第1話

神は人の信仰を得てこそ初めて神となり得る。信仰の多くは厄災に見舞われ危機的状況に陥った際に起こりやすい。

藁にもすがる思いで救いを求める人々の目の前で特異な力を見せつけてしまえばすぐにそのものは崇め奉られることになるのだ。

かつての大国主神は医療の知識を与え、病に付した人々を救ったことで神様として奉られたという。


ではその神達は信仰を得る前は何だったのか。


特異な力を持つ者。人とは一線を画さなければならなかった者。

天はそれを妖と呼んだ。

妖は人に認められた時、初めて神へと変わる。それまで悪行を積んできた魑魅魍魎でも、何もしてこなかった怠惰な妖怪でも人間から要求された途端に真逆の存在へと転化されるのだ。




周囲が山に囲まれた閑静な集落、城上村。こんな知る人ぞ知る秘境にも崇高なる神はいた。

民家から田んぼを隔て、離れた低地。ここぞとばかりに主張する石の鳥居が参拝客を迎える。その鳥居をくぐるや否や小さな土地には不釣り合いな大きな社が顔を出す。塗ったばかりの朱色が光を弾き、黒く大きな屋根が陰を広げていた。


社の前の玉砂利に敷かれた後座には三人の村人が座り、来客の対応をしていた。


真ん中に年老いた女性、その両脇に若い少年、少女が構える。

対して、向かい合う来客は一人。穏やかな雰囲気を醸し出す少年が立ち尽くしていた。


少年が口を開く。


「突然の訪問、誠に申し訳ありません。自分は旅をしている最中、この地にたどり着きました。名は蓮と申します」


中背に肩まで伸びたさらさらな黒髪。見た目はその辺の少女と遜色はないが、着流しから覗ける引き締まった体格と蓮という名前から男ということを知れるくらいだ。


後座の真ん中に陣取る年老いた女性が頭を下げた。


「これはこれは、ようこそおいでくださいました。私はこの山城神社の宮司をしております三丘トキと申します。そして、こちらの兄妹二人が私の孫、高良と沙希です」


両脇の少年、少女も頭を下げる。左の少年が高良で右の少女が沙希だ。


高良は頭を上げると不服そうに蓮を睨んだ。同い年程の蓮に見下されないよう威圧しているのだろうか。

外見も短髪に色黒でいかにも勝ちきそうな風貌。着ている着物にも微かに汚れが散見された。


一方の沙希はこちらとは目を合わさず蓮の着流しの帯の辺りに目線を落としている。内気な性格が最初のコンタクトで感じ取れた。

外見も兄妹である高良とは真逆だ。

おかっぱに色白な肌、腕は掴んだら折れてしまいそうな程細い。居心地が悪いのか、膝の上に重ねた手が正しい居場所を探すように忙しなく動き回っている。


目が合わないからか、蓮は彼女を凝視してしまっていた。左から飛ばされた舌打ちにはっと我に帰りトキに目を戻す。


「この二人がお客様のお世話を致しますので何かありましたら何なりとお申し付けください」


「ありがとうございます。突然の訪問でここまで手厚く迎えてもらえるとは思いませんでした」


「何分、小さな村故、特別なことはできません。なるべく数少ない来客には気持ちよく帰っていただきたいのです」


「嬉しい限りです」


蓮が微笑むとトキも目を細めて頭を下げた。

敵対されなくて蓮は心底安堵した。実は蓮には密かなる目的があり、門前払いされた時点で計画は破綻していたのだ。閉鎖的な村だと思ったがそれはたんに山に囲まれているが故に訪れにくいというだけなのだろう。


背後の通りを行く村人も来客が珍しいものだと足を止める者も多い。だが、決して追い出してやろうという敵意は感じなかった。

例外は高良だが、対応を窺う限り、嫌悪までではない。人一倍警戒心が強いとみた。


「つかぬことをお聞きしますがここへは何故いらっしゃったのですか? 旅人とのことですがその若さではこの山を越えるのもひと苦労だったでしょう」


何故わざわざこんな何もないところに来たのかというニュアンスでトキが問いかける。この地の未発展具合は村外にも伝わっている。おまけに、山を越えるのも一苦労。この村に用事でもない限り登ろうとは思えない。


「自分の視野を広げるために旅をしているので人が行かないような場所にも積極的に足を運ぶようにしているのです。この村に来たのも特別な思いはなく、旅の一環であることには違いありません。……ただ、この地を踏むにあったって何やら珍しい噂を耳にしまして──この社、現人神を祀っておられるとか」


