第五話 五月雨、追憶、対岸へ

 五月になった。舞華は、なんとか四月中にクラスメイトに料理の指導を終え、そのお陰で友人も増えた。

 学校生活にも慣れてきたこの頃には、天祥生にとって数少ない楽しみ―――ゴールデンウィークが待ち構えている。

 課題を済ませて外出許可さえもらうことが出来れば、時間こそ限られているものの友人と一緒に出かけることができる。


 そんな事情があってか、五月一日の授業はいつもより空気が張り詰めていた。出された課題によっては丸三日以上のチャンスを逃すことになる。

 三限、国語の授業。終了を知らせる鐘の音に続いて、担当教員が教室を出て、扉を閉める音がする。

 その途端に、舞華は前方から倒れこむような勢いで抱きつかれた。


「も~~舞華ちゃん助けて~~!」

「ぅおっ!?」


 ―――あ、これやばい。倒れる―――

 どうにかして、近場の机に手を付こうと思考を巡らせているうちに、今度は後ろからの衝撃に襲われる。


「姫ェ~~!!」

「ぐっは!」


 立て続けに突撃されたことにより、巡らせていた思考が絡まり混乱する。

 それでもどうにか落ち着いて、静止の声を絞り出した。


「……二人共、落ち着いて……」



 高校生活への順応が始まる頃には、ある程度日常生活で付き合う相手が決まってきている場合が多い。

 更に言えば、三年間クラスの面々が変わらないとなれば、余程のことが無い限り他人と対立しようとは思わないものである。

 そんな訳で、舞華は優乃や律軌以外にも多くの友人を作っていた。


「まったくもう」

「いや~、国語ってどうにもニガテってゆーかさ……」

「めーめーに同意~……姫、国語の時めーっちゃ目ぇ輝いてるっつーか、いやマジ日本語の女神?」


 ―――萩村芽衣はぎむらめいと、杏梨あんり・アッシュベリー。天祥学園という場には酷く似つかわしくない、いわゆるギャル系の二人。

 芽衣は茶髪にウェーブだけかけて、自毛と言い張って入学してきた豪胆な精神の持ち主。杏梨はアメリカンハーフであり天祥でも珍しい金髪の、人にあだ名をつけることが好きな少女。

 当人たち曰く、人に分け隔てはしないタイプらしく、初対面からの一ヶ月でかなり仲良くなったようだ……事実、クラス内でも春のうちからブレザーを着用しないのはこの二人くらいのもので、似た者同士なのは見ればわかると言ったところだろう。

 して、同じく誰にでも明るく接する舞華を見て話しやすいと思ったのか、三人で他愛もない会話をすることが多くなり、結果的に舞華が文系の課題で面倒を見ている。


「つーことで、お願いっ!」

「課題、一緒にやって! プリーズヘルプミー!」

「……やるけど、やるけどね?」


 わざとらしく溜め息をついてから、言葉を加える。


「あくまで! わからないところに助言するだけだからね!」

「……そこを……なんとか……ね?」

「姫、姫マジプリンセス!」

「意味わかんないし!」


 因みに、姫というあだ名は「姫」音舞華の姫らしい。

 ともかく、舞華としても二人の手助けはしたい。しかし、それによって彼女らの学力を削ぐ結果となってしまえば逆効果なのは火を見るよりも明らかなこと。

 杏梨の謎のセリフにツッコミを入れてから、舞華は芽衣に向き直る。


「っていうか、芽衣ちゃんには皐月さつきちゃんがいるじゃん」

「う……さ、皐月にも……似たようなことを言われて」

「さ、さつきーさつきー……つーちゃん?」

「今考えたでしょそれ……」


 三人はまったく同じ動作で視線を動かす。その先で、一人のおしとやかな少女がこちらに向けて上品に手を振っていた。その隣には優乃の姿もある。

 神楽かぐら皐月。噂によれば名家のお嬢様で、厳しい教育を受けてきたらしい。そして、にわかには信じがたいが芽衣とは中学から唯一無二の親友だという。


「……天祥・オブ・天祥ってカンジー」

「あはは、皐月と歌原さんって話合いそうだし」

「で、皐月ちゃんはなんて?」



「……勉学とは、自らの頭で考え見識を広めるもの。頭ごなしに否定するのではなく、まず一通り解いてから教えを請うべきですよ、と」

「なるほど正論ですね……まあ、芽衣さん達の気持ちもわからない訳ではありませんが」


 大声での会話は聞こえていたため、皐月と優乃も話はしっかり聞いていた。その上で、不正はいけませんよ、と手を振ったのだ。

 勿論ながら、皐月も舞華も、優乃の言葉通り相手の意図はわかっていた。

 見た目通り遊ぶことが好きな芽衣達にとって、このゴールデンウィークはまたとない機会。五月末から六月の頭にかけては中間試験もあるため、ここでストレスを発散できなければ余計に溜め込んで、テストにも影響を出しかねない。

