1-4
百合子と律子の視線の先には、三原 春華がいる。彼女は自分が注目されていることなどつゆ知らず、今も美味そうにカレーうどんを啜っている。その脳天気な素振りを見ただけで、百合子は目眩を起こしそうになる。
「……なぜモブなのか分からないくらい目立つし、私達が彼女を手元に置いて監視するのはいい作戦だと思うわ。だけど……」
「なんですか?」
「彼女、隠れモブの可能性は無いの? プロフィールもかなりのものだけど、なにより顔が良過ぎるわ」
「あっ……すみません、その可能性は考えていませんでした……そうですね、あれだけ個性のある人なら、もしかしたら……」
隠れモブ。それはつまり、伏線として最初はモブとして登場させられ、物語が進んでから主要キャラとして扱われる人物である。「よく見たら初期からちらちらコマの後ろの方に映ってる!」というキャラクター達は、モブ達の間ではみな隠れモブと呼ばれている。
人気が出てしまい、メインキャラに昇格するモブと混合されがちだが、彼らには視界の端でコマの動向を知る器官が無く、キャラクターデザインもモブとは一味違うので、よく観察すればすぐに違いが分かるのである。ちなみに、同一作者の新作に旧作の主人公がモブとして溶け込む場合は、VIPモブと呼ばれる。
「でも、彼女が隠れモブだったとしたら、物語を動かすには余計都合が良くないですか?」
「そうね。何か目立ってしまうようなことがあっても彼女を隠れ蓑にすればいいのだから」
「ただのモブだったら罪の擦り付けになっちゃいますけどね」
「モブには強かさも必要よ」
「百合子さん!?」
「冗談よ。早速コンタクトを取りましょう」
百合子は食堂の椅子から立ち上がると、周囲を窺いながら颯爽と春華に近付いた。左下、ランプは未だに無反応である。この世界でコマに捕まっている人物はいないことを確認すると、春華の隣の椅子を引いて声を掛けた。
「ここ、いいかしら」
「椅子引きながら言うセリフじゃないでしょ。誰?」
「百合子っていうの。いきなりだけど、単刀直入に訊くわ。あなた、視界の端にランプが見えている?」
「見えてるよ、モブだもん」
ずぞぞとカレースープを飲み、春華は笑いを漏らす。何を今更馬鹿なことを訊いているのだとでも言いたげに破顔して見せた。しかし、百合子の後ろについてきた律子は、春華の反対側の席に座ると、硬い表情のまま言った。
「とてもそうは見えませんけど」
「そんなこと言われても……あたしがこんな見た目なのはあたしのせいじゃないし。作者がたまには長身女子描きたい〜、とかで生み出されたとか?」
「ということは、あなた、
「なにその質問……。あ、処女好きなの?」
「そういう意味で言ったんじゃないわ。あんまりふざけてるとそこの窓から放り投げるわよ」
「学園ミステリーになるからやめてくんないかな」
初めて言葉を交わしたとは思えないほど、春華は百合子と打ち解けていた。一応はモブであるという春華の言葉に安心した百合子と律子であったが、傍若無人な振る舞いを見たところ、モブらしく動けるかどうかはまだ怪しいところである。
また、初物であるという憶測は、密かに律子の溜飲を下げていた。ある程度、経験を積んだモブであれば、初対面で百合子にタメ口をきく者はほとんど居ないだろう。百合子は気にしないが、律子に言わせればそれは無礼だった。何も知らないのであればその狼藉を許そうという気持ちにもなれる。春華は知らず知らずの内に律子の機嫌を損ねて、知らず知らずの内に取り戻していたのだ。
「初物っていうのは、輪廻した魂ではなく、この作品で生まれたということを意味する言葉よ。決して処女のことではないわ」
「……は? 宗教の勧誘ならお断りだよ?」
「はぁ……先が思いやられますね」
どうやら春華はこの世界のルールを知らないらしい。ランプについては視界の隅に常に存在するものなので、無視のしようがないだろう。しかし、この世界の仕組みや成り立ちについて、話題に上げるような生徒はなかなか居ない。相手が初物のモブだったとしても、だ。今の百合子達のように、怪しげな宗教の勧誘に間違えられるに決まっている、と、誰もが分かっているのだ。
しかし、明確な目的がある二人はそこで止まらなかった。百合子の説明に律子が補足する形を取り、それはそれは丁寧に説明した。この世界の在り方を。時折、相槌を打って春華は頷く。一通り説明を聞き終えると、彼女はしみじみと言った。
「やっと分かった……たまにクラスメートが話してたんだ、前の世界はどこに居たとかなんとか。それって、そういうことだったんだ」
