ブラザー

 大樹たいきは緑の市松模様、颯太そうたは黄色の鱗模様をそれぞれ羽織り、目に見えぬ敵に向かって、保護者手製の刀を振り上げる。切りかかり、身をひるがえし、叫ぶ。躍動やくどうする興奮と連呼するあやふやな技名わざめい。気合と笑いで息がふわふわと上がっている。突然、颯太は、

「あ!」

と、動きを止めた。大樹に話さねばならないことを思い出した。

子猫こねこをみたんだよ!」

 きのう日曜日、父親との散歩のとちゅうで見たという。

「白くて、黄色きいろくて、すっごく小さくて、毛がふわふわしているんだよ」

 興奮のあまり、颯太は息もたえだえになるほどだ。たったいままでの、ゆかいさをしのぐいきおいに、大樹はとまどいと嫉妬心を抱いたが、そしらぬ顔を作った。

「どこでみたの?」

「お寺だよ、とちゅうにある、お寺のなか」

 お山は寺だらけだ。大樹の疑いを、颯太は敏感びんかんに察した。

「いまから、見に行こうよ」

 もう決めていたのだ。颯太は厚紙の刀を置き、羽織をぬぎ、外に飛び出した。大樹もあわてて、脱ぎすてて追いかける。

 鼓動はすぐに早くなる。外に出たら、常に左右を確認しろと言われているが、颯太は脇目も振らずに進んでいく。

「ほんとに、ふわふわなんだよ」

「うん、うん」

 颯太は興奮を思い出して声をあげる。大樹はあいまいに相槌を返しながら、頭を右左右に忙しく動かし、あとを追う。四つ角を三つすぎて、バスが走る道の信号を待つ。そこは、となりの学区の地域で、ますます緊張は高まる。知らない道ではないが、自分たちだけでこんなに、突然、来てもよいところだろうか。颯太は子猫がかわいいとくり返しながら、進んでいく。道をどれくらい把握しているのか大樹はいぶかしい。

 寺の木が生い茂り、空気が冷たいカーブに差しかかる。寺の壁沿いを進み、階段の下にたどり着く。颯太は迷わず登り出す。大樹は体が疲れるより前に、泣きそうな気持ちになりながら、必死に足を前にだした。強い縄で引っぱられているようだ。

 階段の踊り場で、右手に並ぶ墓地が視界に入った。大樹は見ないふりをする。登りきったところで、颯太はさすがに息が上がったようで、足をとめていた。はぁはぁと肩で息をしながら、しかし、まだ、はち切れそうな笑顔でいる。大樹は自分が、彼と同じように、陽気な顔をしているだろうか自信がない。つたが生い茂る保育園と墓地の間をぬけ、みはらしのいい場所に立ち並ぶ大きな住宅の前を通りぬける。左側は、古い柵の向こうは大きな桜の木が斜め並ぶ崖である。

 ずいぶんが傾き始めている。大樹は、そんな気がしてきて、心細さを強くした。それでも颯太はずんずん行く。大きな木が並ぶ暗い短い道を抜け、ようやく立ち止まったのは、開かれた大きな門の前だった。なかは確かに寺のようだ。だだっぴろく、車や軽トラックが二、三台、間延びしたようすで止まっている。颯太はためらわず、中へかけこんだ。四方へ歩き、あちこちを見つめて、大樹に背を向けたまま、立ち止まった。

 不安に疲れて、しかし責めるつもりはなく、大樹は彼の名を呼んだ。

「そうちゃん」

 とたんに、

「わあああんんん」

 颯太は泣き出した。

「いない、子猫いない、あああん」

 大樹は驚いた。寸前まで、彼はまったく泣き出すようなそぶりをみせていなかった。泣きたいのはこっちだ。大樹はなんとかして彼をなだめ、なぐさめたいと思ったが、それがそういう気持ちであることも、よくわからないから泣くしかない。颯太のように絶叫はできないが、ぐずぐずと涙がでてきて、しゃくりあげる。

 はためく黒い影が、あっという間に二人に近づいた。さささささ、と軽ろやかな足音だ。若い僧侶は、目を丸くして鷹揚に声をかけた。

「どうしたんだ? ケンカか? ころんだ? けがした? どこか痛いのか?」

 ふたりとも禿頭とくとうにぎょっとしながら、首をふったり、手のひらで涙をぬぐう。

「まあまあ、落ちつけよ」

 ふところから折った手ぬぐいをとりだして、ふたりの顔をおさえる。

 颯太はとぎれとぎれに、仔猫をみにいたことを告げた。ふたりが少し落ち着いたのをみると、彼は言った。

「猫はねえ、もらわれていったよ。みんな、ひきとられていったんだ」

 颯太は、ひゅっと音がなるほど、息を呑んだ。大樹はそれにびっくりして、こわばった。

「大丈夫、大丈夫。ほら、ちょっとまって」

 彼は懐の別の場所から、四角い平たい黒いもの、スマートフォンを取り出し、すばやく操作をして、画像をふたりにみせた。

 そこには数匹の子猫が写っていた。大樹が想像したよりも、もっと小さな生き物が、ひしめき合っていた。白や茶色、錆色、黒も混ざっている。颯太は、じっと画面をみつめながら、人差し指をのばして、画面上ですべらせた。手をとめたところには、白と黄色か茶色の子猫が写っていた。

「かわいい」

 うっとりとした声で、颯太はいった。大樹はその手元をよくのぞきこんだ。たしかに彼の心を魅了するような、白と暖かい色味が混ざった、ふわふわとした生き物が写っている。

「かわいいね」

 大樹がつぶやくと、

「ね、ね」

 颯太はぐしゃぐしゃの笑顔で同意を求めてくる。

 しきりにスマホのなかを眺めていたが、僧侶はやがて帰り道を促した。

「どこからきたの? 帰り道はわかる?」

 わかるけどわからない。微妙な空気をさっし、僧侶はすぐに歩き出した。

「ほらいこう、日が暮れちまうよ」

 彼の歩き方は少し早い。大樹と颯太はかけ足で追いかける。すたすたと境内を歩き、坂をおりて歩く。

「どこまでいったら、道がわかるかなあ」

 僧侶がひとりごとのようにいったとき、声が弧を描いてきた。

「あれ、大樹」

「兄ちゃん」

 郁夫いくおは部活の友人とだらだらと下校途中だった。僧侶はそれとみると「気をつけて帰るんだよ」とふたりに声をかけ、きた時の何倍も早く来た道を戻り、またたくまに階段を登っていった。

 あまりの速さに呆気にとられたあと、郁夫はふたりにいった。

「なにやってんだ、こんなところで」

 大樹よりはやく、颯太はこたえた。

「子猫を見にきたんだよ!」

「子猫? どこに?」

「もういない」

「もらわれていったって」

「へー、そうなのか」

「すごくかわいいんだよ」

「大樹も見た?」

「スマホだけ」

「は? へえ、ふうん」

 郁夫は深く追及するかどうか、てきとうに考えつつ、二人を先にして歩き出した。大樹と颯太は、見たのかどうか、実在したのかどうか、あいまいな子猫について、しきりに、かわいかったね、ふわふわだったね、と語り合っている。

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