第十四話 あなたのために勝たなきゃならない
目を見張る光景だった。彰子の頭以外は不自然なほどに膨れ上がり、まるでボディービルダーと頭だけをすげ替えたかのような不安定な体格になっている。
話だけを聞けば笑えるかもしれないその光景だが、実際に人間が変貌している様は強い吐き気を催すほど不気味な違和感の塊でしかない。
それと同時に、強大な魔力が赤黒い光となって暴れだした。何が起こっているのかを理解する前に、轟音を上げながらそれは姿を表す。
「ぎいいいいいいいあああああああああああ!!」
「っ」
「うるさ……!」
それが雷鳴や魔法の類でなく、怒号だと気付くのに数秒を要する。現れたのは、人とよく似た形をした悪魔。しかし百六十センチほどの身長でありながら、筋肉のついた腕は床につくほどの長さを持ち、腰からは尾が生えている。携えた杖を床に何度も打ち付けながら、その悪魔は耳をつんざく大声で叫んだ。
「あの小娘っ! くだらない失敗で我の命を……! ぐぎぎぎぎぎ!!」
「なに、あれ……」
「わからないわ……!」
息を荒げ、長い両腕を振り回すその姿は否応無しに恐怖を掻き立てる。もはや悪魔は舞華たちのことなど眼中にないといった様子で、ただ闇雲に怒りをぶつけている。
彰子の変貌や悪魔の異様さから攻撃できずにいる三人の元へ、ロザリオの声が響いてきた。
『みんな、既に悪魔と』
『リオくん……なんか変なの!』
事態には気付いているらしく、ロザリオはすぐに黙り込み説明を促した。三人は能う限りの言葉を尽くして目の前の状況を伝える。
『わかった。きっと、その子と悪魔の性質が噛み合っていないんだ』
『どういうこと?』
『悪魔は、自分の力で叶えられる願望を持った人間ほど取り憑き、乗っ取りやすいとされている。自分の力にそぐわない願望の持ち主や、そもそも心に抱える闇が少ない人間に無理に取り憑こうとすると儀式が不安定になり、贄となる人間にも不具合が生じる……早く悪魔を仕留めなければ命に関わる!』
ロザリオから言い渡されたのは、これまでより間近な死の危険性。事実上のタイムリミット減少という条件は、いつも以上にこちら側の不利となる。
しかし―――
「貴様らか! 我の儀式を邪魔する蛮族!! 死んだものは器として使えんと言うのに! 邪魔をするな!!」
「……どうやら」
「向こうにとっても致命的なようですね」
悪魔が騒ぎ立てる内容をそのまま受け取れば、彰子は死んでしまうと生贄として機能しなくなるようだ。つまり、互いが焦り早期決着を狙っている。
先手を取らせる訳にはいかない。三人はブローチを手に取り詠唱を始めた。
《魅せよ、第一の舞・契約の主天使達! 悪を打ち砕き、正義を貫く我が身に光を! ドミニオンズ!!》
《響け、第一の歌・契約の力天使達。高潔を以ち、正義を照らす我が手に奇跡を! ヴァーチュース!》
《轟け、第一の戦慄・契約の能天使達。掟に従い、悪しきを正す我が手に武器を。エクスシーアイ!》
天使を身にまとい、武器を手に取る。悪魔は杖を振り回しながらも、怒りの形相でこちらを睨んでいる。
その杖と長い腕が武器となることが想像できる以上、リーチの差は大きい。簡単に近寄らせてはくれないだろう。
先制攻撃、まずは律軌の拳銃が火を吹く。これまでの戦闘で培った経験により、天使による補佐がなくともある程度正確な射撃を放てる程に成長していた。
しかし、頭に血が上っていても相手は悪魔。杖を巧みに振り回して弾丸を叩き落とす。腕を止め身をかがめた悪魔の体が、次の瞬間には天井に触れようかという高さまで跳躍した。
「っ!!」
《第二の舞・慈悲の短剣!》
咄嗟に優乃は歌声を上げ、舞華は踊る。波動に阻まれた悪魔は、近くにあった座席の背もたれに着地し、座席が重さに軋む。
舞華の手には
「この餓鬼ッ!!」
二度、悪魔が飛びかかってくる。長い腕から振り下ろされる杖の一撃は、目で捉える暇もなく床にまで届く速さだ。その殴打をもって、狙うは舞華の顔。
