四十七日目 香水に記憶

 その小瓶は、自分にとっては、触るのに緊張するものだった。大切にしているものだから、絶対に割ってはいけなくて、触らないほうがいい。そう思っていた。

 持ち主である母に、触らないでねと言われていたのも大きいだろう。結局、大人になってからも、まともに触ったことはなかった。遠くから眺めるだけ。

 けれど、持ち主たる母がもうどこにもいないのなら、触れるしかないではないか。小瓶を手に取って、割らないように気をつけつつ矯めつ眇めつした。

 小ぶりで、いかにも香水といった瓶だ。見た目には何の変哲もない。

 ならば中身はと、一度振りかけてみる。香水をつける趣味はないのだけれど、試すくらいはいいだろうと思ったから。

 しかし、振りかけてみて、それがただの香水でないと気づくのに時間はかからなかった。その香りを嗅いで、様々な母との思い出が思い出されるのだ。覚えていなかったものも、覚えているものも全部含めて。古いものも、比較的新しいものも。

 なにか、不思議な魔法でもかけられているみたいだ、と思った。もう一度振りかけてみれば、今度はまた少し違う情景が浮かんでくる。

 どうしてこんなふうになるのかと考えて思い出したのは、母はただの調香師ではなかったらしい、と聞いたことがあることだった。母は普通の調香師とは、違った香水を作るという噂を聞いたことがある。それに関係するものなのではないか、と。

 香水の小瓶をひっくり返すと、底には『娘へ』と書かれていた。自分宛て。手紙みたいな。

 ぶら下がっていたタグには、自分へのメッセージが短く書かれていた。

「……ずっと、触っちゃダメって言ってたのは、こういうことだったの……?」

 母はもういない。けれど、その香水があるのなら、忘れてしまうことはないような気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る