第6話この身体を知らずとも 紫陽花と嶋倉

 朝。

 俺は、男の腕の中で目を覚ます。

 俺よりも太い腕。厚みのある胸板。そして、おでこにチクチクと当たる、無精髭。

 つい半年ほど前まで、この胸板には柔らかい肉がついていた。本来ならば吐き気を催す、女性特有のその膨らみは、何故かコイツのだけは平気だった。

 それも今はない。一ヶ月ほど見かけないなと思ったら、勝手に取っていた。俺に、一言も無しで。

 一人での入院は大変だったとか、寂しかったとか、そんな愚痴をこぼすくらいなら、俺に言えば良かったんだ。付いて来てって。仕事の都合なんて、どうにでもするのに。

 けれど、それは俺も同じことだった。付いて行くよ。頼れよ。この言葉が、コイツにはどうしても言えなかった。


 俺は、超が付くほどの美人だ。

 母親譲りのこの美貌は、俺にとっては人生のマイナス点でしか無いのだが、まぁそんな事、凡人に分かるわけもない。

 ちょっと胸に手を当てて、自分が美人に対してどのように振る舞うか考えてみるといい。キャアキャアと囃し立て、羨み、妬み、トロフィーにして、オナホにして、マネキンのように目の付く場所に設置しては、客寄せに使う。

 人間扱いなんて、された事がない。

 そもそも人間ではないのかもしれない。母もそうだし、姉もそうだった。俺達家族はいつだって、ドールハウスのお人形だった。

 そんな風に扱われても、でもやっぱり俺は人間なので、反抗もするし、抵抗もするし、武器として使いもする。俺の身体なんだから、どう使おうが勝手だ。

 俺は、俺の美貌を理解し始めたと同じくらいの頃に、自分の性指向や性欲というものも理解した。まだ幼稚園に通っていた頃だと思うけど、俺はそこの先生に、しっかりと性欲を持って好意を抱いていた。

 それが異常なのかどうなのかは分からない。なにせ見た目だけで規格外の扱いをされているのだ。性欲が異常でも指向が異常でも、それはむしろ正常のように思えた。


 そんな俺なので、この見た目は幼少期からフルに活用させてもらった。女はともかく、男は面白いくらいに釣れた。伴侶が居ようが、同い年の息子が居ようが、俺に手を出す男には関係がないらしい。なんて浅ましい。俺と同じ。俺が唯一、普通の人間だと思わせてくれる、犯罪者たち。

 もちろん、身の危険も沢山あった。殺されかけたこともあった。俺は頭を使って、自分の欲を発散させる事を覚えていった。それでも、どうしようもなくて、生まれ故郷を飛び出したわけだけど。


 飛び出した先でも、やっぱり俺は、男と身体を重ね続けた。

 他に欲しいものはないし、したい事もない。俺は男の匂いが、身体が、性器が好きなんだ。

 今の恋人だってそう。澤谷という名の男は、性格は真面目で平凡で弱虫で、これと言って良い所はないが、性器の硬さと太さがとても良い。

 まぁ、あいつの家に行った時に、顔を真っ赤にしながら正座をして、如何に自分が紫陽花に、君に助けられたか。そして自分がどれほど俺を求めているかを長々と語り、締めくくりに

