第十六話 灰の果実に彩りを

 雲が月を隠す。消灯時間を過ぎた天祥学園の中はまるで作り物のセットであるかのように静まり返り、遠く住宅街から漏れる明かりが見えている。

 虚ろな目でグラウンドの中に立つ杏梨の両手には、木製の黒い円柱が握られていた。長さにして約三十センチ前後、直径は三センチ近くと太いもので、付近にそれ以外の楽器らしきものは見当たらない。


「あれは……」

「クラベスですね。両手の木を打ち付けて音を鳴らす楽器です」

「なんでそんなものを……」


 三人の言葉と続くように杏梨の姿勢が変わる。左手に持ったクラベスを横向きにし、右手のクラベスを叩きつけて演奏を始めた。

 リズムよく響く木の打音は、このような状況で無ければ気持ちよく聴けたのだろうか。しかしながら運ばれて来るのは不気味さを纏う魔力の風。

 舞華は目を閉じ、呼吸を深める。心の内に渦巻く熱を、拳に込める力へ変えていく。感情的になってはいけない。勝てるものも勝てなくなる。

 心配ない。私は一人じゃない。

 その想いに応えるように、ブローチが輝きだした。


《魅せよ、第一の舞・契約の主天使達! 悪を打ち砕き、正義を貫く我が身に光を! ドミニオンズ!!》

《響け、第一の歌・契約の力天使達。高潔を以ち、正義を照らす我が手に奇跡を! ヴァーチュース!》

《轟け、第一の戦慄・契約の能天使達。掟に従い、悪しきを正す我が手に武器を。エクスシーアイ!》


 弾けるように散った魔力が、凛々しく立つ少女達を照らす。その明るさとは対照的な暗い力の奔流もまた収まりを見せ、それは姿を現した。

 頭には角、背中には蝙蝠を彷彿とさせる一対の翼。悪魔という前提を通して見るのであれば特徴の見えない典型的なデーモン、一般的なイメージ通りの悪魔といった容姿。

 しかし、舞華が昼に見た時とはその表情が違っていた。あの見せつけるような醜悪な笑みは消え、明らかに余裕を失っており、焦りや怒りの入り混じったであろう複雑な顔つきで舞華を睨みつけている。


「貴様……! よくも余計なことを……」

「事実が自分の都合に合わなかっただけでしょ。そんなことでキレないでよ」

「黙れ! 私がどれだけの苦労を経てこいつの憎しみを増幅させたか」

「だからそう怒らないでって」


 怒りに任せ早口でまくし立てる悪魔の声が、途切れる。

 ―――突風。優乃と律軌にはそうとしか感じられなかった。一歩踏み込んだ舞華が、次の瞬間には十メートル近い距離を詰め悪魔の眼前にいる。その手に剣は握られておらず、右手の拳には手甲が光を放っていた。


「こっちだって、とっくにキレてるんだよ」

「ごっ……!」


 顔面への容赦ない一撃。爆発しそうな感情の押し込められた拳は、魔力をより強く増幅させ致命傷になりうる威力を生み出していた。

 しかし相手は腐っても悪魔、後ろに倒れそうになるもどうにか踏みとどまり、鋭利な爪で切り返しの一撃を振るってくる。

 それに対し舞華は左手を立て防御。両者はどちらからともなく距離を離した。


「ぐぐ……おのれ……」

「来なよ。まだ元気でしょ」


 一言交わすのも束の間、再び舞華が踏み込む。今度は低めの姿勢からアッパーカットの構えを取っている。

 地面を強く蹴り、全体重を乗せた拳は―――空を切った。舞華が拳を突き出すタイミングに合わせて悪魔もまた飛び上がったのだ。ここが屋外である以上、翼を持つ悪魔は高低差の有利を持っている。