 だからこそ、恥を忍んで友人の手を借りてでも、課題はすぐに終わらせてしまいたいのだろう。


わたくしも、芽衣の気持ちは重々理解しています。ですが、目先のことだけを乱雑に片付け、後の自分に押し付けるようでは」

「自分の首を締めるだけですからね」


 頷き合う二人、から視線を戻して、芽衣と杏梨の懇願は続く。


「せめて! せめて勉強会スタイルで!」

「赤点も~みんなで取れば~平均点~、ざっつらい?」

「……全部は教えないからね?」


 結局、舞華が折れる形で勉強会を開くことになった。

 しかし、芽衣と杏梨の学力が天祥学園で言えばギリギリなのは事実である。なんでも、芽衣は親友の皐月に合わせる形で半ば博打として受験したらしく、杏梨は話したい先輩がいるために背伸びして受けたと言う。

 そんな二人だからこそ、課題が不安になるのだろう。しかし、そんな二人だからこそ、今のうちに学力を伸ばす力を身に付けなければ、留年の危険性すらある。

 私がなんとかしなくちゃ、と気合いを入れ直して、舞華は四限の準備に取り掛かった。



「お人好しが過ぎますよ」

「うっ」


 優乃から鋭い指摘を受けたのは、昼休みのことである。

 杏梨は他の友人と、芽衣は皐月と一緒に昼食を取っており、律軌は一人で購買のパンを食べている。


「私だって自覚はしてるも~ん……」

「引き受けたからには、責任もって厳しくしなきゃ駄目ですよ?」

「目のあるだけ不覚。テストが来るのはわかってることだからねぇ」


 弁当を頬張りながら、相槌を打つ。優乃はもう、と言いながら溜め息をついた。

 暫くの沈黙。その後で優乃がおもむろに、少し戸惑いながら口を開く。


「……近頃、定期的に眠れない日があるんですよね」

「……えっ?」


 一気に、背筋の冷える感覚を覚える。

 定期的に眠れない日がある、というのには他ならぬ心当たりがある。


「確か……まいちゃんと初めて話した日と……その一週間後でしたから」

「……美南ちゃんに料理を教えた日」


 当たりだ。努めて表情に出さないように、舞華は驚愕を押さえ込む。

 視線を動かすと、律軌も食べる手を止めてこちらを見ている。話は聞かれていたようだ。


「ええ、そうです。それも、夜中だと言うのに足音が聞こえるんですよ」

「……足音」


 勘繰るまでもなく、自分のことだとわかった。美南の時は走り出していたため、足音が響いていたのは間違いない。

 ―――悪魔は、万が一儀式にイレギュラーが入らないように。また、ロザリオも無関係な人間が巻き込まれないように。儀式が起こる日は普通の人間は眠ってしまうという。

 優乃がその限りでないということは、恐らく


「まいちゃん?」

「ぅえっ、あ、いや……ゆのちゃんでも、寝れなくなることとかあるんだなぁ、って」

「……不自然です」


 睨まれた。流石に隠しきれないと狼狽えるが、話題を逸らすこともできそうにない。

 どうしたものか、思考を巡らせるが何も思いつかない。


「……まあ、いいでしょう」

「へっ?」

「次同じことがあったら、その時自分で確かめますから」


 ……それはそれでまずいんだけどな、などと言えるはずもなく。舞華は黙って箸を進めるしかできなかった。



 放課後。舞華は密かに教室を出ようかと考えていたが、すぐに芽衣と杏梨に捕まる。


「じゃ、舞華ちゃんの部屋でいーっしょ?」

「姫ルームにゴー! ついでにディナーもご馳走に~」

「それは駄目」


 逃げられなかったか、と溜め息をつく。課題は今日中に終わらせる必要などなく、舞華としては明日になってから片付ければ良いものである。

 しかし、二人には今すぐにでも片付けて遊びたいのであろう。舞華の両腕をしっかりと掴んで離さない。


「芽衣」

「皐月」


 三人の様子を見てか、皐月が芽衣に声をかける。淑やかな顔でありながら、どこか謎めいた雰囲気が冷たく背筋を撫で上げた。


「あまり迷惑をかけないように、ですよ」

「え、あ、うん」

「姫音さん」


 芽衣の返事に頷いてから、皐月は舞華に向き直り、丁寧な所作でおもむろに一礼した。


「芽衣を……よろしくお願いします」


 ―――刹那、今までにないほどの悪寒と威圧感に気圧される。これは、皐月のものではない。

 何故、今まで気付かなかったのか。そう思ってしまうほどに、強大な力を感じる。

 悪魔が、皐月に取り憑いている。


「っ!」


 咄嗟に、頭を上げ立ち去ろうとした皐月の右腕を掴む。完全な無意識の行動に、我に帰った舞華自身も驚いた。

 しかし、今のままでは皐月が危ない。少なくとも、彼女の心中に何があるのかは知っておきたい。


「……姫音さん?」

「あ、明日っ! 一緒にご飯食べない!?」

「……? 私は構いませんが……」


 焦りすぎた。過ぎた剣幕に、芽衣と杏梨が訝しげな視線を向けてくる。舞華は必死に、この場を凌ぐ言い訳を考える。

 一方で、教室を出ようとしていた律軌も舞華の様子を見て不信感を抱いていた。焦った様子からは、悪魔を見つけた時のそれを連想させるもの、律軌自身は悪魔の気配を感じていない。

