第十七話 夏のある日に

 七月も下旬に差し掛かり、夏休みが始まった。課題に追われながらも、生徒たちはそれぞれの夏を楽しもうとしているようだ。

 そんな中で、舞華たち三人はグラウンドに来ていた。清々しく晴れ渡った炎天下の中、陸上部の生徒がランニングをしている……一人を除いて。


「それで、今度は何の用かしら。姫音さん?」

「実はちょっと筋トレとかしようと思ってて、水野先輩なら詳しいかなーって」

「……意味がわから」


 何も知らされずに呼び出された律軌がぼやくのを、優乃が肘でつついて止める。

 美空は怪訝な目つきで、笑顔の舞華をじっと見つめながら質問を続けた。


「それなら運動部に入るなり、ほかの人に聞くなりすればいいじゃない。わざわざ私に聞く必要ある?」

「いやほら、天祥って寮生活じゃないですか。体動かすことが少ないと筋肉減って弱っちゃうなって」

「それこそ運動部に入りなさいよ、私を選んだこととどう関係するの」

「校内の知り合いでスポーツやってるの、先輩しかいなくて」


 実際のところ、魔法少女として戦うために三人の役割をはっきりと定めておくべきだと感じたことが原因であり、特に素早く動く舞華と敵の攻撃を直に受ける優乃は基礎的な筋力と体力を身に付けるべきだろうと話し合ってここに来ている。律軌は何も知らされていない。

 そして、美空を選んだのは……

 ―――美羽と話したんだけど、パイセン部活でハブられててサミシーんだって! 元々面倒見いーらしーからなんか頼ってあげてーって!

 という杏梨からの情報を聞いてのことだった。恐らく、その「頼ってあげて」は杏梨個人に向けたものだろうが。

 暫く黙ったあと、美空は背を向けて一言、


「自己ベスト伸ばすのに忙しいから、そう時間は取れないけど」


 とだけ言った。

 ここで舞華は、美空が背を向けて話すときに笑顔になっていることに気付いた。口角を上げたところを見られたくないのだろうか。

 ともかく、許可は取れた。舞華も振り返り、背後の二人に呼びかける。


「よし、じゃあ頑張っていこう!」

「おー」

「何の話か教えて」


 元気よく右手を振り上げながら、舞華はふと思い出した。

 ―――そういえば、美南ちゃん大丈夫かな。




「堀内」

「ぴぇっ」

「待たせたな」

「い、いぇ……そんな、こと、ない、れす……」


 一方で美南は、円花と並び外出していた。夏休み前、唐突に二人で出かけたいと誘われた時は白目を剥いて倒れかけたが、どうにか話を了承して今日に至る。

 そして、ここまでなら今ほどの緊張は無かったのだが。

 ―――それってつまりデートっしょ!?

 服選びに困り舞華に相談を持ちかけた時に芽衣が放った悪気ない一言が、美南の体を余計に強ばらせていた。


「そう緊張するな。何も取って食おうという訳じゃない」

「ふぁい……」


 なんとか言葉は返せていても、頭の中は散らかったまま片付かない。何故わざわざ自分と二人で、と変に勘繰ってしまう。

 何か悪いことをしただろうか。しかしそんな態度は見られない。万が一億が一自分が過大評価されているとすればそんなことはないので―――


「っおい!」

「ぴっ!」


 耳元での大声と、引き寄せられる感覚で我に返る。完全に視覚と聴覚から意識が外れ、赤信号を無視しかけていた。

 状況を認識すると共に、強烈な寒気に襲われる。さすがに混乱しすぎていた。

 ひとまず謝らなければと顔を上げると、目の焦点が合わない。それが、円花の顔と自分の顔が触れそうな程に近いせいだとわかると、今度は顔から火が出るように体温が上がった。


