7-4


 三枚目の硬貨を見つける頃、百合子は異変を感じ取っていた。これまで見つけてきた硬貨は全て金である。三枚目ともなるとさすがに偶然で済まされない気がした彼女は、パートナーである少女を呼び止めた。


「さっきから、金貨ばかりじゃない」

「そりゃね。私のレーダーは金貨しか探知できないようになってるから」

「そういう仕組みだったのね」

「そんなにペースも早くないから、上位のペアに干渉して物語の進行を妨げることもないと思うよ」


 それを聞いて、百合子はほっと息をつく。パートナーの少女の説明で理解できたと思っていた世界観が、キャラクターの名前のせいでまるで分からなくなっていた百合子だが、とりあえず与えられた役割はこなせているという事実に胸を撫で下ろした。

 ルールの複雑さや、それなりの成績を収めるという目的の地味さから、この役割を適切に全うできる者はスポットモブを任されるような数少ないモブの中でもさらに少ないだろう。普通のモブにとっては割に合わない仕事だろうと推察する百合子の視界に、何かが横切った。


「っ……!?」


 二人で足を止めて、横切ったものの正体を見つめる。それは、棘のついた黒い塊だった。百合子はそれを知っている。


「あれは、まきびし……」

「まずい、主人公が近くにいるみたいだね。あっちにいこう、百合子さん」

「……?」


 少女に腕を引かれ、静かに百合子は応じた。ぷかぷかと視線の高さで浮かんでいるまきびしは異様であり、それについて言及したい気持ちは山々だが、近くに主人公がいるとなれば従うしかないだろう。

 木々の茂みに隠れ、身を屈めると、二人は突如現れた無機物をじっと見つめた。タイムロスになるだろうが、これまで無難な成績を収めてきているだろうと自負していた彼女達が動くことは無かった。彼女達の目的はあくまで、普通の成績を収めること。トップに君臨することではない。

 しばらくすると、茂みの向こうから声が聞こえてきた。ランプは灯らない。恐らくは本編でカットされるシーンなのだろうと当たりをつけると、百合子は引き続き息を殺した。


「見つかんないじゃん!?」

「それはあたしじゃなくてお前のまきびしに言えよ!」

「はぁ? 病院の待合室で三時間くらい待たされた挙げ句、受付に「まだですか?」って言いに行ったら「本日の診療は終了致しました」って言われろ」

「潰れろ、そんな病院」


 アクの強い会話に、百合子は目を見開く。覗き込んでみると、そこには先ほど聞いた通りの特徴の女子が言い争いをしていた。あれが、この世界の主人公と、そのパートナー。じっと観察していると、百合子のパートナーが言った。


「しかもこれ、百合なのよね」

「あれで……!?」


 百合の意味については百合子も理解している。過去にはそんな世界のモブとして活躍したことだってある。しかし、彼女が経験してきた世界の主人公達は、もっと和やかな雰囲気の中で、交流を深めていた。

 どう転べばあの二人が恋仲に発展するのか分からない百合子だったが、そこまでは百合子が口出しするところではない。百合に限らず、恋愛が絡む作品には険悪なムードから始まるものだってある。きっとそう言った類の何かであろうと信じようとする百合子の耳に、二人の会話が届く。


「大体、さっきもこの辺見ただろ?」

「は、は? 見てないけど?」

「根拠は?」

「私が見てないって言ってんだからそれが根拠でしょーが」

「横暴すぎるだろ」


 志音という名前の女子は、試験が始まったばかりの頃にもここに来たという主張を続ける。いくつか特徴を挙げた後、彼女は決定的な証拠を提示した。


「そこにある木を見ろよ。傷が付いてる。お前のまきびしが当たった痕だろ」

「……成敗!」

「ってぇな!!」


 主人公である札井は、志音の肩にまきびしを飛ばして攻撃した。志音の身体能力は相当なもので、一撃目こそ回避出来なかったものの、二撃目は身を翻して躱した。

 しかし、百合子が目を見張ったのは、札井の容赦の無さである。もし志音が回避に失敗していたら、あのまきびしは志音の眉間にぶっ刺さっていることになるのだ。バーチャル空間での傷の概念について、百合子は知らないが、外傷は無いに越した事はないだろう。こういう世界の傷は、往々にしてリアルに戻った時に何らかの形で引き継がれるものである。


「……かなりガチな攻撃をしてたけど、本当に百合なの?」

「恐ろしいことに、そうなんだよね……」


 百合ということであれば、二人の邪魔はしない方がいいだろう。元より不要な主要キャラとの接触は避けるつもりだった百合子だが、百合と聞いてしまえば、その気持ちは一層強くなる。

