7-3

 

***


 部屋に戻ると、百合子はこのスポットモブのラッシュの意味について考えていた。神は言った、「一旦」戻ってくれ、と。彼は全知全能である。少なくともモブにとっては。決して思わせぶりなことは言わず、冷静な判断によって下された決定は絶対である。つまり、今日、まだスポットモブは終わっていない、そう考えるのが自然である。

 一日に二度ほどスポットモブをこなすことはこれまでにもあった。しかし、スポットモブの現場からそのまま別の現場に飛ばされることは大変稀である。もしかすると初めてだったかもしれない。


「なんだか、妙ね」


 そう。妙なのである。理由は分からないが、ただの偶然として流していいものかと百合子は腕を組んだ。偶然ではないとしても、それが何を意味するのか、百合子には分からない。口で言い表すことのできない違和に、彼女はカーテンを開けて、窓の外を見た。

 そこにはこれまで見てきた、何の変哲もない景色が広がっている。申し訳程度の街頭が点在し、向かいに見える男子寮の窓の灯りが見える。物語が終息に向けて動いているとは思えないほどの、いつも通りの景色。それがやけに懐かしく感じられる。百合子は、何故かこの光景を目に焼き付けたいと強く思った。


「で。私はもう寝ていいのかしら?」


 あえて頭の中ではなく、口に出して神に問う。小さな警戒心、違和感を抱いた百合子の、せめてもの抵抗だった。そしてそんな彼女の気持ちをあざ笑うように、神は淡々と告げる。次の世界の用意ができた、と。


「望むところよ」


 例え、痛みや苦痛を伴い、殺される役割だったとしても。完璧に演じ通してみせる。そんな決意を感じさせる返事である。その心意気や良し、そう言うように、神は百合子の意識を別の世界へと飛ばした。


 ***


 百合子が目を開けると、眼前にはマッサージチェアのような何かが並んでいた。それぞれにモニターが取り付けられているところを見ると、これは普通の椅子ではない。細長い装置がモニターに表示されているが、用途は不明である。

 上を見ると、彼女もまた、椅子に似た何かの装置に座っていた。大きな肘掛けは先進的なデザインをしている。文明が進んだ世界なのだろうと理解すると、百合子は自らに与えられた役割を模索するように、さらに周囲を観察する。

 右を見ると等間隔で無機質な窓が並び、左には壁がある。前と後ろには、引き戸があり、少々教室を彷彿とさせるような作りとなっている。さらに、正面には大きなホワイトボードと、かなり強面の男が立っていた。


 少し特殊な世界に飛ばれてきたようだ。百合子がちょうどそれを理解したところで、椅子の隣から小さな機械音が鳴った。床から小さな棚のような何かが迫り上がってくる。そこには、コップ一杯の飲み物と、不思議な形状の装置が載っていた。装置は何に使うものかは分からないが、全ての席の隣にそれは出現しているようである。

 そこで百合子は初めて自分の姿を確認してみることにした。周囲に置かれている装置の物珍しさから、そちらばかりに気を取られていることに気付いたのである。彼女はブレザーに身を包んでいた。横を見ると、見るからにモブという顔をした男子も同じようにブレザーを着用している。教室のような作りの部屋に、制服。そこで、ようやくここは学校らしいと気付く。

 皆が床から出現した飲み物を飲み干し、装置を手に取るので、百合子もそれに倣うが、使い方は依然分からないままである。不自然に思われないように周囲を見回すと、なんと生徒達はそれを口の端に嵌めていた。ぎょっと目を見開くのを我慢しながら、百合子も隣の生徒の動きを真似る。

 全ての生徒が百合子に苦戦させている何かを装着したのを見届けると、教壇らしきところに立っていた男は、鼓膜が破れんばかりの大きな声で言った。


「それでは、試験開始!」


 男の声を合図に、生徒達はそれぞれ、背もたれに頭を付けて、何かの装置を鳴らした。小気味よい音が鳴ったことは分かるが、百合子にはその音の正体が分からない。藁にもすがる思いで隣を見ると、男子は目を瞑ってじっとしている。既に何かが行われた後だと諦めると、反対側の女子を見る。彼女は百合子を見て、口に嵌めた装置を指差して、顎を動かした。

 これを噛めということか。百合子はジェスチャーの意味をそう捉えると、ゆっくりと顎を動かした。歯に、口に取り付けた装置が当たる感触が広がる。そういえば、スイッチのようなものがあったと思い出しながら、それを噛んで押してみる。


 視界が一気に切り替わる。木々が生い茂るそこは、まるで森のようである。唐突な場面転換に百合子は困惑した。もしや役割を終えて再び別の世界に飛ばされたのかもしれない。そんな予想すら立てたが、百合子の頭の中で神の声が響くことはなかった。代わりに、背後で女の声がした。