『付き合ってください』

 と死にそうな顔で告白をしてきたことは、思わず付き合うことにしたくらいには、とても面白かったけど。


 話が逸れた。

 つまり俺は、犯罪者でも、優男でも、誰でも、自分のナカに挿入いれて、そうして繋がりを保つような、そんな関係しか知らないのだ。

 だから、今、俺の横で眠っている友人、嶋倉蓮との関係も、その内そうなるだろうと思っていた。

 嶋倉は女だ。でもそれは身体だけのことで、そしてその身体も、徐々に男に近付きつつある。

 俺は確かに女……、女体は駄目だ。過去にも何度か、無理に行為に及ぼうとされたけど、その全てを拒絶した。好みの問題ではない。無理なのだ。何をもってしても。

 嶋倉に初めて会った時、見た目は男だったけど、すぐに分かった。だからと言って、店から出したり、話しかけないなんてことはしない。だって、ただの客でしか無いのだから。

 でも、それが変わり始めたのが、嶋倉がカットモデルを頼んで来た時。舌打ちをしながら拒否をしたら、アイツはあっさりと退いた。

 だいたい、こういう輩はしつこいのが相場だ。モデルに選ばれるのは、誰にだって誉れな事だと思い込んでいやがる。

 だから嶋倉の諦め方と、それでも通い続けてくるその姿勢に、好感をもった。

 もう一つ、嶋倉との間で特別なことがあるとすれば、性的な話が極端に少なかったことだろうか。

 嶋倉は自分の身体にコンプレックスがあるせいか、性的な話を自分からしない。持ちかけられればある程度は乗るようだが、それでもスルッと聞き役に回るのが常だ。

 それは俺もそうだった。誤解をされそうだが、俺だってやたらめったら下の話をしたりはしない。特に接客ともなれば、色んな相手がいる。嶋倉のような人間もいれば、澤谷のように、そういうネタ自体が苦手な人もいる。

 だから自然と俺達の会話は、同い年なこともあってか、子供の頃に流行ってたものだとか、最近読んだ本や、観た映画の話、そういう雑談が多かった。俺にとっては新鮮で、嶋倉が店に来てくれるのが、ほんの少し楽しみになっていた。

 そうして月日が流れ、俺は嶋倉の家にも遊びに行くようになった。

 そこまで来ると、俺は腹を括った。だって、家だ。そのうちセックスをする事になるだろう。

 俺は、その頃から嶋倉の身体について考えるようになった。多分、勃たない。けれど、男同士だ。どちらが挿入しても良いし、俺がネコになればいい。それなら、多分イケる。

 嶋倉だって経験の一つや二つくらいあるだろうから、道具だって持っているだろう。

 そんな事を、嶋倉に会う度、頭の隅で考えるようになった。アイツは奥手だからな、俺から誘わなければいけないかもしれない。しかし、アイツにも心の準備があるだろう。下手に俺から言って、……断られたら?