 数分にも思える約五秒を経て、舞華はやっとのことで言葉を絞り出す。


「……芽衣ちゃんに、合った勉強法、考えようと思って」

「そういうことですか」

「うえっ、いいってそんなの」

「まーまーめーめー、良かったじゃん?」

「せっかくだし杏梨ちゃんの分もね!」

「わっつ!?」


 手を離すと、皐月はもう一度礼をしてから立ち去る。舞華は、両脇からの騒音すら気にも留めずに安息の息をついた。

 どうにか芽衣達を諭して教室から出ると、律軌の声が頭に響く。


『姫音舞華……今のは?』

『……皐月ちゃんに、悪魔が憑いてる。今までの二体より、もっと強い』

『私は何も感じなかった……自分の力を上手く隠せる悪魔だということ?』

『多分……でも、』


 舞華は、少し言いよどむ。純粋な力の大きさに驚き、圧されたのも事実だ。だが、それ以上に


『まだ完全じゃない、気がする。儀式に移るまでに、あと一日はかかる……そんな感じがした』


 フォラスとの戦闘を経て、魔力そのものの扱い方を理解するべきだと痛感した二人は、ロザリオの協力もあって以前より魔力の流れに敏感になっていた。

 舞華自身の体感では、戦闘で魔法少女としての力が馴染んでいくに連れて、自然と感覚が鋭敏になっていった、と捉えている。

 そして、より鋭い感覚だからこそ、今感じたものが不完全であることが理解できてしまった。完全になれば、それこそ自分達では太刀打ちできるかもわからない。


『……ごめん。私がこんなこと言っちゃ駄目だと思うけど……勝てる自信……ないかも』

『……それでも』

『うん。やるしかない』


 寮に入ると同時に、念話を終える。

 当然ながら、不安が晴れることはない。舞華達が負けることは、そのまま多くの人間の死に直結する。

 しかし、ここに来て舞華が最も恐れていたのは、自分以外の人間が犠牲になることだった。


「……舞華ちゃん、怒ってる?」

「え」

「あー、その、ごめんよ姫。勝手に部屋まで押し入ったり」

「あーもう! 別にそれは……いや怒ってないわけじゃないけど、今更謝っても遅いし!」


 思考を重ねるうちに、またも表情が険しくなっていたようだ。思いつめたかのような顔を見て二人が謝る。

 舞華はわざとらしく反論するも、気を遣ってもらえたことが嬉しく、笑顔に戻ることができた。

 部屋に入った三人は、雑談を交えながら鞄を置き、課題をテーブルの上に広げる。

 それからの時間は、課題の進みこそ早くは無かったものの、楽しく、不安を忘れられるひと時となった。



「はー……楽しかった」


 二十時。夕食まで食べていこうとした二人だったが、材料の用意がないことと、料理をしたくないという意志が透けて見えたことで今日は駄目、と部屋へ返した。

 そもそも、二人には四月下旬に料理を教えたばかりであり、その時に買った材料はまだ使っていないという。ならば一度は自分一人で作って欲しい、というのが本音であった。

 これから舞華も夕食を作らなければいけない。自分の課題を片付け、冷蔵庫を開けようと立ち上がった時、ふとフォラスのことを思い出した。


―――お前たちのそれは、天使だな? 魔族の魔法ならば私にここまでの傷をつけられるはずもない―――


 天使、魔族。魔法少女として悪魔と敵対している分には、別段驚くような単語ではない。しかし、その存在を知らされていないとすれば話は別だ。

 自然と思考が続き、変身の際に唱える呪文が頭に浮かぶ。契約の主天使達……自分達の使っている力は、天使のものということだろうか。