「やっほー、百合子さん」

「あなたは……?」


 振り返ると、そこにはモブが居た。ボブと呼べる髪の長さをした女は、百合子の問いに答えるように手を差し出す。


「初めまして、百合子さん。私はこの世界のあなたのパートナー。名前は、名乗る必要があるとは思えないね」

「……なるほど。あなたもモブね。しかも随分と慣れているわ」

「そう。この世界に来る前に五つくらいの物語を体験してるから、まぁ中堅ってとこかな」

「教えてくれるかしら。この世界について」

「もちろん」


 二人は左下のランプが赤になっていないことを確認すると、情報を共有した。そして百合子は知った。この世界は近未来が舞台となっており、バグと呼ばれる未知の存在が人々の生活を脅かしていること。この学校はバグに対処する為の学科であること。バグを取り除く為にはバーチャル空間にダイブする必要があり、先程の装置を噛むことでダイブできること。ここはバーチャル空間であること。そして、百合子達は高校一年生で、今は初めての中間考査であること。

 その中間考査のルールについても、女は過不足無く百合子に伝えた。この試験は、金、銀、銅の三種類のコインを集めることが目的らしい。その取得枚数により、得点が決まっている。


「大体分かったわ、ありがとう」

「どういたしまして。で、私達の役割は」

「主人公たちの邪魔をしない程度の成績を収めること。違う?」

「違わない。さすがだね、百合子さん」


 百合子は自分の存在について知っている者に会っても驚かない。それだけモブとして長く、そして名を轟かせる程度には真面目に活動しているという自負があるからだ。そして、彼女のようなタイプのモブを、どちらかと言うと好ましく思っていた。それは前回の現場で会った男子のようなミーハーな者よりも、ずっと仕事がやりやすいからである。

 今も女は、役割を果たす為に、百合子にある提案を持ちかけるところだった。


「取得したコインを保管するチェッカーと呼ばれるものを百合子さんには呼び出してもらいたいんだけど」

「形はなんでもいいの?」

「モニターに表示されてたでしょ。あれがチェッカー。あとは、コインを探知するものが必要になるんだけど、それはこっちで用意するから」


 女はそう言って、手元に懐中時計に似た形の何かを出現させる。中にはいくつかの光が灯っており、百合子はそれをレーダーのようなものだと理解した。


「じゃあ行こっか。あっちにあるみたい」


 情報を整理し、役割分担を終わらせた二人はようやく歩き出す。歩きながら、百合子は物を呼び出す方法を女に問う。イメージを膨らませて、念じるだけでいいらしい。試しに、モニターに表示されていた細長い装置を思い浮かべて、さらにそれがコインを収納するものであることもイメージする。強く念じてみると、百合子の手元にそれは出現した。


「上手いね、さすが。この試験、多分チェッカーの呼び出しが上手くいかなくて0ポイントのチームもあるよ」

「地獄ね」


 コインを見つけてもポイントにできないペアのことを考えると、百合子はなんともいたたまれない気持ちになった。

 地形はずっと森のようなフィールドである。木を避けて、背の高い植物を押して、普通に歩くことすら困難な場所を、ため息をつきながら百合子は進む。


「ところで」

「何?」

「この世界の主人公はどんな人なの? 遭遇したときに備えたいわ」

「あぁ。そうだったね。主人公は札井夢幻さついむげんって女の子だよ。肩くらいの長さの髪で、一緒にいるパートナーの身長が高いからすぐ分かると思う」


 主人公の名前の酷さに驚いた百合子は女子を二度見したが、言葉にすることは避けた。なんとなく触れてはいけない気がしたのだ。


「パートナーは男子なの?」

「ううん。女子。ただ、女子にめっちゃモテそうって感じの子。ちょっと目つきが悪いけど。ショートカットだから、分かりやすいんじゃないかな。名前は、小路須ころす志音しおん

「待って」


 キャラクターの名前については様々なものがある。世界観の数だけ方向性があると言ってもいいだろう。平凡なものも、突飛なものも、外人のような名前だってある意味でポピュラーである。よほどのことがない限りそこには触れない百合子だが、流石に黙っていられなかった。


「今、ころすって言った?」

「そういう名前なんだよねぇ」


 キャラクターの名前を決めたのはモブの女子ではないが、何故か申し訳なさそうに彼女は頬を搔いた。

 驚きはしたが、既に決まってしまっているキャラクターの名前に対して言及したからと言って変更されることはない。百合子は眉を顰めながら、「そう……」と答えることしかできなかった。

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