第十三話 応えたいと思うこと
安美の件から一週間弱。暦は七月になり、徐々に夏の暑さが顔を出し始めた。
しかし、天祥学園の生徒にとっては暑さどころではない。一学期の期末テストに向け、縋るように皆々が勉強に勤しんでいるところだ。
復習したはずの中間テストで中々の打撃を受けた芽衣と杏梨は、皐月と優乃に泣く勢いで懇願しなんとか面倒を見てもらっている。中堅辺りの点数だった美南はというと、円花が自ら復習を見てやると言ったらしく放課後は図書室に通っていた。
そんな中で、舞華は。
「……別に、私に聞かなくても」
「いやー、ゆのちゃんの手を借りれない今、頼れるのは律軌ちゃんだけなんだよね」
苦手な理数分野の教えを律軌に乞うているところだった。言葉通り、中間で共に復習した優乃は今手を離せない状況にある。そうなると、舞華から見て次に頼れる人物は律軌の他にない。
だが、律軌からすれば話は別。舞華ほどの交友関係があるのならば、自分に聞かなくとも適当な友人くらいいるものだろうと不思議に思えて仕方ないのだ。
「わかるように説明できる自信はないわ」
「いいよ、そこは私が頑張るから」
「……そう。じゃあ放課後―――」
「姫音ぇ!!」
律軌の言葉を遮って、風すら起こさんばかりの大声が二人の間に割って入る。
ショートに揃えた髪と、濃く尖った眉。鋭い眼光に―――舞華の肩くらいまでの低身長。小さい体からは想像もつかないパワーの持ち主、
そのあまりの大声に面食らいながらも、舞華はなんとか言葉を返す。
「えーっと、何かな」
「中間ん国語、良か点数取っとったやろ? 期末ん国語はあたいと勝負しぇんか!」
「え、えぇ?」
「宮下は数学と物理でトップテン入っとったね! 期末は負けんけん、覚悟しといて!」
「……意味がわからないわ」
矢継ぎ早に方言混じりの言葉を投げかける彰子に対し、最低限のリアクションで困惑を表明する二人。
正確に言えば、彰子の大声は先刻から教室のあちこちで響いていた。というのも、今の調子で各教科の中間テスト上位者に声をかけて回っているのだ。
極度の負けず嫌い……というよりは「勝ち好き」の彼女は、事あるごとに他人へ勝負を挑むのが日常となっている。
幸いにも、負けたからといってそれを引きずるような性格でないために受け入れられつつはあるが、期末テストということでいつも以上に張り切っているらしい。
指差しで勝利宣告をした彰子は、満足げに頷いて次の生徒の元へ歩いていった。
「気合入ってるなぁ」
「テストって、そういうものじゃないと思うのだけど」
「まあ気持ちはわかるよ。友達同士でよくやるもんね」
「……そうなの」
ひとまず舞華も、放課後に律軌の部屋へ行くという約束を取り付ける。彰子の大声は、予鈴が鳴るまで教室中に響いていた。
☆
放課後。舞華は優乃に声をかけられる。
「対策、大丈夫ですか?」
「律軌ちゃんに教えてもらうから、ばっちり」
「なるほど」
「芽衣ちゃん達のこと、よろしくね」
少しの会話で別れる。今はとにかく時間が惜しい。国語や英語であれば自信を持って挑めるが、如何せん舞華は数学と物理が苦手だ。できる時に復習しなければすぐ崖際に追い詰められてしまう。
いざ、と廊下に踏み出した瞬間、背中を強く叩かれた。
「あいでっ!」
「姫音、宮下ん部屋行くんやろ? あたいも一緒に行かしぇてくれん?」
「え」
振り向くと彰子がおり、一緒に律軌の部屋までついていきたいと言う。
しかし、無論ながらそれを決める権利を持つのは舞華ではなく部屋の主である律軌だ。ここで舞華が勝手に同行の是非を決めていいはずがない。律軌に尋ねようにも、既に帰っており……
「あ」
「なんね?」
「あーいや、ちょっと待ってね」
確かに律軌は帰ったが、連絡手段がない訳ではない。答えの予想はつくものの、一応と律軌に向けて念じる。
それと同時にスマートフォンを取り出し、彰子にはあくまで電話をかけているように見せかける。口元を手で覆い、小声で話しているように見せれば、声が聞こえなくても怪しまれることはないだろう。
『律軌ちゃーん……』
『なに?』
『彰子ちゃんが一緒に勉強したいって』
『他を当たってもらって』
予想通りの回答。律軌の性格から考えても、声が大きく口数も多い彰子を招き入れる気にはならないだろう。
しかし、舞華としては頼られているのを断りたくない。わざわざ自分達を選んでくれたのに無碍にするのも気が引ける。
『……私達である必要性はないでしょう?』
『そうかもしれないけど』
『なら別の人に頼めばいい、それだけのことじゃない』
見透かされている。この三ヶ月間で多少なりとも相手の考えていることがわかるようになったのは成長だが、だからといって自分の意見が通る訳ではない。
この場において決定権を持つのも、正論を述べているのも律軌だ。彰子の性格を考えれば、断ったところで落ち込むことなく次の生徒に声をかけにいってもおかしくはない。
『お願い、今夜のご飯作るから!』
『……!』
ダメ元、とばかりに夕飯を引き換えにすると、律軌の反応が変わった。返答に困るように、ぶつぶつと呟くような声だけが頭に送り込まれてくる。
―――あれ、意外とこれで押せるんじゃ?
