鳴らして落ち着いた。

美味しそうに鍋の残り肉を食べている。美味しい物を体内に取り込んでいれば外見にも影響するのかもしれない。


「さっきの話に戻ってもいいですか?」


「何だっけ? 食い物の話?」


意外な来客に気を取られてしまったが、源一郎には聞きたいことがあった。


「食事の話は僕に非がありますし、これから改善していきます。僕が聞きたいのは奇病の話です」


「何だ。高良から聞いてないのか?」


「聞きました。この村の方々には災難だったと思います。教えてもらえませんか? 高良は村人にはどう思われているのでしょうか?」


一瞬、源一郎の眉毛が動いたのがわかった。


間違いない。彼はこれから嘘をつく。いや、嘘はずっとついているか。


「どうって……見ての通り仲良くやれているよ。見回りの仕事も真剣にやってくれているのも知ってる」


「……」


「君が言いたいのはあれだろ? 親の影が尾を引いて高良にも差別をする奴らがいるんじゃないかって話だろ? 安心しろ。この村にそんな人間はいない。あいつが悪いわけじゃないことくらいわかってるさ。悪いのは全部あいつの父親だ。それに、家族を亡くした人たちももう踏ん切りはついている」


「源一郎さんは?」


「勿論。弟のように可愛がっている様は君も目にしたはずだが。それともあれは即席の演技だったというかい?」


「いいえ。高良も源一郎さんを慕っているのはよく伝わってきましたし、加奈子さん含め普段から密な付き合いをしていなければできない自然な振る舞い方だったと思います。それに何より外様の僕に捏造する意味もわかりませんしね。来訪を積極的に好む村ではありませんから」


「たった一日で村の有り様を掴むとは大した観察眼だな」

半分冗談、半分真剣といった表情で源一郎が言った。


「単純に他の村と比較しただけです。特に今まで村人の方からアプローチをかけてくることはありませんでした。いくら山神様がいるとは言っても外側の人間に対する不安は根強く残っているのではないでしょうか」