 天使と悪魔が面と向かって敵対し争う、そんな話は聞いたことがない。元より対象的に捉えられ易い二つの概念だが、それはあくまで形骸化された現代人の感覚、それも特定の宗教に属さない日本人独特のものである、そのはずだ。

 一度考え始めてしまったせいで、次々と疑問が湧いて出る。いてもたってもいられなくなった舞華は、ロザリオに呼びかけた。


『リオくん!』

『舞華、何かあったかい?』

『悪魔、見つけたよ』


 まずは、皐月の影に潜む悪魔についてを伝える。ロザリオもこの事態を把握していなかったようで、舞華の話を食い入るように聞いて焦りを見せた。


『そこまで上手く人間に溶け込むとは……恐らく上位の悪魔だ』

『やっぱり……』

『……どうにかして、対策を練らなくては』

『あ、ちょっと待って……律軌ちゃん、聞いてる?』


 ロザリオに報告する傍ら、これからの話に必要だとして律軌にも会話が届くよう念じていた。舞華にとっては、ここからが話の本筋となる。


『ええ』

『よし……ねぇリオくん、聞きたいことがあるの。フォラスの言ってたこと』

『……』

『天使とか、魔族とか、知らされてないことがたくさんあった。リオくんが嘘ついてたとは思ってないけど……それって私達が知っておくべきことだよね』


 あくまで、責めているわけではない。純粋な質問であることを念頭に置き、冷静に語りかける。

 舞華自身、ロザリオが何故最初からこの話をしなかったのかは、ある程度わかっていた。


『ああ、間違いない。君たちに話しておくべきことだ……でも隠していたんじゃない』

『最初から複雑な言葉を出してしまえば、私達が混乱して魔法少女にならなかったかもしれない。そうでしょ?』

『……察しがいいね、舞華は』


 暫くの沈黙の後、ロザリオは話し始めた。舞華は話が長くなると予想し、勉強会で飲んでいたほうじ茶を新しく注ぐ。


『……まず、僕は人間じゃない』

『あー……やっぱり?』


 それ自体は舞華も律軌も薄々ながら理解できていた。人間として見れば、ロザリオの小さな容姿と大人びた言動は明らかに相違している。魔法を使えることからしても推測はできるため、大きく驚くようなことではない。

 無論、それでも人間にしか見えない姿をしているために、にわかには信じがたいと思っていた舞華は少しだけ面食らった。

 だが、舞華達の魔法を見たフォラスの言葉を思い返せば、その正体も導き出せる。


『魔族って言うのはあなたのことね?』

『ああ……僕は、過去に繁栄し、滅びかけた魔族……その生き残りだ』


 滅びかけ、生き残り。その言葉に、舞華は強烈な違和感を覚える。当然のことながら、舞華達は魔族などという存在を知らなかった。しかし、ロザリオは繁栄、という言葉を使った。

 何故、その記録が一切残らなかったのだろうか。噂話やオカルトの一部として伝わっていてもいいはずだ。


『……元々、魔族は非常に数の少ない種族だった』

『うん』

『それでも魔族が存在していられたのは、その当時の人間たちが魔法を信仰していたからだ』


 まだ熱いほうじ茶を、口に運ぶ。体中に熱が行き渡り、思考を冷静に運ぶ準備が整う。


『だが、魔法信仰はある時終わってしまった。そして、その直後に行われたのが』

『……中世の魔女狩り……?』

『そうだ。魔族は捕まり処刑され、人間は科学を発展させた。ごく僅かな生き残りを除いて、魔族はほぼ絶滅したんだ』


 沈黙。対象すら定まらない同情が、舞華達に生まれる。


『それでも、ごく僅かな生き残りは現在まで生き延び、僕が生まれた。表立って生きることのできない中でどうにか僕を生かすために、母は自分の魔力を……生命に至るまで犠牲にした』