手応えを感じ、舞華は追撃を試みる。
『冷蔵庫の中に何ある?』
『……空だけど』
『そっか、じゃあ今から二人で買ってくね! それじゃ!』
『な、ちょっと待ちなさいまだいいとは』
シャットアウト。スマートフォンをポケットにしまい、彰子に振り返る。
「ご飯作るって条件で!」
「任しぇとき!」
二つ返事で了承を得ると、彰子の手を引きスーパーへと歩き出す。
律軌には、今度また別で何か奢ろうと心に決めながら。
☆
「こんばんはー」
「邪魔するばい!」
「……本当に来たのね……」
買い物袋と学生鞄を左右それぞれの手に持ちながら、律軌の部屋を訪れる。最低限の家具以外にインテリアもなく、唯一自分の好きなようにできる場所にしては殺風景な部屋だ。
だが、部屋に入って間もなく。舞華はベッドの下に畳まれていないジャージが放り込まれているのが目に入った。
人の生活スタイルにみだりに踏み込むのは良くない、と思考から外して、努めて平常に話を続ける。
「色々買ってきちゃった。冷蔵庫借りるね」
「え、あ、私がやるわ。渡して」
「え」
夕飯の材料を冷蔵庫にしまいたい、舞華としては当然のことを言っただけ。にも関わらず、律軌の反応にはかなり明確な焦りが感じられる。冷蔵庫の中を見られると恥ずかしい、という生徒は他にもいたが、ここまで露骨な反応をするのは彼女が初めてだ。
少し考える。冷蔵庫の中は空、という弁。しかし舞華には開けられたくないという焦燥の様子。そしてベッドの下に雑に投げられたジャージ。
弾き出された結論を元に、舞華は彰子へ振り向いて叫んだ。
「彰子ちゃん、ちょっと律軌ちゃんのこと抑えて!」
「はえ?」
「は!?」
「いいから早く!」
ただならぬ気配を感じ取ったのか、彰子は頷くと共に素早く律軌の背後まで回り込み、両手首を握って押さえ込む。
その隙を見て舞華は強い踏み込みで冷蔵庫に向かい、その扉を開け放った。
「……律軌ちゃん?」
「ぐっ、何よ、っ」
「なにこれ」
……積み重ねられた二~三種類の冷凍食品に、お茶漬けとレトルトのお粥。そして、炊飯器があるにも関わらず大量にあるパックの米。辛うじて卵はあるが、少ない調味料の中でも特に生醤油の減りが早いことから何に使われているかは容易に想像できた。
無論、舞華も理解を示せない訳ではない。料理ができないのなら冷凍食品に頼るのは当然の手段であり、決して料理ができないから駄目、手を抜こうとするから駄目とは言わない。
だが、学園内のスーパーで買いだめできる量ではないこと、パックの米はほとんど売られていないことからも、それが仕送りであることは明白。いくら校則違反でないとは言え―――
「頼ってよ! 私を!!」
「し……知らないわよ」
「姫音、もうよかか?」
「あ、いいよ」
彰子の拘束を解かれた律軌は、両手を振りながら気まずそうな顔を部屋の隅に向ける。舞華はそれに構わず言葉を続けた。
「駄目とは言わないけど、駄目とは言わないけど! 栄養偏りすぎだし! お昼も購買のパンでしょ!? これだけじゃ体調崩すよ! 身近に私がいるんだから、作りに来てとか教えてとか、そういうのあってもいいじゃん!」
「……変わった怒り方するのね」
「友達でしょ!?」
「……そう、なの?」
もっと早く気付けばよかったと少し後悔する。律軌の最後に発した歯切れの悪い返答で傷ついたが、そんなことはお構いなしとばかりに優乃に念じる。
『ゆのちゃーーん!!』
『はいなんでしょう』
『律軌ちゃん四月から今まで冷食とお粥で生活してるの隠してた!』
『は?』
『なんで歌原優乃にまで』
『事実なんですか?』
念話であるにも関わらず、優乃の声が一気に低くなり凄みが増す。少し泣きそうな顔をしながら、律軌は能う限り強がって答えた。