「それが少なくとも高良にまで影響しているんじゃないかと疑ったというわけか」

「ここに来る途中で三人の少年が高良に因縁をつけていました。人殺しと」


あの少年たちには明らかに悪意があった。村人が押し殺しているであろう感情を純粋がゆえに吐き出していたといえる。


「……あいつら」


源一郎の表情にも陰りが見える。一体、何を心配しての表情か。


「高良と加奈子さんの反応を見る限り、よくある光景なんだと思います」


「餓鬼たちはあの件について詳しく知らないんだ。当時の慌てふためいた大人たちの様や親から聞いた情報から曲解してしまっているんだろう」


俺から口酸っぱく言い聞かせておくと源一郎は言う。しかし、蓮はそれを額縁通りには受け取らない。


「源一郎さんから見てあの件はどうでしたか?」

「高良から聞いたんだろ? あれが事実であれ以上はない」


語気が変わった。突き離すとまではいかないが冷たさが増した。これが本心。どんなに取り繕っても滲み出てしまうものがある。

蓮は源一郎の変調に気づいたが、引かずに押し通す。


「他者の視点が欲しいんです。出来事の大凡は把握しましたが、巻き込まれた側の意見は得られませんでしたから」


「君はそれを聞いてどうしたいんだい? 残念ながら起こってしまったことは取り戻せない。過去は変えられないんだよ。興味が湧くのもわかるが当事者からしたら気分が悪い」


「僕はこの村に身を置こうと思っています。過去も知らずにいけしゃあしゃあと身を乗り出して、軋轢を生むのはよろしくないでしょう」


後腐れのないように。されど、真相に踏み込んで。


「あまり身を乗り出すようなタイプには見えないがな」


「今は猫を被ってるだけです。慣れたら調子に乗り始めます」


白猫がいる前で猫被り宣言もなかなか阿呆臭い。

当の白猫に目を落とすとすっかり食べ終えだらけたように寝転んでいた。太々しい。愛嬌があれば大抵のことは許されるのだから不思議だ。


「自分で言うことじゃないだろ。……まあ、いいか。確かに君の言う通り、知らずにモラルに欠けた行動を取られても困るしな。じゃあ、特別に教えてやるか」


源一郎は猫から顔を上げると姿勢を正した。そして、拳を強く握る。


「俺はあの件で奥さんと子供を失った」


蓮に驚きはない。十分にあり得る話だ。そして、失ったと言うことは山神が現れる前に息絶えてしまったということだ。


「源一郎さんも被害者だったんですね」


「被害者というのなら村人全員被害者だ。あの件では病に感染させないために子供たちは監禁に近い形で隔離したし、俺も含め大人たちのほとんどは生死の狭間を彷徨った。山神様がいなかったら村ごと無くなっていただろうよ」


「いえ、そうではなく、心に傷を負ったという意味です。高良も両親を失ったと言っていました」


身内の死など簡単に割り切れるものではないのだろう。肉親に注ぐ思いは他人よりも強いと聞いたことがある。

源一郎の顔はみるみる強張り、取り繕っていた微笑も崩れ落ちていく。


「今でも夢に出るよ。引きずってはいないとは言ったが最愛の人の病死は確かに俺の心を引き裂いた。忘れることはできない」


「悲惨な現実を受け止めるのは容易なことではありません。源一郎さんは強い人ですね」


皮肉めいて聞こえてしまっただろうかと一瞬後悔したが、特段気にしている様子はなかった。


「お袋がいるからな。老い先短い人生で息子が落胆する姿を見せ続けるのは忍びないだろ。せめて希望を抱いて欲しいんだ。もう彼女のことに縛られていられない。彼女と過ごした楽しい思い出だけを胸に抱いていたいんだ」


山神が助けられなかった唯一の例外は、来訪以前に絶命してしまった病人だけ。しかし、山神が来る前にも感染対策は行われていたと高良は言っていた。

これを踏まえて疑問に思ったことが一つある。


「子供たちは病に感染しないように隔離されていたんですよね。お子さんはそれだけでは不十分だったのですか? それとも一人だけ例外だったとか?」


勿論、感染対策は万全ではないし、対策以前に感染していることがないとも言い切れない。

だが、源一郎は奥さんだけに言及していたことに引っ掛かった。


「腹の中にいたんだよ、奥さんの。だから逃げようがなかった。奥さんが病に感染した時点で諦めてしまったよ」


そうか。だから、息子でも娘でもなく子供という言い方をしたのか。この村の有する技術では腹の中の子供の性別を知るのは不可能だから。


「高良からは山神様は病に伏す人々を一人残らず治癒したと聞いています。ということは奥様は山神様が現れる前に息絶えてしまったのですね」


わかりきっていることを確認するのも気が引けるが真相を知るためには堀を埋めておきたい。でないと何故、山神は源一郎の母親を助けなかったのかという謎が解けないのだから。


「そうだよ……」


後悔と怒りがひしひしと伝わってくる。

無理もない。無関係の人間にこんな実況見聞のような真似をされたら嫌でもフラッシュバックしてしまう。


「何人の人がこの感染病によって亡くなりましたか?」


「三十人弱だ」


およそ当時の村人の三分の一程度だと言う。今でも身近な人の死に心を痛めている村人は多そうだ。


「辛いことを思い出させてしまって申し訳ありません。話していただきありがとうございました」


少し強引ではあったがあるがままに話してくれた源一郎に蓮は感謝する。

猫も満足いったのか戸の隙間から脚を弾ませて出て行った。


「君の要望には過不足なく答えた。それを踏まえた上で逆に質問していいかな?」


「ええ。答えられる範囲なら何なりと」


「もし、君が僕の立場であったらどう考えた? ごめんな。高良を心配していることから野暮な質問なことはわかっている。それでも一度考えて欲しいと思ってな」


「そうですね……。正直、僕は人を愛するという感覚がわかりません。想い人はもちろんのこと両親もいませんから。それがどれほどに大切で、自分の命と引き換えにしても守りたい存在なのか、今の人生経験の浅さからは想像もつかないんです。もしかしたら少年たちのように高良や沙希にやり場のない怒りをぶつけてしまうかもしれないし、理性を保ちながら自分の中で昇華できるかもしれない。面白味のない答えで申し訳ありませんがこれが僕の限界です」