「……ぉ、ぅえん、あひゃ……」

「どうした? 体調が悪いんじゃないのか、無理はしていないか?」


 ―――してますけども。

 辛うじてそれだけ頭の中に浮かんだものの、混乱が混乱を呼びパニックになってしまっている。

 円花も事態を重く見たのか、通りを外れて美南を座らせ、鞄からペットボトルを取り出した。


「水だ、飲んで落ち着け」

「ん、んくぅ……」


 勧められるままに水を飲み、一度大きく深呼吸する。やっとのことで人心地を取り戻した美南は、十秒ほど思考を整理してから呟いた。


「ごめんなさい……」

「いや、いいんだ。私の方こそ気遣いが足りなかったな。調子が悪いなら」

「いえっ! わ、わりゅくは、ないんでふゅ!」


 無我夢中で喋ったせいか舌を噛む。また二十秒ほど悶絶してから、再度口を開いた。


「はぁっ、あの、ふた、二人だけで、お出かけって、し、したこと……なくて……」

「……そうか、それで張り詰めていたんだな。お前の気持ちも考えずに、すまない」

「ひぇん!? せ、先輩が、あああ謝る必要はにゃくて、その……ううぅ……」


 上手く話せない。元から喋ることは苦手だが、今日は考えることすらままならない。無論、どれだけ勘繰ったとしても円花と出かけられることは嬉しい。だが、それをどう伝えたものかわからない。

 ただ、表情に影を落とす円花を見て、少しずつ美南は冷静になってきた。数日前、舞華に言われたことを思い出す。


『どうしても緊張はしちゃうだろうから、しないようにとは考えないで。上手く話そうとか先輩に悪いとか、そういうことの前に、まずは自分の考えをしっかり口に出せるよう頑張ろう』


