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 物語の完結を迎えて数日。律子が捉えた噂によると、メインキャラクターが在籍しないクラスのモブは輪廻が始まっているらしい。幸い、三人はそれぞれがメインキャラクターと同じクラスなので、輪廻はまだ少し先になるだろう。

 しかし、徐々に人が減っていく世界には一抹の寂しさを覚える。それは律子だけではなく百合子も、そして意外なことに春華も同じ気持ちだった。こればかりは、密かに終わろうとしている世界に残される者にしか分からないだろう。放課後、賑やかだった教室がひっそりと静まり返っていたり、部活動に励む生徒達の声が聞こえなかったり。職員室も空席が目立つようになった。当然、メインキャラクター達はそんなことには気付かない。モブとしてその世界に生きた者だけが、同志の輪廻を察し、時には次の世界での成功を祈っているのだ。

 それでもこの作品にいる間は最後まで役割を全うしたいと思うのが百合子という女だ。彼女はそんな感傷をおくびにも出さず過ごしていた。先ほども述べたように、いよいよスタッフロールが流れるような時間であると、もの悲しさを覚える気持ちが無いわけではない。ただ、彼女は人一倍それを隠すのが上手かった。それだけのことである。


 これまで培ってきたモブとしての平凡さを総動員し、百合子は帰りのホームルームで担任に挨拶をしていた。百合子に続いて全員が礼をする。

 おそらくはこれがこの世界で務める最後の日直だろう。晴れて放課後を迎えた生徒達は寮に戻ったり、座り直して遊ぶ予定を立てたりしていた。

 この時期、モブは連れ立ってどこかに行く機会が増える。この時期というのは、エンディングを迎え、輪廻を控えるこの時期である。何も活躍出来なかった者も、出しゃばろうとして小さな失敗を犯してしまった者も、小さなことは水に流して、輪廻を迎える前に遊びに行くという習わしが一部のモブの中ではあった。

 要するに打ち上げである。大体は余計な騒ぎにならないよう、ささやかに行われていた。羽目を外すにしても慎ましやかなのはモブならではかもしれない。

 大ベテランである百合子をその集まりに誘える猛者はこの世界には居ないようだが、誘われても彼女はきっと断っただろう。


 百合子は着席したあと、筆箱から取り出したシャープペンを握っていた。そうして学級日誌を開いて一日のことを綴る。これを読む教師はいるのだろうか、等という考えが頭を過ぎるが、居なかったからと言って彼女が手を抜くことは有り得ない。このクラスに在籍する高嶺百合子という女はそういう女だ。

 一通り書き終え、おかしいところはないかと読み返していると、百合子の頭の上から声がした。顔を上げると、そこにはなんと犬塚が居た。メインキャラクターの方から声を掛けられることは稀にあるが、それにしても妙なタイミングだと、百合子は内心で驚いた。


「あの、あのときは、ありがとう」

「……あのとき? なんのこと?」

「ほら、彼の話聞いてくれたとき」


 犬塚ははにかむ。圭吾とくっついた彼女の今後が語られることは無いかもしれないが、それにしてももし彼女を泣かせれば、きっと百合子が許さないだろう。自分を変えるきっかけとなる出来事を作ってくれたせいか、それともただの情か。百合子は犬塚に、ほんの少しだけ友愛の情を抱いていた。

 視界の端を確認してみると、ヒロインに話し掛けられているというのに、何色のランプも点いていなかった。番外編の構成には何の影響もない会話らしい。それを確認してから、百合子は優しく微笑んだ。


「そんな。あのとき、私は失礼なことを」

「いいの! あれで私も冷静になれたし。本当に、言われた通りだなって思えたから」

「そう?」

「うん! お仕事中ごめんね! それだけだから!」


 そう言って犬塚は走り去っていった。呆気に取られた百合子だったが、当然悪い気はしない。


「やっぱり、ヒロインは可愛いものね」


 誰にも聞こえないような小さな声で呟くと、百合子は日誌を「いい一日でした」と書き足し、荷物をまとめた。




 百合子は早めに寮に戻り、翌日の支度をしていた。たとえ今晩輪廻が始まると神から聞かされたとしても、百合子は同じように翌日の支度をするだろう。それが彼女のルーティーンである。部屋の中でコマに捕まるようなことがあるとも限らない。めざとい読者が違和感を持たないよう、細部まで気配りを惜しまない。

 こんなものかと、支度を終えた鞄を机の横に置こうとしたところでノックの音が鳴った。しかし、百合子はノックの相手は誰か等と考えることはしなかった。音の調子から春華だと分かった彼女は、鞄を置くと「入っていいわよ」とドアに向かって声を掛ける。

 遠慮するような素振りを一切見せず、扉から顔を覗かせたのはやはり春華だった。二人の仲で気を遣えと言うつもりはない百合子だが、それにしても春華は百合子の部屋に足を踏み入れる際に戸惑いがない。まるで自分の家に帰ってきたかのような、自然な所作である。着崩したジャージというラフな格好で部屋に入ると、テーブル横のいつもの場所を陣取り、白いクッションを抱えた。

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