蓮の中には喜びも憎しみも存在しない。ただいるべき場所にいて与えられた使命を全うするのみだ。だから、夢中での自分の行動理由もよくわからない。あの少女に対して一体どれだけの感情があったのだろうか。


「両親も知らずに旅を続ける少年にはわかるはずもないよな。君が大人びているものだからつい答えが知りたくなったんだ。忘れてくれ」


そうは言いつつも源一郎は蓮の回答に納得いっていないようだった。

情に訴えかけようとしていたようだ。憎しみを共有できれば有利に働くと考えている。


少年の姿に助けられた。本当は赤子から老人にまで変化できるのだが、少年を選んだのは今の自分の内面にあっていると思ったからだ。


「僕は別に高良を庇っている訳ではないんです。ただ、差別をされるのなら何がそうさせるのか。堪えきれない憤りは何処に向かって行くのかが知りたいんです」


「不思議な子だ。高良や沙希と年齢は変わらないのに精神はかなり歪な形をなしている。山神様から力を与えられたのもうなずけるよ」


「まだそうと決まった訳ではありませんが……」


蓮が返答に困っていると今度は玄関からトントンと二回音が鳴り、戸が開いた。

開けたのは沙希だった。


「お邪魔します。あ、れ、蓮さんを探しに来ました。お、お兄ちゃんは……」


家の中に源一郎と蓮しかいないことに困惑している。内気な沙希には中継がいないのが不安で仕方ない。

源一郎は腰を上げると沙希を中へ招き入れた。


「蓮はいるけど高良なら少し俺の手伝いをさせてる。そろそろ戻ってくると思うが呼び戻しに行った方がいいか?」


「い、いえ! 蓮さんだけで大丈夫です。お兄ちゃんには帰ってきた時に伝えてくれれば……」


やや上擦った声で返事をする。源一郎相手に緊張しているようだ。村人は家族のような付き合いではなかったのか。蓮以上に他人行儀な気さえする。


蓮は緩くなっていた帯を締め直し、玄関に向かう。


「では源一郎さん。あとはよろしくお願いします。お鍋とても美味しかったです」


「ああ。またいつでも食べに来てくれ」


一礼し源一郎に背を向けると戸の前で佇む沙希がもじもじとし始めた。


「どうかしましたか?」


「あ、あの私、三丘沙希と申します!」


「はい、知っていますけど……?」


「ええと、自分の口からはまだだったので……」


そうか。ちゃんとした自己紹介はまだだったか。


「そうでしたね。蓮です。これからよろしくお願いします」


わなわなと小動物のように震える沙希に蓮は優しく微笑みかける。

警戒心の強い動物と打ち解けるには目線を合わせればいいと聞いたことがある。人間も広く言えば動物だ。

ある程度緊張が解れれば会話もしやすくなるだろう。


「あ、いや、はい、よろしくおにゃ──」


しかし、派手に噛んだ。

ここにいる全員が気付いてしまうほどにわかりやすく、あからさまに。

そのまま続けてしまえばこちらも無かったことにできたが、口の動きが静止してしまったため不穏な沈黙が訪れる。


沙希の顔はみるみる赤くなっていく。体温が急上昇しているのがわかる。


「まあ、年頃の男が来て沙希も上がっちまってんのさ。許してやれよ」


いや、別に怒ってない。というか、余計なこと言わないで欲しい。年頃とか言うから沙希がリンゴみたい紅潮してしまったじゃないか。


「……それで僕はどうしたらいいですかね」


「そりゃあ、フォローしてやれよ」


「いや、そうじゃなくて。何か用があって僕を呼びに来たんでしょう?」


助け舟のつもりは無いが知りたいことで話を変える。


「そ、そうです。山神様に連れてくるに行くように言われて来ました」


それは朗報だ。やっと山神の顔が拝める。

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