目玉焼き

 彼女は目玉焼きが好きだ。まぶしいほどまっしろな白身のなかに、おひさまのようにパッと明るい丸い黄身。起き抜けの眼には、しみて痛いほどのコントラストがいいという。だからぼくは、ときどき目玉焼きをつくっていた。ふわふわのスクランブルエッグや、居心地よくおさまったオムレツを作ることもあったけど、ベーコンと目玉焼きは特別で重要だった。

 でも、どうしても、うまく仕上げることができない。焼きすぎたり、黄身に白い膜がかかり、彼女の理想とするかたちにならない。この覆われた目玉は、彼女には評判がよくない。ぼくも好みではないが、彼女はもっとあからさまにがっかりした表情を、一瞬見せる。

 コメントを頂戴する寸前に、テーブルに盛りつけたプレートをおくときに、ぼくはいう。「焼きすぎたよ」「白くなっちゃった」と。「焼きすぎだね」「白いね」彼女はそのまま返す。そこそこ大人なので、食べられないなどとごねたりせず、空腹に従ってパクパク食べる。味は関係無いのだろうか。

 スクランブルエッグをつくるときは、集中する。一気呵成に完成へむかう。オムレツのときも、また同様。目玉焼きはちょっとちがう。微妙な経過時間が必要だ。そこに敗因がありそうだ。

 彼女は言った。

「ずっとみはってないからじゃない?」

 ぼくはオウム返しに尋ねた。

「ずっとみはってるの?」

 目玉焼きを焼くあいだくらい、じっと目を離さずにいないと、うまくできないんじゃないの、と彼女は、フフンと鼻で笑うような表情をわざと作ってみせた。

 離れてはいけない料理は多々ある。でも目玉焼きはそうじゃない。さわってはいけないし、ずっと眺めていると、変化がかわかりにくくなる。一部がじんわりと変わっていく画の、まちがい探しのような。小さな箱の水槽のなかで、息をひそめている両生類を見つけようとするような。

 彼女はそれが得意だった。茶色い岩肌のようなカエルを見つけるのが。暗がりのオオサンショウウオだって、すぐに見つけた。僕は目の前の浅い水のなかにいるマレーガビアルも、うろたえながら探していた。水の中で身動きせず、自然のなかにまぎれ込むための保護色を持っている彼らを、すぐに見つけられないのは、当然のことだと思うけれど。ことごとく見つけられなくて、彼女はちょっとあきれ顔だった。いや、彼女が見つけるのが早かっただけだ。彼女は動物好きというわけじゃない。たぶん以前につきあっていた男の誰かが、そういうのが得意だったのだ。そうでなければおかしい。

 目玉焼きがうまく焼けたとき、彼女はもう、僕のもとを去っていた。これから、きれいに目玉焼きができるたびに、彼女を思い出すのかなとさみしいことを考えたけれど、きっとさほど遠くない頃に忘れてしまう。三日にいちどは、目にしみるまぶしい目玉焼きを食べるし、そのうち違う誰かと食べるようになる。

 でも、前の彼氏に嫉妬したり、僕よりも先に、動物たちをみつける彼女を、かわいくないと思ってしまった罪悪感のようなものは、たぶんすぐには忘れられない。動物園に、まいにち行くことはできないから。



(2015年)

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