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 それからさらに二日後。春華が脇役キャラである慎二に予定通りメールを送り、ヒロインの犬塚が合コンに誘われたことを圭吾に伝えた翌日、ということになる。当日の晩に起こったことはレポートには書かれない。レポートに反映されるのは本日である。

 三人とも、この日を心待ちにしていたのだ。百合子、律子、春華は三者三様の表情を浮かべてはいるものの、気持ちは一つだ。なんとしてもこの無限ループのようなマンネリから脱却したい、その一心で団結していたのである。


 春華の仕事は、慎二への情報の伝達だけではない。定期的に圭吾の様子を二人にメールで報告することを言いつけられていた。それは、レポートよりもいち早く事情を知るためである。

 そのメールにより、圭吾は酷く落ち込んでいるようだという情報が、百合子と律子に共有された。大変気の毒だが、二人は間違いなく慎二から圭吾へと事情が伝わっていると確信し、作戦が順調に進んでいることに安堵した。


 中休みはもちろん、昼休みですらつまらなさそうに過ごしていたという彼の様子を確認すべく、律子と百合子は放課後を待ってから、春華のいる三年一組へと急行した。

 三年の教室を訪れる前に、階段の踊り場で合流した百合子と律子は、目を合わせると小さく頷き合う。元々開け放されていたので、教室の引戸を動かす必要はなかった。音も無く教室に侵入し、春華の席を囲むように立ち、どうでもいい雑談に励む。重要なのは違和感なくその場に留まること。


 圭吾の席は春華のすぐ前の席だ。手を伸ばせば触れられる距離に、この世界を背負う男が居た。しかし彼はそんな自覚はまるで無く、ただ深いため息をついて頭をガシガシと掻いていた。

 凹んでいるという春華の言葉に偽りはなかったようだ。百合子と律子は背後から聞こえる音を頼りに圭吾の動向を気に掛けていたが、彼が自ら積極的に何かをするような気配はない。一体いつまで存在しない実家の猫の話をしていればいいんだと、百合子のフラストレーションがMAXになる直前、左下にランプが点灯した。色は、赤に限りなく近い黄色。この場で何かが起こる。そう確信しながら、百合子は「ほんっとうに可愛いの」と話を続けた。

 春華がやりとりした脇役キャラの慎二がやってきて、圭吾に話し掛けたのだ。


「よー圭吾。凹んでんなー」

「お前があんなこと言うからだろ……」

「ま、気にすんなって。彼女ってわけじゃないんだろ?」

「そりゃ、そうだけど……」


 よし、いいぞ。そのままヒロインへの恋心を自覚して話を進めろ。圭吾の後ろで猫の話に興じるモブ三人の心は一つだった。


「いいんだ、俺に何かを言う権利がないことは分かってるから。俺なんかよりももっとカッコよくて面白い奴とあいつが一緒になれるなら、応援しなきゃな」

「そうかぁ?」


 圭吾の発言を聞いた百合子達は目を見開いて、それでも辛うじて猫の話を続けた。三人が考えていた方向とは別の方へ物語が転がり始めたことを察知したのだ。できることなら振り返って「うじうじしてないで犬塚さんのところに行きなさい」と告げたいが、どうにか気持ちを堪えて、百合子はモブに徹する。

 当然、このまま無為に時間を過ごすような彼女ではない。「あ、写真見る? 送ってあげるね」と言い、百合子はスマホを取り出した。そして、「どうする?」というメッセージを二人に同時送信する。彼女の手はわずかに震えていた。

 ちなみに、春華がメッセージアプリを使えないせいで、メールという手段を用いなければならないので、若干やりとりが面倒である。


『どうするったって……まぁ、いいんじゃない? あたしらの目的って物語が進展するきっかけを作ることだよね?』

「わぁー、可愛いー!」

『とりあえず様子を見るしかないですよ。不本意ではありますが、私も春華さんと同じ意見です。不本意ではありますが』

『不本意って言いすぎだから』

「でしょう? あ、これも見て! すごく可愛いから!」


 百合子と律子の二人は、器用にメールでやり取りをしながらも、モブとして違和感が無いよう会話を続けていた。


『まぁ……そうなるわよね。とりあえずはここから離脱しましょうか。私が合図を出すわ。あと、猫の画像を送ってるってことになってるんだから、春華も何かそれっぽいこと言いなさい』

「いいなぁ。あたしも猫飼いたいけど、お母さんが猫アレルギーなんだよなぁ」

『上手いじゃない』

『2点』

『疑惑の判定やめろ』

『3000点満点で』

『律子ってホントあたしのこと嫌いだよね』

「そうだ、私の部屋にアルバムがあるの。今から見に来ない?」


 メッセージでやりとりをしていた二人は、百合子の提案に二つ返事で頷いた。百合子と律子は、春華の机の上に置いていた鞄を持ち、春華もすぐに荷物をまとめ始めた。というか机の中から筆箱を取り出して立ち上がる。机の中に教科書を置いて帰る、いわゆる置き勉をしていることを見咎めた百合子だったが、ランプが赤い今、それを指摘する彼女ではない。


