第2話



村にある宿屋を借り夜を迎えた。


明日から出仕として高良の元で奉仕を務めることになるのだが、どうしたら少しでも社に近づくことができるのか、蓮は静かに考えていた。


山神。そういえば、近づくことに夢中で何故神として崇め奉られるようになったのかを聞きそびれてしまった。

神になるからにはそれなりの起源があったはずなのだが、外側からの観察からは窺い知ることはできない。


ここに来るまでに幾人か村人とすれ違ったが今のところ山神に対しての不満もないように見える。あんなに大きな社が建てられていたら村人への何らかの搾取はあったはず。釣り合いを求めてしまいそうなものだが……まあ、それだけのことをしたと考える方が正しい。


また、神職であるあの一家も仕事に自信を持っているようだった。村人が全員の意見を集めていないにも関わらず、あのトキという人は長として来客を快く受け入れる対応を取った。明らかに独断だ。


この村において神職が最も偉いことはないと思う。あの時集まった観衆が高良に対して結構な口振りの挑発や冷やかしを送っていた。下卑た言葉もあった。何でも言い合える近い距離感とはまた違う。年齢を差し引いても一般的な神職者の敬い方ではない。


単純に高良の信用を上げていくことが真相への最短経路ではありそうだ。


時間は掛かるだろうが人間を知る上ではいい経験でもある。今日の高良との試合稽古を通して自分の内にある真新しさに気づいた。あの程度の人間でも掌握できれば自信になる。相手の考えや感情を利用して駒のように動かしてみたい。