 口の中がこれまでにない速度で乾いていくのがわかる。勿論、思ったことを口に出すことすら美南にとっては至難の業だ。

 それでも、舞華は断ってもいいとは言わなかった。無理なら行かないほうがいいとは言わなかった。それは、美南の意思を汲み取っているからだ。

 今一度、ゆっくりと呼吸を整え、美南は落ち着いて口を開く。


「せ、先輩。あの、あの、ですね……わたし、う、嬉しい、ん、です。初めて、家族以外の人と、お出かけ……できて」

「堀内……」

「だから……緊張、は、しちゃうんですけど、か、帰りたくは……ない、です……」


 視線も合わせられず、尻すぼみにこそなったが、自己評価としては満点以上だった。ここまで話せるとは自分でも思っていなかったと、心の内で自らを鼓舞する。

 それよりも、じっとこちらの目を見つめてくる円花の視線が痛い。元より他人の視線が苦手なこともあって、まともに目を合わせられない。

 しかし、円花は口角を緩めるとおもむろに美南の頬を撫でた。


「ぴぃ!」

「そうだな。せっかく付き合ってくれたんだ、お前が楽しいと言うまでは帰さないぞ」

「ぴぇ……」


 円花は立ち上がり、美南も水を一口飲んでからそれに続く。

 まだ太陽は昇りきっていない。お楽しみは―――これからだろう。




 その一方、大通りに位置するカフェのテラスでは、芽衣と皐月が腰を降ろしていた。午前の時間を目一杯使った買い物の成果は、テーブルの下で所狭しと並んでいる。

 芽衣はカフェオレ、皐月は抹茶ラテを飲みながら少しの休息を取っていた。


「っはーー!! 回った回ったー!」

「ええ、随分と買い込みましたね」

「とりあえず今シーズンはコレでいくかな~、着るチャンス無さそうだけど」


 新品の服を見つめながら自嘲気味に笑った後、芽衣は皐月に向き直って問いかけた。


「そーいや結局あたしの好きに動いちゃったけど、これでいいの?」

「はい。私は芽衣と一緒に回りたかっただけですから」


 そう、今日の外出を切り出したのは芽衣ではなく皐月の方。彼女から何かの誘いを受けるということは珍しく、芽衣としても初めは少し戸惑った。

 天祥から出てからも、何処かへ行きたいと言うでもなく芽衣に任せるというので、実のところ動きにくさを感じていたのも事実だ。


「せっかくこうして同じ学校に来たのですから、共に過ごす時間は多い方がいいでしょう?」

「あはは、そーだね。っと、あたしちょっと外すわ」


 席を立って店内へ歩いていく芽衣の背中を見送りながら、皐月は名残惜しそうに一言だけ呟いた。


「……この三年間が、最後になってしまうでしょうから」





「ここだ」

「ここって……」


 円花に連れられ美南がやってきたのは、洒落た外観に多数の人が並ぶ場所―――スイーツビュッフェだった。

 予想外の選択に美南が目を白黒させているうちに、円花はさっさと列に並ぶ。慌てて美南もそれに続き、そう長くない列の最後尾に加わった。


「あの、どうしてここに私と……」

「ん? ああ……私はティータイムは賑やかな方が好みでな」


 言葉の意味は理解できても、賑やかという言葉と自分の存在が余りにもかけ離れているため混乱してしまう。

 何と言葉を返したらいいのかと思考を必死で巡らせているうちに列は進み、店に踏み入れる頃には完全に脳が熱暴走してしまっていた。


「大丈夫か?」

「は、ひゃい……」

「まあ、好きなものを取ってこい。ゆっくり話しながら過ごすとしよう」


 促されるがままに一旦席を離れ、とりあえず最低限のケーキと紅茶を用意する。手のひらに乗ってしまうほど小さく真四角に切られたケーキを見つめて、四角四面という言葉が頭をよぎった。気の利いた話もできず、相槌を打つことすらも満足にできない自分が、この場にいていいのだろうか。

 考えれば考えるほど気持ちが沈んでいってしまう中、席につくと程なくして対面の位置に円花が戻ってきた。


「待たせたか?」

「あ、いえ……」

「そうか」


 ―――沈黙。緊張のあまり形だけ口に入れたケーキの味がわからない。むしろ何か苦い気すらする。

 何か話さなければ、話題はないか、何か


「姫音たちとは」

「ぴ!?」

「? 最近どうだ?」

「ぴぇ、ぁ、はぃ……良くして、もら、ってます……?」


 返答の歯切れが悪すぎる。意味としては言葉の通りなのだが、舞華が他人に対しネガティブに接しているところを見たことがないため美南としては月並み以下のことを呟いただけだった。

 それよりも、最初の話が自分の交友関係であったことから、要らぬ不安を抱かせているのではないかと勘繰ってしまい胃が縮む。


「期末の結果は良かったか?」

「ふぇ、はい……ぁの、ありがとう、ござい、ました……」

「そうか、それなら何よりだ」


 わざわざ自ら教授してくれたことを無駄にできないと、自主的な復習を心がけたこともあって美南の成績は中間を大きく上回る結果となっていた。

 しかし、そこを気にされていると取った美南は更に萎縮。既に泣きそうになってしまっている。

 円花もそれを察していたのか、一度手を止めると語調を和らげるよう心がけながら美南に言葉を投げかけた。


「堀内」

「は、い」

「期末を乗り越えたご褒美だ、お前のわがままを何でも一つ聞いてやろう」

「ふぇっ」


 美南が何度も繰り返し緊張してしまうことは、円花もこれまでの経験で理解できていた。まだ完璧にタイミングを掴めてはいないものの、反応を見て察することは少しずつできるようになった。

 無論、何気なく言っただけの今の言葉が美南にとっては重圧になりうることもわかっている。それでも、自分なりのやり方でどうにか美南の心を開きたいと思っての行動だった。

 手を止めて、美南は暫く考え込む。円花も同じく手を止めて、美南が口を開くのを待った。

 逡巡の中で、美南は数日前のことを思い出す。二人で出かけると舞華に相談したこと、それを芽衣と杏梨が茶化して、皐月と優乃に叱られていたこと、そして最後に、皐月に言われたこと。


『美南さん。どんなに怖くても、相手への想いは口に出さなければ伝わりません。どうか、自分に嘘をつかないように』


「……それ、じゃあ」

「ん」

「わ、わたし、には……その、ちゃんと、弱い、ところも……見せて、ください」


 ―――予想外の言葉に、目を丸めて驚いた。

 長い前髪越しに見る美南の瞳は、これまでにないほど強く円花を見据えていた。

 言葉を詰まらせながらも、美南は小さな声を振り絞って精一杯を伝える。


「先輩、はとても、強い、人、です……だけど、何も、辛くない、なんてことは、ない、はずだ、から……せめて、わたしには、愚痴、とか、弱音、とか……吐き出、して、くだ……さぃ……」