刹那、二人の間に優乃が割って入った。メイスを悪魔に投げつけ、両手で握った盾で杖を弾く。
「今!」
「ああああっ!!」
受けた衝撃のまま後退する優乃と入れ替わるように、舞華が直剣を持って跳ぶ。先に投げられたメイスと共に、その目標は顔。左右どちらかに首を傾ければ確実に刺さる。しかし、顔を動かさなくとも舞華が剣の切っ先を逸らすだけで同じ結果となる。
その結果、悪魔の取った行動は―――垂直の降下。手近な座席の手すりへ尾を巻きつけ、自分の体を床へと引っ張ったのだ。そして上下の位置関係は逆転し、今度は舞華が空中で無防備を晒す形となる。
そこへ、後方で動きを見ていた律軌が発砲。悪魔は弾丸を叩き落とすことを余儀なくされ、その間に舞華は悪魔の頭上を通過し着地した。
「うん、いけてる」
「これなら……!」
連携が取れている。これならば、早期に決着をつけるのも不可能ではない。優乃が防御に徹することで、舞華たち二人の攻撃動作をスムーズなものにできる。
一拍の間を置いて、舞華が駆ける。同時に律軌が詠唱を始め、波動を利用して悪魔の動きを制限した。下手に跳躍すれば体制を崩すことは明白、一撃が致命傷になり得る戦闘では一瞬の隙も惜しい。
一方悪魔は感覚を研ぎ澄まし、背後にいる舞華の位置を確認する。姿勢を低くして走るその両手にはそれぞれ直剣と短剣。狙いは脚の腱か、はたまた背中か。だが、そう簡単に傷を貰っては悪魔の名折れ。
「ふんっ!」
「ッ!」
悪魔が右脇に挟んだ杖を真後ろに押し出し迎撃。舞華は反応が遅れ、天使が右手を動かすことで受け止めはできたものの、大きく後方に押し出された。
その頃、詠唱を終えた律軌が手にしているのはこれまでより大型の
まずは弾丸、と悪魔は杖を回して防御を試みる。が、それこそが優乃の狙い。
「ぐうっ!」
「なん……!?」
杖の回転を、盾で弾いて止める。優乃の体も吹き飛ぶが、床へ叩きつけられる前に座席を掴んで体勢を立て直す。力の向きが無理に止められたことで、悪魔の指が一本折れた。そして、杖の動きが止まれば弾丸は悪魔の体へたどり着ける。
幾発かが体の中に残り、半分ほどが貫通。能天使の持つ高い攻撃力も相まって、悪魔に確実な痛手を与える。
防御の動きからその中断、さらに弾丸での負傷。二秒にも満たない間に攻勢を許したことで、悪魔の意識が前方に偏る。
その背後、跳びあがった舞華が直剣を悪魔の左肩へと振り下ろした。
「うおおおぉぉぉぉ!!」
「何ィィィ!!」
片手の力だけでは、腕を切り落とすことはできない。舞華は左手に持った短剣を、悪魔の腕へと突き刺した。ザドキエルの力により、悪魔の持つ魔力が舞華へと吸われていく。
少しずつ、直剣にかかる力が強まる。悪魔も断たれまいと肩に力を込めるが、二の腕に突き刺さった短剣がその抵抗力すらも奪い取っていく。
歯を食いしばり、負けんとする両者。だが、この場において有利を制したのは舞華だった。
「ぎいいいいいいあああああああ!」
「とっ……た!!」
悪魔の腕が、落ちる。肩から床についてなお余るほど長い腕はしばらく痙攣していたものの、遂にはその力すらも奪われ干からびるように乾いていった。短剣はひとりでに抜けて舞華の左手へと戻っていく。
両手を使い巧みな杖術で戦っていた悪魔だが、三人の魔法少女の連携を前にして一気に不利となった。五体満足の状態ですら虚を突かれ腕を失ったのに、これ以上戦闘を続けるのは無謀でしかない。一方的に嬲られて敗北するだけだ。
頭に血が昇る。歯が砕けそうなほどの歯ぎしりの後、悪魔は狂ったように暴れだした。
「ぐおおお!! 小賢しい餓鬼、人間の餓鬼!! 我の命を何と心得ている!? 塵芥にも満たぬ数だけの猿共! 何故何故何故何故我が儀式を乱すかァァァァ!!」
残った右腕で杖を振り回し叫ぶその様は、最早無様というほかない、完全な敗北の様相だった。
あまりの光景に、舞華たちは武器を構えることも忘れて口を開ける。
☆
―――馬鹿者めが。
『…………』
―――どうした、ロノウェがお前を恨んで襲いにくるとでも?