『……』

『本来、魔族と人間に見た目の変わりはない。それは成長においても同じで、魔族も人間と同じ年月で同じように成長する……でも僕は違う。既に三十年以上生きているが、幼少期には食べるものもなく、母の魔法によって生かされていた。だから体が成長していないんだ』


 父親は、と言いかけたが、口にはできなかった。ここで話さないということは、それ相応の事情があるのだろう。

 聞いていて心の痛む話、そのせいか口に運んだ茶の後味も苦く感じる。


『……どうにか生きる道を見つけた。でもそれは、この学園の中で生きることに他ならない。悪魔たちが常に目を光らせて人間を値踏みする、そんなことがこの時代にあっていいはずがない!』

『……だから、魔法少女を?』

『ああ、僕は……その、魔族だが戦う能力はないんだ。両親がそうだったように、召喚と道具作りしかできない』

『なるほどね、だから召喚ができる道具を作り私達に与えて、代わりに戦ってもらっていた、と』


 これで、ロザリオの動機と魔法少女の存在には合点がいった。

 暫くの沈黙の後で、重い口を開くように律軌の声が響く。


『あなたについては理解できたわ。それで、天使って何?』

『ああ……君達を選んだ理由、魔法少女の素質……それは、天使の声を聞くことのできる、純粋な心の持ち主、ということだ』

『天使の声……』


 舞華は、ロザリオと始めて会った時を思い出す。あの柔らかな声が天使のものと言うのなら、夢の中に現れたことへの疑問も和らぐ。


『……意味がわからない』

『そう、だろうね。天使の声は年を重ねるに連れて聞こえなくなる。それに、天使が直接声をかける時は、生命の危機などの人間ではどうにもならない事態だ。その経験がある方が珍しい』

『なるほど』


 舞華はこれまで、事故に遭いかけたような経験がない。もしそんな事態になっていれば、あの声が助けてくれたのかも知れない、ということだろう。


『悪魔は、魔族の衰退と共に天使に捕らえられた過去があり、今はこの世界や人間に接触できない』

『だから儀式が必要で、怨敵の天使を恨んでるんだね』

『ああ、そうだ。そして、悪魔達は結託してルールを定め、より強い力を得られるこの学園内で復活を目指しているらしい』


 結託してルールを定め、という発言にまたも引っかかりを覚える。今までの戦闘で、悪魔が結託するような様子は全く見られていない。てっきり、個々の悪魔が勝手に蘇ろうと都合のいい場所を選んでいるのだろうと思っていた。

 しかし、その違和感を頭の中で取りまとめる前にロザリオの言葉が続く。


『本来なら悪魔同士が手を組んだりすることはない。でも学園の中で儀式を行う以上はルールに従わなければならないようだ。詳しいことはわからないが、それを破った悪魔と他の悪魔の殺し合いを何度か目撃している』


 なるほど、そういうことかと手を叩く。あくまで最低限、暗黙の了解に従わなければ他の悪魔に襲われる。ロザリオはルールの存在のみを知って憶測で話しているようだ。


『……えっと、それで』

『天使だね。彼らは元より結束力・序列を重んじる種族で、神の定めたルールを絶対として動く。だから通常ではこの世界に姿を表したり、直接的な干渉をすることはない。あくまで声を聞かせる程度だ』


 電気ケトルの湯が切れた。この話が終われば夕食にすることもあり、舞華はマグカップをシンクへ持っていく。


『だが、悪魔が復活しようとしているとなれば話は別だ。僕が君達に与えたブローチは、天使と交信し、彼らを武器や鎧の姿で召喚する機能を有しているんだ』

『……ってことは、私達が普段使っている武器って』

『天使達がこの世界に来るために姿を変えたものだ。無論ながら生きているし、武器を捨てると消えるのは、君達に触れていないとこの世界に留まることができないからだよ』


 これには驚いた。それと同時に、今までの戦闘の記憶が蘇ってくる。

 ―――ただの武器だと思って、投げたりしてすみませんでした。


『……そう、生きているのね……』

『あー、なんだ、その、投げ捨てたりしたことを気に病む必要はない、はずだ。彼らだって君達を信じて力を貸してくれている訳だし、同意が無ければ召喚はできない』


 ほっと息をつく。天使と言うからには、人間より遥かに偉いはずだ。それを武器として振り回して、挙句投げつけていたとなれば失礼では済まされない。承諾があって良かった。

 安心と同時に、魔法少女として戦えていることに納得がいった。剣など扱ったことのない舞華が戦えていたのは、天使たちが舞華の体を動かす補助をしてくれたおかげだろう。無意識のうちに体が動いていたのではなく、動かされていたということだ。