「させない……!」


 すかさず律軌が拳銃を放つ。が、たった一発の弾丸は機敏な動きで避けられた。高さにして六メートル前後、魔法少女の脚力をもってしても届かない距離だ。

 悪魔の動きについていくには速射性の高い武器が必要、そう踏んだ律軌がギターを呼び出そうとしたその時。


「っ」

「な……」

「ふぅ……これで迂闊には手を出せまい」


 地上にいたはずの杏梨が、いつの間にか悪魔の隣に浮かんでいた。胴体を魔法陣で縛られ、まるで盾にするような位置に置かれている。

 少女達はすぐに理解した。下手に撃てば、杏梨に当たる。そして、現状攻撃できるのは律軌だけ。こちらの動きは完全に封じられる形となった。


「何もまともに相手をすることもあるまい。なあ?」

「こいつ……!」

「おお、無闇に得物それを投げるなよ……分かるな?」


 再び意地汚い笑みを見せる悪魔に、舞華は歯噛みする。手元に寄せるまで怪しい動きは無かった、つまりは悪魔の意思ひとつで杏梨の体はどこへでも自由に移動させることができる、ということ。こうなると一気に舞華達が不利になる。

 儀式を破壊しようにも、武器と魔法陣の間に杏梨を差し込まれれば傷つけることになる。死ななければ器として使える以上、悪魔にとって生贄の体は最上級の盾でもあるということだ。対してこちらは生徒を傷つけないことなど当然。武器で与える傷は鋭く深いため、簡単には治らない。

 また、舞華達の戦える限界は夜明け。一度逃がしてしまえば杏梨の魂は殺され、体は悪魔のものとなる。失敗すれば次はない。これらの条件が重なり、悪魔の圧倒的優位を生み出している。


「まあ、そう怒るな。貴様らには理解もできんだろうが……淘汰もまた生命の摂理」

「卑怯な真似ばっかりしといてよく言うよ」

「……口ばかり達者な」


 悪魔の言葉に、舞華が間髪を容れずに切り返す。素振りを見るに悪魔も攻撃の手段を持たないのだおう、両者どちらも攻撃に転じられなくなり、膠着状態となった。

 しかし、夜明けまで逃げ続ければいい悪魔と今すぐにでも相手の命を断たねばならない魔法少女の間にある差は大きい。

 そんな中、優乃はあることに気が付く。ロザリオがいないのだ。今までと違って、今日は声すら聞こえていない。

 目の前の悪魔が出現してからの同行は全て見ている。どこにいるかもわからないロザリオに対し何かを仕掛けるのは不可能であるはずだ。

 となると、ロザリオもまた何か行動を起こしているのかもしれない。そう思った矢先。


『みんな!』

『リオくん』

『すまない、その悪魔と別の気配を感じた気がして……探していたけど見つからなかった』


 やっとのことで、ロザリオの声が聞こえる。その話の内容も気がかりではあるが、目先のことを片付けずには落ち着いて話もできない。

 ロザリオ自身もそれを理解してか、話を早々に舞華達の戦況へと移した。


『こっちに問題はない。そちらの状況も見えている。優乃、舞華。君たちに頼みたい』

『私たちに……ですか?』


 肯定する間も惜しいと、ロザリオは「頼み」を話し始めた。

 伝えられる作戦を聞きながらも、舞華は悪魔の顔を鋭く睨みつける。既に、冷静でいることが難しい程に感情が激っていた。頂点に達しそうな怒りを押さえつけて、どうにかロザリオの言葉に耳を傾ける。

 そして頭に響く声が途切れた、次の瞬間。舞華は踵を返し、脱兎のごとく走り始めた。悪魔は急な変化に驚き、杏梨の体を自分に寄せる。


「なんだ!?」

「ゆのちゃんっ!」

「はい!」


 三十メートルほど走ったところで素早くターン。来た道をより速く引き返す。その先には、片膝立ちの優乃の姿。

 ―――全速力で駆ける舞華の右足が、優乃の重ねた両手に乗る。そのまま、優乃は力の限り舞華の体を直上に押し上げた。

 手甲から尾を引く光が、悪魔の頭上まで至る直線になる。舞華の位置が、悪魔より高くなった。

 しかし、これだけではまだ状況の打開に至らない。依然として杏梨が盾に使われたままであるうえ、翼を持つ悪魔にとって空中の自由が効かない舞華は恐れるに足るものではない。


