8.

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 数日後のある日、この作品の主人公である圭吾と犬塚は二人で出掛けていた。比較的フォーマルに近い格好を心がけて向かった先は、隣の市にある市民ホールである。今日は白鳥が所属する吹奏楽部のコンクールの日だった。誰かにとっては、蝉の声に高い空を見上げるだけの、平凡な夏の一幕。しかしその一日は、誰かにとっての勝負の日でもあるのだ。

 吹奏楽部の甲子園とも言える、年に一度のコンクールに挑もうとする白鳥と、それを見届けようとする二人。見方によっては残酷かもしれないが、白鳥は案外振り切れていた。それは圭吾を奪い合った犬塚とすら、きちんと向き合ったからかもしれない。白鳥は、犬塚のことを戦友のように思っていた。そして二人ならきっと大丈夫と背中を押してやり、自分の心は音楽に注ぐことを決めたのである。


 百合子は自室にて、スマホのカレンダーを表示させ、「それらしいイベントはこれで最後ね」と呟いた。彼女の部屋を訪れていた律子と春華はしみじみと頷く。


「犬塚と圭吾で白鳥のコンクール見に行ってるんだっけ?」

「しばらくは辛いでしょうが、主要キャラの中で一番メンタルが強そうですし、きっと大丈夫でしょう」

「言い方」


 一応クラスメートとしての情はあるらしく、律子は真っ先に白鳥の気持ちを慮った。春華の指摘する通り、言い方はかなりキツめだったが。

 多くても一生に三度しか迎えることのできない、高校生の夏の大一番に挑もうとする白鳥のことを考え、春華はぽつりと漏らした。


「次の転生先、部活モノでもいいかも」

「楽しそうですよね。春華さんは文化系部活動のモブは向いてなさそうですが」

「ひど……でも当たってる」


 春華は楽器を抱えたり演劇に励んだりする自分を想像してから、素直に律子の指摘を肯定する。百合子はそれを微笑ましく眺めていた。そして、フットサルに励む春華をついぞ拝むことがなかったことに気付き、少しこの世界に未練を感じた。

 主要イベントが終わると、いよいよ輪廻が現実のものとなる。まだ輪廻希望書が出ていない春華だったが、おそらくは今晩のレポート後に出現するのだろうと考えていた。

 いつ別れが来てもおかしくない。そんな状況だからか、二人は就寝時間が来るまで百合子の部屋で過ごそうとしていた。当然、百合子もそれを受け入れている。離れ難い気持ちは三人とも一緒だ。特に、キャリアのために律子はこれから数多の世界という大海原へ、再び一人で船出するのだ。気心の知れた友人と今のうちに過ごしておきたいと考えるのは必然だった。


 百合子と律子はこれまで輪廻してきた、へんてこな世界の話を春華に聞かせた。怪物が暴れ回る世界、陸上競技で何故か地球の爆発を止めようとする世界、魔法を扱う者が現代兵器とバトルする世界、嫌われ者だった男子が料理を通じて友達を作っていく世界など。百合子はこれまで様々な世界を旅してきた。人が死ぬ世界、人を造る世界、人が滅びアンドロイドしか存在しない世界すら。彼女の引き出しの多さに、律子と春華の二人は舌を巻くのであった。


 室内に、就寝時間を知らせるクラシック音楽が鳴る。この世界にもドボルザークは存在しているらしいと律子は笑い、しかしすぐに違和感に気付いた。


「いつもと、曲が違いますよね……?」

「うん……曲名は知らないけど」


 しばらく音楽に耳を傾け、そして百合子は呟いた。


「ドボルザークの家路、ね」

「家路、か……」


 本当の本当に、終わろうとしているのだろう。この、くん‘sほぐれ2学園が。

 律子は名残惜しむようにゆっくりと立ち上がった。続けて春華も膝に手を付いて体を起こす。


「それじゃ、また」

「えぇ。きっと明日」

「そうですね」


 二人はこのところ毎日、今生の別れのような挨拶を交わしている。状況を考えれば当然なのだが、なんだかもの悲しくて、春華はそのやり取りを好きになれずにいた。


「もー、辛気臭いのやめようって」

「ごめんなさい、つい」

「あなたに対してやってるんじゃないんだからいいじゃないですか」

「それでも嫌なんだってばー」

「じゃあこれからするから、先に部屋戻ってください」

「それはそれで嫌」

「赤子か何かですか?」


 見慣れた二人のやりとりも、今日で見納めになるかもしれない。そう思うと百合子は寂しさを感じたが、顔に出すとまた春華がうるさい。しかし、さすがの春華も今日ばかりは、何か予感があった。毎日聞かされていた曲が違うという、たったそれだけのことだが、何か大きな意味があるようにしか思えなかったのである。