 札井と志音の二人は物理的にじゃれ合いながら、百合子達から離れるように移動していく。そろそろ大丈夫かと立ち上がると、声がした。明らかに少女の声ではない。恐る恐る振り返ると、そこには背の低い少女が居た。


「お前ら、どれくらいコイン集まった?」

「えっと……」


 突然のことに、百合子はパートナーの女子を見た。彼女も激しく動揺しているようだ。視界の端のランプは、やはり灯っていない。これも語られないシーンの一部であることを確認すると、百合子はゆっくりと話し掛けてきた女子を見た。

 キャラクターの造形から察するに、話し掛けていた女子が物語に名前付きで登場している主要人物であることは間違いない。鋭い目つきと、ショートカットのサイドを編み込んだ髪型は、嫌でも百合子にヤンキーを彷彿とさせた。

 一歩後ろに下がったところでじっと百合子を見てる女子の存在感もなかなかのものだ。ストレートの長髪を風に靡かせ、生まれ持った切れ長な目で、品定めするように百合子達を値踏みするように見つめている。


「私達はこれまでに三枚の硬貨を見つけたわ。正直、収穫がある方とは言えないわね」

「やっぱそうか……おい。やっぱデッドラインの外に出るぞ」

「分かった」


 デッドラインとは何か。自分の知らない設定がこの世界にはまだまだあることを百合子は察していたが、知らないことで主要キャラクターの会話についていけないことは想定していなかった。いや、主要キャラクターと会話する機会があるとも想定しなかったのだ。

 単語の意味をすぐにパートナーに問うことはできないので、百合子は黙って二人のキャラクターと対峙した。そうせざるを得なかった。


「ありがとな。お前らも頑張れよ」

「えぇ。でも、いいの? デッドラインの外に行くなんて」


 百合子は勝負に出た。デッドラインって何やねんと思いながらも、その単語を発言に交えたのである。言葉の意味自体は理解できる。おそらくはそれを超えるということは良くないことなのだろう。そう思っての発言だった。


「おう。行くしかねぇだろ。あたしらには後がねぇんだ」

「知恵がそう言うなら、私は従うのみ」

「そ、そう……」


 初めて発言した長髪の女子の落ち着いた声を聞きながら、百合子は二人を引き止めることはしなかった。

 一直線に何処かへと駆けていく二人の背中を見送り、声が届かないだろうというところまで離れてから、ようやくパートナーの女子に話し掛けた。


「で。デッドラインって何かしら」

「バーチャル空間には安全地帯と呼ばれるところがあるんだよ」

「へぇ?」

「私らが今いるのがそう。デッドラインっていうのは、ここから外に出たらいつバグに襲われてもおかしくないっていう境界線のことなんだ」

「なるほど……」


 つまり、彼女達は成績の為に危険を犯す覚悟をしたということになる。百合子との会話を判断材料にしたことは間違い無い。

 主要キャラクターの決断に大きく寄与してしまったことを自覚しながらも、百合子は大きな罪悪感は抱いていなかった。カメラに捕まっていなかったということは、彼女達がデッドラインの外に出るということは物語上あらかじめ決まっていたことなのだろうと推察したのだ。


「ま、私達が関わろうが、関わらなかろうが、彼女達はきっとデッドラインの外に出ていたでしょう」

「そうだと思うよ。ま、予定調和の流れに持っていけたってことだし、一仕事こなしたことには変わりないけどね?」

「そうね。よくやったわ」

「百合子さんこそ」


 二人はモブとしての働きを労い合いながら、目を合わせてニヤリと微笑む。後は適当に試験をこなせば問題ないだろう。再び動き出した百合子の頭の中で、神の声が響く。自分の役割はここまでらしい。それをパートナーの女子に告げると、彼女は飄々とした調子でそれを受け入れた。


「いいよ。チェッカーがいないからこれ以上成績を伸ばすことはできないけど、多分最下位のペアはゼロ枚だろうしね。上出来上出来」

「悪いわね、中途半端なところで離脱して」

「気にしないで。百合子さんと一緒に仕事できて楽しかったし」

「そう。ありがとう。あなたも、これから頑張って」

「はいはい。とはいえ、まだこの物語、完結の目処立ってないから、結構長く拘束されることになりそうだけどね」


 そう言って女子は笑った。百合子は手を振って目を瞑る。


――ありがとう、百合子


 神の声が頭の中で響き、目を開けると、そこは自室だった。結局、今日のスポットモブラッシュが何だったのか神に問うことはできなかったが、聞いても適切な答えが返ってくる訳がないと、長年の経験で察していた百合子はそのまま諦めることにした。

 彼女がいるこの世界も、終わりを控えている。次はどんな世界に飛ばされることになるのだろうと考えながら時計を見る。就寝時間にはまだ早い。そういえばまだ風呂に入っていなかったことを思い出すと、百合子は支度を整えて自室を後にした。




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