その瞬間、向かいの三人の空気が変わった。一変して警戒の色が伺える。


「……その噂どこで耳にしましたか?」


トキが表情を強張らせた。顔に刻まれた年輪に迫力を感じる。

知られたくないことなのか。実在する神様とは珍しいが信憑性は乏しいものだ。いないの一言でどうにでもなるものをここまで敏感に反応されては疑う余地もない。


「ここに来る途中の山道です。村人……いや、今思えばその方も旅人だったのだと思います」


「おかしいですね。ここにはしばらく来客はありませんでしたが」


疑いの目が蓮へと向けられる。

すると右いた沙希が口を開いた。


「……もしかしたら村人の誰かが外に言ってしまったのかも」


村人の信用はないらしい。

最初から村人に聞いたと言えばよかった。迂闊に信用を下げたか。


「噂は本当なのですね。もしよろしければ是非会わせていただけないでしょうか?」


興味本位という程でできるだけ表情を崩して頼み込んだ。こんなことで三人を懐柔することなど不可能だろうがやらないよりはマシだ。


「そんなことできるわけないだろ! 来客の分際で図に乗るな。自分の得体の知れなさを理解しろ!」


蓮の要望にいち早く反応したのは高良だった。

初めて声を聞いたかと思えばその声は野太く怒気を含んでいた。

トキは手で高良を制し嗜める。


「孫が申し訳ありません。しかし、安易に客人を山神様に会わせることは了承しかねます。特殊な能力持つ御方故、他者への影響は計り知れないのです」


山神とはそこまでの存在なのか。俄然会いたくなってきた。

蓮の目的というのもその山神が関係している。単純な興味もあるがそれ以上に責務として山神とは対峙しなくてはならない。


「その判断は正しいと思います。得体の知れない人間をまずは疑ってかかるべきです。僕もいつもならここで引き下がっているでしょう。しかし、誠に勝手ながら譲れない事情がありまして、何としてでも山神様に会いたいのです」


「事情とは何事ですか? 神様を頼るなど只事ではないでしょう」


「実はこの村に来る山の途中で何やら僕にも特殊な力が宿ったようなのです。人体が起こす限界からはかけ離れた、常軌を逸した力に自分でも驚愕し、恐れ慄いた状況でどのように向き合うべきかと悩んでいました。ですから山神様の存在を知った時は相談役としては適任だと思いました。神は人々を救うためにあると聞きます。余所者ではありますが是非助言をいただきたいのです」


全部嘘だ。それらしい理由を即興で作っているだけだ。

山神様と呼ばれるからには山で起こったことの責任の一端はあるはず。無関係では済まされない。それに村人も納得しないだろう。


「ならその異能の力ってのを見せてみろよ。くだらない手品で引っかかるような人間はここにはいないからな」


高良が釘を刺す。 

もう後戻りはできない。ここで引き下がれば嘘だと断定されてしまう。

仕方なしに蓮は袖をまくった。


「もしや呪いなのかも知れません。知らずのうちに山の禁忌を犯し祟りにあってしまったのかも知れません。では、ご覧ください」


蓮は前振りを決めると自分の顔の前で掌を上空へと向ける。

すると掌の中心辺りから不穏な湯気が立ち上がり、やがてその熱が具現化したように炎となって姿を現したのだ。


不思議な光景に目を丸くする三人。

珍しいもの見たさで通りに足を止めていた村人たちも声を上げて驚いた。

観客を前に蓮は涼しい顔で炎を操る。


炎は龍のように天へと上がると今度は螺旋を描き上下を繰り返す。

タネも仕掛けもありはしない。人為を疑う者がいるならば真似して欲しいくらいだ。


「……証言に間違いはないようだな」


高良が冷静さをやや崩しつつ認めた。辺りは歓声に包まれる。ほとんどやっていることはサーカスだ。


「この力に気づいたのはいつ頃なのですか?」


「つい三日程前です。あの山の中腹付近で休んでいたら突如自分の異変に気づきました」


背後の山を指す。確か名前は白頭山だったか。


「不思議ですね、何の前触れもなく力に目覚めるなんて。白頭山には村人もよく出入りをしていますがこんな話一度も聞いたことがありません」


「そうですか。ではより山神様に会うしかなくなりましたね」


思わずニヤついてしまいそうだ。首尾は上々、描いたシナリオ通り。

ここまで条件が揃えばトキも了承せざるを得ないだろう。


何やら腕を組んで蓮を見つめていた高良が口を開いた。


「でもよぉ。その能力があったところで何が問題なんだ? ある程度炎コントロールもできるようだし出さないように心がけることもできるんだろ。使わなければいいだけじゃね」