 そうして三人が教室から出ようとしたところで、意外な人物が早足で教室へと向かってくる。その正体は、律子と同じクラスである白鳥だった。

 容姿良し、家柄良し、器量良しの犬塚のライバルだ。さらに豊満なバストまでをも持ち合わせている。彼女の歩くペースに合わせて、大きな胸がゆさゆさと上下する。同性ですら胸に目がいってしまうスタイルの才女である。

 嫌な予感がした百合子は、入口ですれ違おうとしてした白鳥に道を譲り、さり気なく教室の出入り口に留まった。


「ねぇ圭吾! 来週末なんだけど、遊園地行かない!?」

「な、なんだよ急に……」

「俺は!?」

「慎二君はだーめ! ペアチケットなんだから!」

「ちぇー」

「いいよ、行く」

「ホント!?」


 そこまで聞き届けると、百合子は二人に目配せして、そそくさと教室から立ち去った。そして、左下のランプが赤みを帯びた黄色から完全な黄色になったのを確認して足を止める。その表情はやや強張っていた。


「……今の、何?」

「私にも、何がなんだか……」

「白鳥は律子の担当じゃんか。見てなかったの?」

「見てましたよ。でも、教室では何の動きもなかったはず……」


 廊下でひそひそと話をする百合子達をあざ笑うように、近くに立っていた男女五人組がガッツポーズをしていた。さらに、「これでストーリーが進むな!」等と呑気に話をしている。彼らがモブなのは身なりからも容易に推察が出来た。


「あれは……吹奏楽部?」

「あぁ、そういえば、白鳥さんはフルートを担当していましたよね」

「この状況をどうにかしようと動いてたのが、あたしら以外にもいたってこと……?」

「それだけじゃないわ。私達が慎二に余計なことを伝えなければ、圭吾は犬塚さんに気を遣って断っていたかもしれないのに」


 要するに、余計なことをした、ということになる。少なくとも百合子はそう思っていた。掛ける言葉が見つからずに俯く律子も同じだろう。歓喜する吹奏楽部のグループを見ながら、百合子は苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 しかし、春華は違った。すぐ近くにいる男女グループと同じようにガッツポーズをして見せたのだ。


「すごいじゃん! 百合子やっぱ持ってるよ!」

「は?」

「白鳥が誘っても、圭吾が断ってたらストーリーに大した進展はないでしょ。それって白鳥が傷付いておしまいになってたってことじゃん?」

「それは、そうかもしれないけど……」


 ほんの少しだけ春華の言葉に救われた気がする百合子だったが、いまだに気は晴れない。春華は百合子の両肩をぐっと掴むと、さらに続けた。


「勘違いですれ違って、ライバルにチャンスが訪れる展開はありでしょ! いかにもラブコメって感じじゃんか!」

「……言われてみれば、そうね」

「そうだって!」


 そうしてやっと百合子は考え直す。自分が思い描いた以上に面白い展開になったんじゃないか、と。もちろん、ヒロインを応援している人には申し訳なくは思うが、それはそれだ。


「百合子さんはあの時できる最良の判断をしたと思います。ただ、結果オーライとはいえ、私の不注意であったことは変わりません。部活の方にももう少し気を配っておくべきでした」

「そんなことはないわ。探りを入れ過ぎても不自然になるだろうし。今はこの結果を喜びましょう」


 ガッツポーズこそしなかったものの、百合子達は確かな手ごたえを感じ、帰路につくのであった。

 発案は百合子であったが、実際に動いたのは春華であることを、百合子は忘れていない。一緒に彼女の手綱を握ってくれた律子のことも。まさに三人で掴み取った進展だと実感していた。


「あ……ごめんなさい。先に帰っててくれるかしら」

「どうしたんだよ?」

「もしかして……スポットですか?」

「さすがね、律子。その通りよ」


 物語の進展を喜び合う暇もなく、百合子は二人に手を振り、人気の無い場所を目指して足を向けた。

 ラブコメという物語の進行を邪魔しないような場所。学校という施設の中で最も確実なのは女子トイレである。人気が無い教室は逆に頂けなかったりする。何故ならば、そこは往々にして告白に使用される隠れスポットであることが多いからである。さらに、中にいることに気付かれずに鍵を閉められてしまい、密室で夜を明かすようなシチュエーションに使用されることも多い。男女が二人きり、だと思ったらなんかもう一人知らない女がいた、となれば台無しだろう。


 だから百合子は、放課後に神から頼み事をされた時は、トイレに向かうことが多かった。この学校は、手前は和式便所だが、奥の一室だけ洋式である。極力音を立てないように奥へと進み、ドアを開ける。そして、そこに腰を下ろすと、彼女はこれからの運命を受け入れるように目を閉じた。


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