『……勝手を言わないで』
―――アレはもう敗者に外ならぬ。ああなっては只死を待つのみだろう。
『……どちらにせよ、仕留めきれなかったのなら失敗ね』
―――ただ、少し私が出なければならんな。
『え?』
☆
悪魔は顔を歪ませ、声にならない声を上げている。もう戦意はないのだろうか、まともに動けるとも思えない。
自分達が上手くやった、という感覚を瞬く間に拭い去る光景に混乱しつつも、早くとどめを刺さなければいけない。そう思い舞華が剣を持ち直した―――その瞬間。
「ぬうううううう!!」
突如として悪魔が振り向き、彰子に向かって杖を投げつけたのだ。完全に予想外の行動で面食らった三人の動きは二拍ほど遅れる。
間に合わない、このままだと彰子が。
最悪の可能性が頭をよぎる。喉奥から死なないでと叫ぼうとするが、声が出る寸前に事態は急変する。
―――金属音と共に、杖が弾かれる。儀式や魔法のそれではなく、彰子の周辺に魔力が動いた気配はない。
杖の転がる大きな音の中、何が起きたのか理解できた者は悪魔を含めてもいなかった。立て続けに理解不能なことばかりが起きるせいで思考が混乱する。
「まいちゃん!」
「っ!」
優乃の呼びかけで我に帰った舞華は、今一度剣を握り締め跳躍。悪魔は避けることすらせずに叫び続ける。
「この程度! 我にかかれば造作もなかった!! あんな人間の小娘に! サン」
何か重要なことを喋った、それに気が付いた時には既に悪魔の首が落ち、儀式が終わっていた。彰子の体は倒れ、ステージの床に落ちたシンバルが不安定な音を立てる。
それと同じタイミングでロザリオが講堂に到着した。
「終わったのか。本当に手早く終わらせてくれてよかった」
「考えるのは後回しにした方が良さそうですね。今はとにかく彰子さんを」
ステージ上の彰子の元まで駆け上がり、ロザリオが魔力の浄化、優乃が力天使の力で体の異常を調べる。
幸いにも彰子の体に異常はなく、悪魔の魔力が払われると同時に縮むようにして元の体格へ戻っていった。やっとのことで無事を確信でき、誰からともなく大きな溜め息が出る。
「話を聞いたときは驚いたけど、この子も含めてみんな無事だね」
「……うん」
「どうかしたのかい?」
傷を隠しているのでは、とロザリオは舞華の顔色を伺うが、その表情は悩むときのそれ。しばらくの沈黙の後、舞華はゆっくりと口を開いた。
「今の悪魔、言ってることが終始おかしかった」
「そうですね……儀式の様子も普段とは違いました」
「古賀彰子にとり憑いてから、何かあったということ?」
悪魔の様子がおかしい。その事実はこちらにとっても看過できるものではなく、一切の犠牲を出さないためにはその意味を考える必要がある。
まず最初に、優乃が疑問を口にする。
「最初に出てきた時点で「あの小娘」と妙なことを言ってました」
「うん、死ぬ直前にも「あんな人間の小娘」って……私達を指すなら「こんな」でいいはず」
「……待って、それじゃあまるで」
二人の言葉が意味するところを、律軌とロザリオも理解する。あくまでも、発言を元にした憶測でしかないが―――
「……人間の協力者が現れた、ということか」
「ありえる話なの?」
「悲しいけど、否定できない。強い破滅願望を持った生徒に、とり憑く過程で話しかけることはできるはずだ」
頭では理解できている。この学校にいる誰もが善人という訳ではない。中には深い闇を抱え、自分や他人の犠牲を厭わない破滅的な願望を抱いている者がいてもおかしくない。
そして、悪魔から会話などの直接的な接触があれば、自らの魂を売ってしまう生徒が現れる可能性もまたあるだろう。
「君たちと直接関わらず、儀式も行わないのならその存在に気付くことは難しい。どこかに悪魔と手を組んだ生徒がいる、と考えておいた方がいいだろう」
「……うん……」
「心苦しいかも知れないが、悪魔を倒せば協力者の目論見も崩せる。向こうが僕たちを知らないとは思えないし、うかつには手出しできないはずだ」
舞華にとって、話し合えない相手というのは致命的だった。相手に悪意があるということは、これまでのように話し合いで理解しあうことは不可能とみて間違いないだろう。
首を振って、両頬を叩く。それでも、悪魔と手を組んで良い結果に転がる訳がない。悪魔たちは人間を儀式のための贄、現世での隠れ蓑としてしか見ていないのはこれまでの戦いで知っているはずだ。
―――私が助ける。感謝されなくても、納得されなくても。
何か吹っ切れた、というニュアンスは伝わったのか、律軌たちは話を続ける。
