第2話

 通された部屋はひどくアンバランスな感じがした。

 窓のところには本棚が置かれ、陽光を遮断していた。机の上にはパソコンが置いてあり、その周りに棚からあふれた本が乱雑に積まれている。中央には応接用なのかソファが置かれ、その周辺にもやはり本。

 これだけ物がたくさん散乱しているのにどこか無機質な感じが強くて、生活感はまるでなかった。

「わざわざご足労そくろう願ってすまないね。ぼくは訳あって、脚が動かないんだ」

 そう声をかけてきた少女を見て、僕たちは言葉を失った。

 彼女は車いすに座り、ブランケットを膝にかけている。髪は肩の上で切りそろえられていて、中性的な印象を受けた。正確な身長はわからないが、声や顔立ちから察するに中学生から高校生くらいだろうか。

 けれど、僕たちが驚いたのはそこではなかった。

 澄んでいるのに、底が見えないくらい深い瞳。知性を湛えた、けれど誰もが陶然とうぜんとなるような微笑み。

 彼女の顔立ちは、丹下桂花たんげけいかにそっくりだった。

「君は、誰?」

 思わず口に出てしまう。続きを制止して、その少女は僕たちに語りかけた。

「聞きたいことが沢山あるのはよくわかる。けれどここはひとつ、ぼくの説明を聞いて貰えないだろうか。そのあとに質問を受けつけるつもりなんだけれど、どうだろう」

 彼女は、僕たちを見回して異論がないことを確認すると、とりあえずかけてくれ、と言ってソファを勧めた。

「まずは自己紹介をしよう。ぼくは丹下芳佳たんげよしか。桂花の妹だ。十五歳。証拠は顔を見てもらえればわかると思う」

 芳佳、と名乗ったその少女は滔々とうとうと過去を語り始めた。



 ぼくの家は、姉から聞いたこともあるかもしれないが学者の家系だ。父が薬学で母が史学。祖父母や叔父、叔母も教職に就いている。

 そんな一家だから、姉は将来を、つまり立派な教育者になることを嘱望しょくぼうされて育てられた。そしてそれ故に、厳しく躾けられたんだ。中学の頃は門限が当たり前のようにあったし、友人と遊んだりすることの制限や、成績の管理もされていた。

 ご存知の通り、私の姉はそういった束縛が大嫌いな人でね。もちろん反発した。喫煙も、それが理由の一端を担っていたんだろう。姉は香水で誤魔化していたけれど、ぼくでもわかるくらいだったし両親も気づいていたのだと思うよ。

 姉は家出をだいぶ前、そうだな……だいたい中学二年生頃から画策していた。

 それを実行に移したのが、言うまでもなく今からおよそ二年前だ。あの日を境に、姉は家からいなくなってそれきり会っていない。姉が残した持ち物のうちの一つが、このスマートフォンだ。「有効活用せよ」ってメモ書きと共に、机の上に置かれていた。

 ぼくは姉のことがそれなりに好きだった。気に入っていたと言ってもいいね。だから、姉の足取りを掴むために、まずスマートフォンを開いたよ。

 スマートフォンの中にはきみたち四人の連絡先、それとここの住所、姉の銀行口座番号と暗証番号のメモ、あとはSNSのアカウントが一つ入っていた。

 そのアカウントは、「はみ出し者」という名前だった。巷では少し有名なんだ。あらゆる事件を解決してくれる「探偵」さんだって触れ込みで、結構な依頼数があるんだ。それで姉は稼いでいたらしい。

 ぼくはメモ書きの「有効活用せよ」を、勝手に解釈した。つまり、姉を探すために有効活用したんだ。

 メールを送ったのもその一環さ。ぼくが君たちに連絡したのは、連絡先にそれしか無かったからだ。もちろん、今日が姉の誕生日なのも狙ってやった。

 正直なところどんな人が出るかわからなかったし不安なところも少なからずあったけれど、なんとかいい方向に行ってくれたようで助かった。

 そしてぼくは今、姉を継いでこのアカウントで探偵のようなことをやっているんだ。姉ほどたくさんの依頼はこなしていないけれどね。



「ここまでで、何か質問は?」

 お茶(芳佳は動けないので僕が淹れた)を飲んでひと呼吸置いてから、彼女は僕たちに問いかけた。

「質問も何も、突然の話過ぎて……」

 夏生なつきが戸惑いを隠しきれず、困ったように僕を見ながら言う。

晴人はるとが一番桂ちゃんといたんだし、何か聞くことあるんじゃないの」

 んな適当な。

 とは思いつつも、多少は疑問点がある。

「じゃあとりあえず。君は、」

「他人行儀だね。芳佳で構わないよ」

「……君は、どうしてここにいられるの?桂花が残してくれたからというのはもちろんわかるけど、君の話なら両親が反対するんじゃないの」

 強情だねぇ、とかぶりを振りつつ彼女は述べる。

「ぼくは見ての通り身体が不自由でね。もちろん厳しく躾けられたし、制限も沢山あった。けれど、両親は失望していたのか、姉ほどは目をかけられなかったんだ。むしろ勝手にいなくなって都合がいいんじゃないかな」