……確かに。

思わず自分で納得しかけたところで蓮はかぶりを振って反論した。


「い、いや、でもこの力が僕に授けられたのには何かしら理由があるわけじゃないですか。自分の役目を知らずにのうのうと生きてしまうのは罰当たりじゃないかと」


最も炎を暴走させた方が理解が早かったか。いや、それだと危害が加わり敵対されてしまうか。

焦る蓮を高良は不審そうに、


「役目って例えば何だよ」


「例えば……そうだな、山神様に仕えるとかですかね。山神様が身を守るために与えて下さった力かも知れません」


「……お前さっき自分で呪いって言ってなかったか? 都合が良すぎるだろ」


胡乱げに高良が首を捻る。信仰する神に対してものすごい速さで掌を返したのがよくなかった。


「まあ、いいだろうさ。可能性は無いわけじゃないんだ。むしろ、私はそれが正解じゃないかと思っているよ」


危ない危ない。反論を思考しているとトキから助け舟が出された。

能力の利点ばかりに目がいって自分が今ほとんど人間と変わらないと言うことを失念していた。

トキの同調に感謝する。

咄嗟のごまかしで何とか軌道修正できたみたいだ。


「しかし蓮様、貴方は旅人でありながら今後はこの村にて山神様に仕うということでよろしいのですか? 山神様に認められたらの話ではありますが、視野を広げる旅は諦めてここに骨を埋める覚悟がお有りなのですか?」


「え……?」


あれ、よく考えるとそういう会話の流れだ。

山神に会うことを念頭に置いていたがその後のことは全く考えていなかった。ここに骨を埋める覚悟? あるわけがない。

かと言ってこの場で引き下がると一層怪しまれる。村を追い出されることは勘弁だ。


ここは山神により近づくことができたということでポジティブに捉えよう。


「勿論、山神様に認めていただけるのであれば私も役目を全うしましょう。明日にでも神官としてご奉仕させていただきます」


これで流れとしては自然に山神様に会うことができる。二人きりになることも俄然可能になった。


「じゃあ、明日から俺の下で村の見回りだな。外様には厳しいからな、覚悟しろよ」


ああ。この人は山神に近づけさせない気だ。雑用仕事を押しつけて朝から晩までこき使う気だ。


どこまで裏目を出せば気が済むんだろうか。というか、想定が甘いのか?


「……はい」


蓮は一拍間を開けて返事をした。想定外に演じていた従順がぶれだす。

高良はそれを見逃さなかった。


「おい、何だよその不満そうな顔は。やっぱりお前、邪な考えがあるだろ。そんなに山神様に会いたいのかよ」


「いえ、決して不満はありませんよ。僕も今日から城上村の村人としてお世話になります」


ギリギリ口調は保てたが抑揚が平坦になっている。

それが余計に高良の怒りの火に油を注いだようだ。


「お前、謙虚なフリはやめろよ、気に食わねえ。俺の舎弟にするからには根性叩き直してやるからな!」


舎弟? そんな話だったかな?