「今回出てきた悪魔とは別に首謀者がいるってことね……ロザリオ」
「なんだい?」
「悪魔が自ら生贄を殺してしまうのは……「ルール」に抵触するのかしら」
悪魔は独自のルールに従って儀式を行っており、それに触れれば他の悪魔に殺される。以前ロザリオから聞いた話を律軌はここで思い出す。
生贄とは言えど、儀式が完遂すればその体は悪魔の入れ物となる。つまり、贄となる生徒を殺すのは儀式そのものの放棄に近い行為だ。それはルール違反と考えて自然だろう。
「詳しい内容は僕も知らないけど……その可能性はある」
「だとしたら……古賀彰子が無事なのは」
「その首謀者がルールに則って、器の体を保護した……という考え方もできますね」
空気が重くなっていく。人間が敵に回ったという可能性が濃厚になるほど、これからの戦いに向けての不安が募る。
しかし、この場でただ推論だけを話していても埒が明かない。しかし下手に犯人探しをして相手に悟られれば情報の少ないこちらが不利なのは明らかだ。
無理に探ろうとしない、と決めてから講堂を出る。しばらく無言のまま、渡り廊下まで歩く。ふと見上げた夜空は、触れれば壊れそうなほど綺麗に見えた。
「……まいちゃん」
「なに?」
優乃が足を止める。その目は思い詰めたような真剣さで舞華を見据え、続く言葉の意味を物語っていた。
「もし……生徒とは戦えないというのでしたら、その時は私が」
「大丈夫だよ」
渡り廊下に、月明かりが差し込む。舞華の向けた笑顔は優しく、声色は痛いほどに柔らかい。
互いにそれ以上の言葉は交わさなかったが、意志を確かめるには十分なやり取りだった。
振り返り再度歩き出す舞華の背を見つめながら、優乃は静かにひとりごちる。
「……強いんですね」
「ええ……強いのよ、ああいう人って」
「え?」
あくまでもひとり言のつもりで呟いた言葉に返事をされ、優乃は驚いて律軌の顔を見る。律軌は真剣な顔で目を合わせて、一言だけ続けた。
「知ってるから。よく似た人」
「……お姉さん、ですか?」
「ええ。本当に……似ているの」
それだけを言い残して、律軌もまた寮へと歩き出す。残された優乃は、呆然と口から言葉をこぼした。
「私には……誰が……」
☆
翌朝―――から、一週間後。テストが終わり、週末には校内中が死屍累々の様相を見せた。
そして今日、運命のテスト返却。各々の様子はと言うと、
涼しい顔の皐月と優乃、緊張しきった美南、まるで興味がない様子の律軌、真っ青な顔で何かに祈りを捧げる杏梨と芽衣。そして芽衣を後ろからなだめる舞華という形になっている。
そうしているうちに予鈴が鳴り、その音と共に間宮が教室に入ってくる。空気が引き締まり、沈黙が始まった。
「さて、それではテストを返します……が、その前に一つ」
天祥では担任が纏めて返却を行うのだが、間宮は返却の前に前置きを挟む。嫌に長く感じる間で生徒を緊張させてから、続いたのは
「おめでとうございます、赤点……三十点未満はいませんでした」
「っしゃい!」
笑顔と賛辞。ほっと息をつく者、一気に力が抜けるもの、ガッツポーズで反り返る芽衣。
一気に騒がしくなった教室も数秒で落ち着き、いよいよ解答用紙の返却が始まった。
「アッシュベリーさん」
「お、おぉ……おおお……Congratulation!」
「はい、中間から大きく成長しましたね」
上機嫌で帰ってきた杏梨を筆頭に、様々な声が教室のあちこちで響く。優乃はおおむね高得点、舞華は数学が他に大きく劣るものの、五十点を下回るものは無かった。
一方で律軌は国語が五十二点となっており、舞華と勉強していなければ半分を下回っていた。表情には出さなかったが、内心では冷や汗をかいている。
そして、一通りテストを配り終えた後。
「では、今回のテストの学年一位を発表します」
何人かの動きが固まる。黒板に名前を綴りながら、告げられた名前は―――
「神楽皐月さん、全教科で八十点以上です」
感嘆と拍手。授業の進みが早い天祥では、八十点以上を記録するのが中々難しい。そんな中で、全教科満遍なく高得点を取るというのは確かな努力の結果と言えるだろう。
それでいて喜ぶでもなく涼しい顔をしている皐月本人もまた、自分の実力をよく理解できていると言える。
して、問題の彰子はと言えば。
「惜しかったんや……あと三点取れてればぁ……!」
ほぼ同じ点数で二位という結果になってしまい、拳を握り締めて悔しがっていた。
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