『そっか、じゃあ、これからはちゃんと感謝しないとね』

『そうね』

『是非そうしてくれ。彼らとの繋がりが強くなれば、二人の成長も期待できるしね』


 ロザリオからの説明は以上だった。まだ残る謎はあるもの、目先の疑問が解消できただけ収穫と言えるだろう。

 話を終えたあと、舞華は夕食を手早く作り、食事と入浴を終えた。

 明日は皐月と食事を取る。彼女の悩みを聞き出すことが、少しでも何かの役に立てばと思いながら、舞華は深い眠りに落ちた。



 翌日、土曜日。舞華は午後から勉強会とし、昼食に皐月を招待した。

 メニューはキノコを使ったペペロンチーノ。流石に高校の敷地内にあるスーパーにはワインなど置いていなかったため、舞華としては少し物足りない味になった。

 具材を順番に追加しながら炒め、パスタを茹でて絡ませるだけ。味付けに凝ったり見た目を気にしたりということが無ければ、舞華の基準で言えば簡単にできる料理だ。


「これは……姫音さん、とてもお上手なのですね」

「お陰で先月は大変だったよー」


 皐月は、一目見た印象に「浮世離れ」という単語が当てはまるほどに、淑やかな所作や上品な立ち振る舞いがよく映える人物だ。

 そのせいで中学生時代は一人でいることが多く、なんとなく放っておけなくなったから付き合い始めた……とは芽衣から聞いた話。

 もしかすると、友達が少ないことが皐月の心に影を落としているのかもしれない。だがそんな話を単刀直入に始めるわけにもいかないため、舞華は適当な雑談を試みる。


「皐月ちゃん、課題終わった?」

「はい、昨日までに全て」

「うそ」


 早っ、という言葉を浮かべたが口から出なかった、それほどの驚き。

 数日に渡って出された課題のため、少しずつ進めることは可能だった。無論舞華もそうしていたため、決して進みが遅い訳ではない。芽衣達に教えるのは国語と英語だけであり、その他は先んじて進めている。

 にしても、五教科の課題全てを終わらせるのにあと半日はかかるだろう、と言うのが舞華の本音だった。


「難しい課題ではありましたが、全てこれまでに学んだことの復習。ノートと教科書を見返し、無駄なく考えればすぐに終わります」

「……はは」

「では、いただきますね」


 皐月がフォークを手にしてから一分弱で、舞華は後悔した。

 当たり前と言えば当たり前だが、皐月は食事中ほとんど話すことがない。こちらから話しかけるのは、食べるのを急いているようで言い出せず、向こうから話しかけてくることもない。更に言えば、一口が思ったよりも遅い。よく味わって上品に食べているのはわかるが、なんとかして会話に持ち込みたい舞華としては焦らされたような感覚が拭えない。