天井の木目を眺めていると微かな月明かりが窓の隙間から蓮の顔面を照らした。

異変に窓を確認する。


窓の障子が拳大の広さだけ開いていた。


気配はあるが人ではない。何か別の物がこの場にいることになる。


蓮にはそれが誰で何なのか、わかっていた。


「──随分と一人で楽しんでくれているなカキツバタ。だから私はお前とのペアは嫌だったんだ」


枕元から特大のアオダイショウが顔を覗き込み蓮を妖の名で呼びかける。


「シオンさん。ここは任せて欲しいと言ったはずですよ。そんな姿で降りてきて、村人に見つかりでもしたらどうするつもりです?」


「こんな過疎村、人間の姿で見つかる方が不都合だよ。大体、お前がもたもたしているのが悪いんだ。とっとと山神を連れ去れば済む話だろ」


アオダイショウは布団から床に落ちるととぐろを巻いた。そして、体が膨れ始めやがて人間の姿へと形を変える。


髪をポニーテールに括った凄然とした大人の女性。いつ見てもこの目つきのキツさには背筋が凍る。


「シオンさんのやり方には賛同しかねます。山神を攫ったりなんかしたら村人への影響は多大ですよ。僕たちは妖なんです。過度に人間界に干渉するのはよくない」


「なら、お前がしていることは干渉とは言わないのか? あんな公然の場で醜態を晒すような下手な芝居をしているお前こそ『使い』の面汚しじゃないか」


高良にわざと負けたことを言っているのだろう。天帝の『使い』として恥じた真似はするな、と。


「村人には僕が妖と言うことは知られていません。彼らにとっては僕など単なる旅人でしかない」


「手から火を出す人間が単なる旅人で済まされればいいがな。気を付けろよ、信仰を得てお前が神様になってしまうことだって天帝様は望んではいないからな」


天帝。全ての妖を束ねる神様の更に上の存在。蓮とシオンに山神を連れ帰るように命を出した主人だ。


「大丈夫です。ここには山神がいますから。それなりの事が起こっても言い逃れる事ができます」


特殊な力は山神の御加護と言っておけば済むだろうし、何しろ絶大な支持を得る神がいるなら別の神を必要としない。依代、隠れ蓑としては素直に頼もしい。


「目的の妖の名前、何でしたっけ?」


「ヨルガオ。私も実際、顔を見たわけではないからなんとも言えないが、山神がヨルガオと見て間違いない」


「何だって天帝様はヨルガオに処理命令を出したんです? 僕を見ても頑なに引き籠もっていたいたようですし、好戦的な妖でないと思います」


おそらくあの社の中に何者かがいた。それが妖であるヨルガオのはずだ。


「神を騙ったからだ。無意味な信仰を私たちは良しとしない。良質な妖だろうが悪質な妖だろうがルールはルール、例外はない」


「無意味な信仰ですか……。意味の取りようはそれぞれだと思いますけどね。誰にとってどう無意味なんだか」


「不服そうだな。我々がただの気晴らしに妖を殺していると言いたいのか?」


鋭い目つきで蓮に圧をかけるシオン。


「……わかってますよ。天帝様の命令がすべてですよね。僕たちの想像が及ぶ範囲でものを語るほうが無粋でした」


規則の理由を詮索することは犯した者の弁解、もしくはその予備軍の口実に過ぎない。駄目と言われていることを守れない時点で自己中心の枠を抜けられないのだろう。

浅はかだったと蓮は襟を正した。


「そう言えば竹刀稽古をした際に変な記憶が頭に入ってきたんですけど何かわかります?」


「記憶? 白昼夢か?」


「あー、そんな感じです。でも、空想にしては妙に鮮明でしたね。現実逃避するほど現実に疲れていませんし、これは僕の前世の記憶なんじゃないかと。ほら、輪廻ってあるじゃないですか」


輪廻。不出来と判断された妖が天帝の裁断で新たに生まれ変わることがある。この世の秩序を守るための法らしいが妖から守られる秩序なんてなんとも馬鹿らしいとも思う。駄目駄目な配下への天帝からの救済と解することである程度保険になっているのか。


その保険を蓮も受けているのではないかという話。


「前世の記憶が残るなんて初耳だな。天帝様の力は例外があるような曖昧なものではないだろう。私はお前の思い込みの線を押すよ」


そうなのだろうか。この世は一つの不具合も許されない緻密な仕組みで成り立っているのだろうか。むしろ誤動作も許容していく自然体であると思っていた。


「何にせよ、前例がないのだからそのことに気を留める必要はないということだ。仮に前世の記憶が残っていたとしても前世のお前はお前であってお前でな

い。今、自分がやるべきことに向き合っていればいい。不自然はそのうち消える」


冷たくも取れるが、まったくもって実になるご高説だ。


過去の記憶がないのだから今の自分と同一ではない。一人称視点だったからあの者を自分と決めつけ興味を抱いただけで深掘りする理由は最初からないのだ。前世の自分は善し悪しに関わらず終結した。結がついたのだから過去の動向に唾を吐くことも思いを受け継ぐ義理も一切ない。それを忘れて好奇心を原因に錯乱しても情けないというものだ。


「調子が悪いのなら変わるか? お前は新米なんだから待機していて構わないぞ」


「シオンさんには任せられませんよ。何のケアもせずに山神を殺す気でしょう? 順序飛ばし過ぎです」


「だからってお前みたいに実態に踏み込むのも危険だぞ」


「相手が妖ならその役目もわかっているでしょう。話し合えばすぐに理解を示してくれると思います。必ず連れて帰りますよ」


いきなり山神が殺されたら村全体がパニックになるだろう。どんな残酷な事実が付随してもおかしくはない。そうならないためにもちゃんとした理由付けをしてこの村を離れる必要がある。


「……ならいいが、何か余計なことを考えていそうだな」


「単なる疑問です。何故この村は神を必要としたのでしょうか。無神論のこの地において神に縋るのは最終手段でしょう」


「よくもまあ関係ないことにそこまで熱を上げられるな。神を演じる妖も神に縋る人間もロクでもないだけだ。知るだけ無駄だ」


「絡まった紐を解くにもまず結び目を探さないといけないでしょう。原因を解消して後腐れのない形でここを去るのが理想です」


「理解できないな……。くれぐれも早く済ませてくれ。いつまでもお前の好奇心に付き合っていられないからな」


シオンにとっては絡まった紐など切ってしまえばいいという考えだ。根本が違う。

蓮の好奇心に呆れたのかシオンは蛇の姿へと戻り引き戸から出て行った。

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