2.
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三人は解散してそれぞれの教室へと戻った。しかし、まるで何も企んでいないという何気ない素振りで着席したのは、百合子と律子の二人だけである。春華は誰の目から見ても分かるほどに、そわそわしていた。
百合子は席に着くと、次の授業の教科書を机に出す。ほぼ同時に震えたスマホをチェックすると、ディスプレイには春華からのメールがあったことを知らせる通知が入っていた。中身を確認した百合子は絶句した。
『けいごはいてもどおりたよ!』
「変換の仕方を知らない上に誤字が多い」
怒りを通り越した呆れを、律子と共有したい気持ちでいっぱいの百合子だったが、あいにくそれぞれ教室に戻ってしまっているので叶わない。
ひとまず大人しく過ごそうとした百合子であったが、あることを思い付き、しまいかけたスマホを再び取り出した。
『もし圭吾よりも後ろの席なら、授業中の様子もさり気なく探っておいて』
そうして送信ボタンを押すと、百合子は授業の準備を再開した。筆記用具を取り出し、ノートを机から出して教科書の隣に並べる。背筋を伸ばして一息つくと、予鈴と同時に中年の男性教員が教室へと入ってきた。
彼は教壇に立つと、おもむろに教卓に授業道具一式を置き、チャイムが鳴るのを待つ。百合子の席は最前列なので、その様子がよく見えていた。
左端にランプは付いていない。スマホが震えたが、教師の視線があるため授業後に確認しようと心の中で決める。それからまもなくチャイムが鳴った。
「きりーつ。礼」
日直の挨拶に合わせて頭を下げ、ちょうどよいタイミングで着席する。座るのが早すぎても遅過ぎても目立ってしまうので、百合子はこのような些細なことにも気を配っていた。しかし、彼女のそんな些細な気遣いに気付くのはモブの半数程度だろう。百合子の所作は完璧過ぎるが故、モブ達の中でも埋没しつつあるのだ。
全員が着席すると、授業が始まる。男性教員は予定通り、化学式についての説明を始めた。それは、百合子ほどの者になると、何度も聞いてきた授業だった。何度目になるか分からない授業を聞き流す。が、妙に落ち着かない。
何の変哲もない授業にも関わらず、百合子の中では得体の知れない不安のような何かが膨らみ続けていた。ランプが点いていないとはいえ、最前列に座る彼女が授業態度を顧みないなんて、平時であれば考えられない。自身の中に広がる嫌な感覚を払拭する為、彼女はある決心をした。
「……っ」
焦燥に駆り立てられた百合子は、男性教員が黒板へと振り返るタイミングを見計らってスマホを取り出したのだ。完璧なモブとして振る舞う百合子にとって、それは有り得ない行為であった。しかし、今ばかりは百合子は自分の直感を、正しいと思うことを優先させた。
手早くメールを確認する。スマホは、メールの受信をランプで知らせていた。
『じつは、まうしろ! ようすをみて、てがみで、いぬずかのこと、どうおもてるのか、きいてみる!』
露骨過ぎるだろうが、やめろ。百合子はついそう声に出しそうになるのを堪えてスマホを握りしめた。
読点欲張り過ぎ、変換くらい覚えろ、犬塚は“ず”じゃなくて“づ”、せめて誤字をするな、全ての要素が相俟って原人とメールしてるような気持ちになる。頭の中に浮かんでは消えるツッコミの数々が、その用件にかき消される。
――どう思っているか、直接訊く……?
強いストレスでぶっ倒れそうになるのをどうにか堪えながら、春華の愚行に耐えきれなくなった百合子はよろよろと手を挙げて、男性教員に訴えた。
「すみません……体調が優れなくて……」
「何。それはいけない。保健室に行ってきなさい。保健委員は誰かな」
「あ、いいえ、一人で行けますので……」
「ふむ、そうか……よしわかった。気を付けてね」
普段の授業態度の賜物か、百合子は一人で教室を出ることを許された。苦痛に表情を歪める演技は必要ない。春華のやろうとしていることを思い浮かべるだけでその表情は容易に作れてしまうのだから。
ゆっくりと教室を出た百合子は、後ろ手に教室の扉を閉めると、忍者のように腰を低くして音も無く駆け出した。教室のドアに据え付けられている窓よりも身体を低くし、授業中の教員や生徒から見えないよう、可及的速やかに廊下を駆け抜ける。目指す先は、春華のいる3年1組だ。
誰とも遭遇しないまま3年の教室が並んでいるフロアに到着すると、百合子は端の教室を目指した。1組の教室の後ろの扉まで移動すると、少し息を整える。僅かに開いた隙間から中を窺うと、春華の姿はすぐに見つかった。
――いた……!
百合子に緊張が走る。春華は今まさに紙切れを折り畳んでいるところだったのだ。やけにニコニコしているところが余計百合子の怒りと呆れを誘う。直接聞いてみるというのは、あの手紙がそうなのだろう。春華のやろうとしていることを確信した百合子は、いざという時の為に常備している筒状のものを腰から取り出した。
春華は紙を畳み終えると、少しだけ教師の様子を窺うような素振りを見せたあと、主人公である圭吾の背中をちょんちょんと数回突っついた。
――やめなさい……!
「フッ……!」
圭吾が振り返る。そこには、机に突っ伏して眠っている春華が居た。背中に触れられた感覚と、後ろで鳴ったぱたんという物音が気にならないわけではなかったが、後ろの席の女は眠りこけているので追及のしようがない。彼は頭に疑問符を浮かべつつも、視線を前に戻したのであった。
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