第5話君と彼の完璧 嶋倉と紫陽花

 親友に彼氏が出来た。


 俺の親友は、超が付くほどの美人だ。

 俺も美容系の学校を出て、日々それなりに見目麗しい人達を相手に仕事をしているが、彼は格別だと思う。

 正直、顔の造形だけならば、似たような人はいる。しかし、彼の場合は、オーラが桁違いなのだ。

 しっとりとした滑らかな黒髪、猫のような妖しさを持つ大きな瞳、紅い舌の覗く小さな唇、絹のような白い肌。スラリと長い華奢な身体は、肉質感とは程遠い細さなのに、いつだってエロスを纏い、通り過ぎる人の目を奪う。

 そんな完璧すぎる彼と、何故俺が親友になれたのかは、今でもよく分からない。

 ふらりと入ってみたバーの店員であった彼に、是非ともカットモデルをして欲しいと頼み、即断られて、あっさりと諦めたのが、彼としては良かったらしい。

 そりゃあ俺も、諦めたかったわけじゃない。通い詰めて口説き落としてでも、モデルをして欲しいくらいには、彼は魅力に溢れている。ただ、本当のことを言うと、彼のその『完璧』に怖気づいたのだ。彼をこれ以上、美しくする自信がなかった。スタイリストとして、完敗した。だから、あっさりと退いたのだ。


 話が逸れたけど、そんな親友に彼氏が出来た。

 親友……紫陽花、はゲイだ。それは俺も同じで、でも俺は彼には選ばれない理由があった。

 俺は生まれは女なのだ。いわゆるトランスジェンダー。今はホルモンを打って、見た目はほとんど男だけど、身体はまだ、女だ。

 紫陽花は、身体が男じゃなきゃ駄目だ。女相手は吐いてしまうらしい。だから俺は、初めから恋愛に関しては対象外なのだ。


「嶋倉くん。その……紫陽花の誕生日って、知ってる?」


 紫陽花の彼氏である澤谷さんが、俺に尋ねてきた。

 澤谷さんはサラリーマンだ。前職で鬱を患い、つい最近まで療養中だったが、先月社会復帰を果たした。とても大人しくて優しくて、普通の人だ。

「えぇと確か、六月十一日だった、と思います」

「ありがとう。六月か……。過ぎちゃったな……。」

 澤谷さんは五つも年上だが、とても丁寧に接してくれる。最初は敬語だった。それが段々と砕けてきた今でも、挨拶とお礼は欠かさない。話す度に、人としての誠実さに、こちらの気持ちが正される、そんな完璧な人。

「お祝いでもしたかったんですか?」

「うん。紫陽花は迷惑って思うかもしれないけど、でも、彼が居たから、俺は今があるわけだし……」

 澤谷さんは照れくさそうに、頬を染めた。

 掻い摘んでしか知らないが、どうも紫陽花が澤谷さんを助けたらしい。自殺未遂をした彼に寄り添い、再就職に関しても、精神疾患やセクマイの権利関連に強い弁護士に話を聞いて、今の職場を紹介した、らしい。

(あの紫陽花がそこまで……?)

 正直言って、紫陽花は自由奔放が服を着て歩いているような、そんな男性だ。

 男の趣味も悪かった……というか、取っ替え引っ替えで、安定した相手も居なかったのではないかと思う。

 中には紫陽花への思いをこじらせて、自殺にまで至った人も居た。それも、店の目の前で。

 その事件があって以降は、おおっぴらに男を引っ掛ける事は止めたようだが、それでも毎晩のように、誰かと寝ていたと思う。

 紫陽花には葉や茎に毒を含む物もあるそうだが、紫陽花はまさしくその『紫陽花』だろう。

(まぁ俺には、口に含む資格すらないんだけど)

 紫陽花の毒を喰らってみたいと、思ったことがないわけではない。けれどやはり彼にとって俺は論外で、恋にも愛にも奥手な俺は、何一つ身動きも取れずに、ただ誰それと寝たという話を聞くしかなかった。

 そんな親友が、手を時間を暇をかける男がどんな人か、気になるのは当然のことで、俺は接客業で鍛えたトークスキルで澤谷さんに近付いた。

 そして、思い知る。この人の純朴さと、真面目さと、平凡さを。

「間に合っていたら、何を贈ったんですか?」

「そうだな……。嶋倉くんなら、何を贈る?」

 思わぬ質問返しに、俺は少し戸惑ってしまう。紫陽花が、望むもの……?