「……とても」

「はいっ!?」

「? とても美味ですね。これだけ上手なら教えを請われるのもわかります」


 ―――駄目だ、ペース乱されっぱなし。

 パスタを口に運びながら、改めて芽衣に尊敬の念を向ける。自分ほど特別な用がないとは言え、よく芽衣の性格で皐月と付き合えているものだ。

 結局、食事が終わるまで会話らしい会話はできなかった。舞華はこの機会を逃したらどうしようかとばかり考えて、パスタの味すらあまり覚えていない。


「ご馳走様でした」

「お粗末さま」

「それで、私にどういったお話があるんですか?」

「うぇっ」


 予想だにしていなかった言葉と共に、鋭い目で見られる。睨んでこそいないもの、真摯な真顔で見つめられると妙な緊張感が湧いてしまう。

 悪魔の気配はない。だが上位のものともなれば、今この場で何か仕掛けてくるかもしれない。舞華はテーブルの下でブローチを握り締めた。


「ただ芽衣達のために計画を立てるなら、二人を呼ぶのが筋でしょう。ですがこの場には私しかいない」

「……」

「込み入ったお話ですね。芽衣のことですか?」


 依然として、皐月に変わった様子は見られず、魔力の流れも感じない。しかし今問題なのは、悪魔の力など関係なく、彼女に舞華の魂胆が見抜かれていることだ。

 落ち着いて、呼吸を整える。相手の逆鱗に触れないよう、悩みを聞き出す。決して煽り立てるような結果を招いてはいけない。


「……皐月ちゃん、何か悩み事、ない?」

「……私に?」

「うん。その、人に聞かれたくないようなことだろうし、無理に聞き出したいわけじゃないけど」


 皐月は目を丸くして驚く。口元に手を当てているのが実に彼女らしい。自分の話になるとは全く想定していなかったようで、暫く迷ったように視線と顔を動かしていたが、やがて舞華へ向き直ると口を開いた。


「何故、わかったのですか」

「え、あ……な、なんとなく」

「……芽衣が、何か言っていたんですか?」


 今度は、舞華が驚く。芽衣が何か知っていた、ということだろうか。

 舞華から見れば、芽衣も自分と同じく他人の悩み事などに真摯に向き合いたいという性格の持ち主だ。親友が悩んでいるとなれば、他の友人に相談するなど行動を起こすことが容易に想像できる。

 もし相談できないような悩みだとしても、それを全く態度に出さず課題の話をするほど器用な人物ではない。それは普段から芽衣と話している舞華だからわかることだ。


「……芽衣ちゃんと、何かあったの?」

「……いいえ。勿論、芽衣が私について悪く話していたとは思っていません」


 悩み事の話をしていたはずだが、皐月は悪く話して、と言う。

 ここで舞華は、皐月が抱える心の闇に気付いた。少し躊躇ったが、決意して言葉を紡ぐ。


「先に謝る、勝手に踏み込んでごめん……もしかして皐月ちゃん、芽衣ちゃんに嫌われてるかもしれないって思ってる?」

「…………先ほどから、姫音さんには驚かされてばかりですね」


 当たった。しかし、その内容はにわかに信じがたい。芽衣は他人に分け隔てをしないが、それ以上に直情的で嘘をつくことができない性格の持ち主だ。そんな彼女が友人として付き合う相手に偽りの感情を向けるなど有り得ない。

 そう思った舞華に対し、皐月はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「芽衣のことはよく知っているつもりです、彼女は嘘で他人と関わるような人ではないと。それでも……やはり、不安なのです」

「やはりって……」

「……中学生の頃、私は両親から強く言われ、勉学や習い事ばかりを一心にこなしていました。そんな私に、芽衣が声をかけてくれたのです。私自身、両親の言うことをただ聞いているだけでいいのか、疑問に思っていまして……そんな中で私を友人だと言ってくれた芽衣と、少しずつ仲を深めていきました」


 ―――皐月の親御さん、めっちゃ厳しいみたいでさー、中学ん時もやれ勉強勉強習い事ってうるさく言われてたんだってー。そんなん誰だって嫌になるっしょー?

 芽衣の言葉を思い出す。皐月の気持ちは、痛いほどよくわかった。舞華も、小学生の頃は親の決めた習い事ばかりをやらされ、自分から希望したダンススクールは半年ほどで辞めさせられた経験がある。

 よく、敷かれたレールの上の人生などと言われるが、強制される人間からすればたまったものではないのは誰でも同じだろう。


「……ですが、芽衣はそのうち、それまでの友人よりも私を優先するようになったのです」

「え」

「友人をないがしろにしていた訳ではありません。それでも、私といる時間が段々と増えて、最後にはこうして私を追うように天祥へ入学した……」


 意外ではあったものの、同時に納得した。それだけ、芽衣にとって皐月は放っておけない、大切な人物だということだろう。しかし、それだけ一途に行動すれば、皐月がそのことに引け目を感じてしまうのは想像に難くない。


