7-2


 ***


 気が付くと百合子は走っていた。隣にはタンクトップにジーンズという、随分とラフな格好をした男子が並走している。周囲の街並みから察するに、ここは日本が舞台の世界のようだ。立ち並ぶビル群から推察するに、時代設定も現在のものだろう。何の変哲もない見慣れた景色の中を、二人の男女が疾走している。


「おい、あいつどこに行った!」

「知ってたら苦労しないわよ!」


 男子の問いかけにそう返すと、百合子は自分の服装を見た。ゴシック調のミニスカートに、胸元には大きなリボンが揺れている。所謂ゴスロリの格好をしているらしい。首の僅かな違和感はチョーカーのせいらしい、さり気なく触れてそれを確認すると、立ち止まって周囲を見渡す。


「闇雲に走っていても見つからないわ!」

「それもそうだな!」


 自分は一体誰を探しているのか。百合子はそれを知らないので見つけようもないのだが、何かの追手の役割を担っているということだけは分かるので、そのように振る舞った。

 その時だった。頭上から声がする。顔を上げると、短髪の男子が高笑いをして、百合子達をビルの非常階段から見下ろしていた。


「馬鹿め! お前らはここでおしまいだ!」

「なんだと!?」

「見とけ! 俺は落ちこぼれなんかじゃねぇんだ!」


 逆光であまり見えないが、彼がこの世界の主要人物であることは間違いないようだ。何をされるか分からないが、百合子は訝しげに彼を見た。


「くたばれ!」


 青年がそう言うと、大きな衝撃が百合子を襲う。スカートが捲れると気にしている余裕はない。体が持ち上がり、隣に立っていたパートナーらしき男子と共に後ろに吹っ飛ばされる。近くの壁に叩きつけられた百合子だったが、自分に与えられた役割を忘れてはいない。自分はおそらく、彼と敵対する為に呼ばれたモブである。隣にいる男子も同じだろう。主人公と思われる青年は、声で衝撃を生み出すという特殊能力を使用した。

 百合子の頭の中でパズルのピースが埋まっていく。そしてようやく一枚の絵が完成した。その絵が告げている。百合子も同じように、何かしらの特殊能力を使用できる、と。百合子の体に力が漲っていく。それを実感しながら、彼女はなんとかなれ! と願って声を発した。


「いっけぇー!」


 彼女の言葉を聞き届けたのは近くに鎮座していた「とまれ」の標識だった。地面に刺さっていたそれは、ズモと重い音を立てながら宙に浮き、一直線に青年へと向かっていく。


「っぶねぇ!」


 紙一重でそれを躱した青年だが、次に手を打ったのは百合子のパートナーの男子だった。


「崩れろ!」


 彼が声を上げると、青年が立っていた非常階段が灰のような何かになり、ボロボロと形を失っていく。足場を失くして空に投げ出された青年だったが、着地の瞬間に「わっ!」と声を発し、衝撃を相殺してなんとか歩道に立つ。

 男子と目を見合わせ、百合子は青年の着地した場所へと駆け寄る。心の中では怪我をさせてしまったのではないだろうかと心配しながら。

 百合子のそれは杞憂と終わった。安全装置の無い空中浮遊に踊る胸を押さえて、青年は深くため息をついているところだった。


「っぶねぇー……」

「やるじゃねぇか。俺の能力はディケイ。無機物を腐敗させたり、崩壊させたりできる」


 タンクトップの男子は得意げにそう言うと、次に百合子の肩をがしっと掴んで言った。背中を打ち付けた痛みがまだ残っているので、百合子はほんの少しだけ不快そうに顔を歪める。


「こいつの能力はプリティーコール。ふざけた名前だが、物を自在に操れるっていうチート級の能力だ」


 え、そうなんだ。百合子は内心でそう呟いた。そして、自分の能力についてたったいま知ったくせに、腕を組んで「どーよ」と得意げに笑って見せる。

 男子の認識は間違っているだろう。どう見ても彼は主役などではない。顔の造形は残酷である。それがひと目見て分かってしまうのだから。モブペアにチート級の力など託される筈がないのだ。


「そいつはどうかな」


 相対する敵がとてつもない力を持っていると告げられたにも関わらず、青年は笑った。そして続ける。


「お前らの後ろ、何がある」


 振り返ってみると、何も無かった。そう、何も。真っ直ぐと伸びる道路だけが続いている。強いて言うなら、歩道だけが存在した。


「何もねぇじゃねーか。ビビらせやがって」

「それがお前らにとっての問題だって言ってんだ」

「意味分かんないんだけど! いいよ! 早く終わらせよ!」


 百合子はいつもよりもワントーン高い声を響かせて男子を見る。目が合うと、男子はおう! とだけ言い、不敵な笑みを浮かべて青年に向き直った。

 青年の動きを止め、戦闘する意思を失わせる何かを動かす必要がある。百合子の目に留まったのは、路肩に停まる大型トラックだった。普通の人間であれば、下手を打てば即死だろう。しかし彼には声がある。衝突の衝撃を和らげる頭があることは先程の着地で証明されている。


「トラック! あいつを潰して!」

「甘いぜ! 吹っ飛べええぇぇぇ!!」

「はっ!?」


 百合子の声を受けてトラックが動くよりも先に、百合子自身の体が宙に浮く。暴風が吹き荒れて、砂塵はもちろん、街路樹や歩道を彩っていたレンガもろとも、百合子と男子は吹き飛んでいく。ずっと真っ赤に灯っていた左下のランプが、青年と離れるほど黄色に変化していく。


「なっ!? ちょ、ちょっと! どこまで飛ばされるのよ! これ!」

「てめぇ! 大越おおごえ来斗らいど! 今度会ったらただじゃおかねぇからな!!」


 ライドと呼ばれたのは主人公の青年だろう。役割を終える直前で主役の名前を知ることとなった百合子は、完全に黄色くなったランプを確認しながら着地の手段を講じた。


「あ、百合子さん。俺の能力で着地するから大丈夫っす」

「そう? 悪いわね」


 平時であれば、簡単にモブ同士で名前を呼び合うことはご法度だが、もう出番は終わりだろう。着地してしまえばこの世界ともおさらばだ。

 パートナーの男子がディケイと呼ばれた能力でやっと見えてきた建物の一部を灰にする。その中に飛び込むと、百合子達を飲み込んだ灰塵が周囲に舞う。

 げほげほと口に含んでしまった灰の相手をしながら服を払っていると、パートナー役だった男子が百合子を呼び止めた。


「やっぱ百合子さんっすよね!? 俺ファンなんスよ!」

「え? あ、あぁ、そう?」

「そうっス! あの、実は前にも現場で一緒になったことがあって!」

「そうだったの」


 当然だが、モブもモブをモブとして見ているので、よっぽどのことがなければ現場が一緒になっただけの相手のことなど覚えているはずがない。むしろ、百合子のように元々有名だったなどの特殊な場合を除き、人の記憶に残ってしまっているということは目立ってしまっているということを意味するので、モブとして失格なのである。

 差し出した訳でもない手を取られ強制的に握手をさせられた百合子は苦笑いを浮かべていた。ランプの色に変化はない、ずっと黄色のままである。おそらくは大越来斗という主人公にカメラは向いているのだろう。


 ――ありがとう、百合子。一旦戻ってくれ


 頭の中で響く声に、同じように頭の中で返事をする。男子に「あなたも、これからも頑張って」と声を掛けると、百合子は目を閉じた。「うっす!」という元気な返事を聞きながら、目を開けると、彼女は久方ぶりに自室にいた。


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