「それは……」

 あおいが眉をひそめたのを見て、彼女は続けた。

「あまり憐れまないでもらえると助かる。なにせ、ぼくも姉と同じで家の呪縛じゅばくからは逃れたいと思っていたからね。……他には?」

「……そもそも、なんで二年も経って今更、僕たちに連絡を」

 芳佳はそれを聞いて、待ってましたと言わんばかりに少しだけ口角を上げた。

「ぼくがここに君達を集めた理由は他でもない。私の姉、丹下桂花の捜索を手伝ってほしいからだ。最近、ようやく情報を掴んだ。と言っても向こうから勝手に舞い込んできたのだけれどね。……晴人、机の上に置いてある紙を取ってきてもらってもいいかい?」

「え?あ、うん」

 桂花に似ているからだろうか、なんとなく逆らえないような気がして、ぼくは彼女の要求に従ってしまっていた。悪い気はしていないんだけど。

 机まで歩いていって、数枚の紙を手に取った。ついでにちらりと机を一瞥いちべつすると、見覚えがある染みのついた「嘔吐」が置かれている。いくつか腑に落ちないこともあるけれど、どうも芳佳が桂花の関係者であることには疑いの余地がないらしかった。

「みんなに配って」

「はいはい」

 言われたとおりに一人一部ずつ配っていく。

「あんた、もう顎で使われてんのね」

 僕の働きぶりを見て、撫子なでしこがなじってきた。まぁ、仕方がない。

 自分のぶんの冊子を取ってソファに座り直して、ざっと流し読みしていく。どうやらSNSアカウントのメッセージが印刷されているようだ。


 はみ出し者さん、初めまして。メッセージで失礼します。じつは折り入って相談させていただきたいことがあります。

 お恥ずかしい話なのですが、知り合いが近頃いわゆるドラッグにはまっているようで、日に日に依存症に近い状況になっています。どこから手に入れたのか、なんという名前なのか、詳しいことは教えてもらえませんでした。ただ、一度だけその人から勧誘されたときに「『けいか』に会える」と言われたことだけは覚えています。その時は気味が悪くて断ってしまったのですが、友人にもどうにかして踏みとどまって欲しいと思っています。

 そこで無理を承知でお頼みするのですが、友人の使っているドラッグの出どころを調べ、なんとかその元凶を絶つことはできないでしょうか。どうかよろしくお願いします。……


 以降は料金の話に移っている。高校の時の定期代と同じくらいだろうか。

「この料金って妥当なの?」

「実はこの付近の飲食店からも似たような依頼があってね。二つ合わせているからそっちは安くなってる。どうもここ最近、アキバ周辺の大学で何らかのドラッグが流行っているらしい」

 あっけらかんと語る芳佳を見て、葵が心配そうに問いかける。

「いつもこんな危ない仕事を?」

「まさか。今回は特別だよ。『けいか』というのが気になって仕方ない。それに、ぼくは見ての通り機動力が無いに等しい。君たちが手伝ってくれないというのなら、引き受けないつもりだ」

 そう前置きしてから、改めて彼女は僕たち四人を見回した。

「さて、改めて君たち四人に問いたい。今、ぼくたちの目の前には我が姉、桂花に関する小さな手掛かりがある。無論、信憑しんぴょう性が高いとは言えない。けれど、あの人にまた会えるほんの一縷いちるの望みがあるのなら僕はそれにすがってもいい、という考えだ」

 少し悲しそうに伏せていた目をこちらに向け、彼女は言葉を続ける。

「そして、それはきみたちも同じなのではないか、と思っている。……いや、正確には何らかの未練を「丹下桂花」に抱いていると願っている。もちろん報酬は出す。だから、ぼくに手を貸してくれないだろうか」

 僕たちの重い沈黙が下りる。

 彼女の言っていることに、少なくとも僕は図星を突かれていた。夢に見るくらい、僕は桂花に未練を抱いている。彼女に言ってやらなければいけないことも、聞きたいこともある。

 目を閉じると、願望が頭の中で駆け巡った。もし、もう一度彼女に会えるのなら。その希望がほんの少しでもあるのなら。あの日の続きがあるのなら。

 僕は迷わずその道を選ぶのだろう。


 目を開けると、彼女はあとは君だけだよ、という風に僕を見つめていた。その表情はやはりどこかで見たことがあるような気がして、僕は少しだけ笑ってしまう。

 他の三人も、多分同じ気分なのだろうと言う予感があった。だから、僕は全員を代表してゆっくりと告げた。

「君のこと、手伝うよ」

「ありがとう」

 芳佳の顔が綻ぶ。年相応の表情というものは初めて見たような気がした。

 彼女は言葉を続ける。

「早速だけれど、君たちには大学での調査をお願いしたい。できれば使用者を数人特定してくれるのがベストだ。年齢的に全員高校を卒業しているはずだけれど……どうしたんだい?みんなしてぼくから顔を背けて」

「いや……まぁ、うん」

「こいつと夏生、いまNEETやってんの。で、葵くんが絶賛大学不登校中」

 お茶を濁す僕たちをばっさりと撫子が切り捨て、さらにびしっと僕を指さした。

「まぁ心配しないで。葵くんは女の子の伝手つてが無限にあるし、夏生もゲーセンにいる連中とは結構仲いいから。役に立たないのはそいつだけよ」

 残りの二人は擁護ようごしたのに、結局僕の評価はさほど変わらないらしかった。

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