「だから何だと」

「今だ、優乃っ!」

「っ!」


 舞華を押し上げた優乃は、立ち上がり悪魔の背後に向けて走り出す。その先には、ローブの力で姿を変え、悪魔に気付かれないよう接近していたロザリオの姿があった。

 すれ違いざまに、ロザリオが優乃のブローチに触れる。


「一度きりだ、外すな!」

「わかっています!」


 言葉を返しながらも優乃が手を突き出すと、光の線が弾丸のような速度で飛び出し、まさに振り返ろうとしていた悪魔の体に触れた。

 その途端、悪魔は突如現れた魔法陣によって縛られる。最も有利に動ける条件である翼が、石膏の中にあるかのように動かない。


「な……!」

「覚悟しろ……!」


 悪魔は咄嗟に生贄の―――杏梨の体を動かそうとして気付く。体の動きと共に、魔法の行使が封じられた。一秒にも満たないような刹那だが、優乃の動く間も落下していた舞華の速度はそれよりも早い。

 優乃のメイスと、律軌の拳銃が舞華の手甲へ吸い寄せられる。一回り大きくなった手甲は、三色の光を纏いながら悪魔に狙いを定めた。


「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 雄叫びにも近しい咆哮と共に、舞華の拳が再び悪魔の顔へと突き刺さる。途轍もない力を一身に引き受けた悪魔は、身をよじることすらままならない。その頭はねじ切れて吹き飛び、体は痙攣しながら地面へ落ちていった。