高良は沙希に指示を送ると蓮の前に立ちはだかった。


「な、何ですか?」


「今からお前の技量を測ってやるんだよ。この村一番の剣士である俺と一戦交えてもらう」


いや、何故そうなった。こっちは折れて村の見回りからすると言っているのに。

高良の目は爛々と輝き、力を誇示したい欲が伝わってくる。いったいここで勝てたからなんだというのか。


「蓮様もお困りだろう。高良も程々にしておやり」


と言いながら敷いていた後座を片付け始めるトキ。全く止める気がない。

お困りなのがわかるなら力を貸してください。


「兄様持ってきました」


戻ってきた沙希が持ってきたのは二本の竹刀だった。高良と蓮がそれぞれに受け取る。


「兄様が申し訳ありません。腕っ節に自信があるのかいつも客人に対してこうして戦いを挑んでいるんです。しきたりと思ってお付き合いください」


「止めてくれないんですか?」


「……ごめんなさい」


謝られても……。こっちは人間とはあまりやり合いたくはない。ついうっかり高良を殺してしまっても保証できない。

まあ、その意識があるうちは自制が効くのだが。


しかし、沙希も兄に対しては立場が弱いようだし、血が滾る兄を止めろというのは酷な話か。ここは受け入れて大人な対応、もとい妖な対応で事を収めよう。


「……わかりました。僕も旅を極める者として多少剣術には自信があります。高良の希望通り受けて立ちましょう」


郷に入っては郷に従えと言うやつだ。もうなるようにしかならない。これを機に剣稽古を恒例行事にするのはやめていただくとして。


竹刀を構え高良と対面する。


通りの側にはいつの間にやらギャラリーが増えていた。高良への冷やかしやら声援やらが背中越しに聞こえてくる……、冷やかしがやや多めか。


一方の社側は心配そうに見つめる沙希が立っていた。どうやらトキはそそくさと帰ってしまったらしい。


「言っとくが火気厳禁だからな」


「僕だって常識くらい弁えてますよ」


焼死体は流石にアクが強すぎる。

さて、どうしたものか……。


ここで力を示せば認めてもらえるのだろうか。山神様に仕えると大見得を切ってしまった以上不甲斐ない姿は見せられない。


竹刀を力強く握りしめ、蓮は高良と向き合う。


まずは出方を伺う。


意図を読み取ったのか、高良は蓮の頭頂を狙おうと大きく振りかぶった。胴に大きく隙を作り蓮の竹刀を誘い込もうとしている。

蓮はまず頭上の竹刀を弾くとあえて誘い込みには乗らずに向かうフリして距離を取った。


「まあまあいい眼をしているじゃねえか。まぐれか?」


「どうでしょうね」


蓮は高良の竹刀を落とすことを決める。

するりと回り込むと脚技で高良の下半身を崩すと肩に向けて打ち込んだ。

自信があるが故に高良攻撃が大味だ。柔よく剛を制す。力任せの剣術など足捌きで軽くいなせる。


高良は肩への一撃を気合で耐え、負けじと無理矢理の態勢で蓮の竹刀を受け止める。しかし、竹刀が離れると自分の体重の揺さぶりに耐えられなくなり大きく隙ができてしまった。


次なる剣撃が小手を狙おうというところ。


蓮は不敵な笑みを浮かべた。挑発するように竹刀を高く上げる。

大袈裟に蓮が振りかぶったお陰で胴が丸空きになった。高良は絶対に負けるわけにはないと意地で倒れる寸前に突きで蓮をふっ飛ばした。


勝負あり。意外や意外、勝ったのは最後に異常な勝利への執着を見せた高良だった。


うつ伏せで腹を砂利に打ち付ける蓮。


──その時、蓮の中で奇妙な情景と重なった。

暗い雨の中に蹲る少女と今の蓮と同じように砂利に身体を預ける何者か。

全く身に覚えの無い記憶が蓮の脳裏に浮かび泡沫に消えていく。


何だろうこれ……。


濡れた見覚えのない少女は死んでいた? 顔の見えなかった、しかし、そこに存在していた何者かは自分なのだろうか。


奇怪な現象に分析に入ろうとしたところで尻餅をつく高良が目に入り現実に戻された。

一拍間があってギャラリーからの歓声があがる。

高良への賛辞が贈られていく中、沙希はすぐさま蓮のそばで膝をつき安否を確かめた。


「蓮様、大丈夫ですか?」


「え、あーはい……もしかして、僕負けました?」


「はい……」


気まずそうに沙希が答える。


「駄目でしたか。まあ、仕方ありませんね」


蓮が諦めたようにごろりと身体を傾け空を見つめると視界に高良が入ってきた。


「そう簡単に俺に勝てると思うなよ。でも、なかなかいい勝負だったぜ」


満足そうな表情の高良を見て蓮はほっとした。挑発には気づいてないみたいだ。良い勝負とは言えないが、高良からしたら自分が勝利すればすべて良い勝負なのだろう。


思った通り、直情型の人間相手には好ましい結果だったわけだ。明日から見回りに加えてもらえて精神面でも蟠りはできなかった。個人的な引っかかりはあったものの全て丸く収まったと言えよう。


「まだまだですね。これから日々精進します」


「おう」


熱く握手を交わし体を起こす。

手荒い歓迎だったがこれである程度の目処は立った。当面は村人として擬態していくことになるだろう。

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