「……コンドームとか?」

 思わず出てしまったストレートな単語に、澤谷さんはびっくりした表情をして、口元を隠してしまった。

 流石に俺も、失敗したなと思った。紫陽花相手にならともかく、その彼氏に言うことではないだろう。

「……やっぱり、そういうのが、良いのかな……」

 隠した口から、小さく漏れた声が、俺の耳に届く。よく見ると顔は真っ赤で、中学生かと突っ込みたくなるが、あまりにも真剣な顔をしているので、それも出来ない。

「まぁ……紫陽花は、その、奔放ですから。必須アイテムだと思いますよ」

 あぁこれも、彼氏に言うことではなかった。けれど今のその反応が、この人は紫陽花を抱いている、ということを証明してしまっていて、つい苛立ってしまうのだ。

「うん、確かに」

 澤谷さんは緩く微笑むと、俺の方を何度か見て、そして意を決したように、俺の目を真っ直ぐに見て、質問をした。

「嶋倉くんも、紫陽花と寝たことが、あるの?」

 なんて残酷な質問だろう。

 しかし、この人は俺のことは何も知らない。身体のことも、心のことも、彼への想いも。

「無いですよ。親友ですから」

 俺はにっこりと笑ってみせた。こんな風に笑うのには慣れている。子供の頃から、身体に、心に、嘘をついてきたから。


「何、話してんだよ」

 とんっ、と俺の背中に温かな重みがかかる。気配もなく近寄ってきた紫陽花が、俺の背中に寄りかかってきたのだ。

「びっくりした!気配を消すの止めろよな!」

「お前らがボケっとしているだけだろ?楽しそうにイチャつきやがって」

 紫陽花はニヤニヤしながら、俺と澤谷さんの間に滑り込んでくる。つい先程まで、誕生日プレゼントにコンドームはどうかと話していただなんて、言えない。いや、俺は良いけど、多分澤谷さんが駄目だろう。現に、今も顔を真っ赤にして、紫陽花から顔を逸している。本当に三十路を超えているのか?この人。

「ゴムなら持ってるからいらねぇよ。冬用に暖かいブランケットが欲しい」

「聞いてたのか!」

 いつから聞かれてたんだろう。澤谷さんでなくても、なんだか恥ずかしくなってしまう。そして澤谷さんはというと、更に真っ赤になって、「あ、はい」と承諾していた。

「お前、そろそろ帰れよ。終電で帰る気か?」

 そんな彼氏の状態を無視して、紫陽花は時計を指差す。時刻は二十二時過ぎ。確かに、翌日の仕事を考えると、帰宅した方が良い時間だ。

「こんな時間?うん、そうだね。今日は帰るよ」

 澤谷さんは素直に聞き入れると、お金を払って席を立った。紫陽花がドアまで付いていく。そして別れ際に、キスをするのが見えた。

(付き合って、いるんだな……)

 見るんじゃなかった。そう思って手元のグラスに視線を落とすと、再び背中に温もりを感じた。

「俺のこと、抱きたい?」

 紫陽花が、俺の耳元で囁く。見た目とは裏腹な、男らしい、低い声で。

「うん、って言ったら、どうするの?」

 俺は馬鹿らしくなって適当に返す。何故そんな事を訊くのだろう。俺のことなんて、眼中にない癖に……。

「いいよ。抱いて?」

 クスッと笑いながら、更に強く俺を抱きしめてくる。なんて毒。こんなもの喰らったら、俺は死んでしまうんじゃないか?