「……」

「こ……これが、先輩の、き、気に入った……わたしの、わ、わがまま、です……」


 もしティーカップを手に取っていたら、間違いなく取り落としていただろう、それほどの衝撃があった。あろうことか、あの美南が、逃げ道を塞ぐために挑発したのだ。

 円花は顔を伏せ、今の言葉を噛み締める。


「そうか……そうか」

「……」

「っふふ……くはは……! ここが個室なら大声を上げて笑うところだ!」


 再度顔を上げると、円花は右手を美南の頬に添える。小さい顔の中に、確かな熱が感じられた。

 しばらく、互いの目を見つめ合う。美南の緊張と熱が入り混じった視線と、円花の慈しむような優しい視線が手を握るように絡み合っていた。


「堀内」

「はいっ」

「今夜はお前の作った料理が食べたい」

「ぴぇっ」

「いいな?」


 突然の提案。それも意趣返しとばかりに念を押し、美南の逃げ道を潰している。

 もちろん、美南だってこの三ヶ月間まったく料理をしていない訳ではない。むしろサボり気味で舞華に度々叱られている芽衣や杏梨と比べればかなり頻度の高い方だ。自分の手で作り置きに適した料理を調べ、どうにか工夫して複数日分を一気に作って暮らしている。回数に比例して、腕も上がっているように感じてはいる。

 しかし、それでもまだ他人に出せるようなレベルのものではないと思えてならない。ましてや現在進行形で多くの恩を受けている円花に対してなど、言語道断もいいところである。 ……が。

 ―――こっちが乗ったんだ、お前も乗ってくるんだろう? と言わんばかりに、円花の口元が緩んでいる。もはや口先でどうにかするのは不可能だ。


「……ま、かしぇてぃぇ、くら、ひゃぁい……!」

「呂律が回ってないぞ」

「うぅ……が、がんばり、ましゅ」





「ふぁー! ただいまー!」

「お疲れ様です」


 夕陽が差し込む頃、芽衣と皐月は寮へと帰ってきていた。買い込んだ服をどうにか収納し、外出の予定に合わせて洗濯するという形に決めたことで、今日はもう何もしなくて済む。

 持ち帰った荷物のほとんどは芽衣のものだったこともあり、彼女の部屋で麦茶を飲んで体を休めているところだ。


「なんか、結局付き合わせちゃったね」

「いいんです。あなたと私の仲でしょう?」

「っはは、殺し文句じゃーん」


 軽い受け答えと共にコップを口に運ぶ芽衣を見て、皐月の心に、刺すような痛みが走る。

 今だけではない。自分が何か恐ろしい目に遭い、舞華たちに救われてからというもの、芽衣のことを考えるたびに針で刺したような不可思議な感覚が皐月の心を襲うのだ。

 それはきっと、あの時に再確認してしまった事実。


「……芽衣は」

「んー?」

「将来の夢など……ありますか?」


 思わぬ質問に、芽衣は口を開けたまま固まる。親の決めた人生を歩むことに悩んでいた皐月には辛いだろうと、今まで話題に出すことを避けていた。それを今、皐月から自分に向けて聞かれたのだ。

 胃が引き締まるような感覚。また何か悩んでいるのだろうかと幾つもの憶測が脳裏をよぎる。


「なに……辛いこととか、あった?」

「いいえ。ただ、今まで聞いたことがなかったので」

「そう……いや、あたしもそんな真面目に考えてこなかったし……すぐには言えない、かな」


 一転して表情を曇らせる芽衣を見て、皐月はどこか安堵に近い息をつく。自分でもそれが何かはわからないものの、溜飲が下がり気持ちが落ち着いた。

 身を乗り出し、芽衣の頭に手を置く。まだ愁眉の解けないその顔を、自分の胸元へと抱き寄せた。


「でしたら、一緒に考えていきましょう。これからどうするか、二人で」

「……うん」

「大丈夫。芽衣なら、きっと」


 皐月には、自分の抱く感情が何であるのかわからなかった。芽衣には、皐月が何を思ってこんなことを言うのかわからなかった。

 ただ二人で、霧のように掴めない感情の中。守るように身を寄せ合っていた。





 その夜。舞華たち三人は美空の指導で自分にあった体の鍛え方を覚え、疲れた体を浴場で癒し終えたところだった。


「いやー、体動かすと気持ちいいね!」

「ですね」

「……疲れただけでしょ……」


 言葉を交わしながら二階への階段へ向かう途中、ふと舞華が足を止め振り返る。

 すれ違った上級生―――黒い短髪の暗い顔をした生徒に、見覚えがあった。


「どうかしました?」

「え、あ……今の人、どこかで見たような……ねえ律軌ちゃん」

「見ていなかったけど」

「えーちょっとー」

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