「私は、両親の目から逃れたくてここに来ました。ですが芽衣は違います。彼女ならもっと普通の学校で、多くの友人に囲まれて過ごすのが」

「皐月ちゃん!」


 その先を言わせてはいけない、と感じた舞華は皐月の言葉を遮る。負い目から思ってもいない言葉を発してしまい、後悔させるのは避けなくてはいけない。

 知らぬ間に熱くなっていたことに気付いたのか、皐月はばつの悪そうな顔で萎縮する。舞華は落ち着いた声色で、諭すように続けた。


「……千人の諾々は一子の諤々に如かず、だよ」

「……他人の言うことに流される千の人は、自らの正しさを堂々と言える一人の人間に及ばない」

「芽衣ちゃん、いつも皐月ちゃんのことすっごく楽しそうに話すもん。引け目なんて感じてない、後悔なんてしてないんだよ。普通の高校でたくさんの友達を作るより、ここで皐月ちゃんと三年間過ごしたいって思ってるんだよ」


 一対一の関係では気付けないことが多くある。舞華はこれまでの人生でそれをよく知っていた。どれだけ仲良く話していても、疑心暗鬼になってしまう者もいる。仲良く見えても、そうではない者もいる。

 己が主観だけで小さな思い込みの穴を広げて、そこに飛び込んでしまうのは最悪の選択だ。舞華の主観でも、見たままの真実を伝えれば悪い方向に行くことはないと踏んでの発言だった。


「それが……それが芽衣にとっての幸せになるんですか!? 私にはわからないのです! どうしたら……」

「……今から学校を変えることはできない、だから、どう変えたらいいかなんて考えたって仕方ないよ。でも、芽衣ちゃんはきっと後悔なんてしてない」


 この場を用意して良かった、と舞華は心から安堵した。

 もし、この悩みを抱えたままでいれば、例え悪魔を倒したとしても皐月は迷い続けただろう。どこかで、誰か芽衣でない人間と話す必要があった。


「だから、芽衣ちゃんと一緒に卒業できるよう、皐月ちゃんも頑張ろ?」

「……姫音さん……」


 皐月は徐々に落ち着きを取り戻し、飾らない、綺麗な笑顔を舞華へ向ける。


「姫音さんは、とても優しい人ですね」

「え、あー……お節介なだけだよ」

「それでも、人の悩みを自ら聞くほど勇気のある人です。それがまた、仲違いに繋がるかもしれないとしても放ってはおけない……そうでしょう?」


 ―――そうだけど、ちょっと過大評価じゃないかな。

 などと返しても皐月の評価は揺らぎそうにないので、返事を堪えた。

 その後は、勉強会のために部屋を訪れた芽衣と杏梨を交え、どのようなやり方が二人に合っているのか、などの談義を交えながら課題を進めた。



 夜。

 舞華は、まるで海に突き落とされたような、これ以上ないほどの悪寒に襲われて目を覚ました。

 皐月自身の悩みが解決したとは言え、それで悪魔との戦いが楽になることはない。体全体を締め付けるかのような息苦しさが、これから起こる戦いの熾烈さを物語っていた。

 携帯の液晶を確認すると、時刻は二十二時三分。……そして、ロックのかかった待ち受け画面には、舞華をこの学園へ送り出してくれた、友人たちとの集合写真が映し出されている。

 芽衣と皐月は、舞華にとっても大切な友人だ。どんな相手であろうと立ち向かい、救い出さなければならない。決意を固めた舞華は、ブローチを手に取り強く握った。

 気配は第一校舎の三階から、恐らくは未使用の教室を使用しているのだろう。

 一刻も早く、皐月を助け出さなければ―――そう思って自分の部屋を出て、駆け出した舞華の視界の先で、一室の扉が大きな音を立てて開け放たれる。驚いて足を止めた舞華の前に、氷のように冷たい表情をした優乃が現れた。


「……やはり、まいちゃんでしたね」

「ゆの、ちゃん……」


 無論、予想できていない訳ではなかった。優乃の性格ならば、一度確かめると決めた以上絶対に部屋から出てくる。

 しかし、魔法少女でない優乃が儀式の場までたどり着くには、多少なり時間がかかるはずだと踏んでいた。それまでに決着を付けることは難しくとも、どうにか彼女を巻き込まずに終わらせてしまいたかった。


「ぅえ、あの」

「言い訳は聞きません……ですが、このまま部屋に戻るつもりもありません」


 優乃の言葉は、突き放すように冷たい。一つ一つの言の葉が、まるで罪を咎めるように刺さる。


「昨日のまいちゃんを見て確信しました。私がこうして目を覚ましてしまうのは、何か意味のあることなんでしょう? ……私も、ついて行きます」

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