『……そうだけど』
『毎日の夕飯をそれだけで済ませるのはさすがに体に良くないでしょう』
『別に……食べていない訳じゃないでしょう』
『テストが終わったらまいちゃんに叩き込んでもらいましょうか』
『…………』
唇を噛み締めながら崩折れる律軌を横目に、舞華は彰子へと声をかける。
「今すぐご飯にしよう、彰子ちゃん手伝って!」
「ん、わかった! 何ば作ると?」
「今日は唐揚げを作ります!!」
気迫たっぷりに言い放つと、買い物袋から鶏もも肉と片栗粉を取り出す。その後、冷蔵庫の中にごま油が無かったことを思い出した舞華は、一度自室に帰って必要なものを取ってきた。
米はパックのものを使うことにし、唐揚げ作りに専念。調味料を混ぜたものに鶏肉を漬けて二十分ほど待ち、その間に部屋の片付けを行う。幸いにも、律軌は服をほとんど持っていなかったためクローゼットの中は特に言うことなし。強いて言うのなら頻繁に使うものほど置き場が散らかる傾向が見られた。
台所に戻り、片栗粉に少々の小麦粉を混ぜたものを鶏肉と混ぜる。それから油に入れ中火で四~六分ほど揚げ、一度皿の上に移す。油気が捌けてきたところでもう一分ほど揚げれば完成。
「ほら律軌ちゃん、ご飯」
「……」
「そう暗か顔しなしゃんな」
「……いただきます」
依然として肩を落としていた律軌……だったが、唐揚げを一つ口に入れるとその表情が一気に明るくなる。
「美味しい……」
「濃いめの味付けだけど、口に合ってよかった」
「美味かやろ~!」
久方ぶりの手作り料理ということもあってか、律軌は詰まらせそうなほどの勢いで完食。流石に反省したと言って舞華に師事することを承諾した。
その後は舞華と彰子も雑談を挟みながら食べ進めていく。
「そうだ、彰子ちゃん」
「んー?」
「彰子ちゃんの負けず嫌い……っていうか、勝敗にこだわるのって、何か理由あるの?」
ふと気になったことを尋ねる。デリケートな話題だが彰子は特に躊躇う様子もなく、その身の上を語り始めた。
「あたい、身長低かやろ? そのしぇいで昔っからようバカにしゃれとった」
「あー…… 確かに、小学生の頃とかはよくある話だねぇ」
「んで、そん頃母しゃんに「誰もバカにできんよう、強うなったらよか!」って言われて、今んあたいになったんよ」
話自体は短いが、その中には確かに彰子が悩んでいたこと、そこから這い上がるきっかけをくれた母親への感謝が詰まっていた。誇らしげな口調は、本当に強くなれた自分よりも激励をくれた母親を自慢するようにも聞こえる。
その笑顔に釣られるように、舞華も自然と笑顔を向けて話していた。
食事を終え、食器を片付ける。それからやっとのことでテスト勉強が始まった。しばらくは無言でノートやプリントを睨んでいた舞華だが、やがて一つ二つと質問が飛び、少なくない会話を交わしながら少しずつ課題を解く形で理解を深めていった。
「んー、終わったー! やっぱちゃんと理解できるとスッキリするわー!」
「理解力があって助かるわ。話してもわからなければお手上げだもの」
「これで満点狙えなしゃんね!」
「……そうだ、姫音舞華」
片付いたと伸びをする舞華に向かって、律軌が思い出したように教科書を差し出す。
「一応、万全を期しておきたいから」
「そっか、教科書からの出題多いって言ってたもんね」
今度は舞華が教える番。その言外に含まれた内容を察してか、彰子は荷物をまとめて立ち上がる。
「あたい、国語はもうやってあるけん、これで失礼するばい。お風呂も入らないかんし」
「ん、わかった。また明日ね」
「次からは押しかけは無しよ」
手を振って部屋を出ていく彰子を横目に、舞華と律軌はもうひと仕事と教科書を開いた。
☆
「……ん。おーい、そこん人ー!」
