ブラザー
「あ!」
と、動きを止めた。大樹に話さねばならないことを思い出した。
「
きのう日曜日、父親との散歩のとちゅうで見たという。
「白くて、
興奮のあまり、颯太は息もたえだえになるほどだ。たったいままでの、ゆかいさをしのぐ
「どこでみたの?」
「お寺だよ、とちゅうにある、お寺のなか」
お山は寺だらけだ。大樹の疑いを、颯太は
「いまから、見に行こうよ」
もう決めていたのだ。颯太は厚紙の刀を置き、羽織をぬぎ、外に飛び出した。大樹もあわてて、脱ぎすてて追いかける。
鼓動はすぐに早くなる。外に出たら、常に左右を確認しろと言われているが、颯太は脇目も振らずに進んでいく。
「ほんとに、ふわふわなんだよ」
「うん、うん」
颯太は興奮を思い出して声をあげる。大樹はあいまいに相槌を返しながら、頭を右左右に忙しく動かし、あとを追う。四つ角を三つすぎて、バスが走る道の信号を待つ。そこは、となりの学区の地域で、ますます緊張は高まる。知らない道ではないが、自分たちだけでこんなに、突然、来てもよいところだろうか。颯太は子猫がかわいいとくり返しながら、進んでいく。道をどれくらい把握しているのか大樹はいぶかしい。
寺の木が生い茂り、空気が冷たいカーブに差しかかる。寺の壁沿いを進み、階段の下にたどり着く。颯太は迷わず登り出す。大樹は体が疲れるより前に、泣きそうな気持ちになりながら、必死に足を前にだした。強い縄で引っぱられているようだ。
階段の踊り場で、右手に並ぶ墓地が視界に入った。大樹は見ないふりをする。登りきったところで、颯太はさすがに息が上がったようで、足をとめていた。はぁはぁと肩で息をしながら、しかし、まだ、はち切れそうな笑顔でいる。大樹は自分が、彼と同じように、陽気な顔をしているだろうか自信がない。
ずいぶん
不安に疲れて、しかし責めるつもりはなく、大樹は彼の名を呼んだ。
「そうちゃん」
とたんに、
「わあああんんん」
颯太は泣き出した。
「いない、子猫いない、あああん」
大樹は驚いた。寸前まで、彼はまったく泣き出すようなそぶりをみせていなかった。泣きたいのはこっちだ。大樹はなんとかして彼をなだめ、なぐさめたいと思ったが、それがそういう気持ちであることも、よくわからないから泣くしかない。颯太のように絶叫はできないが、ぐずぐずと涙がでてきて、しゃくりあげる。
はためく黒い影が、あっという間に二人に近づいた。さささささ、と軽ろやかな足音だ。若い僧侶は、目を丸くして鷹揚に声をかけた。
「どうしたんだ? ケンカか? ころんだ? けがした? どこか痛いのか?」
ふたりとも
「まあまあ、落ちつけよ」
颯太はとぎれとぎれに、仔猫をみにいたことを告げた。ふたりが少し落ち着いたのをみると、彼は言った。
「猫はねえ、もらわれていったよ。みんな、ひきとられていったんだ」
颯太は、ひゅっと音がなるほど、息を呑んだ。大樹はそれにびっくりして、こわばった。
「大丈夫、大丈夫。ほら、ちょっとまって」
彼は懐の別の場所から、四角い平たい黒いもの、スマートフォンを取り出し、すばやく操作をして、画像をふたりにみせた。
そこには数匹の子猫が写っていた。大樹が想像したよりも、もっと小さな生き物が、ひしめき合っていた。白や茶色、錆色、黒も混ざっている。颯太は、じっと画面をみつめながら、人差し指をのばして、画面上ですべらせた。手をとめたところには、白と黄色か茶色の子猫が写っていた。
「かわいい」
うっとりとした声で、颯太はいった。大樹はその手元をよくのぞきこんだ。たしかに彼の心を魅了するような、白と暖かい色味が混ざった、ふわふわとした生き物が写っている。
「かわいいね」
大樹がつぶやくと、
「ね、ね」
颯太はぐしゃぐしゃの笑顔で同意を求めてくる。
しきりにスマホのなかを眺めていたが、僧侶はやがて帰り道を促した。
「どこからきたの? 帰り道はわかる?」
わかるけどわからない。微妙な空気をさっし、僧侶はすぐに歩き出した。
「ほらいこう、日が暮れちまうよ」
彼の歩き方は少し早い。大樹と颯太はかけ足で追いかける。すたすたと境内を歩き、坂をおりて歩く。
「どこまでいったら、道がわかるかなあ」
僧侶がひとりごとのようにいったとき、声が弧を描いてきた。
「あれ、大樹」
「兄ちゃん」
あまりの速さに呆気にとられたあと、郁夫はふたりにいった。
「なにやってんだ、こんなところで」
大樹よりはやく、颯太はこたえた。
「子猫を見にきたんだよ!」
「子猫? どこに?」
「もういない」
「もらわれていったって」
「へー、そうなのか」
「すごくかわいいんだよ」
「大樹も見た?」
「スマホだけ」
「は? へえ、ふうん」
郁夫は深く追及するかどうか、てきとうに考えつつ、二人を先にして歩き出した。大樹と颯太は、見たのかどうか、実在したのかどうか、あいまいな子猫について、しきりに、かわいかったね、ふわふわだったね、と語り合っている。
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