 それと同時に、優乃の変身が解けパジャマへと戻る。悪魔の頭は大きく跳ねたあと、グラウンドの端に転がった。


「ぐおおお……!」


 怨恨とも痛みとも取れる声を漏らしながら、悪魔の体が消えていく。舞華は、ただ憐れむようにその様をじっと見つめていた。

 やがて悪魔が完全に消滅すると、杏梨が遅れて落下してくる。飛び出した律軌が、その体を抱きとめて着地した。

 続いて魔法陣が消えたことを確認すると、舞華は憑き物が落ちたかのように大きな溜め息をつく。


「……お疲れ様、姫音舞華」

「うん……良かった」

「はぁ、はぁ……」

「優乃、無理をさせてすまない。水を飲んで」


 舞華と優乃は疲れ果てたように膝に手を当てる。特に優乃は消耗が激しいようで、ロザリオから木製の水筒を受け取っていた。

 ひとまず杏梨を浄化し部屋へ戻したあと、律軌が口を開く。


「ロザリオ、さっきのは」

「ああ。一度きりだけど、優乃に束縛の魔法を撃たせたんだ。僕が使える数少ない魔法さ」

「そんなのあるなら、普段から使わせてくれたら」

「いや、あれは本来自分より力の劣る相手に使うものだ。悪魔を相手にして通用するものじゃない」


 舞華の軽口を遮って、ロザリオは否定の言葉を挟む。


「じゃあ、なんでさっきは効いたの?」

「あの悪魔が本来の力を出しきれない状況にあったからだ。舞華があの子のしがらみを払ってくれたおかげで、悪魔の糧となる憎しみが消えたからね」

「……ファインプレー、ね」


 図らずも、舞華の善意からなる働きが勝利を齎した。その事実を再確認して、舞華はどこか恥ずかしそうに笑った。

 しかし、ただ喜ぶばかりではいられない。ロザリオの感じた「別の気配」を追及する必要がある。

 揃って寮へと歩みを向けながら、舞華が思い出したように問うた。


「そう言えば、リオくんの感じた別の気配って」

「ああ。何も見つからなかったが……ごく小さな悪魔の気配を感じたんだ。だけど、何も見つからなかった。魔力を使った跡さえね」

「……ただの気のせい?」


 小さく呟いた律軌がふと視線を前に戻した時。

 目指す先、寮のその窓。二階の廊下に。翻った長髪のようなそれは、すぐに見えなくなる。だがそれが見間違いでないなら、そこに誰かがいる。

 ―――咄嗟に、律軌は走り出していた。靴を脱ぎ捨て手近、な階段を駆け上がる。


『二階廊下、曲がり角に人影!』

「うそ!」

「早く!」


 どうにかその場へ到着するが、既に人影は消えていた。足音や扉の開閉音は聞こえず、魔力の痕跡も見当たらない。

 手がかりがない以上、部屋に戻られたのだとしたら見つけるのは困難になる。

 追って階段を上がってきた舞華達へ向けて、律軌は首を横に振った。


「……駄目、見失ったわ」

「目立った痕跡も無い、か……」

「見間違いでしょうか?」

「そうかもしれないわね」


 流石に易々と姿を晒す相手ではない。無理に捜索するより、今は一度退くべきだろう。

 しかし、ここに来たのは決して無駄ではなかった。


「だけど、曲がり角ってことは……」

「ええ……三年生の可能性が高いわね」


 天祥学園の学生寮は、L字の形をした二階建ての建物だ。そのうち第一校舎と直接繋がっている方の一階に浴場や大広間があり、二階が現在の一年生の部屋となっている。

 曲がり角の先は一階が現二年生、二階が現三年生の部屋となっており、曲がり角周辺にある一年生の部屋は生徒の数が少ないため使われていない。

 従って、二階の曲がり角周辺で姿を消した―――部屋に入ったということは、窓から見えた人物が三年生の生徒である可能性を示唆することになる。

 無論断定はできない。施錠をしない生徒の部屋に隠れられた可能性もある。しかし、空室は完全に施錠されており、他の部屋を確認する暇はなかった。どちらにせよ、相手が隠れる方法を用意していたのは確かだ。

 ヒントが得られただけでも良かったと、四人は別れ部屋へ向かった。



「……ふーっ、ふーっ……」

―――行ったか。

「まだ、顔までは、割れてない、はずよ」

―――これからは行動を控えるべきだな。

「ええ……もそう多くない……けど大丈夫、やれる……やらなきゃ……」

―――難儀なものだな、人間とは……



 翌日、舞華は登校中に背中を思い切り叩かれた。見れば、昨日までとは打って変わって上機嫌の杏梨がそこにいる。


「ぃやっほー!」

「いったぁ!」

「ぐっもーにん姫! 歌原さんも、昨日はさんきゅねー」

「はい、おはようございます杏梨さん」


 ……あまりにも不審に思いロザリオに尋ねたところ、悪魔にまつわる記憶は消されたものの、「舞華達に何か怖いものから救われた」という部分は漠然と残っているようだ。

 舞華達の目から見て悪魔の力が見えない限りは問題ないとのことだった。


「にしても、機嫌いいね」

「マジ憑き物ポロポロでばっくとぅーざアタシってカンジ! それにほら、もう夏休みじゃん? 楽しみすぎてヤバみがヤバい!」

「楽しみもいいですが、上の空だった授業の内容もしっかりと覚えてくださいね」

「うげぇ……」


 二人の周囲を跳ね回って歩いていた杏梨も、授業のことは内心わかっていたのか水を打ったように大人しくなる。

 釘を刺すような言い方をした優乃も、無論のこと悪魔が原因であることは理解しているため、今回ばかりはしっかりと手を差し伸べる気ではいるのだが。

 流石に、復活して早々気分を害するのもよくないと思った舞華は話題を逸らす。


「そ、そう言えばさ。夏休みって一時帰宅とかあるじゃん。二人は帰るの?」

「私は一応、一年生のうちは帰るつもりです」

「アタシはいっかなー、ガリ勉しかいなかったら超速で帰ってたけど、友達いるならこっちでいいや」

「そっかそっか。私も残るし、杏梨ちゃんいるなら良かった」


 話をしながら足を進めているうちに、舞華と杏梨は前方に美空の姿を見つける。そしてどちらからともなく顔を見合わせ微笑むと、美空の肩を叩きに走り出した。

 清々しいほど晴れ渡った空に、綺麗な雲が浮かんでいる。心なしか、生徒の声にも談笑が増えているような気がした。

 もうすぐ、夏休みが始まる。

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