「私? 何かしら」
「これ、落としたばい。あんたんやろ?」
「っ!」
「うおっ」
「……ごめんなさい、うっかりしてたみたいね」
「お、おう……大事なもんなら気ばつけて持っとき?」
「ええ……ありがとう、それじゃ」
「……あぇ、寝巻きやったけんわからんかったけど、あん人先輩か」
「……見られた見られた見られた! なんてこと……!」
―――馬鹿なことを。
『しばらく追撃は見送りね……まさかこんなところで余計に消費するなんて』
―――同志の数も決して多くない……くだらん失敗で無駄を出すな。
『わかってるわよ……! でも、これで彼―――ロノウェはあの子に憑くんでしょう?』
―――感情の闇が出てこない純粋な人間では我らの力に耐えられん。儀式が終わる前に死ぬことも有り得る。
『っ、ただ死なれたら騒ぎになるだけ、無駄どころか自滅行為……』
―――あまり愚かな真似が続くようなら、こちらにも考えがある。
『わかってる、と言ったはずよ。これ以上のミスはしない』
―――さて、どうかな……
☆
「なるほどな」
「大変、でしたね」
「まーねー」
彰子が律軌の部屋を出てから三十分後。舞華は浴場で円花、美南の二人と鉢合わせた。既に気兼ねなく話す仲ということもあり、先刻のことを雑談として話す。
「美南ちゃんはどう、テスト。いけそう?」
「ふぇっ、はい。その、円花、先輩が、丁寧に、教えてくれる、ので」
「堀内はとかく飲み込みが早いからな。実に鍛えがいがある」
美南としては珍しいほどに明確な自信と、円花の余裕ある笑みを見て、これなら問題は無さそうだなと息をつく。
すると、浴場にまた幾人かの生徒が立ち入り、その中の二人が舞華を見つけて走り寄ってくる。
「舞華ちゃーー!!」
「姫ーー!」
「うぇ」
「もーーマジ疲れたほんと無理ー!」
「アイム死んぢゃう寸前ー!」
これまた偶然、芽衣と杏梨も入浴に来たようだ。しかしそうなると必然的に―――
「芽衣」
「杏梨さん」
「あ」
「入浴の場で走ってはいけません」
「体を洗いなさい」
後ろから続いてきた皐月と優乃にそれぞれ肩を掴まれ、芽衣たちはシャワーまで引きずられていった。
台風のように過ぎ去った二人を見て美南は驚いたらしく鼻の下まで湯に浸かり、円花は元気なものだと笑っていた。
☆
夜。安心して眠りについていた舞華は、揺さぶられるような感覚に目を覚ます。はじめは寝つきが悪かったのかと思ったが、違う。確かに悪魔の気配を感じる。
部屋を出て、優乃達に念を送る。しかし、二人も微弱にしか悪魔の気配を感じられなかったらしく疑問の表情で寮の廊下に集うこととなった。
「なんだろう……使い魔がちょっとだけ出てきたとか、そんな感じかな」
「行ってみないことには」
「わからないわね」
気配は講堂の方から、不審感を抱きながらも三人は走る。ロザリオは眠っているのか、念話も繋がらず姿も見当たらない。
漠然とした不安が足の動きを早め、冷や汗が頬を伝う。自分達が気づかないうちに見知らぬ誰かがとり憑かれたのだろうか。
講堂の扉を開け放つ。三人の視線の先には―――シンバルを持った彰子がいた。あの強かな性格とはかけ離れた虚ろな表情で、人形を吊り上げて立たせたかのような不気味さを醸し出している。
「……なん、で」
「御門先輩の時と同じ……?」
舞華たちの姿が見えたことを合図にするように、彰子がシンバルを打ち鳴らす。講堂中に大きな音が響く……
と共に、彰子の全身の筋肉が膨れ上がった。身長が二十センチは伸びるほどの変化、舞華の身長を超えてしまうほどの大きさになる。
「え」
「は」
「……ええーーーーーーっ!?」
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