「でも、曲……今日で、ホントに最後になるのかもね」

「……百合子さん、私、ずっと百合子さんを尊敬していました。そして、今もしています。きっとこれからも、ずっと」

「律子さん……」


 伝えられなくなってしまう前に。そんな思いから、律子は恥ずかしげもなく、素直な気持ちを百合子に伝えた。その敬意は、等身大でありながら巨大である。百合子は言葉でそれを受け止めきれず、律子にハグで返した。背中に腕を回して、しっかりとその存在を確かめ合うと、二人はそっと離れた。春華も律子に向けて両手を広げてみせたが、律子はただ黙って彼女を見つめる。


「いや流れ的にあたしもハグするじゃん! 今のは!」

「百合子さん、ありがとうございました。ご多幸をお祈りします。それでは」

「おい! 置いてくなって!」


 百合子は微笑んで二人を見守っていた。最後の最後まで、二人は変わらない調子である。だというのに、そんな普段通りのやり取りが少しもの悲しい。百合子はなんとか取り繕って、二人を見送るのであった。




 百合子に見送られ、小さくBGMが流れる廊下を、律子と春華は歩く。会話はなくとも、お互いに気まずさは感じていない。ただ話すことが無いから口を開かないだけだ。少し前から輪廻が始まっている寮の廊下は、以前と比べて随分静かになっていた。

 そして別れ道に差し掛かると、律子は春華に問い掛けた。廊下には二人しかいない。他の生徒は全員部屋に戻っているようだ。もしかしたら、最後の夜だと誰もが感じているのかもしれない。


「……そういえば、レポートの輪廻希望書、確認しました?」

「あー……」


 曖昧な返答をする春華を見て、律子はすぐにピンときた。眼鏡の奥で鋭い眼光でジト目を作り、隣を歩く春華を捉える。


「忘れてたんですね……」

「違う違う。まだ出てこないんだよ。もしかして、律子はもう出てるの?」

「……え?」


 律子は立ち止まった。釣られて春華も足を止める。律子の声色は明らかに動揺していた。その理由が、春華には分からない。

 春華にとって、輪廻希望書は百合子と一緒になれるよう望む唯一の手段だ。さすがに確認を怠るほどぐうたらではない。コンクールの日取りは前もって分かっていたので、今日のレポートの後に出現するのだろうと待っていただけである。そう考えての春華の質問だったが、彼女の質問に律子は凍り付いた。ある仮説が、律子の中で確信に変わりつつあった。


「確かに重要人物の近くで生活しているモブは遅くなりがちだけど、それにしても……」

「え……?」

「あなた、もしかして」


 律子は言葉を途中で切った。というよりも、ある出来事によって中断させられた。

 すぐ目の前に立っていた春華が、突如姿を消したのだ。


「まさか……あの子、本当に……?」


 そう呟くと、律子は全速力で自室へと走った。左下のランプは点っていない。人目を気にしない全力疾走だった。百合子の部屋は二階、律子の部屋は一階にある。階段を駆け下りる時間さえ惜しんだ彼女は、階段の直前で踏み切り、踊り場まで跳んだ。そして身を翻すと、1.5階のそこから更に一階へと跳ぶ。スカートが舞うが、どうでもよかった。もし誰かが彼女の姿を見ていれば、身体能力の高さに舌を巻くことだろう。

 輪廻希望書が出てこない。百合子もその話をしなかった。メインキャラクターのクラスメートという立場は皆同じ。律子は頭の中で状況を整理しながら、自身の仮説が正しいと裏付けられていくこの状況が少し恐ろしかった。しかし立ち止まることはない。今この瞬間、輪廻が始まってしまうかもしれないという危機感は、律子を前へ前へと前進させる。

 そうして廊下を駆け抜けると、自室のドアを勢い良く開けた。机に駆け寄り、少し乱暴にレポートを取り出す。彼女は白紙だった輪廻希望書の備考欄に一言、走り書きで希望をしたためた。


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