 そんな経験は今までにないが、ふと、そんな可能性が頭を過ぎった。断られたその先を、俺は知らない。俺は、足元が揺れる感覚を覚えた。なんだこれ。どうしたんだ、俺。


 その妙な感覚は、それからずっと付き纏ってきた。特に嶋倉と話している時には、心臓までもが痛くなって、呼吸のコントロールが上手く出来ない事もあった。

「紫陽花、大丈夫? 気分でも悪いの?」

 嶋倉は度々、俺を心配してくれた。俺はそれを利用して、今まで以上に身体に触れるよう求めた。頭を、胸を、背中を撫でてもらった。

 なぁ、これだけ俺に触れても、お前はなんとも思わないのか?もっと触ってくれ。誘ってくれ。お前と居るのが、嫌になってしまう前に……。


 それでも嶋倉との関係は変わらず、痺れを切らした俺は、嶋倉の家に向かった。

 インターホンを鳴らすと、いつものようにヘラヘラと笑いながら、出迎えてくれた。

 俺達は、ご飯を食べた。風呂に入って、くっ付き合って、映画を観た。

 そして、二人揃って一つの布団へと潜り込んだ。

 俺は、嶋倉の背中に腕を回して、抱きしめた。嶋倉も、返してくれる。

 そのまま、顎髭に唇を付けた。少しくすぐったい、子供みたいなキス。

「なに?」

 嶋倉は、俺の髪を撫でながら訊いてきた。雰囲気は良いだろう。さて……、


「なんでもない」


 俺は自分の口から出た言葉に驚いた。いや、何か色っぽい事を言えよ。コイツは鈍感なんだから、多少ストレートに言わなければ、何も始まらない。

「そう?じゃあ、おやすみ」

 そう言って嶋倉は、俺を抱きしめながら眠りに落ちていった。俺はただの抱き枕になって、それを見守っていた。

 ……信じられない。

 俺はこのまま家を飛び出そうかと思ったけれど、嶋倉の温もりに勝てなかった。ウトウトと、俺も眠りに落ちそうになる。

 コイツは、それで良いのだろうか。

 俺を抱かなくても、俺のナカを知らなくても、気持ち良くして、もらえなくても。

 みんな、俺を求めた。幼稚園の先生も、伯父も、あんなに人が良くて、下の話が嫌いな澤谷だって、俺に腰を打ち付けて悦んでいる。

 嶋倉も悦んだらいい。俺が良くしてやる。

 俺は嶋倉を抱きしめた。温かい。誰かと寝る時に汗まみれにならないなんて、いつぶりだろう。

 平になった胸に、顔を押し付ける。本当にコイツは何も言わない。腹が立つ。

 そう、不満を抱きながらも、俺は眠りに落ちていった。夢も見ない、深い深い眠りに。


 そして翌朝。

 ほとんど変わらない体勢で、俺は目が覚めた。頭はスッキリしている。しかし、心臓の辺りは、やけに重かった。

 嶋倉は、未だ呑気に眠っている。俺は嶋倉の頬を撫でた。だった一晩で伸びた髭に、指が引っ掛かる。

 そのまま、だらしなく開いている唇に、喉に、上下する胸に、手を這わしていく。

「んん……」

 くすぐったかったのか、嶋倉が身動ろいだ。こいつは寝起きが最悪だ。普段の人の良さは何処へやら、俺にだって、平気でガンを飛ばしてくる。

 俺は、そっぽを向かれるだろうな、と思った。布団も一緒に剥ぎ取られて、寒々しい寝起きになるのだろう。

 しかし、意に反して、嶋倉は俺を抱きしめた。力加減のないそれは、とても苦しかったが、嶋倉の

「どうしたのぉ?紫陽花……よしよし……」

 という間の抜けた声に、全ての感覚を奪われた。


 ──俺は、抱かれなくても、良いのかもしれない。

 急に、そんな考えが浮かんだ。この嶋倉の腕は、身体は、このままの俺を、抱きしめ続けてくれるんじゃないか。

 そんな、なんの確証もない、俺らしくもない考えが、俺を支配していく。

「なぁ……」

 俺は小声で呟く

「俺、このままでも、良いかな?」

 今訊いたって、嶋倉は覚えていないと思う。でも意気地なしな俺は、このタイミングでしか、訊けなかった。

「ふふ……良いよぉ……」

 もうちょい寝てても、と明後日の方向な返事が返ってきた。が、それが嶋倉らしくて、思わず目頭が熱くなる。なんだよ、これ。こんな事で泣くのかよ。母親の葬儀ですら、上手く泣けなかったのに。

 そうして、俺は決意をした。このままでいようと。嶋倉には抱かれないし、抱かない。そういう関係を、続けてみよう。

 あぁ、さっきまであんなにも苦しかった心が、軽くなった。呼吸もコントロール出来る。ようやく、今が朝だと、認識できた。

 俺はコイツと、友達で居たいんだ。友達なんて居たことがないから、分からないけど。

 だったら尚の事、初めてはコイツが良い。

 俺は嶋倉の腕にもぐり直す。居心地の良い、好きな場所。

 次は、言ってみよう。頼れよって。いや、違うな。頼りたいと思える男に、俺がなればいい。

 見てろよ、お前よりずっと、カッコいい男になるからな。

 俺はようやく、セックス以外に欲しい物が出来た。カッコいい俺と、コイツ。

 そんな事を思いながら、俺たちは再び、眠りについた。


 初めての、気怠くない朝だった。

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