「ごめん、無理。俺には抱けない」

 俺は、大きく息を吐いて、断る。そう、無理。紫陽花がどうこうではない。俺にとって紫陽花は、親友なんだ。

「なんだよ、意気地なし。俺を断るなんて、お前くらいだぞ」

 紫陽花はけらけら笑いながら、さっきまで澤谷さんの座っていた席に座る。その顔を見ると、欲を孕んでいて、本気だったのかとますます怖気づいてしまう。

「本当ごめん。俺が悪かった。澤谷さんに嫉妬してました」

 俺は両手を広げて、ギブアップの姿勢を取る。紫陽花は得意げに仰け反って、咥えた煙草をこちらに向けてくる。俺はその煙草に火を点けてやる。

「まぁ、可愛くていいけどね。見ていて楽しいよ。でもあいつはまだ、不安定だから」

 紫陽花は俺に煙草を寄越す。俺が咥えると、紫陽花が火を点けてくれた。

「分かってる。今日のは駄目だった」

「よしよし。分かればよろしい」

 敵わないなぁ。いつでもどこでも、紫陽花は見ている。このゲイバーでは、澤谷さん以外にも不安定な人は多い。社会から、家族から、他人から、傷つけられた人が集うと言っても過言ではない。

 だから、紫陽花が澤谷さんにしていることだって、他の人にも、俺にも、してくれていることだ。でも俺は、澤谷さんにはどうしても引っ掛かってしまう。それは彼が、『完璧』だから。

 俺の求めた、親友にぴったりな『完璧なパートナー』だから。

「人間って、難しいね」

 久しぶりの煙草に、少し顔を歪めながら、俺はぼやく。

「だから面白いんじゃん」

 紫陽花は美味しそうに煙草を吸っている。それを見ていると、だんだん煙草が美味しくなってきた。

「あぁそうだ、お前にもブランケット買って欲しい」

「何の話?」

「誕生日だよ。俺の」

 紫陽花は大きな目を綺麗に細めると、よろしく、と一言添えた。

「なんでそんなにブランケットが要るんだよ」

 そんなにブランケット好きだったか?と首を傾げると

「お前んちに泊まる時に必要だろ?」

 と、事もなさげに返してきた。まぁ、確かに、紫陽花はよく俺の家へと来る。

「……しょうがないな」

 この流れでは、受ける他ない。紫陽花は、更に可笑しそうに目を細めた。

「その代わり、俺にも買ってよ」

 やられっぱなしは、性に合わない。そう俺が切り出すと、紫陽花は細めていた目を真ん丸く見開いた。

「なんで俺が」

「コーヒーメーカーが欲しいんだよね」

「おい、まて」

「交換にしよ」

 プレゼント交換。

 俺が楽しそうに笑ってみせると、紫陽花は苦い顔しながら、煙草をもみ消した。

 しかし、次に顔を上げると

「しょうがないな」

 と、笑いながら両手を広げて見せた。

「コーヒーメーカーなんて詳しくねぇぞ?」

「一緒に買いに行く?」

「やだ。外嫌い」

「じゃあサイトで買うか」

 気が付けば、いつもの二人になっていた。刺々しい気持ちもすっかり抜け落ちて、俺は、紫陽花のきれいな髪の毛に指を滑らせる。

「そろそろ切らないとな」

「おう、頼むよ」

 俺は今でも、紫陽花をより美しくさせる自信はない。けれど、彼が生活していく上で、邪魔にならないように、髪を整えることは出来る。

 スタイリストとして、親友として、彼は誰にも渡したくない。

 そんな小さな独占欲も、紫陽花の毒を前にしたら霞のようなものだろう。


 これが俺達の、一番心地の良い、誰にも真似出来ないかたち。



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