「でしょうね。ちなみに律子さんはどんなところに居たの?」
「私はデスゲームの為に閉じ込められて、パニックになって逃げようとして主催者に殺される役でしたね」
「あんまりでしょ」
律子の過去を聞き、唖然とするのは春華だけであった。百合子はというと、うんうんと頷き、その後「よくやったわね」と、彼女を労った。その言葉を聞くと、春華の表情は更に強張りを見せる。
「えぇ……死んでるのに……」
「それが重要なのよ。きっとメインキャラクター達が律子さんの死を見て自覚したはずよ。これは脅しや冗談、ドッキリなんかじゃないって。私達は世界観を作る背景、そして時には装置なの」
「限度があるって話だよ。あたしはこの世界の主人公やヒロインの為に死ぬのは御免だな」
「大丈夫よ、ラブコメだもの」
「そりゃそうだけど!」
春華の言葉を遮るように、百合子がさっと手を上げる。律子も異変に気付いたらしく、すぐに押し黙った。春華だけが取り残されたように、訝しげな表情で周囲を見渡す。辺りに何か変化があるようには見えない。しかし、春華から見た二人の顔は真剣そのものだった。置いていかれたような感覚のまま、小声で呟くことしか出来なかった。
「急になんだよ……」
「気付かないの? 左下」
「……あ、そういうことか。ごめん」
視界の左下、そこには黄色のランプが点灯していた。百合子は注意深く、それでいて自然な動作で辺りをチェックする。どうやら食堂でコマに捕まっている人間はいないようだ。
「ここじゃないみたいね。そろそろ動き出したのかしら」
「だといいですけど……そろそろお昼も終わる時間ですし、一旦教室に戻りましょうか。詳細は放課後打ち合わせるということで」
「そうね。律子さんはどのクラス?」
「私は2年3組。ヒロインのライバル、
「春華は?」
「あたしは3年1組。主人公の
「百合子さん……は、ヒロインの
「えぇそうよ」
ここにいる三人が、最も物語に深く関わるキャラクター達と同じクラスであることを知ると、百合子はいよいよ覚悟を決めた。
「……ある意味ベストな配置ね。律子さん、やりましょう」
「じゃあ……!」
「ごめん、何の話?」
困惑する春華と、少し頬が熱くなる百合子。柄にも無く先走ってしまったことを恥ながら、百合子は経緯を語った。どうやら面倒なことに巻き込まれそうだと認識した春華だったが、彼女もこの状況をどうにかしたいと考えていたので、まさに渡りに船だった。
「今回コマに捕まっている分でストーリーが進んでいなかったとしたら、決行しましょう」
「どうせまた、本編では1コマしか使われないような日常シーンじゃん? 時間が短すぎるもん」
「そうじゃない方が有難いけど、その可能性は残念ながら低くないわ」
春華の発言に同意して、百合子はスマートフォンを取り出した。連絡先を交換しておきましょう。そう言うと、二人も倣うようにポケットから携帯端末を取り出す。しかし、春華の手に握られているものを見て、二度見の後、百合子は小さく怒鳴った。
「なんで今どき折り畳み式の携帯使ってるのよ……!」
「簡単でいいんだ、これ。あたし、機械苦手だからさ」
「ボタン、デカ過ぎて面白いんですけど」
「あなた、一体いくつモブっぽくない性質を持てば気が済むの……!」
「そ、そんなこと言われても……」
主に機械操作に慣れていない高齢者向けの端末を持つ女子高生に生まれて初めてお目にかかり、律子は乾いた笑みを浮かべながら呆れていた。その視線に晒された春華は、頭をぽりぽりと掻きながらため息をつく。
そして、連絡先を交換しながら、独り言のように「モブって、なんでも平均的にこなせなきゃいけないから大変だよな」とぼやくのであった。
「とりあえず、何かあったら律子さんにはアプリでメッセージを、春華には……今どきアレだけどメールを送るわ」
「別にいいじゃん!? メール便利じゃん!?」
「あなたには分からないかもしれないけど、メッセージアプリはもっと便利なのよ」
「トゲがある言い方するね……」
「春華さん、教室に戻ったら主人公の様子を私と百合子さんにメールしてください」
「はぁ〜……了解」
こうして解散した百合子達。百合子は教室に戻る途中で、黄色のランプが消えたことを確認する。どうやら事態は進展していないようだ。そう確信すると、彼女は教室へと急ぐのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます