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 百合子は瞬きをするように簡単に時空を超えた。掛け持ちしているとはいえ、彼女は自分がどんな世界に飛ばされるのか、事前に知らされてはいない。その為、周囲の状況から自分の飛ばされた世界のことや、求められている役割について推察しなければならないのである。まさに、百合子レベルのプロのモブにしか務まらない仕事である。


 硝煙の臭いが鼻を突くそこは、紛れもなく戦場だった。戦車や兵器などの手で、ほとんど焼け野原のように均されてしまった大地を視界に納めると、百合子は静かに息を飲んだ。

 彼女でなくとも、一目見て人の命が軽々しく散って行く世界であることが分かる光景である。パラパラと木霊する銃の音の一つ一つが、人の命を奪う力を持っていることは想像に容易い。時折、焼け残った柱や壁に弾が当たる音が、その場に居る者に緊張感を齎している。


 飾り気のないヘルメットを被り、両腕で自動小銃を構える女。そう、百合子だ。そして頭の重みがヘルメットによるものだと理解すると、自分の使命を即座に確信する。

 機を見て壁から身を出すと、衝動を肩で受け止めながら自動小銃をバラまくように撃つ。百合子の視界の隅のランプは、限りなく赤に近い黄色を示していた。


 銃撃戦を繰り広げながらも、彼女はこの世界のことを一つずつ把握していく。弾避けにしかならなくなってしまった、硬い土で出来た民家。少し離れた地点からは何かが弾けた音と衝撃が響き、至る所で煙が上がっている。

 恐らくは人間同士の戦争だ。百合子はすぐに自分がどのような現場に連れてこられたのか、推理を組み立てていく。先ほどまで平和な学食の匂いを嗅いでいたというのに、現在彼女の鼻孔を突くのは火薬と土煙、そこにわずかに混ざる血の臭いだ。

 激しいギャップにさすがの彼女も少々の眩暈を覚えたが、いくらモブといえど、無駄死にで世界から離れるような真似はすべきではない。引き金の重さがこの場にいる人間の命の重さだとしたら、ここに居る兵士達の命は羽のように軽いということになる。しっかりとしがみつかなければ、簡単に吹き飛ばされてしまう。百合子は、緊張感を超えた危機感のようなものを持って、戦闘に臨むことにした。


 すぐ隣にある崩壊しかけた建物に目を向けると、自分と同じ軍服に身を包んだ少女が居た。建物の壁を利用して、おそらくは防戦一方であるこの戦いに参加している。一目見て百合子には分かった。彼女はモブであると。顔の作りで大体は判断できるので、モブの世界というのは分かりやすい。

 何の為に戦わされているのか、それすらも理解できていない状況で、背後から怒鳴り声が聞こえてきた。


「俺は、この戦いに意味を見出せない!」

「そう。アシュレイの意見は分かったわ。だけど、あなたが意味を見出しているかどうかは関係のないことよ。早く持ち場について頂戴」

「ふざけるな!」


 百合子は銃を構えたまま、無駄のない動きでゆっくりと振り返る。そこには見た目麗しい男女が居た。

 青い髪、頬に大きな古傷を持った青年は、前髪をぐしゃぐしゃと掴むように掻き、悔しげな表情を浮かべている。百合子と同じ軍服に身を包み、肩には百合子には無い腕章が付けられていた。描かれている菱形のデザインは恐らく何かの組織や思想を意味するのだろうが、彼が所属している何かについて注目すべきタイミングではないと捨て置く。

 間違いない、戦争に反対する彼はこの物語の主要人物だ。百合子がそう確信したのとほぼ同時に、先ほど視界に収めたモブの少女が撃たれた。あまりにも呆気なかった。被弾した銃弾は、存外静かに彼女の体を貫いたのだ。少女が発したにしては可愛げのない短い呻き声だけが、彼女が負傷したことを知らせていた。

 百合子は姿勢を低くして駆け出した。誰よりも素早く彼女の異変に気付き、反応してみせたのだ。

 その瞬間、視界の端にずっと居座っていた黄色のランプが真っ赤に切り替わる。彼女の元へと辿り着き、その小さな体躯を抱き上げると絶叫した。


「エミリー!! どうして! ねぇ! 目を開けて! エミリー!!」


 ちなみにエミリーというのはアシュレイという名前の世界観に合わせた適当な名前である。おそらくは死にゆく少女本人も「え……それ誰……? 私……?」と困惑していることだろう。

 しかし、ここでこの少女の名前は重要なことではない。戦いに参加することを拒むアシュレイの前で、自分よりも年下の少女が命を落とす。近くでその少女の死を悼む別の少女がいる、その状況こそが大切なのだと判断したのである。彼女の判断は完璧だった。

 そして百合子は、次に自分がすべきことも理解していた。


「いやああああああああ!!」


 喉が千切れんばかりに声を振り絞る。百合子は少女の体を抱いたまま、皮肉なほどに晴れた空に向かって咆哮した。赤いランプは消えない。観念した百合子は、エミリー(仮)の遺品である銃を構えると、立ち上がって正面へと闇雲に銃をぶっ放す。今の彼女を見れば、誰もが発狂したと思うだろう。


「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇっえええええ!!!」

「おいお前! やめろ!」

「止める必要はないわ、アシュレイ。あれはもう駄目よ。それより早く持ち場に付きなさい。時間が無いわ」

「なっ……!」


 自らが放つ銃声で、アシュレイ達の会話は聞こえない。それでも百合子は人差し指に力を込め続けた。荒れ狂う彼女をあざ笑うように、スナイパーは百合子に照準を合わせ、無感情に引き金を引く。


 ――ナイスアシストだ、百合子。


 遠くに響く発砲音、後ろへと倒れるように横たわる女の体。あっけなく頭部を撃ち抜かれた百合子は、そんな神の声を確かに聞き届けた。



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